優秀なきょうだいを持つと、何かと比較されて大変だったりしません?
例えば、源頼朝の弟でも、ド派手な義経と比較して地味だとされがちな源範頼とか。
本当は十分に優秀なのに、兄・島津斉彬と比較されて愚弟扱いされる島津久光など。
同性同士の比較が多くなりがちですが、姉と比較されて嘆かれてしまうのが大河ドラマ『光る君へ』にも登場している藤原惟規(のぶのり/これのぶ)です。
名前からはピンときませんが“あの紫式部の弟”であり、ドラマでは高杉真宙さんが演じ、公式サイトではこんな風に説明されています。
まひろ(紫式部)の弟で、幼名は太郎。
勉学が苦手で、文学の才がある姉としょっちゅう比較されている。
のんびり、ひょうひょうとした性格。
確かに飄々としていてドラマでは憎めないキャラでもありますよね。
では史実ではどんな人物だったのか?
藤原惟規の生涯を振り返ってみましょう。
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父も姉も優秀な頭脳を持っていた
藤原惟規は、実に不運な脇役として歴史に登場します。
父は藤原為時。
母は藤原為信の娘。
そう、前述の通り、両親ともに姉の紫式部と同じなのです。
生まれは、彼女の2歳から4歳下、天延2年(974年)辺りと見なされ、ドラマでも描かれていたように父の為時は優秀な漢文学者でした。
当時の漢文といえば、文明の最先端たる北宋から伝わってきたもの。
十代半ばという若さで大学に入り、漢籍を学び始め、菅原文時(すがわらのふみとき)に師事した秀才です。
それが二十歳ごろに妻を迎え、娘(紫式部)と息子(藤原惟規)が生まれた。
きょうだいの母は程なくして亡くなり、父・為時は別の女性を妻として迎えますが、惟規のことをこう考えました。
「私が学んだことを教え、学問の道を極めさせよう!」
教育熱心な父親でした。
『源氏物語』の主役である光源氏は、トップクラスのエリート貴公子です。にも関わらず、我が子・夕霧に対し厳しい教育方針を見せ、周囲から驚かれています。
為時の娘である紫式部が、自分の父親像を反映させたのかもしれません。
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「ああ、この娘が男であれば……」
父の藤原為時は学問により出世を遂げています。
儒者として認められ、花山天皇に漢詩文を教えていた。
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となれば我が子も漢籍に詳しくなければ恥ずかしく、熱心に漢籍を教えようとするのですが、いくら音読して覚えさせようとしても、我が子はすぐに忘れてしまう。
しかし、横で聞いていた姉がスラスラと覚えてしまった――。
「あぁ、この娘が男であれば……」
為時はしみじみと、そう嘆いたものでした。この逸話からは紫式部の優秀さのみならず、教育環境の良さもわかります。
父がいて、弟がいる。その弟に教えようと父が漢籍を読み上げたからこそ、紫式部には染み込むように知識が流れ込んでいったのです。
なぜ、こんな家庭の話が残っているのか?
というと、この優秀な姉が『紫式部日記』を残し、そこに記載していたからなんですね。
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日記では「式部丞」と記されている残念な少年が惟規であるとされています。
『光る君』では「太郎」という幼名で出ていて、長男としてはごくごく普通の名前ですね。
紫式部には異母弟に藤原惟通(のぶみち)・藤原定暹(じょうせん)がいましたが、彼らは母が違うせいか、そこまで親しくはなかったようです。
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