江戸時代 べらぼう

『べらぼう』えなりかずき演じる松前道廣は一体何者だ?冷酷の藩主像を深堀り考察

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松前道廣
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結局、上知された蝦夷地

松前道廣は当時の典型的な外様大名と言いたいところですが、松前藩ならではの特殊な事情もありました。

劇中で田沼意次は、蝦夷地を【上知】(あげち・幕府の天領とすること)にしたいと目論んでいますよね。

彼の失脚後、松平定信がその方針を白紙にしたようでいて、結局のところはそうなりません。幕政の事情などお構いなし――とばかりにロシアが南下を続け、とても放置できなくなったのです。

蝦夷地は分割され、東北諸藩が警備のために駐屯することとなりました。

・寛政11年(1799年)太平洋側と千島の【東蝦夷】

・文化4年(1807年)日本海側と樺太の【西蝦夷】

・文化6年(1809円)樺太の【北蝦夷】

文政4年(1821年)には、一時的にロシアの圧迫が弱まり松前藩に戻されましたが、安政2年(1855年)に松前藩領以外が天領とされています。

松前藩は陸奥国伊達郡梁川に移封となりました。

北海道に残る五稜郭をはじめとした西洋式城郭は、こうした警備のために築かれたものですね。

五稜郭の模型

 

そもそも松前藩の規模で広大な蝦夷地を守るという前提自体が、江戸時代の中期以降では無理が生じていました。

松前道廣への厳しい処分は、道廣自身の言動にもよるのでしょうが、時代の流れもあります。

バカ殿を処断した、というだけではなく、幕府の外交と国防ゆえの措置だったのです。

ただし、幕府の蝦夷地統治にも問題はありました。

この問題を悪化させた一因として、劇中で宴に同席していた一橋治済も考慮すべきでしょう。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

治済自身は外交政策を決める立場にはおりません。日本史を学んでいても、彼の動向はあまり追わないかと思います。

しかし、この時期の幕府の政策がこうも不安定なのは、背景に彼の影がチラつくからです。

家治の嫡男だった徳川家基は若くして亡くなり、結果、一橋治済の嫡男・豊千代が11代将軍・徳川家斉に就任しました。

治済も、ここで満足していればよいものを、理不尽な難題をふっかけてきます。

将軍の父として「大御所」扱いをされたいと望んだのです。

この要望を拒んだ松平定信は、恨んだ治済の根回しもあって、失脚させられたといいます。

松平定信の政治は、当時から賛否両論あったことは確かです。

ただし、強い信念がある定信ならば、ロシア外交に対しても腰を据えて向き合うことができたはず。

それが治済のわけのわからない妨害により、人事と政治が乱され、幕府の対露戦略に影を落としたのです。

 


アイヌの過酷な搾取

松前道廣が、藩主として問題があることは、史実的には明白です。

しかし、縛りつけた女を的にして火縄銃を発射する程なのか? フィクションであれば、さすがにやり過ぎでは?

