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週刊武春 豊臣家

朝鮮出兵で秀吉にウソをついてまで交渉を進めた小西行長が出世できたワケ

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堺の商人出身ながらも、豊臣秀吉に仕え立身出世。関ヶ原の戦いで敗れたキリシタン大名――波乱万丈な生涯を遂げたのが小西行長(1558~1600)です。

華々しいイメージに反して、実は具体的なことはよくわっておらず、謎の多い武将です。それが、近年の研究成果により、徐々にその実像が明らかになってきました。

最大のなぞは、商人の出身ながら、行長はなぜ出世できたのかということです。このことを解くカギは、実は姻戚関係にありました。

小西行長/Wikipediaより引用

小西行長/Wikipediaより引用

 

キリシタンの立場を利用して貿易ルートを

行長の祖先は父(立佐)までしかわかりませんが、父の代から日比屋氏という貿易商と姻戚関係を何重にも結んでいました。日比屋氏は、大坂・堺の貿易商で、九州と堺との海上輸送ルートを掌握し、豊富な資金を持っていました。

当時の堺は商業都市であり、外国人が行き来する国際都市でもありました。のちに行長は海上輸送を任されて注目を浴びますが、その発端は日比屋氏との「コネ」を利用したものでした。

さらに日比屋氏と小西氏はともにキリシタンの一家でした。もちろん、宣教師とのつながりは、信仰心から出るところもあったでしょうが、行長はキリスト教を「利用」して、キリシタンのみに独占されていた貿易ルートを利用したようです。目の付け所がちがいますね、行長は頭の良い人物だったのでしょう。

 

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秀吉に気に入られぐんぐん出世

行長は人脈とノウハウとを発揮し、まずは青年期に宇喜多氏に仕えました。詳細は分かっておりませんが、いつからか秀吉に認められ、1582年、25歳の時に小豆島の管理を任されました。さらに28歳、秀吉の紀伊・四国攻めに水軍で参戦、宣教師のルイス・フロイスに「水軍司令長官」と評されました。

その後も兵糧輸送を任されたり、水軍として参戦、さらに朝鮮との外交交渉にあたるなど、秀吉から次々と任務を与えられ、徐々に出世を果たします。むろん、キリシタンとのつながりを活かした活動です。

順風満帆にみえた行長の出世に、衝撃が走るできごとがおきます。伴天連(バテレン)追放令です。秀吉は、キリスト教の弾圧を命じたのです。

さて困りました、行長はどう対処したのでしょうか。所領に滞在していた宣教師を一度退去させたように見せかけて、かくまったのです。これは秀吉への「反抗」ともとれます。

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絵・富永商太

 

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犬猿の仲だった清正と肥後を分け合う形で

しかし、必ずしもことはそれほど単純ではありません。貿易を独占していたイエズス会とのつながりは、行長にとって生命線でもあったからです。表向きは秀吉に服従しながらも、実際はキリシタンをかくまうことで、貿易時のイエズス会宣教師の仲介を確保したのです。

こうした努力が実を結びます。1587年、行長は大出世します。肥後の半分、12万石を与えられたのです。ちなみに、肥後の残り半分を与えられたのが、加藤清正。行長と犬猿の仲だった武将です。

肥後(熊本県)という立地に注目すると、数年後に秀吉が抱いていた野望・朝鮮出兵に深く関わりがあるようです。行長は加藤清正とともに朝鮮出兵の先鋒として活躍しますが、その前線基地としての赴任だったのです。

 

大失態が秀吉にバレたにもかかわらず

朝鮮出兵の先鋒として、行長はさらなる活躍をします。1592年、清正とともに最前線で軍を進めた行長でしたが、中国・明の将軍と密約をし、和平交渉を進めてしまいます。むろん秀吉に断りなくです。秀吉の条件は中国・明の降伏という強硬なものでしたが、それが現実的ではないと判断したからでしょう。

この事実を知った秀吉は激怒し、1597年、2度めの朝鮮出兵を命じます。なぜか行長はこの「大失態」にもかかわらず、秀吉に罰せられた形跡がありませんが、それまでの手柄を認められていたからかもしれません。この朝鮮出兵は、秀吉の死去とともに中断され、ようやく終焉を迎えました。

秀吉の死後、徳川家康と石田三成との二つに分かれた天下分け目の関ヶ原が勃発。西軍についた行長は、東軍の寺沢広高隊に敗北し、山中でとらえられ、三成らとともに京都の六条河原で斬首されました。キリシタンの教義に反するため、自害を拒否したといわれています。

キリシタンを「利用」して出世の足掛かりとしたしたたかなキリシタン大名・小西行長。最期は篤い信仰心を抱き、命を全うしたのです。

記:佐久間 風(さくま・ふう)

参考文献

小西行長―「抹殺」されたキリシタン大名の実像 (史料で読む戦国史)

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秀吉の交渉人―キリシタン大名小西行長 (メディアワークス文庫 な 1-5)

 

 





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