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【伊藤博文の女性関係】
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ハッキリと言えば性犯罪だ
「英雄色を好む」とは言います。
しかし伊藤博文の女遊びは度を越していた。しかも嫌われた。
その理由はいくつもあります。
・金銭感覚がおかしい!
貯金なんて関係なく全部パーっと金を使ってしまう。
女遊びで散財しすぎて野宿状態になったものだから、首相官邸ができたと言われております。
駿府の幕臣、斗南藩士、北海道屯田兵が食べるものすらない時代に、税金から出た給与で女遊び。
好かれるはずがありません
・公私混同
政治家として働いているはずが、話を聞きに行くと傍に女を侍らせていた。
病気の見舞いに行ったら、病床にまで女二人を侍らせていた。
そんな下劣なエピソードが続々と出てきます。
・遊び方が汚い!
遊び方にもルールがあります。
芸者遊びをしているだけならば、まだ許せる範囲です。芸者からすれば「伊藤博文と遊んだ」というのはステータスシンボルにもなります。
しかし伊藤は既婚者や幼い少女までも手を出します。
そこがあまりに下劣であるとされたのです。
明治35年(1902年)発刊の谷越五郎『恋の伊藤博文』ではこう痛烈に批判されています。
「至る所にスキャンダルがある。
よりにもよって神聖なる処女を汚して反省もしない。
しかもこれは同意の上だと嘘をついているが、実際は強引に迫ってのことである。
もうこれはハッキリと言えば性犯罪だ。
ありとあらゆるところで純粋な女性を泣かせているばかりか、場合によっては既婚者まで強引に暴行する。それでいて開き直っている」
伊藤のことを性犯罪者と断じており、怒りが伝わってきます。
この告発で注目したい記述はこちらでしょう。
「よりにもよって神聖なる処女を汚して反省もしない。」
日本では伝統的に処女や童貞を重視しません。
『源氏物語』では、髭黒が玉鬘に対して処女であることに感激したことが、風流でないことのように描写されているように思えます。光源氏は朧月夜が処女であることをむしろ面倒に感じています。
戦国時代の来日外国人たちも、結婚時の貞操を重んじないことを驚きとともに書き記しています。
それが明治時代にプロテスタントの影響を受けると、貞操を重んじるようになってゆきました。
そんな価値観がこの記述にはあります。
同時に伊藤の性癖も披露していました。
当時の感覚でも異常な少女愛好癖
結婚時は貞操を重んじなかったとはいえ、花街では別。
「水揚げ」という言葉があります。
芸妓を座敷にあげて、初めて男と寝所を共にすることを指します。
わざわざそんな遊び方をするのはどうなのか?
2021年末に放映予定の『鬼滅の刃』遊郭編では、この水揚げの際に起こった悲劇が重要な役割を果たします。
そんなニュアンスが伝わってくる秀逸な設定といえます。
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そして伊藤はこの水揚げが大好きでした。
初めて座敷にあがる芸妓がいるとなれば、即座に漁る。
プレミア価格が上乗せされますので、それはもう金がかかります。
しかも伊藤は、当時13歳であった小雄という芸者を身請けまでして、大磯の滄浪閣に連れて行ったのです。
あまりに幼く、子どもらしいわがままを言うこの小雄に、我慢強い妻の梅子もさすがに困り果て、夫に訴えたとか。
当然、水揚げ好きな性質と13歳の妾を持つことも、当時から呆れられていました。
“ロリコン”や“小児性愛者”という言葉がない時代でも、そんな幼い子どもと関係を持つことは不気味であるとされていたのです。
ちなみに何歳ならOKなのか?というと、他ならぬ渋沢栄一が基準を残しています。
栄一はパリで美少女を見かけ、こう記していました。
二八の蛾眉(2×8=16、十代の美女)
二八すなわち16歳が女性として成熟した年齢であるという考え方が、東洋の伝統としてあったのです。
例えば『三国志演義』で絶世の美女とされる貂蝉は、16歳とされています。
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『鬼滅の刃』の沼鬼が「16歳の女が最高」と主張することにも、彼の趣味だけでなくこうした通念があるのです。
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言い換えるとそれ以下は「流石に若すぎる」という暗黙の了解があったのです。
ゆえに伊藤の妾はあまりに若く不気味であるとさえ言われました。
「13歳相手でも真摯な恋愛はできる!」
そう主張した政治家が叩かれるのは、現代だからではありません。
明治時代から嫌われていました。当然のことでしょう。
権力と財力でごまかせたが
伊藤博文のあまりに下劣な女遊びは、当時から非難轟々でした。
それでも英雄扱いをされる。
なぜか?
泣く子も黙る長州閥の政治家であり、莫大な権力を行使してきたからでしょう。
ジャーナリズムも味方につけていました。
幕末の京都で長州藩が金をばら撒いたところ、世間は長州の味方となりました。
同じことを明治でもできると、当時の権力者は気づいていたのです。
金をちらつかせれば、思う様に記事を書く――政府を批判し罰せられ、言論弾圧第一号とされた元幕臣の福地桜痴ですら、「御用記者」と呼ばれるほど政府にすり寄っていきました。
明治初期の福沢諭吉は「ジャーナリストは所詮政府の走狗ばかりだ」と書き残しているほどです。
権力、金、筆力――。
と、全てを握ってしまえば、スキャンダルはある程度隠蔽できました。
特に経済界の雄・渋沢栄一と政治家の雄・伊藤博文のバディが手を組めば、怖いものなしでしょう。
もっとも、権力者の圧力に屈しない気骨あるジャーナリストもいたからこそ、今日まで伊藤の醜聞も伝わっているのですが……。
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さて、皆様はどうお考えでしょうか。
伊藤博文と関係を持った芸者がそれを自慢していたから、問題ないという意見もあります。
しかし、そうしたケースとは反対に、彼のせいで大量の涙を流した女性がいると当時から告発されています。
擁護の余地はありません。
伊藤博文も渋沢栄一も、仮に大河ドラマで称賛されるだけで終わるのでしたら、これほど恐ろしいこともないでしょう。
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文・小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
芳賀登『幕末志士の世界』(→amazon)
伊藤之雄『伊藤博文』(→amazon)
三好徹『政・財 腐蝕の100年』(→amazon)
星亮一・一坂太郎『大河ドラマと日本人』(→amazon)
他