江戸時代の遊郭

葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

江戸時代 明治・大正・昭和

遊郭がどれだけ地獄だったか?『鬼滅の刃 遊郭編』を子供に説明したい方へ

『鬼滅の刃』の新章「遊郭編」が地上波でアニメ放送される――。

宇髄天元によって「ド派手に行くぜ!」という告知が公開されると、たちまちネットは大騒ぎになりました。

「遊郭を子供にどう説明すればいいんだ?」

そんなストレートな疑問が飛び交っていたかと思ったら、いつしか話は曲解されて

「遊郭はセーフティネットみたいなもんだった」

なんてトンデモ論まで出てくる始末。

一体これはどういうことだ……と軽く驚きつつ、私が辿り着いた結論がこれです。

【みなさん、遊郭の知識が漠然なのではなかろうか?】

江戸には吉原という一画があって、そこでは遊女が客を取る。

彼女たちの中には花魁というアイドル的存在もいて、大名や商家などの有力者しか相手にしなかったような……。

と、それぐらいのことは何となく知っていても、実際にどんな場所だったか?という生々しい話となると、答えられる方は少ないでしょう。

そこで本稿ではリアルな遊郭事情を振り返りつつ、『鬼滅の刃 遊郭編』の敵キャラ・上弦の陸を考察していきたいと思います。

上弦の陸とは妓夫太郎と堕姫の兄妹。

二人は、江戸時代の遊郭の生き地獄っぷりを現代に訴えかけるかのような存在でした。

 

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吉原遊廓とはどんなところなのか?

『鬼滅の刃 遊郭編』では以下のような説明から始まります(71話)。

吉原遊郭

男と女の見栄と欲 愛憎渦巻く夜の街

遊郭・花街はその名の通り一つの区画で街を形成している

ここに暮らす遊女たちは貧しさや借金などで売られてきた者が殆んどで たくさんの苦労を背負っているが

その代わり 衣食住は確保され 遊女として出世できれば裕福な家に身請けされることもあった

遊郭を「セーフティネット」と指摘された方は、もしかしたら「衣食住は確保」とか「裕福な家に身請け」という部分を殊更大きく捉えていたのかもしれません。

しかし、遊女の現実は、そんな甘くありません。

『鬼滅の刃』は考証が十分にされた作品ですが、少しおかしなところもあります。

その一つが「花魁」を最上級の遊女としていること。

これは理由が推察できます。

時代ごとに序列が変化するため、わかりやすく「花魁」を便宜的に使っているのでしょう。

では一体どの遊女が偉いのか?というと、江戸時代の場合、大まかに分けてこうなります。

◆宝暦年間頃までの序列(1751年〜1764年・将軍は家重~家治)

太夫

格子

◆幕末期の序列

呼三

昼三

付廻し

座敷持

部屋持

五寸局

並局

切見世女郎

一口に江戸時代といってもその期間は長く、幕府による改革の余波や景気動向もあり、番付は変わりました。

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上弦の陸が生まれたのは、おそらく宝暦年間以降でしょう。

母は遊女。一体どれぐらいの序列だったのか?というと、兄妹の出生地が羅生門河岸であることから推察できます。

吉原の左手、東の端。要は、安価な遊女屋です。ここにいる女性たちが最下級の「切見世女郎」ですね。

切見世とは長屋のことです。

狭くて湿っぽい路地に、部屋がズラリ……。小さな土間に畳を敷いて、短い時間の間客を取る――そんなギリギリの生活を送っていたのです。

しかも兄妹の母は梅毒を患っていました。

病身でろくに客も取れなくなり、そこまで落ちたのでしょう。

任務として潜入中であった天元の妻・雛鶴も、仮病を使ったため切見世に追いやられています。

鬼となった堕姫は、そんな母の過去から決別しました。

京極屋では日が当たらない場所に自室を所有しており、遊女は遊女でも母より大出世を遂げたのです。

 

吉原外の遊女たち

以前SNS上で炎上した【遊郭=セーフティネット論】。

以下の記事にマトメておりますので詳細はご確認いただきたいのですが、当然ながら、遊郭がセーフティネットだなんて、そんな生易しいものではありません。

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吉原の場合、病気になったり、客がつかなくなった遊女は切見世へ。前述の通り吉原の最下層へと追いやられるわけですが、実はこことは別の場所にも遊女はおりました。

