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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第2回「吉原細見『嗚呼(ああ)御江戸』」】
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日本橋の地元問屋・鱗形屋へ
そんな商品説明と重ねるように、重三郎が全力疾走してゆきます。
馬もねぇ、駕籠もねぇ、用事があったら走るだけ。
そんな事情があるようで、横浜流星さんの身体能力が光ります。
ひとっ走りしてたどり着いた先は日本橋。
当時も今もオフィス街です。
素晴らしい脚力で重三郎が駆け込んだのは、地本問屋の鱗形屋孫兵衛の店でした。
本作に登場する版元第一号となりますね。
鱗形屋は『吉原細見』の「序」を平賀源内に任せたらどうか?という、重三郎の提案を二つ返事で承知します。
「鱗の旦那様、ありがた山のトンビがらす!」
そうはしゃいでお礼を言う重三郎は、和犬のような愛くるしい目と姿をしています。
かわいいねぇ。この可愛い犬みたいな顔をよく覚えておきましょう。
とはいえ鱗形屋もそんな愛嬌にしてやられるほど安くなく「重三郎が自力で平賀源内を探し出し原稿を取って来られたら」という条件をつけます。
この旦那、時折目が怖くなりますね。重三郎は一瞬怯むものの「へえ!」と二つ返事で承知します。
平賀源内を探せ!
しかし、そう簡単に平賀源内は見つからないようで、重三郎は花の井に頼っています。
重三郎は勢いはあるし、行動力もあるけれども、軍師が必要なようです。諸葛孔明加入前の劉備状態ですね。だもんで、何か詰まると花の井に頼る。
花の井は、奔走する重三郎が心配だし、小間物屋の依頼なんて胡散臭いとわかっているのでしょう。
なんでそこまでするのか?と逆に聞き返してきます。
ここで“うつせみ”という女郎が、田沼様に聞いてみたらどうかと言い出します。田沼と平賀の関係を踏まえてのことなのに、重三郎は「夢でもみておられなんした?」とピンときていない。
「その手はありんすねぇ」
「ありんしょう」
花の井はうつせみの意図を理解しています。和泉屋が田沼と平賀の関係を話しているのだとかで、ようやく気づく重三郎。
重三郎は田沼のことを教えてくれた男と出会ったあの厠へ出向きます。ここでヨタヨタと厠へ向かうエキストラさんは、厠演技が高く評価されたそうです。
そこへあの厠で出会った男が、新之助という若い武士と並んで歩いてきました。
あの「役人はクソじゃなくて屁って話を聞いた」と思い出させる重三郎。またもや下ネタが好きな大河ですね。
重三郎が、平賀源内を知っているか?と尋ねると、男はこう返します。
本草学者であり、
蘭学者であり、
浄瑠璃作家であり、
戯作者でありの
希代の才人と名高い平賀源内大先生
そう言いながら厠へ入る。
新之助という若い武士は、粗末な身なりで月代も伸ばしているのに、きちんと二本刀を佩いております。
重三郎はどうしても源内先生にお会いしてえと語りかけ、厠の戸を叩いてしつこく居場所を聞いています。新之助が何か言いたそうな目つきになって、こう聞いてきます。
「何故源内先生を探しておられるのだ?」
客足の伸びない吉原のため『吉原細見』の「序」を書いて欲しいのだと答える重三郎。
厠の中で男は妙な顔をしてそれを聞いています。
「いいよ、会わせてやるよ。平賀源内先生に。俺は源内先生とは知り合いも知り合い。クソひり合う仲だからよ」
「そりゃくせぇ仲にございますね」
「おうよ。けど、まぁさすがにただで会わせるてわけにゃあいかねぇな」
そう条件提示され怯む重三郎。毎回毎回計画を練る前に動いてんな、オメェ。
「吉原にずいぶん行ってねぇな」
厠の中から、新之助に笑いかける男。驚く新之助。ずいぶんどころかこの反応では、行ったことがないのでは? 堅物のこの若侍も照れています。
「山師」こそ時代の申し子
重三郎のうかつぶりはこの先も続き、吉原へ連れて行く段になってから相手の名前を聞き出します。
“貧家銭内”(ひんか ぜにない)だってよ。ダジャレじゃねえか。
源内とはどういう知り合いなのか?と聞けば、山の仕事をしていて知り合ったと言います。
「馬鹿にしたね? こいつ、山師かよって」
そう銭内にいわれ慌てて否定する重三郎です。
「山師を馬鹿にしちゃいけないよ。山師が金銀銅鉄掘り当てなきゃこの国は終わっちまうんだからね」
「は?」
銭内が真面目な表情で語ります。
