江戸時代

私財で1万2000本植樹 日光杉並木を作った松平正綱は知恵伊豆の養父

慶安元年(1648年)6月22日は、松平正綱が亡くなった日です。

「何かそんな名前の人、いたようないなかったような……」と思った方もいらっしゃるかもしれません。

というのも実はこの人「知恵伊豆」こと松平信綱の養父。

もともと信綱とは同じ大河内家の出身で、叔父・甥の関係なので、割と濃いめの血縁なんですが。

この辺はいかにもお家大事な江戸時代っぽいですね。

※以下は松平信綱の考察記事となります

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家康の側近を務め、秀忠の治世でも重宝されたが

松平正綱は11歳のとき、徳川家康の命令で三河長沢(現・愛知県豊川市)の長沢松平家へ養子に入りました。

20歳になってから家康の側仕えを務めるようになり、板倉重昌(勝重の次男)らとともに、時代の閣僚として経験を重ねていきます。

そして江戸時代に入ってからは、徳川秀忠の下で大名に取り立てられました。

秀忠の娘・和子が入内するときには京都へのお供を務めたこともあり、信頼のほどが伺えます。

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しかし、世代が変わり、家光の世になると、古くから仕えてきた分だけ大きくなった正綱の権勢は、周囲から煙たがられるようになってしまいました。

家康が亡くなってから、駿府衆と呼ばれていた他の家康側近の武士はほとんど引退していたので、

「なんで正綱だけ未だに残ってるんだ」

と見られてしまったのです。

また、家光も家光で

「余は生まれながらの将軍である」

というぐらい勝気な人ですから、この爺やがだんだん疎ましくなりました。

上記の通り、正綱の養子である信綱は、家光自ら「わが左手」と賞するほど重用されたにもかかわらず、です。

正綱も信綱も真面目に仕事をしていたというのは同じですから、ただ単に性格が合わなかったのかもしれませんね。

しかし、引退後の正綱の功績として忘れてはならないものがひとつあります。

 


総計35.41km 世界最長の並木道はこうして作られた

家康が亡くなった後、正綱は埋葬場所や遺産の管理など、これまた地味……もとい、派手ではないにしろ重要な仕事を任されておりました。

日光東照宮や日光杉並木を作っているのです。

ものすごく単純にいえば、日光名物として知られるもののうち、何分の一かは正綱が大きく関わっているということになりますね。

日光杉並木はいくつかのルートがありますが、総計35.41kmというのは世界最長の並木道だそうです。

ギネスブックにも登録されているとか。すげえ。

ここの杉の木は総計1万2000本以上。

これ、ほとんど、正綱個人のお金で植樹したんだそうです。

私財を投じてジーチャンのお弔いをしてくれたんですから、家光ももう少し正綱に優しくしてやればよかったのになぁ。

もしかして「(義)親子二代とも重用すると他からのやっかみを買うから、とりあえずお前は引っ込んだフリをしてろ。代わりに権現様の供養として並木道を作ってくれ」とか言われたんでしょうか。

それだったら粋な計らいなんですけど、さすがにないですかね。

家光ってそういう「公にしないけど細かいフォローを入れる」のが得意そうな気がするのでつい。

 


毎年100本ほどの杉が早い寿命を迎えている

経緯はともかく、その後も日光杉並木は、日光奉行という役人が代々守り続けました。

明治政府が「神道を整備するから、ついでに神社の周りの木も切って木材にするぞゴルァ」と言い出したときには、地元の官民が一体となって大反対し、今日まで残されているというわけです。

いやぁ、良かった。

関東だと箱根にも似たような杉並木がありますが、そちらは同じタイミングでかなり伐採されてしまったそうで……やっぱり住民だけが反対してもうまくいかないんですね。

ただ、日光のほうも自動車の排気ガスやら近隣の開発によって根が傷んでいる木も多数あるらしく、毎年100本前後の杉が本来よりもずっと早く寿命を迎えてしまっているのだとか。

このペースだとあと1000年程度で消滅の懸念があるらしく、早急な対策が求められています。

ワタクシも車でしか通ったことがないので、人様のことは言えないのですが……。

せめて三つあるルートのひとつだけでも、徒歩・自転車専用にしたり、夜間通行止めにしたりできないんですかね。不便だから無理かなぁ。

あとは乗用車の通行を禁止する代わりに、人力車の車夫さんを呼ぶとかどうでしょうか。

外国の方にもウケそうですし、杉への負担も減るし、人力車の文化も残る。

日本人にとっても「古き良き日本」を味わえて良いと思うんですよね。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
松平正綱/Wikipedia
NIKKO FAN(→link

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