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岡田以蔵 生涯28年の人斬り以蔵っぷりが狂気【幕末の四大人斬り】で最もガチ!

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「幕末の志士たちで2018年最も熱いのは?」
と尋ねたら、多くの方が西郷隆盛か、あるいは昔から人気の高い勝海舟坂本龍馬と答えるでしょう。

しかし、今、一部で大いに盛り上がってるのは彼等じゃありません。

岡田以蔵です。

「岡田以蔵」伝記が突如売り上げ増 ゲーム「FGO」登場で...たちまち3刷に

幕末の「人斬り」と言えば、西郷どんにも登場する桐野利秋中村半次郎)が知られる一方、龍馬作品に欠かせないキャラとして人斬り以蔵も昔から著名でした。
マンガ『お~い!竜馬』なんかでも際立った人物でしたね。

しかし昨今の世相を反映してか、今回の以蔵ブームはスマホゲーム『FGOFate/GrandOrder(FGO)』から来ている模様で。
関連書籍の『正伝岡田以蔵』もバカ売れしており、amazonでは売り切れてしまったせいか1万円を超えるプレミア価格になっています、すげぇ!※というか電子書籍で出せばいいと思うのですが……

ともかく岡田以蔵のことについて知りたい!
そんな要望も編集部に来ているそうで、早速、彼の生涯をわかりやすくマトメてみました。

 

まずは四大人斬りの確認

岡田以蔵と言えば、やっぱり「人斬り」の看板が頭から離れません。
そして「幕末の四大人斬り」というキーワードが、頭に浮かんで来られる方もおりましょう。

そこをアヤフヤにしたまま進むのも気持ち悪いので、最初にその四名の基礎データを確認しておきたいと思います。

人斬りFile no.1 田中新兵衛

1832年〜1863年
出身:薩摩藩
身分:船頭の子。商人から武士となった森山新蔵(寺田屋事件に連座し父子で切腹)の持ち船の船頭の子である、と考えられる
流派:薩摩の示現流の一派「薬丸自顕流」とされる
主な被害者:島田正辰、姉小路公知
死因:切腹による処刑、享年23
特徴:幕末前期、薩摩藩「精忠組」が過激な尊皇攘夷派であった頃に暗躍

人斬りFile no.2 河上彦斎(かわかみ げんさい)

1834年〜1872年
出身:肥後藩
身分:茶坊主
流派:片山伯耆流居合術
主な被害者:佐久間象山
死因:処刑、享年38
特徴:華奢な美青年で、『るろうに剣心』の主人公モデルとされる
吉田松陰と東北旅行に行き、「池田屋事件」で犠牲となった宮部鼎蔵に兵学を学び、尊皇攘夷主義者となった。明治時代になってから処刑

河上彦斎/wikipediaより引用

人斬りFile no.3 中村半次郎(桐野利秋)

1838年〜1877年
【関連記事】桐野利秋

恋人・村田サト(京都)と映る桐野利秋/Wikipediaより引用

出身:薩摩藩
身分:薩摩藩城下士の子。同じ上之園郷中には三島通庸(2019大河いだてん・三島弥彦の父)がいる
流派:薬丸自顕流
主な被害者:赤松小三郎
死因:西南戦争での戦死、享年38
特徴:殺人だけの男ではないが、あまりに気性が激しいため「人斬り」扱いされているフシがある。会津戦争では、会津藩側に同情し寛大な処置を願い出るほど、優しい一面も。「西南戦争」は、桐野の暴走が起こしたとされ「桐野の戦争」とすら呼ばれたり

赤松小三郎/wikipediaより引用

人斬りFile no.4 岡田以蔵

1838年〜1865年
出身:土佐藩
身分:郷士、足軽
流派:鏡心明智流、小野派一刀流、直指流
主な被害者:井上佐市郎、本間精一郎、森孫六、大川原重蔵、渡辺金三、上田助之丞、長野主膳の愛人・村山たかとその子・多田帯刀
死因:打首獄門、享年28
特徴:おそらく四人のうちで最も「人斬り」の名にふさわしい

 

