べらぼう感想あらすじレビュー

背景は葛飾応為『吉原格子先之図』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ べらぼう

『べらぼう』感想あらすじレビュー第2回「吉原細見『嗚呼御江戸』」源内の役割は?

顔に傷をこしらえた重三郎の髷を、唐丸が結い直しています。

懲りずに『吉原再見』による客寄せ計画を進めると聞かされた唐丸は笑顔を浮かべている。

「蔦重ってやっぱり男前!」

「まァな」

まだ幼いのに打てば響く――二人はもう、切っても切れない絆を感じさせますね。

 


『吉原細見』で客を呼ぶぜ

「男前って誰がだい?」

二人の会話を聞いていた駿河屋のバカボン・次郎兵衛がやってきました。

少なくともあんたじゃねえよ。

聡い唐丸は、蔦重の髷がいい塩梅に結えたってことです!と誤魔化します。次郎兵衛は疑念も抱かず、花の会(けえ)に行ってくると出かけて行きました。

「おお〜、わかってんなァ、お前」

感心する重三郎。

そんな聡い唐丸でも『細見』を使って客を呼ぶ仕組みがわからず、たくさん売るのか?と問いかけてきます。

重三郎はそれだけでないと説明します。

『吉原細見』

元文5年(1740年)に発行された『吉原細見』/wikipediaより引用

『再見』は吉原ガイドブックです。絵地図があり、女郎屋、女郎の名前が書いてある。それを読んで人が来るようにしたい。

「序」の頁をうまく使い、客に「いっそ繰り出してみっか!」という気分にさせるようです。

『細見』を作っている「鱗の旦那」とも伝手があるし、ちょっとそこをなんとかする計画だそうで。

 


長谷川平蔵、再び吉原へ

するとそこへ“三馬鹿”の仙太と磯八、長谷川平蔵がやってきました。

「おう、きたぜ」

鬢の毛をピョロリとさせてアピールする平蔵。

今日は袴をつけず洒落た着流しで、それなりにファッションを磨いてきているようです。ったく、無役のくせに何やってんだよ。

どうやら花の井は「通」な装いに弱いと聞かされたんだとか。

重三郎も立板に水で続けます。花の井は気が強く、嫌いとなれば跳ねつける、そんな彼女の攻略法は……と、ガーッとアピール!

なんだか本作の主役を「女衒」だと罵倒する意見もあるそうですが、実際その通りなんだから仕方ない。

しかし、だからなんでしょう。

これまでも、人殺しの戦国大名や、テロリストの維新志士たちを主役としてきた大河ドラマに対して、いちいち指摘しないじゃないですか。するだけ野暮ってなもんです。

今回は「初会」だから口は利かない。それでも笑顔をチラと見せれば落ちたも同じ。そう聞かされた平蔵はすっかり引っかかります。

「どうすれば花魁は笑顔になるんだ?」

「そこはァ長谷川様の男の見せ所(どこ)で。まあ長谷川様は格別なお方だ。花魁が間違いなく落ちるツボをお教えしましょう」

見せるのは男っつうか、カネですわな。

嗚呼、なんだろう。誰かがコロリと騙される場面を見せられるのは辛いものがある。

そんなもん金だ、金!って、四百石の旗本がどうこうできるわけがねぇと思うんだけどなぁ。

重三郎はカモをひっかけたと駿河屋市右衛門に報告しています。駿河屋は低い声でこう聞いてきます。

「もうおかしなことは考(かんげ)えてねえだろうなぁ」

重三郎は“桶伏せ”なんてもう懲り懲りだと如才なく微笑み、平蔵の元へ向かうのでした。夜間照明が美しくあたりを照らしております。

 


