べらぼう感想あらすじレビュー

背景は葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第2回吉原細見『嗚呼御江戸』源内の役割は?

2025/01/14

顔に傷をこしらえた重三郎の髷を、唐丸が結い直しています。

懲りずに『吉原再見』による客寄せ計画を進めると聞かされた唐丸は笑顔を浮かべている。

「蔦重ってやっぱり男前!」

「まァな」

まだ幼いのに打てば響く――二人はもう、切っても切れない絆を感じさせますね。

 


『吉原細見』で客を呼ぶぜ

「男前って誰がだい?」

二人の会話を聞いていた駿河屋のバカボン・次郎兵衛がやってきました。

少なくともあんたじゃねえよ。

聡い唐丸は、蔦重の髷がいい塩梅に結えたってことです!と誤魔化します。次郎兵衛は疑念も抱かず、花の会(けえ)に行ってくると出かけて行きました。

「おお〜、わかってんなァ、お前」

感心する重三郎。

そんな聡い唐丸でも『細見』を使って客を呼ぶ仕組みがわからず、たくさん売るのか?と問いかけてきます。

重三郎はそれだけでないと説明します。

『吉原細見』

元文5年(1740年)に発行された『吉原細見』/wikipediaより引用

『再見』は吉原ガイドブックです。絵地図があり、女郎屋、女郎の名前が書いてある。それを読んで人が来るようにしたい。

「序」の頁をうまく使い、客に「いっそ繰り出してみっか!」という気分にさせるようです。

『細見』を作っている「鱗の旦那」とも伝手があるし、ちょっとそこをなんとかする計画だそうで。

 


長谷川平蔵、再び吉原へ

するとそこへ“三馬鹿”の仙太と磯八、長谷川平蔵がやってきました。

「おう、きたぜ」

鬢の毛をピョロリとさせてアピールする平蔵。

今日は袴をつけず洒落た着流しで、それなりにファッションを磨いてきているようです。ったく、無役のくせに何やってんだよ。

どうやら花の井は「通」な装いに弱いと聞かされたんだとか。

重三郎も立板に水で続けます。花の井は気が強く、嫌いとなれば跳ねつける、そんな彼女の攻略法は……と、ガーッとアピール!

なんだか本作の主役を「女衒」だと罵倒する意見もあるそうですが、実際その通りなんだから仕方ない。

しかし、だからなんでしょう。

これまでも、人殺しの戦国大名や、テロリストの維新志士たちを主役としてきた大河ドラマに対して、いちいち指摘しないじゃないですか。するだけ野暮ってなもんです。

今回は「初会」だから口は利かない。それでも笑顔をチラと見せれば落ちたも同じ。そう聞かされた平蔵はすっかり引っかかります。

「どうすれば花魁は笑顔になるんだ?」

「そこはァ長谷川様の男の見せ所(どこ)で。まあ長谷川様は格別なお方だ。花魁が間違いなく落ちるツボをお教えしましょう」

見せるのは男っつうか、カネですわな。

嗚呼、なんだろう。誰かがコロリと騙される場面を見せられるのは辛いものがある。

そんなもん金だ、金!って、四百石の旗本がどうこうできるわけがねぇと思うんだけどなぁ。

重三郎はカモをひっかけたと駿河屋市右衛門に報告しています。駿河屋は低い声でこう聞いてきます。

「もうおかしなことは考(かんげ)えてねえだろうなぁ」

重三郎は“桶伏せ”なんてもう懲り懲りだと如才なく微笑み、平蔵の元へ向かうのでした。夜間照明が美しくあたりを照らしております。

 

花魁の笑みを見たくて

三馬鹿と花の井花魁は宴を開き、投扇興(とうせんきょう)に興じております。

『光る君へ』にも登場した壺に矢を投げ入れる「投壺」の簡易版、かつ日本独自のものです。

仙太と磯八は「花魁も遊べ」というものの、無表情のまま返事すらしない。これには平蔵が焦ります。

初会の花魁は口を利かないと平蔵がルールを説明し直し、「野暮なことすんじゃねえ!」とたしなめながら彼女の方を見ると、眠そうにあくびをしている。

平蔵はあわてて扇子を腰に刺すのですが、流石は歌舞伎役者の中村隼人さん、所作が実に自然でよいものですね。

花魁は自らは口を利かず、禿(かむろ)にそっと耳打ちします。

「花魁はお疲れしんした。先に失礼してもよいかと申しておりんす」

相手の返事も待たずに花魁が立ち上がると、他の女たちも揃って去ろうとすると、焦る平蔵。重三郎の入れ知恵が回想されます。

花魁の好みは江戸っ子らしく男らしい人。今まで一番の馴染みは初会から紙花を撒いてみせるような男だった……それを思い出しました。

平蔵は花魁を呼び止めると、虫ケラでも見るような目をしながら花魁は立ち止まります。

平蔵は紙花を懐に入れてこうきました。

「紙花じゃあ〜〜!」

宴席に赤い紙をばら撒くと、皆が大歓声をあげている。稲荷ナビ曰く「この紙花は今で言えばチップ、一枚二万円前後」だそうで。

すると、ようやく花魁の朱唇がニッと微かに笑みのかたちに歪みます。

それを見てハッとする平蔵。

ますます浮かれて紙花を撒いております。

しかし、それは男らしさの発露じゃなくて要するに金を落とすから笑うんであって、完全に吉原商法にやられているじゃないですか。

2025年新作『暴れん坊将軍』では現代のシャンパンタワーを模した日本酒タワーが話題をさらったそうです。

そうしたパロディも素敵ですが、江戸には江戸のぼったくりがあります。えげつない「紙花」システムを描くのも、人間は変わらないと示す上でも意義があるのではないでしょうか。

それにしても、花魁の笑みの罪深さよ。

男殺しの魔の淵か。はたまた亡国を招いたという褒姒(ほうじ)の笑みとはこういったものであったか。

いやはやなんともおそろしい。小芝風花さんの清艶ぶりよ。

『新形三十六怪撰 小町桜の精』/wikipediaより引用

 


野心あふれる松の井

翌朝、松葉屋では平蔵の紙花フィーバーを話題にしながら、女郎たちが朝食をとっております。

花の井は馴染みになるまで金が持つのか疑念を抱いている。まぁ、そりゃそうよ。

すると松の井が、重三郎に「田沼様に会ったのは本当なのか」と聞いてきます。

慌ててその話はよしてくれと重三郎。松の井はさらに「なかなかの男ぶりと聞きんしたえ」と続けます。

江戸時代は……いや、江戸時代もか。女性同士の美男情報ネットワークは大したものだと思わされます。

有名どころでいえば福沢諭吉。彼はイケメンとして有名で、彼が立ち寄る場所では女中同士がヒソヒソと来訪を待ちかねていたとか。

若き日の福沢諭吉/wikipediaより引用

田沼意次も男ぶりが大層評判で、大奥女中たちものぞいてはうっとりしていたそうです。

悪評の一端にも関係があるのかもしれませんよ。その噂が吉原まで届いているとは驚きますが。

慌てた重三郎があわててここに連れてくるのは無理だと返すと、松の井はそれでも引きません。

「まあ、そう決め込まず、よい折りがあればお頼みなんし」

ふてぇことを考えると驚く重三郎に対し、花の井は「まあ、姐さんはね」と続けます。野心家なのでしょうか。

しかし、ちょっと気になりませんか?

政治家って遊女と遊んでいるモンじゃないの? 芸者遊びする政治家なんてよくいたんじゃないのか?と。

実は、性的モラルは時代ごとに異なり、江戸時代中期、武士が堂々と吉原に行くのは流石によろしくないとされていました。

だから言いたい。おい、わかってんのか、長谷川平蔵。無役なのに紙花をバラ撒いて、一体なんなんだ。

田沼意次も楊弓場あがりの女性を妾にしておりますが、こういう場合はロンダリングシステムがあります。まっとうな家の養女に出して、あらためて正式に囲うというやり口です。

いきなり女郎を妻にすると場合によっては大変なことになるのであり、このドラマでもそれで痛い目にあう人物が登場します。

政治家の女性問題については、明治時代以降の方がむしろルーズになってゆく。

日本史上、政治家の性的事情が最悪だったのは明治時代でしょう。

なにせ伊藤博文は遊郭で遊び過ぎて家賃が払えなくなり、このままでは政治停滞が起きるということでできたのが首相官邸でした。

そんなこといちいち大河でやらないって?

