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【江戸っ子と慶喜】
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無血開城といえるのか?
過去に起きた事実は変わらない。
ゆえに歴史的な出来事も認識をあらためる必要はない――というのは大きな誤解です。
歴史には、長い年月を経て認識が変化するものもあり、時には人為的に歪められたものもある。
それを精査研究を重ねて正しく修正してゆくことにより、より適切な記述に姿を変えてゆく。
たとえば【江戸無血開城】という言葉そのもの。
単に【江戸開城】とした方が実態に即しています。
結城素明の絵も、あまり用いられなくなってきています。誤解を招きかねないとされているのです。【大政奉還】の絵もそうで、イメージと実態がかけ離れていると指摘される。
実は「勝海舟と西郷隆盛と膝詰めで語り合って、江戸開城がなされた」という有名な会談ですら、明治時代から舌打ちされているような話。
山岡鉄舟本人はともかく、その弟子たちは「勝がでかいツラしすぎだ、鉄舟先生あってのことだ」と苛立っていました。
西郷との会談は
・勝海舟
・山岡鉄舟
・大久保一翁
の三者が協力して成立したのが実態。それだけでなく家茂の未亡人である和宮も、慶喜の助命に向けて京都と連絡を取り合っていました。
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勝海舟のビッグマウスは歴史認識にまで悪影響を及ぼしています。
例えば【万延元年遣米使節】です。
教科書ですら長いこと、勝の乗船していた咸臨丸の方が重要であるかのように記載されていましたが、ポーハタン号組である小栗忠順らの方が歴史的意義は大きい。
明治維新を生き延びた上に知名度と発信力が高い勝海舟と福沢諭吉が乗っていたため、後に咸臨丸が目立つことになったのです。
【江戸開城】についていえば、渋沢栄一も忘れてはなりません。
彼は心酔する「徳川慶喜が内戦を避けたおかげで、日本の栄光がある」と喧伝することに努めました。
元幕臣で筆力抜群の福地桜痴も、この渋沢に協力しています。
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いわばセルフプロデュース力が高い面々によって幻惑され、ハッピーエンドであるかのように描かれた江戸開城までの流れ。
「渋沢、いいかげんにしやがれ!」と江戸っ子や元幕臣たちが怒っても仕方のない話です。
江戸っ子にも武士にも、長年培ってきた誇りがあります。
花は桜木、人は武士――。
そんな彼らからすれば、武士の頂点に立ちながら、あまりにチキンな慶喜の振る舞いは、納得できるものではなく、とにかく失望でしかない。
桜のような武士が、将軍様のお膝元である江戸にいないということを、彼らはどうしたって認めたくなかったのです。
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慶喜はどうなったのか?
慶喜は、徳川宗家当主としては認識されていません。
宗家当主として、家茂が指名したのは田安亀之助(徳川家達)。
当主ではない上に京都で勝手に政権を放り出した慶喜は、江戸城から白眼視されました。
天璋院に育てられた家達は、慶喜に冷たい目線を向けていたことが伝えられています。
【江戸開城】で命が救われた徳川慶喜は、その後どうなったのか。
西軍としても、ただ慶喜を助命するわけではなく、江戸城明け渡しと武装解除が条件に提示されました。
しかしこれは、現実には履行されず、戦火は東北へと広がり、和宮が慶喜助命を京都に依頼する一方、天璋院(篤姫)は東北諸藩を叱咤激励していたのでした。
岡山を謹慎地とされた慶喜は、交渉によって水戸へ。
思えば弘化4年(1847年)、一橋家の相続が決まり江戸へ旅立った慶喜はまだ幼い少年でした。それがこうして戻ってくるのですから、悲哀なものです。
しかし現実は、感傷にひたっている場合どころの話ではありません。
明治維新の衝撃は、水戸藩を怒濤の中へと引き摺り込んでゆきます。
【天狗党の乱】に敗れて藩士たちが大量処刑されると、水戸藩政は反天狗党(諸生党)が握っていました。
ところが維新の結果、天狗党は自分たちの味方が勝利したと勢いを増します。
束ねるはずの藩主・慶篤(慶喜の同母兄)はそんな動乱の最中の4月急死し、毒殺説まで流れる始末。
まるで火薬庫のような場所に慶喜を置くわけにもいきません。
さらに5月には武田耕雲斎の孫・金次郎が水戸に入り、反天狗党(諸生党)の大量殺戮を開始します。
白昼堂々、恨みのある相手を集団で襲撃し、殺し、生首が転がる……そんな地獄の様相を呈していました。