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井伊直弼の元愛妾・村山たかを……

まずは実際に岡田以蔵が絡んだ有名な事件について少し触れておきたいと思います。

以蔵がターゲットとしたのは「安政の大獄」や「桜田門外の変」で知られる井伊直弼。
ではなく、その懐刀として猛威を振るった長野主膳の愛人【村山たか】でした。

彼女は確かに、井伊直弼の元愛妾であり、彼女自身も長野主膳のスパイとして活躍した形跡がありました。
しかし、ひっそりと暮らしてしていたところを晒しものにして、主膳の血を引いているわけではない子供まで斬首したのですから、相当凶悪な事件です。

その実行犯が岡田以蔵らでした。

【関連記事】長野主膳 村山たか

幕末の京都は、混沌が支配する町でした。
天誅を下された死体があちこちに転がり、切断した人体の一部が公家の屋敷にまで放り込まれる始末です。
まったくの勘違いで殺される人もおり、まさにテロルの時代でした。

岡田以蔵は、そんな時代の申し子とも呼べる存在です。
では一体、彼はなぜこれほどまで血に飢えた男となってしまったのでしょうか。

 

隼の如き太刀筋

天保9年(1838年)、以蔵は土佐国香美郡岩村にて誕生しました。
年齢的には坂本龍馬の二才下にあたります。

はじめ以蔵は、麻田勘七直養の門下生として、小野派一刀流を学びました。
そして当初から卓越した剣筋を見せておりました。太刀筋の素早さは「隼(はやぶさ)」と喩えられたほどです。

大男で、動きは素早く、切れ味の鋭い太刀筋。
メキメキと頭角を現す以蔵ですが、郷士の足軽身分となれば周囲からは軽視されてしまいます。

当時は致し方ないことですが、そんな彼を分け隔て無く接してくれたのが、これまた龍馬作品ではおなじみの武市半平太(武市瑞山)です。

武市半平太(武市瑞山)/wikipediaより引用

万延元年(1860年)には、以蔵は武市と二人で九州諸藩を歴遊し、剣客として名をあげてゆきます。

剣に懸けたひたむきな青春がそこにはありました。
志士としてのたゆまぬ向上心も持ち合わせておりました。

文久3年(1863年)には、江戸の桃井春蔵のもとで剣術を学び、以蔵はさらにメキメキと腕前をあげてゆくのです。

 

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土佐勤王党の一員として

以蔵が、ただの強い剣客ではなく、人斬りとして名を成したのはなぜか。
やはり幕末という時代のせいでしょう。

文久元年(1861年)、武市が土佐勤王党を結成すると、門下生であった以蔵は一も二もなく参加しています。

武市は身の丈六尺(180センチ)を越える色白の美男であり、滅多なことで感情を顔にあらわすことすらない人物でした。
高潔で愛妻家としても知られていました。寒梅が早春にほのかな香りを放つような、そんな素晴らしい人格者とされていたのです。

以蔵はじめ、門下生が彼に心酔する理由も理解できようというもの。
しかし武市は、その高潔な美男いう顔とは裏腹に、激情と陰謀、そして暴力に手を染める傾向もその身に潜ませていたのです。

黒船来航以来の混乱の最中、武市は「挙藩勤王」を掲げ、土佐勤王党を結成、政治改革を目指しました。

しかし、当時藩政を担っていたのは、吉田東洋率いる佐幕開国派です。
ここで武市は門下生に命じて吉田を殺害。首を城下に晒すという凶行に及ぶのでした

吉田東洋/wikipediaより引用

坂本龍馬も土佐勤王党に加盟していた時期がありますが、この血腥いやり方についていけず間もなく袂を分かっています。

【関連記事】坂本龍馬

しかし、武市はこの暗殺でタガか外れたのではないか、とすら思えるほどです。
吉田の死ひとつで、流れが変わったかのようにすら思えました。

というのも、ここから先、土佐勤王党にとって「天誅」は、まるで麻薬のようなものとなるのです。
テロルひとつで時代を動かせる――そう誤解した者たちは、幕末という時代において血腥い行動に手を染めてゆくのです。

それは「奉勅攘夷」を掲げた長州藩の過激派たちも同様で……言い方はきついかもしれませんが、彼らは暴力依存症ともいうべき事態に陥っていました。

結果的に勝ち組に属しているため、その罪を問われることはありません。
彼らの時代から、既に150年が経過したわけです。

ここは冷静に認めたいところです。
彼らは、現代でいうところの過激派テロ組織が、勝ち組側に残ったようなものです。例えば組織として見ますと、松下村塾も土佐勤王党も、実質的には壊滅に追い込まれています。




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やはりヤリ過ぎが原因でした。

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