夏目鏡子

漱石、書斎にて/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

夏目鏡子『漱石の思い出』を読むと 文豪・漱石が可愛く見えてくる

文豪って、とっつきにくいですよね。

真っ先に思い浮かべるのは、夏目漱石森鴎外あたりでしょうか。

写真は白黒だし、カメラ目線をくれないし、学校の授業では作品名ばっかり覚えさせられて萎える――。

大半の方がネガティブイメージを持たれているはずです。

しかし、それは教科書や参考書を作る側に問題があるだけて、彼らは決してつまらなくない。

むしろ、本来は面白キャラの人が多い。

そうでなければ、大衆にウケる文学を書くことなどできず、現代にまで名を残すなど不可能です。

要は【勉強】という枠を取っ払って見れば良いのであって、福沢諭吉さんなどもその一人でしょう。

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彼の自伝には、

諭吉「勉強したいから家を出ていきまっせ」

母ちゃん「おぅ、どこへでも勝手に行きな」

というような、ぶっ飛んだエピソードがたんまりと収録されています。

慶應義塾というエリート輩出校を作り、1万円札の肖像画にまでなった御方が、こんなロックな人だったとは思いもよらない話でしょう。

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そこで今回注目したいのは夏目漱石……ではなく、その妻・夏目鏡子(きょうこ)さん。

昭和38年(1963年)4月18日が命日となります。

本稿では、彼女の書いた『漱石の思い出』から、日本一有名な文豪の日常に切り込んでみましょう。

 


漱石作品は青空文庫でタダですよ

まず本題に入る前に、夏目漱石の作品について。

国語の授業で取り上げられやすいのが『こころ』や『吾輩は猫である』ですから、漱石=長くてややこしい話が多いと思われがちですが、軽快な短中編もたくさんあります。

当コーナーイチオシは『草枕』です。

青空文庫なら無料で読めます(コチラから)。

全部読むのがかったるい方も、ぜひ最初の2ページを読んでみてください。特に悩みを抱えている方にオススメです。

さらに、漱石の場合は自伝『硝子戸の中(→link)』もありますが、今回は妻・鏡子の視点から書かれた回想録『漱石の思い出』に注目です。

ではテーマごとにまとめてみましょう。

 


・新婚当初

鏡子はいわゆる「山の手のお嬢さん」で、結婚するまでまともに買い物に行ったこともなかったそうです。

しかし漱石も新婚当初から「俺はたくさん勉強しないといけないから、お前に構ってはいられない」と宣言するくらいだったので、ある意味ピッタリな夫婦だったのかもしれません。

その割に子沢山ですけどね。夜は別なんでしょうか。

 


・お金に困った話

漱石はお金に無頓着な質で、作家としていくらかの作品が世に出るまで、かなり苦しい生活でした。

特に漱石がイギリスへ留学していた頃は、鏡子の元に入ってくるのが学校の休職手当二十五円だけ、という状況。これは公務員初任給の半分程度です。

休職中だから当たり前……といえないこともないですが、幼い子供二人を抱えた鏡子は、実家の離れでかなりの貧乏暮しをしていました。

そのため、あっちこっちにお金を借りるやら、それでも漱石の元義父などから無心をされるやら、苦労が絶えなかったのです。

漱石が帰国するときにも、さらに借金をして身の回りのものを整えています。

「漱石の印税が入るようになってから、来客用の座布団や自分たちの洋服をこしらえた」とか「印税が定期的に入るようになって、やっと質屋に入れていたものを出せた」といった、実にリアルな話が書かれています。

漱石は家計のことは一切妻に任せていたため、妻のこうした苦労をほとんど知らずにいました。

「吾輩は猫である」が出版されてからお金の話をしたときに初めてこういったことを知り、絶句していたといいます。

幸い、それ以降は暮らし向きに困ることはなかったそうです。

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