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水戸藩は、幕末維新の歴史の中で、最も数奇で残酷な運命を辿りました。
内乱により藩士同士が徹底して殺し合い、あまりに多くの人命が奪われてしまったため、人財が枯渇したのです。
回天の動乱に至る思想は、水戸藩の生み出した【水戸学】に根ざすものの、肝心の人材はいない。
そもそもなぜ、徳川御三家から幕府打倒の源流思想が生まれ、最後の将軍である慶喜を苦しめたのか。
この影響は現在に至るまで払拭されているとはいえません。
勝った側は言うまでもない。負けた側だって、会津藩はじめ自分たちの歴史を雄弁に語っています。現に新選組は大人気です。
それが水戸藩では、まず自藩の歴史を辿らねばならず、そこで大きな壁に突き当たってしまいます。
2021年放映の大河ドラマ『青天を衝け』では、水戸藩の紛争が描かれました。【天狗党】関連ニュースのコメント欄まで水戸藩の歴史論争が繰り返されていたほどです。
そんな水戸藩ですから慶喜が長く置かれているわけにもいかず、山岡鉄舟が水戸に入り、慶喜から幕府の処置を勝海舟に任せるという言質をとってきます。
そして7月、銚子から静岡に向かい、宝台院へ。
徳川家康の側室であり、徳川秀忠の母である西郷局(お愛の方)の菩提寺です。
年末、そこで面会を果たしたのが渋沢栄一でした。
六畳ほどの薄暗い部屋にいる慶喜に、渋沢は「どうしてこうなったのか?」と悔しがりながら問いかけます。
しかし慶喜は応じない。これほどの没落ぶりに、倒幕は当然の帰結だと考えていた渋沢ですら、落涙を止めることはできません。
翌年の明治2年(1869年)まで【箱館戦争】は継続。
大久保利通は慶喜を函館に派遣し、榎本武揚と対峙させようとしますが、反対にあい実現には至りませんでした。
こうして慶喜の、長く静かな後半生は始まりますが、一方で、そんな平和な余生を迎えられなかった人々は江戸に大勢いました。
月岡芳年は上野戦争を見ていた
江戸城で白眼視された徳川慶喜。
まるで人望がないどころか嫌悪されるほどの主君ですが、個々の武士が掲げる意地は別物です。
江戸では【彰義隊】という慶喜護衛隊が結成されていました。
本丸が開城され、総大将の慶喜が水戸へ向かったのですから、彰義隊だって解散だろ……というわけにもいかない。
むしろ納得できず、武士の花となるべく、合流してくる者たちがいました。
中には、栄一のいとこである渋沢成一郎もいます。
彰義隊士は揃いの格好をしていました。
裾のくくりに紐がついた義経袴を履き、裾をキュッと締める。水色がかった打裂(ぶっさき)羽織を身につける。
彼らが、この世の名残を惜しむため、吉原へ繰り出すと、遊女たちの間ではこう言われました。
「情夫(いろ)に持つなら彰義隊」
女性たちは簪の飾りに将棋の駒をつけ、彼らを応援していました。
しかし【上野戦争】はわずか一日で決着がついてしまいます。
徳川将軍家の菩提寺であった寛永寺は、彰義隊を匿ったために境内を没収され、後に戻されたのは十分の一ほど。
徳川の象徴であった跡地にはさまざまな博物館が建てられ、浴衣姿で犬を連れた西郷隆盛の像まで立ち、激戦の跡はすっかり消えたようにすら思えます。
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今や、ひっそりと佇む彰義隊の慰霊碑だけが往時を伝える……いや、江戸っ子の意地は残されています。
上野の山の物陰から、人気絵師の月岡芳年と弟子の年景は、戦の様子を目に焼き付け、スケッチしていました。
酷い戦だと江戸っ子たちはひそかに語りました。
西軍は、やたらめったら死体を斬りつけています。人肉に三杯酢をつけ、葱を入れ、味噌付けにして食べたと吹聴している者もいたとか。
その後に発表された月岡芳年『魁題百撰相』は、ディテールが細かい死に様が描かれています。
積み重ねた畳をバリケードにする。
簀子を盾にする。
よろめいた仲間を支え、水を飲ませる。
血にまみれた握り飯を無心で口に運ぶ。
切り落とした首から垂れる血を舐める。
首を肩にかけて歩いてゆく。
経帷子を首の周りにだらりと垂らして血まみれになっている。
酷い戦を目の当たりにしたとしか思えない、極めて生々しい絵です。
新政府は彰義隊の顕彰を禁じたため、詞書では『太平記』や『太閤記』が題材だとされているものの、当時あるはずのない大砲やボタン付きの軍服が描かれています。
江戸っ子たちが見れば、誰を描いたのかすぐにわかる。臨場感のある姿が記録されました。
この『魁題百撰相』には、他にも珍しい特徴があります。
上杉謙信、上杉景勝、伊達政宗、片倉小十郎など、東北ゆかりの英雄が多いのです。
北へと転戦する彰義隊士にエールを送るように、彼らは雄々しく描かれている。
そうなのです。彰義隊が壊滅しようと、流血は終わりません。
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