『べらぼう』時代に花咲く水滸伝

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』/wikipediaより引用

江戸時代 べらぼう

べらぼう時代に開花した娯楽作品の王者『水滸伝』が圧倒的存在になるまでの歴史

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馬琴と北斎も『水滸伝』を手がけ『八犬伝』へ

曲亭馬琴山東京伝に弟子入りしていたかどうか。

当人も何やら言い訳めいたことを書き残しておりますが、二人が近くにいたことは確かです。

山東京伝/wikipediaより引用

精神的にどこか弱い、そんな京伝のどこか冴えない『水滸伝』翻案を横目に見つつ、馬琴は何を思っていたのか。

実はこの曲亭馬琴こそ、江戸文人の中でも『水滸伝』への没入が随一の人物といえます。

どんなに高くとも原著を買う。読み出せば飯を食うのも忘れてしまう。そこまで没頭しました。

蔦屋重三郎の死後、『べらぼう』次世代の世界で、馬琴の『八犬伝』への熱い想いと知識は花開きます。

文化2年(1805年)、文は曲亭馬琴、画は葛飾北斎という、ゴールデンコンビが手がけた『水滸伝』絵本として『新編水滸画伝』が刊行されました。

葛飾北斎の挿絵が入った曲亭馬琴『椿説弓張月』( 大弓を引く源為朝)/wikipediaより引用

もっとも、版元と揉め、十巻までで馬琴は手を引いてしまい、北斎の画は続行しております。

己の連載がどうあろうと、曲亭馬琴の『水滸伝』への情熱は変わりません。

厄介なファン心理として「自分ならもっとよい『水滸伝』が書ける!」という野心もふくれあがってゆきます。

馬琴は『水滸伝』をこよなく愛しているものの、お堅い人物らしく、作中の倫理観に乏しい表現は気に入らなかった。

几帳面な馬琴からすれば、あまりにいい加減に思えるところもあったのでしょう。

俺なりの『水滸伝』を作り上げてみせる――そう心に決め『南総里見八犬伝』を世に送り出すこととなったのです。

文化11年(1814年)に刊行が開始されると、馬琴は失明後も書き続け、ついに28年をかけて天保13年(1842年)に完結したのでした。

失明してからは息子の嫁であるお路の助けを借りてまで、この大長編を仕上げたのです。

 


国芳のフルカラー『水滸伝』に熱狂!

寛政4年(1792年)、蔦屋重三郎が【黄表紙】『梁山泊一歩談』三巻、『天剛垂楊柳』三巻を売り出したことは前述の通りです。

この本はじめ、蔦屋の刊行物は北尾重政が挿絵を手がけたものが多い。

蔦屋重三郎が没した寛政9年、日本橋の染物屋に芳三郎という男児が生まれました。

7~8歳頃には北尾重政の絵を写すようになり、なかなかの腕前を見せます。

もしかしたら、こいつァ絵師になれるんじゃねえか?

そう15歳の時に描いた鍾馗 (しょうき)像が話題を呼び、この芳三郎は歌川派に弟子入りし、名を連ねることとなります。

蔦屋重三郎が最晩年に売り出した東洲斎写楽の【役者絵】は当たらず、ライバルと目された歌川豊国が江戸っ子の人気を集めておりました。

東洲斎写楽『三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛』/wikipediaより引用

豊国とその弟子の人気はますます高まり、次第にはこう言われるようになります。

「歌川派にあらずんば絵師にあらず」

芳三郎はそんな豊国の弟子となり、「一勇斎国芳」と号しました。

しかし、いまいち芽が出ずパッとしない。

役者絵はどうしたって、豊国のような絵が受ける。国芳は自分の個性を入れてしまうし伸び悩んでいました。

文政10年(1827年)頃、そんな国芳が手がけた錦絵『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』が刊行されました。