そうなんです。だからこそ言いたい。

今年の大河が女性搾取をキラキラコーティングしているというなら、明治元勲を英雄視する過去作品から考えないとなりません。

そうはいっても一作目からはしんどいでしょうから、まずは『青天を衝け』ですね。

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宣伝を頼むとなれば、やはりあの人だ

重三郎は花の井に、こんなことを問いかけています。

花魁が小間物屋で櫛をもっと売りたいと思ったら、誰に売り込みの口上を頼むか?

「そりゃ、あの人しかいないだろ」

「だよな。あの人だよな」

トウザイ トウザイ ふしあわせ

商いの損あい続き

きくかきかぬほど

夢中にて一向存じ申さず候

歯磨き漱石香

二人は「漱石香」の売り込み口上を口にします。

重三郎の魂胆は一体なんなのか。花の井が疑問に思っていると、客の小間物屋から相談を受けたと下手な嘘が返ってきました。

ここで稲荷ナビが「漱石香」の説明をします。

当時大ヒットした歯磨き粉で、広告でヒットを飛ばした商品なのだとか。

この「漱石香」からは様々な要素が見えてきます。

歯磨きが定着していることであり、当時は「房楊枝」という道具で磨いていました。

さらには「漱石香」という名前です。

「漱石」の由来は、『光る君へ』の世界観ならばまひろや為時なら「ああ、なるほど」となる由緒正しい中国の『世説新語』由来であり、夏目漱石の筆名と同じ由来です。

枕流漱石(ちんりゅうそうせき)

石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕す。

昔、晋の孫楚が若い頃、世の中に嫌気がさして引きこもり願望を友人の王済にぼやきました。

「山奥で石を枕にして、流れで漱ぐような生活をしたい」

こう言おうとして、いい間違いました。

「山奥で石で口を漱いで、流れを枕にしてぇよ」

王済は「マジかよやべぇな」と突っ込みます。すると孫楚はムキになったのでした。

「流れを枕にすることで俗世間の汚い話を聞いた耳を綺麗にすんだよ! 石で口を漱いでいやしいものを食べた口の中を掃除したいんだよ!」

かくして、この言葉は負け惜しみという意味で残りました。

『世説新語』という、おもしろ言行録めいた漢籍由来の名前がついた商品が売れる――江戸の教養は実に大したものではないですか。

まぁ実際のところ、江戸っ子はそんな名前ではなく「ともかく買ってくれ!」とぶっちゃけすぎた平賀源内の売り口上に惹かれたようですが。

 

日本橋の地元問屋・鱗形屋へ

そんな商品説明と重ねるように、重三郎が全力疾走してゆきます。

馬もねぇ、駕籠もねぇ、用事があったら走るだけ。

そんな事情があるようで、横浜流星さんの身体能力が光ります。

ひとっ走りしてたどり着いた先は日本橋。

当時も今もオフィス街です。

素晴らしい脚力で重三郎が駆け込んだのは、地本問屋の鱗形屋孫兵衛の店でした。

本作に登場する版元第一号となりますね。

地本問屋の様子/国立国会図書館蔵

鱗形屋は『吉原細見』の「序」を平賀源内に任せたらどうか?という、重三郎の提案を二つ返事で承知します。

「鱗の旦那様、ありがた山のトンビがらす!」

そうはしゃいでお礼を言う重三郎は、和犬のような愛くるしい目と姿をしています。

かわいいねぇ。この可愛い犬みたいな顔をよく覚えておきましょう。

とはいえ鱗形屋もそんな愛嬌にしてやられるほど安くなく「重三郎が自力で平賀源内を探し出し原稿を取って来られたら」という条件をつけます。

この旦那、時折目が怖くなりますね。重三郎は一瞬怯むものの「へえ!」と二つ返事で承知します。

 

平賀源内を探せ!

しかし、そう簡単に平賀源内は見つからないようで、重三郎は花の井に頼っています。

重三郎は勢いはあるし、行動力もあるけれども、軍師が必要なようです。諸葛孔明加入前の劉備状態ですね。だもんで、何か詰まると花の井に頼る。

花の井は、奔走する重三郎が心配だし、小間物屋の依頼なんて胡散臭いとわかっているのでしょう。

なんでそこまでするのか?と逆に聞き返してきます。

ここで“うつせみ”という女郎が、田沼様に聞いてみたらどうかと言い出します。田沼と平賀の関係を踏まえてのことなのに、重三郎は「夢でもみておられなんした?」とピンときていない。

「その手はありんすねぇ」

「ありんしょう」

花の井はうつせみの意図を理解しています。和泉屋が田沼と平賀の関係を話しているのだとかで、ようやく気づく重三郎。

重三郎は田沼のことを教えてくれた男と出会ったあの厠へ出向きます。ここでヨタヨタと厠へ向かうエキストラさんは、厠演技が高く評価されたそうです。

そこへあの厠で出会った男が、新之助という若い武士と並んで歩いてきました。

あの「役人はクソじゃなくて屁って話を聞いた」と思い出させる重三郎。またもや下ネタが好きな大河ですね。

重三郎が、平賀源内を知っているか?と尋ねると、男はこう返します。

本草学者であり、

蘭学者であり、

浄瑠璃作家であり、

戯作者でありの

希代の才人と名高い平賀源内大先生

平賀源内/wikipediaより引用

そう言いながら厠へ入る。

新之助という若い武士は、粗末な身なりで月代も伸ばしているのに、きちんと二本刀を佩いております。

重三郎はどうしても源内先生にお会いしてえと語りかけ、厠の戸を叩いてしつこく居場所を聞いています。新之助が何か言いたそうな目つきになって、こう聞いてきます。

「何故源内先生を探しておられるのだ?」

客足の伸びない吉原のため『吉原細見』の「序」を書いて欲しいのだと答える重三郎。

厠の中で男は妙な顔をしてそれを聞いています。

「いいよ、会わせてやるよ。平賀源内先生に。俺は源内先生とは知り合いも知り合い。クソひり合う仲だからよ」

「そりゃくせぇ仲にございますね」

「おうよ。けど、まぁさすがにただで会わせるてわけにゃあいかねぇな」

そう条件提示され怯む重三郎。毎回毎回計画を練る前に動いてんな、オメェ。

「吉原にずいぶん行ってねぇな」

厠の中から、新之助に笑いかける男。驚く新之助。ずいぶんどころかこの反応では、行ったことがないのでは? 堅物のこの若侍も照れています。

 

「山師」こそ時代の申し子

重三郎のうかつぶりはこの先も続き、吉原へ連れて行く段になってから相手の名前を聞き出します。

“貧家銭内”(ひんか ぜにない)だってよ。ダジャレじゃねえか。

源内とはどういう知り合いなのか?と聞けば、山の仕事をしていて知り合ったと言います。

「馬鹿にしたね? こいつ、山師かよって」

そう銭内にいわれ慌てて否定する重三郎です。

「山師を馬鹿にしちゃいけないよ。山師が金銀銅鉄掘り当てなきゃこの国は終わっちまうんだからね」

「は?」

銭内が真面目な表情で語ります。

「この国は国を閉じるなんてトンチキをしてっだろ?そすっと相場ってもんがわかんなくなって金も銀も、クソみたいな値でオランダに吸い上げられちまったんだよ。そのせいで今必死になって胴で銀を買い戻してんのよ、お上は」

