新宿御苑

明治・大正・昭和時代

元は高遠藩の下屋敷だった新宿御苑 では京都御苑と皇居東御苑は?

都会の中でも自然に巡りあえながら、それでいて深い歴史をもっている――。

明治三十九年(1906年)5月21日は、新宿御苑が開園した日です。

現在では、毎年4月に内閣総理大臣主催の「桜を見る会」が行われる場所として有名ですね。

新宿御苑の桜/photo by Kakidai wikipediaより引用

江戸時代には、高遠藩(現・長野県伊那市)の下屋敷だった場所です。

この土地をもらったのは、初代の内藤清成という人物で、若い頃から徳川家康に仕えていました。

徳川秀忠の守役も任されていますし、家康が関東に移封された際には先陣を務めたことからして、派手ではなくとも確実に仕事をこなしていくタイプの人だったと思われます。

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その信頼の表れか、江戸入りの後、四谷~代々木周辺に20万坪もの土地を賜ったのです。

家康にしては気前のいいエピソードですね。

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上野動物園の前身も最初はこの土地に

清成が就いた高遠藩の石高からすると、過分な広さだったようで。後に返納された分もあったそうですが、それでも明治に入った時点で10万坪以上あったとか。

現在の新宿御苑にもある日本庭園は「玉川園」と呼ばれる名園として知られ、内藤家の屋敷だった頃の庭の一部ということです……一部って……?

さて、明治時代になってからこの土地は政府に接収され、農業の研究所や教育機関などが作られました。

後々研究・教育機関は他に移転し、管轄も宮内省になり、新たに植物園が作られます。上野動物園の前身にあたるものも、最初はこの土地に作られたとか。

西洋の植物の栽培が盛んに行われ、温室では蘭などの観賞用花卉(かき)栽培もされていたようですね。

この間に皇室の御料地となり、これでまた扱いが変わることになりました。

「御苑」=「皇室の庭園」という名前になったのもこの頃と思われます。

 

大正時代にはゴルフ場になっていた!?

大名屋敷

研究・教育機関

植物園

御苑

そんな変遷をたどってきたこの土地は、明治三十五年から新たに手を入れられることになります。

ただし、その後の戦災によって当時の設計図等が消失してしまったため、明治三十五年5月に公開されたときの姿をうかがい知ることはできません。

ここは、いくつかの文章によって、想像を巡らせるとしましょう。

いわく、上記の「桜を見る会」や「菊を観る会」の前身にあたる「観桜会」「観菊会」が開かれていたとか、それに関連して街路樹よりも桜や菊の栽培に力を入れるようになったとか、大正時代にはゴルフ場になっていたとか、現在と同じ所も違うところもあったようです。

あんな都心のど真ん中にゴルフ場というのも仰天な話ですよね。

上記の通り明治初頭の時点で10万坪=約33万平方メートルあったところですから、広さについては問題なかったのでしょう。

戦時においては、終戦間際の昭和二十年(1945年)5月の空襲でほぼ全焼してしまったため、戦後は再び作り変えられることになります。

皇居外苑・京都御苑とともに、一般市民も入れる国民公園として、整備が進められたのです。

日本庭園内の旧御涼亭(台湾閣)

皇室ゆかりの名残は、昭和天皇の際も新宿御苑で大喪の礼が執り行われましたくらいでしょうか。

大正天皇の大喪の礼(天皇の葬儀)が行われたのも新宿御苑でしたので、これは例外というか慣例というか。

その後は戦災をくぐり抜けた建物や新しく作られた庭園、年中行事などによって、多くの人々に親しまれているというわけです。

 

新宿御苑以外にもある有名な御苑は

さて、上記の通り「御苑」=「(元は)皇室の庭園」という定義ですから、新宿以外にも「御苑」という名の場所は複数あります。

有名なのはやはり、京都御苑や皇居東御苑でしょうか。

その二つについても簡単に触れておきましょう。
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