『鬼滅の刃』は吉原内部だけで完結します。

しかし、吉原はほんの一部であって、江戸時代において「若い女性が関与し、サービスする職種」では裏メニューがある――そういうことが当然のこととして受け止められていました。

あくまで吉原は幕府公認の遊郭。

それに対し公認以外の遊郭は「岡場所」と称されました。

どんな職種がそうであったか。

◆湯女(ゆな)

男性は三助。銭湯で垢をこすり落とし、洗髪を補助することを名目としていた女性です。

裸と接する職業ということもあり、次第に性的な奉仕も行うことが公然の秘密となります。

2001年公開映画『千と千尋の神隠し』は、未成年少女が湯女のような商いに携わることとなり、名作でありながらも、観客や批評家を困惑させました。

◆飯盛女(めしもりおんな)

旅籠や各地の宿に勤務する女性。字を読めば「ご飯をよそう女」であり、ウェイトレスのような女性のように思えます。

これまた公然の秘密を持つ職業です。

旅の恥はかき捨て、旅の楽しみはその地の女性とのロマンス。そんな需要を満たす存在であり、飯守女との情事を描いたガイドブックのような春本もありました。

◆茶汲み女

浮世絵で人気の題材といえば、水茶屋で働く「茶汲み女」がいます。

茶屋一軒につき2~3人の看板娘がおり、木綿の地味な着物で給仕をしてくれます。

美貌が噂の娘となると、男たちが熱狂して詰めかけた様は微笑ましいものと思えます。

「へえ〜会いに行けるアイドルだね。昔からそういう需要ってあったんだ」

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そんな風に片付けたくなりますが、これまたアイドルの黒い噂である“枕営業”じみた話もあります。

こうした店で茶を飲み、菓子を食べるのであれば一階です。

けれども二階にも行ける――そんな裏オプションがありました。

例えば上野周辺は「けころ」と呼ばれる茶汲み女兼遊女がおりました。紺色の前掛けをし、化粧をしたり、髪を直しながら客が声をかけることを待っていたのです。

◆矢拾女(やひろいおんな)・矢場女(やばおんな)

楊弓という小型の弓があります。和弓は鍛錬と腕力が必要ですが、楊弓は簡単に扱えることが特徴です。

小さな楊弓で的を射る娯楽が江戸時代から栄えました。現代のダーツバー感覚だと想像ください。

こうした娯楽施設である「矢場」には、落ちた矢を拾う女性がいます。

若い女性がかがんで矢を拾うとなると、なかなかセクシーなものがあります。店としても集客のためにもきれいな女性を雇うわけです。

その娯楽がいつの間にやら、性的なサービスを伴うようになりました。

◆売比丘尼(うりびくに)

比丘尼――つまりは尼の格好をした遊女もいました。流しの遊女として存在していたもようです。

◆夜鷹(よたか)

最低ランクの遊女。辻に立ち、蕎麦一杯の値段で身を売る遊女です。

遊郭で働けなくなった者が最終的に行き着く境遇でもありました。病気、高齢、貧困……様々な困難を持つ女性が多いため、安価であるとされます。

夜鷹はゴザを抱え、手ぬぐいて顔を隠した姿で描かれています。そのゴザで客を取っていたのです。

◆船まんじゅう

江戸時代は川を船で移動する水上交通が発達していました。

そんな船の上に乗る間、奉仕する遊女が「船まんじゅう」です。夜鷹と同程度か、その下とされる遊女でした。

船着場や川のそばを通る人に声を掛けて客を取り、遊女が操船する場合もありますが、船頭が乗船していることもあります。その場合は、奉仕中も船頭がそばにいることになります。

彼女らの船は、三人が乗ればいっぱいになるほど小さなもの。安さも納得のいく粗末な場で、彼女らは商売をしていました。

◆陰間(かげま)

これは女性ではなく男性、つまり男娼ですね。

彼らがいる「陰間茶屋」は、役者と兼業することも多かったためか芝居小屋近辺、そして寺社に近い門前町にに多くありました。

江戸では男女比が変化し、江戸後期の改革といった時代の流れで次第に減ってゆきます。

明治維新以降は男色が隆盛すると「薩摩の趣味だ」とされました。

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