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【あさが来たモデル・広岡浅子】
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女子教育への道
炭鉱経営の次に広岡浅子が目指したもの。
それが女子教育でした。
前述の通り、明治政府になったからといって女子の道に光が見えてきたわけではありません。
権利面では、むしろ後退した部分もあります。
その一例が「夫婦同姓」です。
東アジアでは、伝統的に「夫婦別姓」が当然のことでした。
例えば楊貴妃であれば「楊家出身の貴妃という意味」であるように、実家の姓が識別に用いられています。
ところが明治以降、西洋から「夫婦同姓」が持ち込まれたわけです。
教育に関してもそうでした。
明治政府は思いついたように女子留学生を海外に派遣したものの、帰国後のフォローはおざなり。
転機は明治29年(1898年)。
浅子の元に教育事業計画を抱えた成瀬仁蔵が訪れて来ました。
当時の女子教育推奨者は、新島襄・八重夫妻のようにプロテスタントが多くおりました。成瀬もプロテスタントです。
ドラマ『あさが来た』では、成澤泉という役名で、瀬戸康史さんが演じています。
こうしたスポンサー依頼はよくあり、浅子はマトモに相手にしませんでした。
が、成瀬は別でした。彼の『女子教育』論を読むうちに、目を見開かされたのです。
ついに日本女子大学の開校へ
幼い頃から、花嫁修業よりも読書や相撲が好きだった浅子。
女が相撲を取るなと言われ、髷を切ったほどの浅子。
彼女にとって、女子教育は自らを解放するような、かつての自分にエールを送るような、意義あるものとして見えても何の不思議もありません。
そこで浅子は、奈良の豪商・土倉庄三郎を引き入れ、5千円という大金を成瀬に出資。
はじめのうちこそ、炭坑経営を行いながら意見を述べていた程度ですが、次第に前のめりになってゆきます。
明治30年(1897年)には、女子大学の創設に向けて、発起人会が開催され、創立委員が選出されました。
政治家や新聞記者も招待しての、華々しい創立披露会です。
しかし、現実には日清戦争後の好景気が失速し、出資金も停滞しがちでした。
当の成瀬ですら弱気になる中、浅子は彼の背中を押し続けました。
いや、共に走り続けたと言った方がいいでしょう。
そして実家の三井家から土地の提供を受け、校舎工事を開始。
明治34年(1901年)4月、念願叶います。
それが日本女子大学の開校でした。
どんな道を歩むにせよ、この学び舎で身につけたことを為せば、社会の役に立つはず――。
浅子は、学生たちをそう励ましました。
ただしドラマ内の「柔らかい心」は創作のようで、史実での浅子は、ガンガン突っ込んでゆくタイプですね。
日本女子大学の開校により、浅子の名は日本随一の女傑として名をと轟かせることとなります。
教育熱心であった浅子は、加島銀行等の「草島寮」でも従業員に教育を実施。
人を育てることに力を注いだ人生でした。
なお「草島寮」の寮長をつとめたことのある中川小十郎は、台湾銀行や朝日生命保険(現・大同生命)、立命館大学の運営携わる歴史的人物で、浅子の協力者でもありました。
生命保険業へ
広岡浅子の始めた事業は、残念ながら現在まで残らなかったものもあります。
加島銀行も、昭和恐慌を切り抜けられませんでした。
しかし、現在に至るまで残った事業もあります。
それが保険業の大同生命(→link)です。
日本にも頼母子講のような仕組みはありました。
が、本格的な保険業は明治維新以降に導入。
当初は、保険業そのものに対して「人の命を金儲けの種にするつもりか!」という反発がありました。
明治28年(1895年)、浄土真宗が門徒のために「真宗保険」を設立し、生命保険業に乗り出しています。
明治維新以降、仏教も世の変転についていけず、資金確保に四苦八苦していたのです。
しかし、真宗保険の経営は暗礁に乗り上げてしまいます。
信者だけ、しかも上層部が宗教団体で実業経験のない人だらけですから、上手く行かなくても仕方ありません。
そこで縁が深い広岡家に対し、浄土真宗が救済を願ってきたわけです。
浅子は信心深いわけでもありませんし、むしろ宗教には冷めた目を向けておりましたが、ビジネスチャンスとなれば話は別。
宗教色を排除した「朝日生命」(※現在の朝日生命とは別)とし、経営再建に乗り出したのでした。
しかし、明治33年(1900年)の恐慌で、早くも朝日生命の経営に暗い影が落ち始めます。
そこで、浮上したのが
・朝日生命
・護国生命
・北海生命
の三社合同案でした。
この三社合同による「大同生命」が開業したのは明治35年(1902年)。初代社長は浅子の義弟・政秋です。
「小異を捨てて大同に就く」
そんな語彙から名付けられた社名のもと、
・加入者本意
・堅実経営
をモットーにした生命保険会社を始めたのでした。
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