北里柴三郎/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

ペスト日本上陸を食い止めた北里柴三郎「細菌学の父」は義にも篤い人

新型コロナウイルスの騒動で注目度の上がっている方がおります。

北里柴三郎です。

実はこの北里、ヨーロッパの人口を激減させた死の病気・ペストの日本拡散を防いだ偉大な功労者。

他にも多々功績があり「日本細菌学の父」とも呼ばれる方です。

また福沢諭吉との友情・恩から、慶応大学医学部の創設に無給で貢献した義に篤い人でもあり、僭越ながら私も医師のはしくれとして尊敬している人物です。

お札に採用されるのは極めて妥当――と、激しく納得しますが、では具体的にペストとはどんな怖い病気で、北里柴三郎はどうやって上陸を阻止したのか。

あまり知られておりませんよね。

そこで今回は不肖・馬渕まりが、ペストという病気を見ながら、細菌学者『北里柴三郎』博士の紹介をしたいと思います。

 

げっ歯類からノミに移動し人へ感染

まずはペストがどういう病気かご説明いたします。

ペストは、ペスト菌によって引き起こされる病気で、重症肺炎または高熱を伴うリンパ節腫脹を呈します。敗血症になることもよくあります。

感染経路としては、野生のげっ歯類に発生し、その血を吸ったノミにより人へ。ただし、肺ペストになると人から人へも感染します。

ペストは臨床症状から3つのタイプに分類できます。

①腺ペスト(ペストの80~90%)

潜伏期は2~7日。感染部(ノミに刺された部位)のリンパ節が痛みとともに腫れます。

菌は血流を介して全身のリンパ節、肝や脾でも繁殖し、多くは1週間くらいで死亡。未治療の場合、致死率は約60%と高率です(早期に適切な抗生剤治療を行なえば、腺ペストの致死率は5%以下にすることができます。)

②敗血症ペスト(約10%)

時に局所症状がないまま敗血症症状が先行し、皮膚のあちこちに出血斑が生じて全身が黒色となり死亡します。これが『黒死病』という名前の由来です。

③肺ペスト

ペスト菌が肺に感染すると肺ペストとなります。肺ペストは強烈な頭痛、嘔吐、高熱を伴って急激に発症します。呼吸困難、鮮紅色の泡立った血痰を伴う重篤な肺炎像を示し、2〜3日で死亡するのが通例。未治療の場合はほぼ100%死亡します。咳や泡沫を介して人から人に感染します。

 

数百年毎に大惨事 1340年代には8500万人が死んだ

ペストは有史以来4回の大流行があり、第1回目は6世紀の東ローマ帝国でした。

最も酷い時期には首都コンスタンチノープルで1日1万人が死亡したと言われ、次の大流行まではしばらく期間を置いてます。

第2回目は1340年代に始まる黒死病の流行でした。

この時は全世界で8500万人の命が失われる大惨事に! この流行でヨーロッパの人口が半減したと言われています。

ペストによって死屍累々となった街を描いたヨーロッパの絵画/wikipediaより引用

次も再び300年ほどの期間を置いて、第3回目は17世紀に大流行しました。

ロンドン大疫病とも呼ばれており、約7万人が亡くなっております。

そして第4回目は19世紀。

中国とインドで1,200万人が死んだという世界的流行は、香港から世界に広がりました。

ヨーロッパにおけるペスト流行の歴史/wikipediaより引用

あれれ、日本は?

 

日本にも上陸していた!? それを防いだのが

日本初のペスト患者がでたのは第4回目の流行のさなか1896年のことでした。

その2年前の1894年、スイス・フランスの医師、アレクサンドル・イェルサンが香港で発見しておりましたが、実は同時期に、日本人が全く独立でペスト菌を発見していたのです。
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