「は?買い戻す?」

「そうよ!どうだいこの馬鹿馬鹿しさ!呆れがひっくり返ってお礼に来んだろ」

重三郎はわかったのかわからないのか、なぜそんなに銀が必要なのか?と言います。

すると銭内が財布から銀貨を取り出す。

火事の後に出された「南鐐二朱銀」(なんりょうにしゅぎん)でした。

なんでも田沼様が出した銀貨なのだとかで、「銀」に「朱」とつけたのがとんでもないすぐれものだそうで。

田沼様はこれを使って、金の手綱を握り直したいのだと説明します。

 

もはやこの世は全て金

その田沼意次が重々しく語っています。

「もはやこの世は、全て金。何をするにも、金が入り用になりまする」

火鉢の灰に「金」の文字。

田沼は説明を続けます。

田沼意次/wikipediaより引用

「にもかかわらず、幕府武家の実入りはいまだ年貢。米は換金せねば通用いたしません。するとそこにつけ込まれ、札差たちに買いたたかれる。これでは武士百姓たちは貧しくなるばかり。ではいかにすればよろしいのか。新しい金を作り、金の手綱を武士が握り直せばよろしいのです」

こうして田沼意次の経済政策を挟みながら、またも場面は、川縁を歩く重三郎一行へ。

「ああ〜、けど金っていろいろありますよね。金貨も銀貨も銭も昔からのもあるし」

そんな疑問に対し、田沼が答えます。

「そのためには金貨銀貨を凌駕し、南鐐二朱銀に統一するが一里塚。そのためには、大量の銀を備えねばなりませぬ」

そこで、意次は天領での銀採掘を増やしている。採掘の大事さがお分かりいただけたか?と、他の老中たちに語りかけるのですが……。

「なるほど〜」とすんなり納得する田沼派の松平康福に対し、最長老の松平武元は「わからぬ!」と突っぱねながら「そんなことになるなら、商人に米を高く買えと言えばよい!」と返しています。

「今どきの商人は武士の言うことなど聞きません」

意次が粘り強く説明すると、武元はムッとしつつ「ならば上様のご威光を増すべくつとめるのが本道だ」と引きません。

老中・松平輝高も賛同しています。

ここで彼が賛同するのも皮肉の極みでして。天明元年(1781年)、彼の絹への課税が契機で起こる【絹一揆】という事件があります。このせいで幕府は撤回せざるを得ず、それがストレスとなって輝高は亡くなってしまいました。

絹一揆、老中を殺す――そう衝撃をもって受け止められ、世の転変へとつながってゆくのです。

武元は苛立ちながら「口を開けば金、金、金! それが武家の範たる老中の考えか? 恥を知れ!」と意次を責め立てる。

平伏するしかない意次です。

ここの場面は大変興味深く、勉強になりますね。

銭内が罵倒した「国を閉ざす」というのは日本だけでなく、近世東アジアの明、清、朝鮮にもあてはまる特徴です。

近世の時代、世界的に見て豊かだったのがアジア地域でした。その富に目をつけ、なんとしても交易したい西洋は接近を図るも、なかなか実現できない状態に陥るのです。

銭内は「オランダが吸い上げている」と言いましたが、その需要と供給の構図が江戸中期ともなるとジワジワ変わり始めていることがわかりますね。

これは日本国内の金属についても考えねばなりません。

どの国でも文化圏でも、だいたいが貴金属は重視されます。ゆえに発掘技術の開発が早く、商業規模の大きい国ほど先に鉱山は尽きます。

日本の隣国、中国では早々に尽きてしまい、絹を対外貿易の目玉商品としました。

日本史はこの状況が重要です。

『光る君へ』で描かれたように平安貴族は【唐物】を求めて宋人から輸入を続ける一方でした。

その宋の北部が金朝に支配された南宋の時代、南宋は金が不足。平清盛はこの状況に目をつけ、【日宋貿易】を拡大しました。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用

南宋側の需要が高騰したことにより、動く金額が桁違いになっていたわけです。

同時期、砂金により権勢を高めた奥州藤原氏が、源頼朝に滅ぼされたことは『鎌倉殿の13人』でも描かれましたね。

南宋のあとの元朝の時代、マルコ・ポーロは『東方見聞録』に“黄金の国ジパング”と記述しました。あれは南宋や元からすれば、日本は重要な金供給国であったという意味でしょう。

次は銀が重要性を増す時代です。

大航海時代、アメリカ大陸にヨーロッパ人が到達すると銀が採掘されました。

中国では元朝が滅び、明朝の時代です。モンゴル由来の元とは異なり、明は漢族らしい農業重視政策を取りました。

そうはいっても元の時代に味わったグローバル経済のうまみを民衆は忘れることができず、通貨の需要が高まっています。

そうした需要に対し、銅銭だけでは追いつかない。

他国から見ても明には魅力的な品が揃っています。マルコ・ポーロが絶賛した陶磁器や絹は見逃せぬお宝でした。

明を中心とした交易需要が世界的に見てもある。シルバーラッシュも発生している。

そんな中で朝鮮半島経由で銀の採掘技術が日本にも伝わると、日本もこのラッシュの只中で重要な位置を占めるようになります。

明は海禁政策を取り、民間貿易を禁止しましたが、そうはいっても明の商人は日本の銀が欲しい。日本側から見てもも明にはお宝がどっさりある。

折しも戦国の世では、火薬の原材料は明経由でないと入手が難しい状況があり、そんなニーズを埋める非合法集団が【倭寇】でした。

江戸時代になると【倭寇】は消え去り、長崎出島で貿易をするようになります。

銭内がいうようにオランダが金銀を吸い取る前に、江戸幕府はまず明から清へ交代した貿易で赤字に直面します。

特に深刻だったのが薬剤です。

漢方薬の原材料となると、輸入頼りがどうしたって大きくなる。『光る君へ』での藤原実資のような輸入全面依存から、江戸時代初期はそこまで進歩していない。

漢方薬の中でも莫大な金が動いたのが、朝鮮人参でした。

この薬剤は朝鮮半島北部と中国東北部のごく狭い地域だけで採れる大変貴重なもの。

そこで幕府は、朝鮮人参の種苗を対馬藩を使って、コッソリと入手します。

対馬は朝鮮との貿易を行っていました。朝鮮からすれば貴重な人参の種苗を盗まれたくないわけで、きれいとは言い難い手段でどうにかしたのでしょう……。

そして、ここから先が平賀源内のような本草学者の出番です。

朝鮮人参をなんとかして国内で栽培すべく、様々な努力を重ねる。

漢方薬剤を輸入に頼らず国内で地産地消――そんな方針のもとでできた施設が小石川御薬園です。

ここまでは、平賀源内らの前の世代の話。

ここから先が、それ以降。

本草学者とは、朝ドラ『らんまん』で描かれた牧野富太郎のような植物学者とは似て非なる者。

漢方薬剤を研究する学者なのです。

植物だけでなく、動物由来の薬剤もあれば、鉱物の類も範疇に入る。

源内は鉱物知識を生かし、国内の山をめぐり、新たなる鉱脈を探すようにと田沼意次から依頼を受けているわけです。

もはや国産品を増やし、輸入を抑制するだけでは追いつかない。

貨幣を変え、意識を変え、重商主義に舵を切らねばどうにもならない。そう考える意次のブレーンとして重用されていたんですね。

田沼意次は蝦夷地開発も視野に入れていました。

これも未踏である蝦夷地鉱山開発が狙いの一つでもあった。人気作品『ゴールデンカムイ』でもプロットの根底にあるように、北海道の貴金属は魅力的なもので、江戸時代にすでに注目を浴びていたのです。

もしも田沼政治が軌道に乗っていたら『ゴールデンカムイ』は別のカムイになっていたのかもしれません。

さて、ネタバレも何もないと思うのでその先のことでも。

結局のところ田沼意次の改革は不徹底のまま終わり、それが幕末になって響いてきます。

【黒船来航】の後、時の大老・井伊直弼はにがりきっていました。

銭内はオランダが日本の貨幣には金銀の比率が高いことを悪用するとぼやいておりましたが、開国後はオランダだけでなく、アメリカ、イギリス、ロシアなどなど、西洋列強が束になってこの利益に群がってきたのです。