それまでの江戸っ子たちは【黄表紙】の挿絵でしか『水滸伝』の百八星を見ることができませんでした。

それがフルカラーの【錦絵】で刊行されると、たちまち話題作となったのです。

当時の【浮世絵】は蕎麦一杯の値段とされ、トレーディングカード感覚で集めることができました。

人気キャラクターは複数のパターンがあり、コレクター魂を刺激。

【役者絵】とは違い、本物に似せる必要はありません。国芳のセンスを発揮させ、豪快に、ともかく派手に描くことができます。

かくして国芳は、【役者絵】や【美人画】の次にブレイクする【武者絵】のナンバーワンとみなされるようになったのでした。

ちなみに本場中国でも『水滸伝』の挿絵はモノクロ版画が主流であり、派手なフルカラーで描かれた百八星は画期的なものです。

人気の低い順位の低い百八星は、Wikipediaでも国芳の作品がしばしば用いられています。

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 九紋龍史進 跳澗虎陳達』/wikipediaより引用

国芳の絵を見ていると、『水滸伝』がどうして江戸っ子の心を掴んだのか、その理由が見えてきます。

刺青をしている。

露出度が高い。

この点が大きいと思われるのです。

高温多湿な江戸では、夏場ともなれば男たちはやたらと脱ぎました。

脱ぐとなれば皮膚そのものでアピールしたい。そんな需要に応えるのが刺青です。

刺青は見た目が派手なうえに、彫るときは痛みを伴うため、タフさもアピールできる。イケてる江戸っ子は刺青を彫る――それが江戸のファッションでした。

ちなみに中国では身体を傷つける刺青は、あまり流行しておりません。流行していた宋代は例外的な時代といえます。

露出度についても、本国の挿絵ではそこまで派手に脱いでいません。

しかし、水のほとりを意味する『水滸伝』だけに、水中格闘の場面がある。日本人はこう考えたのでしょう。

「やっぱここは脱がせねえとな!」

男性の下着にせよ、宋代には褌ではなく、トランクス状の褲衣です。

しかし、江戸っ子はお構いなしに褌にして、極限まで露出度をあげています。髪の毛もザンバラにして靡かせ、ビジュアルがとことん派手になっているんですね。

高い露出度と刺青。

そんな需要が江戸っ子に大ウケした『水滸伝』。

国芳の【錦絵】を見た江戸っ子は、これをそのまま刺青にしてぇ!と熱狂します。

かくして、国芳の描いた『水滸伝』の英雄は刺青の定番となりました。

現代でも刺青師は国芳の画集はマストとされます。『水滸伝』の名場面で画像検索をかけると、刺青画像が大量にヒットするのも、このときの熱狂がまだ残っている証拠です。

 


日本で『水滸伝』は消えてしまったのか?

上記のように、江戸っ子は『水滸伝』を熱狂的に愛してきました。

ただ、時代によって違いはあります。

特に江戸時代末期から明治時代初期にかけては「あんな古臭いモノ」と思われてしまいました。

月岡芳年『月百姿 史家村月夜 九紋竜』/wikipediaより引用

「脱亜入欧」を掲げた近代以降ともなれば、なおさらだろうと思いたくもなりますが、それでも翻訳翻案の類は続けられています。

映像化作品もあります。

1972年の香港映画『水滸伝』には、黒沢年男さんと丹波哲郎さんが出演。

1973年から1974年にかけては日本テレビで、横山光輝版を原作とするドラマ化もされております。

現代日本ではどうか?というと、人気としては双璧であった『三国志演義』とかなり差を付けられたでしょう。

水滸伝はコーエーテクモゲームスの定番タイトルからも消えてしまいました。

しかし、その一方で、それでもなおしぶといのも確か。北方謙三さんの小説もあり、織田裕二さん主演で2026年にドラマ化されることが発表されています。

原典の宋江は冴えない色黒で地味な男で、織田裕二さんでは格好良すぎる気もしますが、そこは北方謙三さんの小説準拠なのでしょう。

もしかすると令和の日本でも、何度目かの『水滸伝』ブームが到来するのかもしれません。

いや、実はもう始まっているかもしれませんね。

中国では「四大奇書」の中でも人気ナンバーワンを誇り、どうかというと“定番”の存在なのです。

夫婦そろって客の肉で人肉饅頭をこしらえて売っていた母夜叉(ぼやしゃ)・孫二娘がマスコットキャラクターのレストランチェーンもあるほどです。

人肉を売る女がかわいいイラストでマスコットになるのかと私も驚いておりましたら、日本にも進出しています。

「孫二娘潮汕牛肉火鍋」です。

そのおいしそうな写真を見出しつつ、もう日本も『水滸伝』ブームが始まっていることにしてもよいのではないかと思いました。

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個 母夜叉孫二娘』/wikipediaより引用

これも江戸時代からの長い伝統です。

百八星を好き放題してきた歴史は、日本にもあります。

ならば東アジアのエンタメ史を私たちが歩んで作ってもよいのではないでしょうか。

『べらぼう』の蔦屋重三郎も『水滸伝』に飛び乗っていた一人だと思い出しながら、ドラマを楽しみにしております。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
高島俊男『水滸伝と日本人』
高島俊男『水滸伝の世界』
小松謙『熱狂する明代』
大木康『中国明末のメディア革命』
井波律子『中国の五大小説(下)』

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