土御門天皇

土御門天皇/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

反幕府の挙兵を知らなかった土御門上皇がなぜ流罪? 鎌倉殿の13人

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実朝暗殺が計画を早めたかも

後鳥羽上皇はいつ頃から乱の計画を立てていたのか?

その辺の詳細は不明です。

・実朝が元服する際に、後鳥羽上皇自ら名を与えたこと

・実朝が朝廷や文化を重んじていたこと

などを考えると、実朝存命中の蜂起は無かったのではないでしょうか。

幕府にしても、実朝のため都から和歌集や絵巻物を取り寄せたりしていて、朝廷に対する態度が好ましい――ということは後鳥羽上皇も感じていたでしょう。

逆に、兵を挙げるに至ったのは

・実朝が建保七年(1219年)に暗殺されてしまった

・暗殺直前における義時の言動に不審な点がある

・義時を中心とした鎌倉幕府が宮将軍を望み、朝廷に干渉しかねない姿勢を見せた

というあたりが気に触わったためでしょう。

順徳天皇に対しては、事前に計画を打ち明けていたようです。

なぜなら順徳天皇もまた、母が平氏の出身。

清盛の異母弟・平教盛

平教子(藤原範季正室)

藤原重子(後鳥羽上皇妃)

順徳天皇

祖母の平教子も清盛の娘・盛子に仕えていたため、かなり平家政権に近い立ち位置だったのです。

土御門天皇の母や祖母が直接平家と関わっていなかったことと比較すると、順徳天皇が反鎌倉幕府の計画に賛同するのも、むべなるかな……というところがありますね。

順徳天皇
父ちゃんとノリノリ討幕計画! 順徳天皇は承久の乱後にどうなった?

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そして承久三年(1221年)6月に後鳥羽上皇が挙兵――。

当初は朝廷側有利で戦いが進みそうでしたが、実際は幕府側のワンサイドゲームで片が付いています。

その詳細については以下の記事をご参照ください。

承久の乱
承久の乱で前代未聞の島流し! 歴史を揺るがした朝廷vs幕府バトルとは

続きを見る

本稿では土御門上皇の動向に注視して先へ進みたいと思います。

 

上皇自ら配流を望み土佐へ

承久の乱について。

土御門上皇は事前に何も知らなかったとされています。

実際、戦後処理においても、鎌倉幕府が罪を問うことはありませんでした。

しかし、他ならぬ土御門上皇自身が

「父と弟が流されるというのに、私だけ京で安穏としているわけにはいかない」

と幕府に強く申し出た……といわれています。

さすがの幕府も対応に苦慮したようですが、土御門上皇の意思を尊重し、土佐への流罪を決定。

先述の通り、弟が即位した時点で、土御門上皇が政治に復帰する可能性はかなり低く、本人としても権力に対する意欲がなかったようで、退位から流刑となり、それ以降も政治的動きは伝わっていません。

流罪の直前に出家した後鳥羽法皇が隠岐へ、順徳上皇が佐渡へ、それぞれ遠隔地の島に流されたことと比較すると、流刑先の土佐には幕府の温情が感じられます。

隠岐や佐渡と比べると、土佐は都との行き来がしやすい場所でした。

しかも乱から約2年ごの貞応二年(1223年)5月には、都により近い阿波へ移動しています。

・土佐では封米(領主に納められる米)が不足したこと

・土御門上皇に政治的責任がないこと

といった点が考慮されてのことです。

まぁ、元々、流刑にされる理由もないんですよね。

 

阿波ではどう過ごしていた?

残念なことは「土御門上皇自身が阿波でどのように過ごしていたのか」という点がわかりにくいことでしょうか。

周りの人々の反応でしたら、以下の通り、若干伝わっています。

・嘉禄元年(1225年)頃、京で「土御門上皇が都に帰ってくる」という噂が流れた

・安貞元年(1227)2月、幕府が阿波守護・小笠原長経に土御門上皇の御所を造らせた

・安貞元年閏3月、熊野の衆徒が土御門上皇を迎えようとし、兵船で阿波に攻め寄せた

熊野については、父・後鳥羽法皇や土御門上皇と縁の深い場所だからかもしれません。

後鳥羽法皇は配流前に28回も熊野詣をしており、厚く信仰していたことがうかがえます。

土御門上皇も、配流されるかなり前に熊野神社(岡山県倉敷市)へ領地を寄進したり、神社が整うように紀州の熊野から人を派遣させたことがありました。

また、熊野は日本神話と仏教の両方と縁の深い土地であり、さまざまな逸話があります。

ザッと挙げただけでも重要な話が出てくる。

・伊弉冉尊(イザナギノミコト)を葬った

・神武天皇が八咫烏(ヤタガラス)に導かれた土地である

・奈良時代から仏教の僧侶が修行をしていた

白河上皇の時代から皇族の参詣も多くなり、それに伴って多くの堂塔も造られていきました。

父子揃って熊野への信仰が篤かった理由については、これまたハッキリしていません。

熊野三山の神=熊野権現はイザナギ・イザナミ・スサノオを指しますので、皇室の人々が厚く信仰するのは、自然な話ではあるのですが。

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