このままでは日本の資源がまずい――そんな井伊直弼に見出され、【万延元年遣米使節】に参加したのが小栗忠順です。

小栗忠順/wikipediaより引用

小栗は、通貨の交換比率是正という使命を帯びていました。

そしてフィラデルフィアの造幣局で、アメリカの通貨の品質を調べたいと言います。

まさか日本人がそんな要求をしてくるわけがないと油断していたアメリカ側は焦り、宥めすかし、なんとか諦めさせようとするものの、小栗は粘り、調査を成功させました。

そしてその結果を元に交換比率転換をアメリカ側に交渉するも、実りません。

そこで帰国後、日本の貨幣の金銀含有率を落とし、国富流出をある程度抑えることができた。

小栗はその後も関東で日本の近代化を進め、【日露戦争】における海軍勝利の礎を築いたとされる横須賀製鉄所(造船所)はじめ、様々な近代化への道筋を残しながらも、冤罪で新政府軍に処刑されてしまいました。

それなのに、幕末となると大河ドラマでも京都での維新志士テロ三昧ばかりが注目され、幕臣の功績は忘れられがち。

今年の舞台は幕末ではありませんが、その前史として知識を底上げする要素に満ちていて、期待通りですね。

2回目でそれを証明するとは、なんて素晴らしいドラマなのでしょう。紛れもなく傑作です。

 

吉原は古臭ぇのか?

重三郎に連れられ、銭内と新之助は吉原にやってきました。

客は年配の者ばかり。遠いし、金はかかるし、しきたりにはうるさい。

そう歩きながら吉原の問題点を列挙します。

銭内はさらにこうだ。

「古臭えって思われてんじゃねえの? 今どき吉原に行くのは金持ちの爺と田舎もんだけだって」

さすがの重三郎も色を成した顔になりますが、銭内は松葉屋に行きたいと言い出します。

奥の方が気軽に楽しめる、と誘導しようとするも、銭内が松葉屋だと粘るため重三郎も折れるしかありません。

その松葉屋で、花の井はお茶っ引き。今夜は客がつかないと松葉屋半左衛門に報告しています。

すると銭内がきて「瀬川」はいないのか?と女将のいねに聞いてきました。

今はいないと謝るいね。銭内が名残惜しそうに、今いないというのは出ているのか?と聞けば、かなり昔の名跡で、不幸があって今は誰も継いでいない、商売あがったりだと返します。

「そうか。ここにももう瀬川はいねえのか。うん、じゃあもう誰でもいいや」

あの明るい銭内が湿りを帯びた顔と声でそう呟く。

重三郎はあんまり高くしないようにといねに言い、屋敷にあがってゆきます。

 

吉原に天女はいるのか?

宴席が始まりました。

重三郎は、源内への執筆依頼を銭内に頼もうとすると、吉原のどこを褒めたらよいのか?と聞き返してきます。

「楽しんでいるじゃないか」と返事をするも、「どうにもわかんない」とどこか虚な目で返す銭内。他の岡場所と比べて何がいいのか?と聞き返してきます。

「そりゃなんたって女が綺麗です」

重三郎がそういうと、うつせみがニッコリと微笑みます。銭内は悪かないと認めます。

重三郎は芸者も確かだと続けると、深川芸者はみ〜んな三味できると返す銭内。

台の物もこのように華やかだと手を広げる重三郎に対しては、味がひでえと笑い飛ばしました。

「ああ……まあとにかく、好みの女が必ず見つかります。なんせ三千もいますから!」

実際に三千いるかどうかはさておき、白居易が『長恨歌』で「後宮佳麗三千人」と詠んだことからの決まり文句ですね。「青楼」という漢語由来の遊郭を指す言葉もあります。

日本の遊郭は全く青くはありませんが、収まりの良い言葉なんですね。

「じゃ、連れてきてよ。俺にとってのいい女とやらをさ。そしたら源内先生に会わせてやるよ」

そう言う銭内に対し、好みのタイプを聞くと「この世のものとは思われぬ天女のような女」ときました。ったく、貴公子に無茶振りするかぐや姫気取りかよ。

一方、純粋な新之助は、うつせみの姿から目を離せなくなっています。

重三郎が去っていくと、そのうつせみがいじらしく、ちょっと首を傾げてこう言います。

「わっちでは天女とはいきんせんもんね」

「然様なことはござらぬ!すまぬ、驚かせてしまったか……」

そう即座に新之助が否定しました。

彼は天女を見つけた顔をしています。隣の女郎がその恋の熱気にあてられたように煙管を咥えている。

銭内は若い恋を面白がるように、少し微笑むのでした。

 

重三とは馬鹿の三段重ね

花の井が熱烈な恋文を書いております。

『光る君へ』のころのかな書道とは違い、営業スキルという言葉も思い浮かびますね。

文体からしても、やりすぎでわざとらしさ感が出ております。これを信じるヤツはよほどおめでてぇな。いるとすりゃ、あの長谷川平蔵か。

廊下で重三郎は、松葉屋にお代を相手につけるよう交渉しています。どうやら一杯食わされたと流石に気づいたようでして。

ここで通りかかった、夫よりも気の強そうな女将は、食った食わされたのはそっちの都合、払うもんは払えと凄みます。

「んじゃ、まぁ、駿河屋につけとくわ」

「えっ? いやそれだけは……ああ〜!クソッ」

だから重三郎、もっと後先のことを考えろと……危なっかしいヤツだ。

すると花の井がやってきて、何がどう一杯食わされたのか?と尋ねてきます。平賀源内に引き合わせてくれるっつうから連れてきたと答える重三郎。

花の井はこうきた。

「馬鹿らしうありんす。馬鹿馬鹿馬鹿。重三とは馬鹿の三段重ねでござりんす」

重三郎は、ただの山師じゃねぇにおいもしたとかなんとか言います。田沼様の話もするし、学もある。

すると花の井は、重三郎が小間物屋のために奔走しているわけではないと見抜き、ズバリ何をしているのかと問い詰めようとすると……。

「源内先生!」

突然、声が響き渡ります。

「源内先生、その節はお世話になりました!」

平沢常富という客が声をかける相手は銭内でした。銭内の三文芝居もこれでおしまい。

「平賀源内先生だったんすか〜〜〜〜!」

犬のようなかわいい顔で走っていく重三郎です。

 

平賀源内は男一筋だ

「悪かった悪かった悪かったよ!」

そう謝る源内は、あんまり一生懸命だったんでからかってみたくなり、たまには新之助にもいい思いもさせてやりたかったんだとか。

あいつにとってのいい女は見つかったと満足しています。あの二人はこの先どうなるのでしょうね。

重三郎は、じゃあもう書ける? 吉原のいいとこその目で見たよね!と迫ってきます。

「けど真面目な話、俺じゃねえ方がいいと思うんだけどなぁ」

「今さら何言ってんすか!」

「あのさ、俺、男一筋なのよ」

「あっ……」

気づくのが遅ェ! 笑い飛ばし、その顔は忘れていたと見抜く源内。

「はあ〜そうだ。平賀源内っていやぁ有名な男色じゃねえかよ」

源内はさらに、別口で『吉原細見』の「序」を書いたことがあると言います。

気持ちが入ってこなくてつまんねえ出来だったとか。遊んでみたらどうかと思ったけど、やはり駄目なようで……さっきのお侍(平沢常富)は結構筆が立つからどうかと言い出します。

それでも重三郎は「源内先生じゃなきゃいけない!」と粘ります。

源内先生だからこそ、男一筋の源内先生でも夢中にするとなると粘ります。紙を手にして、源内に難しく考えずに書いて欲しいと近づく重三郎。

勢いで書こう、男一筋の俺ですら蕩かす女がいたって……そう迫る重三郎。

「だ〜か〜ら〜それがいないんじゃな〜い!」

そうごろりと寝転がる源内、ふてくされて座る重三郎。すると源内、気づいちまいましたぜ。

 

