これって、戦国時代の謎の一つではありません?
兵隊の士気にせよ、武将の統率力にせよ、甲斐や薩摩あたりの怖そうな奴らに尾張が太刀打ちできる気しない。
それでも最終的に尾張兵は負けない。
いくつか理由はあげられてますよね。
商業主義を取り入れ、経済的に豊かだったとか。
鉄砲をうまく使いこなしたとか。
自由な人事制度で有能な部下を引き上げたり、ヘッドハンティングしたとか。
まぁ、そういうのも理由の一つではあるかもですが……本書『戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』(→amazon)の目の付け所は
【戦国時代の兵制】
です。
あんまり強そうに思えない尾張の兵隊をどのように組織化し、どのように運用していたのか?
これを解き明かすことで、信長・秀吉の強さの秘密をあぶりだすというもの。
そして、なぜ最終的に家康が天下を取ったのかも……。
城郭研究家として著名な著者が、書かずにいられなかったのも頷ける――軍事学で解剖した戦国大名たちのお話です。
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勘兵衛、暴走しすぎやろ!!
本書は秀吉の天下統一事業も大詰めとなった【小田原征伐】の一エピソードから始まります。
小田原城の支城・山中城の攻防戦です。
この戦いで豊臣秀次は7万の軍勢で山中城を攻撃。
守将・北条氏勝以下4,000の守兵の奮戦により、豊臣方は部将・一柳直末をはじめ多くの犠牲者を出すも、わずか半日で城を陥落させた、というものです。
当時、中村一氏の麾下であった渡辺勘兵衛は、この攻城戦で見事一番乗りを果たしますが……。
なんか戦国無双みたいになっとる( ゚Д゚)!
そんな記録(勘兵衛の思い出話みたいな感じ?)は残っているのですが、武将=指揮官のくせに兵を率いたような描写が一切なく、なんか一人で突撃してるような感じしかしない。
ひたすら「ここ突破したった\(o)/」「あそこの守り、くっそヤバい(;´Д`)」「あいつと出くわしたけど、すげえ頑張ってた( ゚Д゚)」みたいな話ばかり。
『それっておかしくない?』
というのが最初の問題提起です。
戦国武将の2つの役割
もちろん、勘兵衛はちゃんと指揮を執っていて、わざわざ書かなかったのかもしれません。
ただ、あまりにも大局的な話がないのは、やはりちょっとした違和感があります。
その違和感は、本書を読み進めると氷解していきます。
実は、当時の中級以下の領主には2つの役割があったようなのです。
・与えられた領地から言われた通りの人数と武器をそろえてくること
・戦場で個人的な武勇を発揮する(他に役割が与えられれば別かも)
連れてきた兵はそのまま指揮するのではなく、いったん親分に預けちゃう。
そして、自分は馬回りを若干引き連れて、一個の騎兵として戦う。
親玉に預けられた兵は、槍部隊や鉄砲部隊として組織化され、集中的に運用される……戦国時代ではそうした運用が進んでいたようです。
そして……。
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