そう思われるかもしれませんが「全く根拠が無い」とも言い切れません。

あのシーンは、蝦夷地ならではの事情を踏まえた――つまり、先住民への残酷な搾取の象徴とも考えられるのではないでしょうか。

劇中でも田沼意知が「蝦夷の民の扱いが酷い」と語っていました。

現代人の視点から見れば悪いということではなく、当時からあまりに酷いと非難されてきたのが松前藩の蝦夷(アイヌ)に対する扱いです。

アイヌの人々(1904年撮影)/wikipediaより引用

松前藩は、徳川家康から蝦夷(アイヌ)との交易で利益をあげることを認められてきました。

江戸時代前期のこの制度を【商場知行制】と呼びます。

アイヌと和人の摩擦は江戸時代はじめから起きていて、寛文9年(1669年)には【シャクシャインの蜂起】など、搾取に対しての蜂起がありました。

18世紀になると【商場知行制】は限界を迎えつつあります。

そこで商人に交易を任せ【運上金】を得る【場所請負制】へ転換。

この転換も【田沼時代】の政策と連動しているといえます。

幕府は清に対する貿易赤字解消のため、長崎から【俵物】(イリコ・干し鮑・フカヒレ)の輸出を増やしました。

島津重豪の薩摩藩では、琉球と密貿易を行い、取引の目玉輸出品には昆布が含まれています。

俵物と昆布は、蝦夷地の特産品ですね。

檜(ひのき)やエゾマツも高級木材として人気が高まってゆき、蝦夷地産品の価値はどんどん上がっていったのです。

カネが動く様に目をつけ、和人が蝦夷地へ入るようになり、【天明の飢饉】が起きると、ますます出稼ぎ労働者が増加。

こうした労働者は、アイヌを見下し、様々な横暴を働きました。

松前藩の権力を笠にきた虐待、暴力、搾取、女性に対する性的暴行など。

辛い労働の憂さ晴らしを、下に見たアイヌに対して発散させたのです。

商人はアイヌを労働力として動員し、コタン(集落)には老人と子どもしか残らないようなこともしばしばありました。

和人が持ち込んだ病原菌による疫病蔓延と、過酷な労働、虐待が積み重なり、アイヌの人口は激減してしまいます。

寛政元年(1789年)には、ついにアイヌの蜂起である【クナシリ・メナシの戦い】が発生。

事態の鎮圧後、アイヌの搾取があまり悪質であった飛騨屋は責任を問われ、処罰されました。とはいえ、松前藩に対して根本的な対策は取られませんでした。

結果、【場所請負制】は藩政が終わるまで継続されることになるのです。

静内町アイヌ民俗資料館敷地内にあるシャクシャイン像/wikipediaより引用

アイヌへの横暴は、国家防衛という視点からも問題がありました。

日本語にはアイヌ語由来の単語があります。

昆布とラッコが代表例でしょう。どちらも蝦夷地の名産品とされたものです。

ラッコの場合、毛皮が珍重されます。

日本では伝統的に毛皮はそこまで重視されないものの、ロシア人からすれば最高級品。そんなお宝を見逃せるはずがなく、何度も交易を求めて南下してくることとなります。

そうして、ロシア人相手に慌てふためく松前藩士を見て、アイヌはどう思ったのか?

日頃、自分達を苦しめる連中の無様な姿に喜び、ロシア人に酒や食料を提供するアイヌもいたと伝えられています。

それも自然な反応でしょう。

民への虐待は、ありとあらゆる意味で有害でしかありません。

とにかく松前藩の統治が、お粗末で横暴だったのです。

幕府からすれば【抜荷】という違法行為をするわ、防衛もろくなものではなく、蝦夷(アイヌ)を苦しめて事態を悪化させている。

松前藩士にとっても、不満は募っていることでしょう。

ドラマに登場した湊源左衛門のように、藩主へ不満を募らせる藩士はいたとされ、幕府が松前藩の動向を問題視したのも、こうした情報漏洩があったからとされます。

蝦夷地に出稼ぎに来た商人にせよ、人夫にせよ、松前藩の統治姿勢を歓迎したわけではなく、所詮はカネ目当て。

アイヌにとって松前藩は、自分達を苦しめ抜く災厄そのものでした。

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大河ドラマで先住民搾取を告発する意義

松前藩の統治姿勢は、松前道廣に限った話というより、藩の体制がそうさせていたのでしょう。

劇中で、道廣が銃遊びをしていたとき、前述した通り島津重豪は褒めていました。

薩摩藩も「黒糖地獄」と称されるほど厳しい搾取を奄美大島はじめ南西諸島に対して行っているのです。

彼らは先住民を苦しめることで利益を得てきた、搾取の象徴とも言える人物でした。

問題は、彼ら個人の言動だけではなく、近世から近代へと歴史が進む中で生じた歪みであり、大河ドラマで指摘できたことは極めて重要な転換点になるのではないでしょうか。

2018年『西郷どん』のオープニングテーマで、奄美出身の歌手の美しい声が響きました。

あれは歴史をふまえると無神経であり、NHKの歴史認識が疑われても致し方ないものではないかと疑問を覚えたものです。

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2021年『青天を衝け』では、渋沢栄一がベルギー王・レオポルド2世の商売手腕を誉める場面がありました。

レオポルド2世の商売の中には、コンゴ自由国で現地住民を搾取した地獄のような貿易も含まれています。

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「資本主義の父」と称される渋沢栄一は、労働者の権利獲得に消極的であり、むしろ妨害していました。

費用をとことん削って利益をあげるとなれば、権利を主張し、低賃金に抵抗する労働者の主張は邪魔でしかありません。

「資本主義の父」とは、悪辣な労働搾取を推進したということと表裏一体です。

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ご覧の通り、つい数年前までの大河ドラマでは、搾取により成立する経済について極めて無頓着な対応を取ってきました。

しかし、それも2025年『べらぼう』では変わるのかもしれません。

搾取されて苦しめられる吉原女郎の苦境は序盤から繰り返し描かれ、今後は蝦夷地で搾取されるアイヌのことも考えさせられる内容へ突入してきたのです。

北海道は言うまでもなく、日本の一部です。

にも関わらず、歴史を扱う大河ドラマでは影が薄い。せいぜいが明治以降の屯田兵が扱われる程度でした。

それが今回、江戸時代以前のこの土地の歴史が出てきた。それが極めて重要な転換点だと感じるのです。

世界各地で歴史の見直しが進み、その成果がエンタメ作品にも反映されているのが2020年代。

『べらぼう』とは、そんな時代にふさわしい大きな一歩を踏み出した作品と言えるのはないでしょうか。

松前道廣をただの残酷な一個人とみなすのではなく、彼に苦しめられたアイヌのことを考える機会となることを願うばかりです。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
岩崎奈緒子『ロシアが変えた江戸時代』(→amazon
菊池勇夫『蝦夷地と北方世界(日本の時代史19)』(→amazon
濱口裕介/横島公司『松前藩 (シリーズ藩物語)』(→amazon
岩下哲典『江戸将軍が見た地球』(→amazon
岩下哲典『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』(→amazon

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