迫る源内、迫られる重三郎

「お前さんさぁ……お前さん、改めて見ると相当いい男だね」

「え?」

おう、それな。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用

美男というのは心づもりも大事です。

しかし重三郎はそこを意識せず、常に和犬のようにコロコロ愛嬌たっぷり、ちぎれんばかりに尻尾を振っているばかりなので、澄まし顔になることがない。でも美形なんだよな。

源内は気付き「いいじゃない!うん」と迫り出しました。

想定外の事態に困惑する重三郎。

「なあ、お前さんが花魁の格好したらどうだい?そしたら俺書けんじゃねえかなぁ、うん!」

「花魁の格好?」

「ハハハハハハ、何もしやしねえよ!」

「ほんだすかい?じゃあ……やりましょうか」

しなだれかかる源内相手に、そう返すしかない重三郎。まあそのくらいなら、やるしかねえな。

するとそこで戸が開きます。

「おぶしゃれざんすな!」

傘を手にした男姿の花の井がスススと座敷に入ると、キッと見栄を切りました。

「べらぼうめ!」

その姿の美しきこと、天岩戸から出てきた天照大神か。

天岩戸神話の天照大御神(春斎年昌画)/wikipediaより引用

その凛々しきこと、はたまた日本武尊か。

ヤマトタケル(歌川国芳画)/wikipediaより引用

性を超越した神の如き姿がそこにはありました。

 

源内にとっての天女とは“瀬川”

傘を閉じると、花の井は平賀様に無礼を詫びつつ、こうきました。

「なれど、男を差し出したとあっては吉原の名折れ。叶うことなら吉原はあの平賀源内をも夢幻に誘ったと言われとうござりんす」

「女郎が男の格好をして俺の気を引こうって魂胆かい?」

「男? 果たして男かどうか。今宵のわっちは“瀬川”でありんす」

こう言われ、源内は黙り込みます。

花の井は、源内が瀬川を所望しているのを聞いていました。

ここにも瀬川はいないのか――この「にも」という心を読み、彼が今は亡き歌舞伎役者の二代目瀬川菊之丞を思っているのだと。

初回冒頭の明和9年(1772年)の翌安永2年(1773年)、33の若さで亡くなっていたのです。

2代目瀬川菊之丞(3代目歌川豐國)/wikipediaより引用

平賀源内は、一晩だけでも「瀬川」という名の者と過ごしたかった。別の誰かでもいいから、そうしたかったのだと。

今の松葉屋に「瀬川」はいない。それでもわっちでよければ「瀬川」と呼んで欲しい。そう花魁は語りかけるのでした。

「引け四つまでのただの戯れ、咎める野暮もおりますまい」

「諸国大名弓矢で殺す。松葉の瀬川は目で殺す……ってなことかな」

「ええ」

花魁の流し目に引き摺り込まれるように、源内もそう返します。

かくして話がまとまりました。もう夢が始まりました。こうなると重三郎は邪魔です。とっとと去(い)ね。

「わかりました、お楽しみくだせえ、ご両人!」

悟った重三郎は去ってゆきます。

 

迂闊なお調子者でも生きてゆけてこそ泰平の世

そのころ蔦屋の前では次郎兵衛が呑気に煙管を吸っていました。

重三郎が戻ってくると、呑気な口調でこう声をかけます。

「も……どこで何してたんだよ、重三!」

「ちと疲れたんで寝ます」

「あ? え? 俺だって疲れてんだけど」

重三郎は薄い煎餅布団を敷くと、ゴロリと寝ちまう。どこか悔しそうに声を上げる重三郎に、どうしたのか?と唐丸が聞いてきます。

「あいつに助けられちまってよ。情けねえ……」

いやあ、重三郎よ。何か詰まるとすぐに花の井に助言を求めているじゃないか。源内に迫られたとき、本気で怯えて危機感を覚えたからこそ、救われたって印象的だったんですかね。

しかし重三郎よ。お前さんは他の年の大河ドラマなら、桜が咲く季節の前、序盤で無惨な死に方をするお調子者の脇役枠だ。

色々勘違いして突っ走っているけれども、これが戦国乱世幕末ならとっくに胴体と首は別々よ。

『麒麟がくる』では諸国をめぐり、情報収集をする伊呂波太夫一座がいた。

あれは彼女が相当の切れ者だから成立するのであって、同じエンターティナーでも重三郎なら確実に殺されている。光秀が「むごいことを」と眉を顰めながら合掌する生首にでもなっていたことだろう。

コーエーテクモゲームスのシミュレーションの世界だったら、よいパラメータがつかない。せいぜいが『太閤立志伝』シリーズで遊ぶ芸人キャラ枠だ。

こんな迂闊なお調子者でも、死なずに生きていける。これぞ泰平の世というやつか。

さて、そのころ、源内のいる部屋の布団は乱れひとつなく、同衾していないことは明確です。

「あいつはお前さんに惚れてんのかい?」

そう源内が問いかけると「瀬川」は笑い飛ばします。

「重三が誰かに惚れることなどござんすのかね。どの子も可愛や誰にも惚れぬ。あれはそういう男でありんすよ。己では気づいておらんでしょうが……」

そう言いつつ、煙管を吸う横顔の凛々しくも、どこか寂しげな美しさよ。

あれだけ誰にでも優しいと、贔屓になるから誰か一人を愛するわけではない。自分一人のものにできないことを花魁は嘆いているようです。

多くの男の心を蕩かすこの美女が、たった一人の男をものにできないこのもどかしさ。

「ふーん……」

源内はそう返し、こう頼むのでした。

「瀬川。ひとつ、頼みがあるんだよ。ひとつ、舞っちゃくれねか」

 

夢幻の夜 最愛の人との逢瀬

翌朝のこと。

「瀬川に渡した」という銭内の書き置きが蔦屋の前にあります。

花の井が、稲荷の前で重三郎に「序」の原稿を渡してきました。重三郎がお礼を言うと、源内先生とお近づきになりたくてでしゃばったのはわっちだと返しています。

どうやら花の井は肩が痛いらしい。なんでも男一筋だけに求めが変わっていたとか。

「変わった求め?」

そう重三郎が聞き返します。

源内は舞を所望しました。三味線を演奏しようとするとそれを止め、菊之丞の稽古のようにして欲しいと頼んできました。

菊之丞は時々源内の家で稽古をしていた。それを見るのが源内は好きだった。そういうのが見たいのだと。

鼻歌にあわせ、踊る瀬川。かつて菊之丞も、そうして踊っていました。

大勢の心を蕩かす役者の姿を自分だけが目にする喜び。あの思い出が胸に蘇る源内。

所作指導をつとめる花柳寿楽さんが扮する菊之丞の、露に濡れた白菊のような艶やかさが際立っています。

それを見終えたら源内は風にあたりに外へ出て行き、戻ってきたら「序」を書いてくれたそうな。

重三郎は素朴に「すげえ」と感心しています。

「まあ、せいぜい、お励みなんし。じゃあ」

「花の井。ありがとな。助かったわ」

「朝顔姐さんのこと、悔しいのはあんただけじゃないから。吉原をなんとかしなきゃって思ってんのもあんただけじゃない。籠の鳥にできることなんて知れてるけど、あんたは一人じゃない。じゃあ」

そう言い残し、去って行く花の井でした。

 

繁盛繁盛 ああ お江戸

さて、風にあたりに吉原を歩いて書いた源内の序文とは?

男一筋の源内は、吉原流に女の品定めをする。

目、鼻筋、口、生え際、肌、歯を順番に見ていくとか。

吉原は女をそりゃ念入りに選ぶ。

とはいえ、牙あれば角はない。柳の緑に花はない。知恵のあるものは醜い。美しいのに馬鹿あり。静かな者は張りがなく、賑やかな者はおきゃん。何もかも揃った女なんて、いないと。

それどころかとんでもないものもいる。

骨太。毛むくじゃら。猪首。獅子鼻。棚尻。虫食栗。

ところがよ、引け四つ木戸の閉まる頃、これが皆誰かのいい人ってな摩訶不思議。世間ってなぁまぁ広い。繁盛繁盛、ああ、お江戸!