「この国は国を閉じるなんてトンチキをしてっだろ?そすっと相場ってもんがわかんなくなって金も銀も、クソみたいな値でオランダに吸い上げられちまったんだよ。そのせいで今必死になって胴で銀を買い戻してんのよ、お上は」
「は?買い戻す?」
「そうよ!どうだいこの馬鹿馬鹿しさ!呆れがひっくり返ってお礼に来んだろ」
重三郎はわかったのかわからないのか、なぜそんなに銀が必要なのか?と言います。
すると銭内が財布から銀貨を取り出す。
火事の後に出された「南鐐二朱銀」(なんりょうにしゅぎん)でした。
なんでも田沼様が出した銀貨なのだとかで、「銀」に「朱」とつけたのがとんでもないすぐれものだそうで。
田沼様はこれを使って、金の手綱を握り直したいのだと説明します。
もはやこの世は全て金
その田沼意次が重々しく語っています。
「もはやこの世は、全て金。何をするにも、金が入り用になりまする」
火鉢の灰に「金」の文字。
田沼は説明を続けます。
「にもかかわらず、幕府武家の実入りはいまだ年貢。米は換金せねば通用いたしません。するとそこにつけ込まれ、札差たちに買いたたかれる。これでは武士百姓たちは貧しくなるばかり。ではいかにすればよろしいのか。新しい金を作り、金の手綱を武士が握り直せばよろしいのです」
こうして田沼意次の経済政策を挟みながら、またも場面は、川縁を歩く重三郎一行へ。
「ああ〜、けど金っていろいろありますよね。金貨も銀貨も銭も昔からのもあるし」
そんな疑問に対し、田沼が答えます。
「そのためには金貨銀貨を凌駕し、南鐐二朱銀に統一するが一里塚。そのためには、大量の銀を備えねばなりませぬ」
そこで、意次は天領での銀採掘を増やしている。採掘の大事さがお分かりいただけたか?と、他の老中たちに語りかけるのですが……。
「なるほど〜」とすんなり納得する田沼派の松平康福に対し、最長老の松平武元は「わからぬ!」と突っぱねながら「そんなことになるなら、商人に米を高く買えと言えばよい!」と返しています。
「今どきの商人は武士の言うことなど聞きません」
意次が粘り強く説明すると、武元はムッとしつつ「ならば上様のご威光を増すべくつとめるのが本道だ」と引きません。
老中・松平輝高も賛同しています。
ここで彼が賛同するのも皮肉の極みでして。天明元年(1781年)、彼の絹への課税が契機で起こる【絹一揆】という事件があります。このせいで幕府は撤回せざるを得ず、それがストレスとなって輝高は亡くなってしまいました。
絹一揆、老中を殺す――そう衝撃をもって受け止められ、世の転変へとつながってゆくのです。
武元は苛立ちながら「口を開けば金、金、金! それが武家の範たる老中の考えか? 恥を知れ!」と意次を責め立てる。
平伏するしかない意次です。
ここの場面は大変興味深く、勉強になりますね。
銭内が罵倒した「国を閉ざす」というのは日本だけでなく、近世東アジアの明、清、朝鮮にもあてはまる特徴です。
近世の時代、世界的に見て豊かだったのがアジア地域でした。その富に目をつけ、なんとしても交易したい西洋は接近を図るも、なかなか実現できない状態に陥るのです。
銭内は「オランダが吸い上げている」と言いましたが、その需要と供給の構図が江戸中期ともなるとジワジワ変わり始めていることがわかりますね。
これは日本国内の金属についても考えねばなりません。
どの国でも文化圏でも、だいたいが貴金属は重視されます。ゆえに発掘技術の開発が早く、商業規模の大きい国ほど先に鉱山は尽きます。
日本の隣国、中国では早々に尽きてしまい、絹を対外貿易の目玉商品としました。
日本史はこの状況が重要です。
『光る君へ』で描かれたように平安貴族は【唐物】を求めて宋人から輸入を続ける一方でした。
その宋の北部が金朝に支配された南宋の時代、南宋は金が不足。平清盛はこの状況に目をつけ、【日宋貿易】を拡大しました。
南宋側の需要が高騰したことにより、動く金額が桁違いになっていたわけです。
同時期、砂金により権勢を高めた奥州藤原氏が、源頼朝に滅ぼされたことは『鎌倉殿の13人』でも描かれましたね。
南宋のあとの元朝の時代、マルコ・ポーロは『東方見聞録』に“黄金の国ジパング”と記述しました。あれは南宋や元からすれば、日本は重要な金供給国であったという意味でしょう。
次は銀が重要性を増す時代です。
大航海時代、アメリカ大陸にヨーロッパ人が到達すると銀が採掘されました。
中国では元朝が滅び、明朝の時代です。モンゴル由来の元とは異なり、明は漢族らしい農業重視政策を取りました。
そうはいっても元の時代に味わったグローバル経済のうまみを民衆は忘れることができず、通貨の需要が高まっています。
そうした需要に対し、銅銭だけでは追いつかない。
