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【尾崎紅葉】
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「金色夜叉」がベストセラーに
こうして物語の内容と文体で注目を浴びるようになった紅葉は、流行作家として歩んでいくことになります。
同時期に、井原西鶴の作品を多く読み、影響を受けたとも。
※以下は井原西鶴の事績まとめ記事となります
井原西鶴ってゲス~いゴシップ小説で売れっ子作家になったの?52年の生涯まとめ
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大学の方は?と言えば、編制が変わったことなどもあり、あちこちに編入したり転科したりして、結局、退学してしまいました。
在学中から読売新聞で作品を発表していたので、通学する意義が見いだせなくなってしまったのかもしれません。
きっちり通ったところで、卒業後は作家になったでしょうしね。
その後は、源氏物語によって心理描写を主体とする作風に変わってゆき、最も有名な作品を書くに至ります。
おそらく皆さんご存知でしょう。
『金色夜叉(→青空文庫)』です。
この話は、一言でいえば
「お金と愛、どちらを取るか悩んだ女性と、純情な青年の物語」
というところでしょうか。
近年のドラマでもたびたび取り上げられるテーマですよね。
日清戦争後、急速に資本主義が進んでいた当時の世情に合致したこの作品は、紅葉で一番のベストセラーとなりました。
しかしその人気ゆえに、紅葉は金色夜叉の続編を書き続けなければならなくなります。
現代のマンガ業界などでもままある話です。
塩原や修善寺などで温泉療養をしながら胃癌で
読者からの続編の要望は、大きなプレッシャーとなったのでしょう。
紅葉は心身ともに身体を弱めてしまい、塩原や修善寺などの温泉で療養を試みます。
しかし、間もなく胃がんと診断され、実にその7ヶ月後に亡くなってしまいました。
秋田の玉川温泉のように「がんに効く」といわれる温泉もあるものの、一般的にガンなどで体力の落ちた人は、温泉に入らないほうがいいとされています。
つまり、療養するつもりが、どんどん命を縮めてしまったことになるわけで……皮肉なものです。
ただ、そのおかげ(?)で紅葉が金色夜叉を書いた宿は、作中の名前である「清琴楼」となり、紅葉の泊まった部屋を今に残してくれています。
見学のみだそうですが、在りし日の紅葉を偲ぶために訪れるのもいいかもしれません。
塩原は他にも多くの文人が訪れており「塩原もの語り館」でそれぞれのエピソードを見ることもできますよ。
どの作家か忘れてしまったのですが、「隣の客の宴会がやかましくて宿を変えた」という人の話もあったような……。
静かに塩原を楽しみたい方にはオススメです。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon)
尾崎紅葉/wikipedia