そう締めくくるのでした。

これには受け取った鱗形屋も大満足。採用です。

重三郎は「序」をとるにかかった費用をおずおずと求めるものの、勝手にやったことに出す金はねぇと断られます。

それも予想の範疇だったのか。重三郎は素直に従い、今度は『細見』を改めたいと言い出します。

たとえば潰れた店が黒塗りになっているとか。いなくなった女郎の名が掲載されている。そこを改めて欲しいと要望を出すのです。

鱗形屋は「重三郎がやるならいい」と答えますが……それってただ働きじゃねえか。

それなら全然構わねえと言いきる鱗形屋。食えねぇヤツだな。いや、重三郎がちょろいのか。

実際、やると張り切ってますからね。

重三郎はコソコソ店を周り、状態を調べて書き留めることに。バレたらまた「桶伏せ」を喰らうんじゃねえか。大丈夫か?

 

豊千代誕生の宴

そのころ、一人の赤子が生まれておりました。

10代将軍・徳川家治のいとこにあたる、一橋治済の嫡男・豊千代です。

招かれているのは御三卿当主でした。

田安家からは田安治察と弟の賢丸。

清水家の重好。

徳川家康は男子が多いものでした。男子がいないばかりに脆弱であった豊臣政権を教訓とした家族計画もあったのでしょう。

ところが2代目・徳川秀忠の時点で男子はたった2名。

3代目・徳川家光は女性を遠ざけ、春日局を焦らせたものです。

そんなこともあり、結果的に8代・徳川吉宗は紀州家から入るしかありません。これではまずいと、御三家に続けて吉宗と家重の子を始祖として作られたのが御三卿でした。

おかしなことに、当の一橋治済と、田沼意次はここにおりません。

傀儡の舞が終わり、傀儡師が面を外すと、彼こそが治済でした。さらにもう一人はなんと田沼意次です。

ここで治済が嫡男誕生祝い参加の礼をのべ、「近頃傀儡に凝っている」と言います。田沼に話したら地方(じかた・演奏者)まで揃えてくれたのだとか。

腕前を自慢する治済を褒めちぎる老中たち。

「そうか、ではいっそ傀儡師にでもなるか!」

そう浮かれる治済ですが、目は笑っていないんですよね。

するとそこに大声が響きます。

「恥を知れ!」

田安賢丸でした。

松平定信(田安賢丸)/wikipediaより引用

「いやしくも吉宗公の血を引く身が、傀儡師にでもなろうかですと?一橋様、御身に流れるお血筋をいかに心得ておられる!」

年長者に敬意を示しつつ、そうきっぱりと言い切ります。

「戯れじゃ。そう熱くなられるな」

「武家が精進すべきは学問、武芸! 遊芸に溺れる前に我らにはなすべきことがあると思われぬか!」

そう迫られても治済はとぼけていて、豊千代を腕に抱いてこうきました。

「子なら、なしたぞ」

賢丸は踵を返し、憮然した態度で去ってゆきます。兄の治察が若輩者の言葉だと詫びています。

「なすべきことと言われてものう。我らには子をなす以外なすべきことなど……」

これには清水重好も同意。この人は料理を食べる姿からして、やる気のなさが漂っていましたね。

「然様然様。まさかのことが起こらぬ限り、我々の出番はございませぬ」

「まさかのこと……など、起きてはなりませんしなぁ」

そう言い、豊千代をあやす治済。

「しかし賢丸殿も、少々遊びを覚えた方がよいかもしれぬなぁ」

「歌会や能、鷹狩りなどならば、賢丸様もお楽しみいただけますでしょうか」

そう意次がいうと、武元は長い眉を揺らしつつ、こうきました。

「それがしは感服いたしましたがの。誇り高く、武家たらんとするあの心をむしろ見習うべきかと」

そう言われ、意次はうつむいてしまいます。あてつけに聞こえたのでしょうか。

「いやいやお許しを。時の流れについていけぬ年寄りの差し出口にございます」

「いや、右近将監様のお言葉こそ、主殿頭、感服いたしてございます」

そう頭を下げる意次と、さもおかしそうに笑う治済でした。

 

傀儡師には操る愉悦がある

ここは時代劇らしいというか、あまりにわかりやすいんじゃないかとハラハラしました。

傀儡師というのはまさしく、誰かを操って世を思うままに動かす様でもある。

治済と意次がそれを務めたということは、世間からすればこの二人がそう見える局面の到来を示しているといえるのでしょう。

治済は重三郎とは異なり、乱世に生まれていた方が適役だった人物ではないでしょうか。謀略、暗殺、裏切り、なんでもありで、たくましくのしあがるタイプですね。

徳川治済/wikipediaより引用

しかし、泰平の世だと暇を持て余して碌でもないことをやらかす。多趣味で才人であるのはよいにせよ、それも使い方次第なのでしょう。

御三家と御三卿は確かに徳川宗家の延命システムではありますが、世界史的に稀有とも言える酷いエラーが発生するのもここです。

明治になってから旧幕臣は、水戸藩当主であった徳川斉昭と、その息子で一橋家当主であった慶喜のせいで幕府は滅んだと大いに嘆いたものでした。

御三家水戸の斉昭から、「ペリーを呼び出して切り捨てればよいのでござる!」とねじこまれるわ。

その斉昭の育てた連中が井伊直弼を討ち果たすわ。

おかげでテロリズムが横行する世の中になるわ。

慶喜は朝廷と幕府を天秤にかけて、どっちつかずの態度を取るわ。

味方を見捨てて大坂から江戸へ勝手に戻るわ。

確かにむちゃくちゃになるんです。

徳川斉昭(左)と徳川慶喜の親子/wikipediaより引用

一橋治済の多趣味である描き方は、この一橋慶喜とも似ていると思わされ、実に禍々しいものがあるのでした。

そういう二連の凶星を美化した『青天を衝け』については、それこそキラキラコーティング大河ドラマと言えますので、これからもしつこく指摘していきます。

あ、そうだ。

どうしてあの長谷川平蔵が、この清廉潔白な田安賢丸の目にかなうことになるんでしょうね。どう展開していくのか……。

そのころ鱗形屋では、新しい『吉原細見』ができておりました。

 

MVP:平賀源内と「瀬川」

源内先生、申し訳ない。てっきり新之助が新しい彼氏かと思っていました。

そうでなく、菊之丞との思い出に生きていたんですね。

今回、重三郎のミッションにおいて重大な役割を果たす源内。

開始15分頃には出てくるものの、銭内と名乗ってからかい始めました。

遊んでいるだけかと思わせておいて、足が向かないはずの吉原についていくのは、「瀬川」を求めてのことだと徐々に明かされてゆきます。

あの底抜けに明るい顔に影が落ちてゆく、それを察知した花の井は流石です。

「瀬川」の舞姿と在りし日の菊之丞を重ねる源内の目は、うれしいようで、寂しいようで、見ていて圧倒されました。

吉原にはこういう夢を見せる力があると描かれたあまりに儚く美しい回でした。

それだけでなく、田沼意次と二人で経済の転換点についてもキビキビと説明してきます。

田沼政治の解説となると難易度がグイグイあがり、「歴史総合」対応だときっちりわかります。

難しい内容を、易しく噛み砕く。そんな役割まで彼は果たしてくれました。

近代へ向かう意識も、彼は体現しています。

科学者や発明家としての姿。

そしてゲイとしての矜持。

近代へ向かう中、同性愛者は自分の生き方を語り、そのうえで被る不利益も理解し、自己の確立を目指して行きます。

男一筋と照れも何もなくまっすぐ語る源内には、紛れもない近代の芽吹きが見えます。実にお見事です。

 

総評

さて、第1回の視聴率がワースト(12.6%)ということもあり、叩き記事もあがってきています。

吉原関連の描写でもかなり炎上しており、予測通りだということを感じております。

事前予想でも指摘しましたが、本作を「歴史総合」対応とみなせるか否か、ここで評価が分かれるんですよね。

例えば以下のような感想は、対応していないのだとわかります。

「大河ドラマといえば合戦がなければならない」

「泰平の世を描く意義がない」

「今どきこんな古臭い時代劇を見せられても……」

こういう意見を読んでいる時の私は、松平武元の意見を「流石右近将監殿」と受け止めつつ、無表情の田沼意次のような気分になっています。

だから「歴史総合」を意識しましょうと言いたい。今週なんて幕末史理解にも使える要素が出てきて、古臭いどころか極めて新しいものです。

流石にこれには突っ込みたい。

「平穏な“元禄時代”を生きる主人公では魅力がない」

元禄時代は5代・綱吉の時代ですぜ。『べらぼう』は10代以降ですよ。全然違うってーの!

