住吉合戦

妖怪退治をする楠正行(左が楊洲周延作で右が月岡芳年作)/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

住吉合戦で小楠公こと楠木正行(正成の嫡男)が大活躍!したけれど……

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敵の大将・山名時氏にケガを負わせ

さて、住吉合戦ではどうだったかというと、そこまでの状況にはなりませんでした。

両軍共に少しずつ移動し、瓜生野という見通しのいい場所に出たからです。

現在の地名でいえば大阪市東住吉区瓜破あたりになるそうですが、検索かけると老人ホームやら小学校が出てきてちょっとビックリしました。

現在はごく普通の町ながら、当時は双方の大将の声がよく通るような場所だったそうですから、「野」とつく通り一面野原だったのでしょう。

付近の適当なところでストリートビューを見たら、シャッター街状態でちょっと哀しくなってしまいました(´・ω・`) ※休みの日に撮っただけかもしれませんが。

野原とはいっても、当時の大阪は湿地帯がそこかしこにあるような場所です。

今ではもう少し整備が進んでいますが、それでも川やら沼やらが点在していますから、南北朝時代ともなればもっと多かったはず。

ただでさえ冷え込む旧暦11月の末、水場の近くであれば体を這い上がる冷気は倍増します。

そしてそれは、一番身分の低かった兵卒達の士気を引き摺り下ろすには充分すぎたのでしょう。

今度はお約束通り、多勢だったはずの幕府軍の兵が次々と戦意を失い、統率が乱れ、何と総大将の一人・時氏が重傷を負うほど前線が崩れてしまいました。

総大将というのは基本的に前線には出ません。

命惜しさに隠れているわけではなくて、少し下がらないと戦場全体の様相がわからないからです。それに、無闇に動くと伝令がきちんと届かないおそれもありました。

そのはずの総大将がケガをしたのですから、どんな状態だったかはご想像の通りです。

 

大勝利からわずか2ヶ月後 楠木家は皆自刃

これを機に、双方大きく動き始めます。

幕府軍はもちろん全滅を防ぐべく全力で撤退し、正行たちは逃がしてなるか!と追撃をかけました。

この時点で後者の士気はオーバーヒート状態だったでしょうが、幕府軍も幕府軍で友軍の安否も気にかけないほどの逃げっぷりだったそうで、(悪)運の良い人々は何とか京都まで落ち延びることができたようです。

こうして正行たちは住吉で大勝利を収めることに成功し、南朝方からの覚えはいっそうめでたくなります。

しかし、その後たった二ヶ月程度で【四条畷の戦い】が起き、楠木家は今度こそ皆自刃して、滅びてしまいました(´;ω;`)

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泣いておいてナンなんですけども、後世から見ると、彼らが歴史の表舞台から退場するタイミングとしては最適だったのかもしれません。

江戸幕府が始まっていわゆる「太平の世」へ向かったとき、武力で身を立てたり高い評価を受けていた武将のほとんどが「俺はもうこの世に必要ない存在なんだ」と嘆いたなんて話もあります。

有名どころだと福島正則とか本多忠勝とかですね。

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もし楠木一族が室町幕府と戦わず、幕臣として残っていたとしたら、そんな風になっていたんじゃないですかね。

となると、自刃という悲劇ではあっても本懐を遂げられたことはよかったのでは……とも思います。

幸せって難しい。

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【参考】
国史大辞典
安田元久『鎌倉・室町人名事典』(→amazon

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