他国から見ても明には魅力的な品が揃っています。マルコ・ポーロが絶賛した陶磁器や絹は見逃せぬお宝でした。
明を中心とした交易需要が世界的に見てもある。シルバーラッシュも発生している。
そんな中で朝鮮半島経由で銀の採掘技術が日本にも伝わると、日本もこのラッシュの只中で重要な位置を占めるようになります。
明は海禁政策を取り、民間貿易を禁止しましたが、そうはいっても明の商人は日本の銀が欲しい。日本側から見てもも明にはお宝がどっさりある。
折しも戦国の世では、火薬の原材料は明経由でないと入手が難しい状況があり、そんなニーズを埋める非合法集団が【倭寇】でした。
江戸時代になると【倭寇】は消え去り、長崎出島で貿易をするようになります。
銭内がいうようにオランダが金銀を吸い取る前に、江戸幕府はまず明から清へ交代した貿易で赤字に直面します。
特に深刻だったのが薬剤です。
漢方薬の原材料となると、輸入頼りがどうしたって大きくなる。『光る君へ』での藤原実資のような輸入全面依存から、江戸時代初期はそこまで進歩していない。
漢方薬の中でも莫大な金が動いたのが、朝鮮人参でした。
この薬剤は朝鮮半島北部と中国東北部のごく狭い地域だけで採れる大変貴重なもの。
そこで幕府は、朝鮮人参の種苗を対馬藩を使って、コッソリと入手します。
対馬は朝鮮との貿易を行っていました。朝鮮からすれば貴重な人参の種苗を盗まれたくないわけで、きれいとは言い難い手段でどうにかしたのでしょう……。
そして、ここから先が平賀源内のような本草学者の出番です。
朝鮮人参をなんとかして国内で栽培すべく、様々な努力を重ねる。
漢方薬剤を輸入に頼らず国内で地産地消――そんな方針のもとでできた施設が小石川御薬園です。
ここまでは、平賀源内らの前の世代の話。
ここから先が、それ以降。
本草学者とは、朝ドラ『らんまん』で描かれた牧野富太郎のような植物学者とは似て非なる者。
漢方薬剤を研究する学者なのです。
植物だけでなく、動物由来の薬剤もあれば、鉱物の類も範疇に入る。
源内は鉱物知識を生かし、国内の山をめぐり、新たなる鉱脈を探すようにと田沼意次から依頼を受けているわけです。
もはや国産品を増やし、輸入を抑制するだけでは追いつかない。
貨幣を変え、意識を変え、重商主義に舵を切らねばどうにもならない。そう考える意次のブレーンとして重用されていたんですね。
田沼意次は蝦夷地開発も視野に入れていました。
これも未踏である蝦夷地鉱山開発が狙いの一つでもあった。人気作品『ゴールデンカムイ』でもプロットの根底にあるように、北海道の貴金属は魅力的なもので、江戸時代にすでに注目を浴びていたのです。
もしも田沼政治が軌道に乗っていたら『ゴールデンカムイ』は別のカムイになっていたのかもしれません。
さて、ネタバレも何もないと思うのでその先のことでも。
結局のところ田沼意次の改革は不徹底のまま終わり、それが幕末になって響いてきます。
【黒船来航】の後、時の大老・井伊直弼はにがりきっていました。
銭内はオランダが日本の貨幣には金銀の比率が高いことを悪用するとぼやいておりましたが、開国後はオランダだけでなく、アメリカ、イギリス、ロシアなどなど、西洋列強が束になってこの利益に群がってきたのです。
このままでは日本の資源がまずい――そんな井伊直弼に見出され、【万延元年遣米使節】に参加したのが小栗忠順です。
小栗は、通貨の交換比率是正という使命を帯びていました。
そしてフィラデルフィアの造幣局で、アメリカの通貨の品質を調べたいと言います。
まさか日本人がそんな要求をしてくるわけがないと油断していたアメリカ側は焦り、宥めすかし、なんとか諦めさせようとするものの、小栗は粘り、調査を成功させました。
そしてその結果を元に交換比率転換をアメリカ側に交渉するも、実りません。
そこで帰国後、日本の貨幣の金銀含有率を落とし、国富流出をある程度抑えることができた。
小栗はその後も関東で日本の近代化を進め、【日露戦争】における海軍勝利の礎を築いたとされる横須賀製鉄所(造船所)はじめ、様々な近代化への道筋を残しながらも、冤罪で新政府軍に処刑されてしまいました。
それなのに、幕末となると大河ドラマでも京都での維新志士テロ三昧ばかりが注目され、幕臣の功績は忘れられがち。
今年の舞台は幕末ではありませんが、その前史として知識を底上げする要素に満ちていて、期待通りですね。
2回目でそれを証明するとは、なんて素晴らしいドラマなのでしょう。紛れもなく傑作です。
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