私は2回目で「もう、参りました……」と土下座をしたい気持ちになってきました。

このドラマには、長年の疑問を氷解させる瞬間がある。

最終回までそれが続くかどうかはわからないけれども、ともかくすごいことです。

今週解けた疑問は、鑑賞する上でなかなかいいフックだと思うので、書き留めておきたいと思います。

ここ数年『内向型人間』とつく書籍があり、私も目を通しています。

人間の先天的な性格で、一人になる時間が必要で、じっくりゆっくり考えるタイプを指します。

内向型も、人との付き合いの中で元気を蓄えていく外向型も、一長一短でそれぞれが必要とされる局面があるのです。

それが近現代へ向かう中、外向型優位の時代が訪れてしまった――そう定義し、それでも内向型だって捨てたものじゃないと励ましてくれるのが、この手の本のパターンです。

今年の大河は、この「近現代へ向かう中、外向型優位時代が到来していった」という様をストンと見せてくれています。

重三郎のような、思いついたら即座に行動する陽キャ、いかにも外向型の人間は、危なっかしいことこの上ありません。

コソコソ何かするわりには雑だし、誰が聞いているかわからない松葉屋でいろいろ喋っているし、偽装も下手。

今回だって花の井がいなければ確実に失敗しています。

例年の大河なら、もう十回くらいは死んでいるでしょう。

しかし、江戸中期だと、この抜けているけど愛嬌たっぷり、和犬みたいなところがプラスになります。

明るく走り回る彼の姿を見て、周りは元気や希望をもらう。こんな明るい顔の彼が売るものなら手に取ってみようとなる。こういう明るくて人懐こい人間の営業効果が、近現代には重要視されていった。

それはなぜだろう?

答えは都市文化にあると思えます。

重三郎みたいな陽キャが、中世の村に生まれたとしても、せいぜい祭りで人気を集めるくらいしか特技が生きてこないとは思います。

それが人口が密集し、経済が発展した近世都市にいればこそ、口コミになって、人脈になって、さまざまなものが流れ込んでいく。

そう疑問がカチッと噛み合って、実に爽快でした。

ここまで考えると、戦国幕末のローテーションは、やはり弊害が大きいと思えてきます。

人間に求められる資質や才能が、歴史や経済の変化によってどうなっていったのか――それを考える上で、将棋の盤面をしつこく眺め回すような合戦ばかり繰り返していたら、そういう視点は持てない。

戦国幕末ローテーションって、歴史を名乗っているけれども、キャラクタービジネスというほうが正しいのであって、実は歴史の勉強にはなっていないのではないのか?と『光る君へ』『べらぼう』を見てきて、痛感させられる次第です。

日本の歴史フィクションは扱う時代が偏りすぎていて、偏見が大きいことを冷静に考えた方がよいのでしょう。

もう限界です。

大河界隈右近将監殿の反論はあるのでしょう。それはそれで敬いますが、当方必ずしも賛同は致しかねますのであしからず。

 

以下、余計なことながら

先週は、以下のように物議を醸した点があります。

・セクシー女優が女郎の死体役で起用されたこと

・あの全裸死体場面そのものがおかしい

・朝顔の見ぐるみを剥いだ死体処理係の非人に対し、重三郎が罵倒したのはひどい

・田沼意次と重三郎が面会するのは「ファンタジー」だ

・アウシュヴィッツのような吉原を美化しているのは女が被害者だからだ

上から順に一つずつ見てまいりたいと思います。

・セクシー女優が女郎の死体役で起用されたことは職業差別だ

これについては、職業差別というより労働契約問題に思えます。

海外の例を出しましょう。『ゲーム・オブ・スローンズ』シーズン1では、女優本人が裸体を見せていました。デナーリス役が代表例です。

当時はまだシーズン2以降を制作するかどうか未定で、ヒットするかどうかも確証のない状態。

ボディダブルを使うのではなく、裸体を撮影することまで役の契約条件に含まれていたのでしょう。

シリーズが大ヒットしたシーズン5では、サーセイが全裸で歩く場面ではボディダブルが使われています。別の俳優の裸体に、サーセイの顔を合成したのです。

当初の契約時、サーセイは全裸撮影を許可する条件がなかったのではないか?と私は推察します。

別にデナーリス役が差別されていたのだとは、考えにくいのです。

こういう契約に従って裸体を撮影させるかどうか、左右されるものでしょう。

セクシー女優なら脱いでいいと差別したというよりも、全裸を晒す契約条件をのめるのがセクシー女優だったと考えた方が自然に思えるのです。

その上で「あの全裸場面そのものがおかしい」という批判があるのであれば、その通りだと思います。

あの場面に子役が参加していたのは、児童保護の観点からすると問題があると思います。今後の改善を望みます。

・朝顔の見ぐるみを剥いだ死体処理係の非人に対し、重三郎が罵倒したのはひどい

『鬼滅の刃』の話をさせてください。

あの「遊郭編」には鬼兄妹が出てきます。劇中では遊郭という特殊な生育環境のせいで、人生観が兄妹ともに視野狭窄に陥り、歪んでいたことがわかります。

重三郎もそういうところはあります。

倫理観を身につける教育機会はない。そういう二十歳そこそこ、七歳で親に捨てられてそこから働き詰めの江戸中期の青年に対し、現代人権思想を学んだかのような言動を求めるのは、高望みではないでしょうか。

そういうことをスマートフォンで打ち込んでいるのかと思うと、なんと言いますか……高みの見物ぶりにゾッとしちまうと言いますか。

己の身を振り返ってみて、あの年代の頃なんて私もくだらないことしかしてなかったもの。重三郎にやたらと高い倫理観を求めることは、私には到底できません。

それなりに高い教育をうけ、『論語と算盤』なんざえらそうに掲げておいて、ああいうことをした渋沢栄一は、批判相応だと思いますが。

・田沼意次と重三郎が面会するのは「ファンタジー」だ

まず、ファンタジーの定義がおかしくありませんか。

「九郎助稲荷がスマホを手にして解説するなんて、ファンタジーだ」

こういう批判なら、真っ当だと思います。

好みに合わない人は当然のことながら一定数いるでしょう。怪力乱神を語りたくない立派な方は一定数おられるものです。

しかし、田沼意次と重三郎が語ることは、“ファンタジー”とはいえません。

こういう反応があることは、制作スタッフが重なっている『麒麟がくる』でもありました。女医の駒が将軍やら明智光秀と親しくしていることが“ファンタジー”だとさんざん批判されたものです。

ならば、言い方をもっと適切にしましょうよ!

「頭が高い、控えおろう!」

あたりではありませんか?

要するに、駒にせよ、重三郎にせよ、下々の者がお偉い方に対等な口をきくのはけしからん。そういう封建的なマインドセットゆえに出てくる意見ですよね。

しかし、世の中には身分にこだわらず、下々の意見も気聞き入れようとするできた人もいるものでして。

こういう批判が出てくる方は、寛大で尊い態度をもつ人に意見を聞き入れてもらった経験がないから“ファンタジー”だと主張したくなるのではないでしょうか。

自分がそうだからと、天下万民がそうだと思われても困ります。

自分が卑屈な価値観の持ち主だからと、それに合わないドラマを叩いたところで、何かよくなりますか?

