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『金色夜叉』発表後に亡くなった尾崎紅葉「清琴楼」で在りし日に思いを

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資本主義化が急速に進み「金色夜叉」がベストセラーに

こうして物語の内容と文体で注目を浴びるようになった紅葉は、流行作家として歩んでいくことになります。

同時期に、井原西鶴の作品を多く読み、影響を受けたとも。

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大学の方はといえば、編制が変わったことなどもあり、あちこちに編入したり転科したりして、結局退学してしまいました。

在学中から読売新聞で作品を発表していたので、学校へ通うことの意義が見いだせなくなってしまったのかもしれません。その後は、源氏物語によって心理描写を主体とする作風に変わっていきます。

そして紅葉の作品で最も有名な書くに至ります。

おそらく皆さんご存知でしょう。

『金色夜叉(→青空文庫)』です。

この話は、一言でいえば

「お金と愛、どちらを取るか悩んだ女性と、純情な青年の物語」

というところでしょうか。

近年のドラマでもたびたび取り上げられるテーマですよね。

日清戦争後、急速に資本主義が進んでいた当時の世情に合致したこの作品は、紅葉一番のベストセラーとなりました。

しかしその人気ゆえに、紅葉は金色夜叉の続編を書き続けなければならなくなります。

現代のマンガ業界などでもままある話ですね。

 

塩原や修善寺などで温泉療養をしながら胃癌で

読者からの続編の要望は、大きなプレッシャーとなったのでしょう。

紅葉は心身ともに身体を弱めてしまい、塩原や修善寺などの温泉で療養を試みます。

しかし、間もなく胃がんと診断され、実にその7ヶ月後に亡くなってしまいました。

秋田の玉川温泉のように「がんに効く」といわれる温泉もあるものの、一般的にガンなどで体力の落ちた人は、温泉に入らないほうがいいとされています。

つまり、療養するつもりが、どんどん命を縮めてしまったことになるわけで……皮肉なものです。

ただ、そのおかげ(?)で紅葉が金色夜叉を書いた宿は、作中の名前である「清琴楼」となり、紅葉の泊まった部屋を今に残してくれています。

見学のみだそうですが、在りし日の紅葉を偲ぶために訪れるのもいいかもしれません。

塩原は他にも多くの文人が訪れており「塩原もの語り館」でそれぞれのエピソードを見ることもできますよ。

どの作家か忘れてしまったのですが、「隣の客の宴会がやかましくて宿を変えた」という人の話もあったような……。

静かに塩原を楽しみたい方にはオススメです。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
尾崎紅葉/wikipedia

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