それに田沼意次の場合、重三郎のような者の意見まできちんと聞き入れる方が、時代考証として正解です。

意次は身分を問わず広く意見を聞き入れたことが政治的特色とされています。そのキャラクター性を示す上であの場面はむしろ巧みでした。

この“ファンタジー”論者の中には、江戸時代の武士は無礼な民なんて切り捨て御免だということを語っておられる方もおります。

いや、江戸時代中期は些細なことで刀を抜いたら大問題になります。

切り捨て御免なんてそうそうしないもの。幕末の治安悪化の中でそういう悲劇が発生し、その印象が強く残されたのでしょうね。

それにしても、こうして振り返ると見えてくるモノがあるのです。

日本人の意識はまだ身分に縛られてるってこと!

何度でも蒸し返しますが『青天を衝け』はどうでしょう?

性的搾取だの、人権軽視だの、そういうことを大河ドラマがやらかしたのは今年が初めての如く、声高にSNSで主張しておられる方がいます。

打ち切りにしろだの。NHKは性的搾取を促進しているだの。

そう主張されることは結構です。

しかし、しつこく問いかけますよ。

『青天を衝け』のときは、見た上で黙認しておられましたか?

問題に気づきませんでしたか?

そもそも見ていない?

悪質度でいえば『青天を衝け』の方が勝ります。

なにせ渋沢栄一が主人公で、伊藤博文や井上馨まで出てきますから。徳川斉昭の性的暴虐ぶりも酷いものがありますね。

それなのに、くどいようですが、どうしてあのときは静かだったのか。

お札に選ばれる人だから、そこまで酷くないと思ったのだとか?

吉原は問題だけど、日本の朝鮮半島支配およびそこでの渋沢栄一は問題がないと思ったのだとか?

だとすれば、極めて残念としか言いようがありません。

今年の大河はある意味、人を見る上でいい道具になるんじゃないかと思います。

今年の大河を大仰に叩いていながら、『青天を衝け』は無邪気に礼賛しているような人は、人の価値を中身でなく肩書きで判断していないか、要注意と判断できるかもしれません。

ものは使いよう。よく考えてお使いくだされ。

・アウシュヴィッツのような吉原を美化しているのは女が被害者だからだ

吉原は確かに残酷で劣悪な環境にありました。

ただし、だからといってそれをアウシュヴィッツに例えるのは、無駄な論争を引き起こしトラブルを招くのでご遠慮いただきたく。

アウシュヴィッツではなく、こういう場合は「ホロコースト」のような気がしますので、そう訂正しつつ、話を先に進めましょう。

ホロコーストは、日本人にとっての広島・長崎のような特殊な悲劇であり、民族のアイデンティティにも関わるものです。

たとえどんな悲劇であれ、やすやすと並べるものではありません。

海外では「破滅する」という意味で「ヒロシマ」「ナガサキ」を使われることがあります。

無神経ですし、不愉快で胸が痛む日本人は多いかと思います。ここまで書けば、ホロコーストのたとえを悲劇として持ち出すことの重要性がご理解いただけますでしょう。

ホロコーストは絶滅を目的としており、吉原のような労働環境が極めて劣悪な結果、犠牲者が多いシステムとはまた別です。

それにそもそもとして、どうして日本が主体となった惨劇や悪事はいくらでもあるのに、ナチスドイツのホロコーストを持ち出すのか。

ナチスドイツと枢軸国であった日本人が、その悪事を持ち出すあたりもセンスのなさが見えてくるものがあって辛いうえに、日本の責任を忘却していますよね。

吉原――国家が近代へ向かう中で生み出され、必要悪とされてきたシステム。

そういう位置付けを踏まえると、比較対象は奴隷制度や危険な鉱山労働、捕鯨船等を私は思い浮かべます。

労働そのものがフィクションの題材に扱われるという点でも一致するとなると、ナポレオン戦争期間の「英国海軍もの」との比較はいかがでしょう。

島国であるイギリスにとって海軍力は重要であり、フランス軍の上陸から祖国を守り抜いた海軍はまさしく盾でした。

そうはいっても、必要悪ともいえる組織です。

労働環境は劣悪極まりなく、水兵は志願者や犯罪者だけではたりません。そこで沿岸部で拉致してきた不運な市民を無理やり戦艦に乗せていました。

戦闘時、大砲の火薬を運搬するのは、小柄な少年兵が向いています。こうした少年兵は孤児をそうしていました。小学校低学年程度の少年まで戦艦には乗り込んでいます。

士官は一応、中上流階級の子息が志願します。

そうはいっても、家業を継げない次男以下が口減らしのように、13歳ほどで着任させられることも多いものでした。

要するに、社会からあぶれた連中を、蛆虫の湧いた固いビスケット程度しか食べられない戦艦に乗せて危険な戦闘に駆り出していたということです。

海軍の戦闘は大砲の撃ち合いで、砲弾にあたれば人体は一瞬で挽肉になります。海に落ちればサメの餌になるか溺死します。嵐が来て沈めば戦艦が墓場と化します。何か反抗的なことをすれば、肉が裂けるまで鞭打ちを喰らいます。

戦死者は階級問わず、基本的に水葬。遺品は仲間内で売却される。四肢切断率が高い上に手術は無麻酔で行う。士官以外は退役後、一切の保証なし。当時の港には、物乞いと化した老水兵がいたものでした。

読んでいて気分が暗くなってきて、なんでお前はこんな話をするのかとイライラしている方もおられることでしょう。

しかし、イギリスでは「英国海軍」ものは定番人気コンテンツなのです。

そうやって英国海軍ものを楽しんでいるファンに向かって、イギリス人はこんなことを言わない。

「英国海軍は海賊行為じみた略奪もする。犯罪を推奨しているのか?」

「少年兵が火薬を運ぶ姿を見て、疑問に思わないの?」

「こうした戦艦内では性的暴行も多数発生していた。こんなものを見て喜ぶ連中は、性的搾取を喜んでいるに違いない!そういうボーイズラブ作品もある」

「そもそも英国海軍は、帝国主義の手先だ!」

内心そう思うのは自由だけれども、保管されているHMSヴィクトリー号を爆破しろだの。ネルソン像は倒せだの。英国海軍小説を発売中止にしろだの。その作者は恥晒しだの。差別主義者だの。言わないわけです。

そういう過去の厳しい歴史を経て、今がある。そこを理解して、フィクションはフィクションとして楽しむだけの環境が整っているわけです。

もしかして、日本はそうなっていないのだろうか?――SNSで『べらぼう』打ち切り署名をやれ!と気炎をあげる意見を読み、そう思ってしまいました。

歴史には、現代人から見れば到底受け入れられないものやことがあります。

それを現代のモラルに合わせて変えるべきだと言い張りたいのであれば、歴史劇鑑賞に向いていないとしか言いようがない。傲慢だとも思います。

NHKでも放映された『アンという名の少女』とその反応も思い出しました。

『赤毛のアン』を原作とするあのドラマは、原作にはない先住民、黒人、カナダ人への差別を描きました。そのことを受け入れられないファンが怒っていたものです。

当時の問題構造をあえて切り込むと、妙な反応が返ってくる。

一体どうしたものでしょう?

近代史もの。「歴史総合」で扱う視点でもある民衆目線のもの。そうしたものに慣れていないせいで、妙なエラーを起こしている、それこそべらぼうな反応が多い。

私としては、このままあと十年は近代史もの、最低限戦国幕末ループ以外の大河を続けて、歴史観ごと一新しないと色々まずいのではないかと思ったほどです。

長くなりましたが、ここまでしつこくいろいろ考えたくなるほど、今年の大河ドラマはべらぼうな領域に突っ込んで行っているようです。

流石に考えすぎて疲れました。

📘 『べらぼう』総合ガイド|登場人物・史実・浮世絵を網羅


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【参考】
べらぼう/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-べらぼう感想あらすじ

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