花魁の笑みを見たくて

三馬鹿と花の井花魁は宴を開き、投扇興(とうせんきょう)に興じております。

『光る君へ』にも登場した壺に矢を投げ入れる「投壺」の簡易版、かつ日本独自のものです。

仙太と磯八は「花魁も遊べ」というものの、無表情のまま返事すらしない。これには平蔵が焦ります。

初会の花魁は口を利かないと平蔵がルールを説明し直し、「野暮なことすんじゃねえ!」とたしなめながら彼女の方を見ると、眠そうにあくびをしている。

平蔵はあわてて扇子を腰に刺すのですが、流石は歌舞伎役者の中村隼人さん、所作が実に自然でよいものですね。

花魁は自らは口を利かず、禿(かむろ)にそっと耳打ちします。

「花魁はお疲れしんした。先に失礼してもよいかと申しておりんす」

相手の返事も待たずに花魁が立ち上がると、他の女たちも揃って去ろうとすると、焦る平蔵。重三郎の入れ知恵が回想されます。

花魁の好みは江戸っ子らしく男らしい人。今まで一番の馴染みは初会から紙花を撒いてみせるような男だった……それを思い出しました。

平蔵は花魁を呼び止めると、虫ケラでも見るような目をしながら花魁は立ち止まります。

平蔵は紙花を懐に入れてこうきました。

「紙花じゃあ〜〜!」

宴席に赤い紙をばら撒くと、皆が大歓声をあげている。稲荷ナビ曰く「この紙花は今で言えばチップ、一枚二万円前後」だそうで。

すると、ようやく花魁の朱唇がニッと微かに笑みのかたちに歪みます。

それを見てハッとする平蔵。

ますます浮かれて紙花を撒いております。

しかし、それは男らしさの発露じゃなくて要するに金を落とすから笑うんであって、完全に吉原商法にやられているじゃないですか。

2025年新作『暴れん坊将軍』では現代のシャンパンタワーを模した日本酒タワーが話題をさらったそうです。

そうしたパロディも素敵ですが、江戸には江戸のぼったくりがあります。えげつない「紙花」システムを描くのも、人間は変わらないと示す上でも意義があるのではないでしょうか。

それにしても、花魁の笑みの罪深さよ。

男殺しの魔の淵か。はたまた亡国を招いたという褒姒(ほうじ)の笑みとはこういったものであったか。

いやはやなんともおそろしい。小芝風花さんの清艶ぶりよ。

『新形三十六怪撰 小町桜の精』/wikipediaより引用

 

野心あふれる松の井

翌朝、松葉屋では平蔵の紙花フィーバーを話題にしながら、女郎たちが朝食をとっております。

花の井は馴染みになるまで金が持つのか疑念を抱いている。まぁ、そりゃそうよ。

すると松の井が、重三郎に「田沼様に会ったのは本当なのか」と聞いてきます。

慌ててその話はよしてくれと重三郎。松の井はさらに「なかなかの男ぶりと聞きんしたえ」と続けます。

江戸時代は……いや、江戸時代もか。女性同士の美男情報ネットワークは大したものだと思わされます。

有名どころでいえば福沢諭吉。彼はイケメンとして有名で、彼が立ち寄る場所では女中同士がヒソヒソと来訪を待ちかねていたとか。

若き日の福沢諭吉/wikipediaより引用

田沼意次も男ぶりが大層評判で、大奥女中たちものぞいてはうっとりしていたそうです。

悪評の一端にも関係があるのかもしれませんよ。その噂が吉原まで届いているとは驚きますが。

慌てた重三郎があわててここに連れてくるのは無理だと返すと、松の井はそれでも引きません。

「まあ、そう決め込まず、よい折りがあればお頼みなんし」

ふてぇことを考えると驚く重三郎に対し、花の井は「まあ、姐さんはね」と続けます。野心家なのでしょうか。

しかし、ちょっと気になりませんか?

政治家って遊女と遊んでいるモンじゃないの? 芸者遊びする政治家なんてよくいたんじゃないのか?と。

実は、性的モラルは時代ごとに異なり、江戸時代中期、武士が堂々と吉原に行くのは流石によろしくないとされていました。

だから言いたい。おい、わかってんのか、長谷川平蔵。無役なのに紙花をバラ撒いて、一体なんなんだ。

田沼意次も楊弓場あがりの女性を妾にしておりますが、こういう場合はロンダリングシステムがあります。まっとうな家の養女に出して、あらためて正式に囲うというやり口です。

いきなり女郎を妻にすると場合によっては大変なことになるのであり、このドラマでもそれで痛い目にあう人物が登場します。

政治家の女性問題については、明治時代以降の方がむしろルーズになってゆく。

日本史上、政治家の性的事情が最悪だったのは明治時代でしょう。

なにせ伊藤博文遊郭で遊び過ぎて家賃が払えなくなり、このままでは政治停滞が起きるということでできたのが首相官邸でした。

そんなこといちいち大河でやらないって?

そうなんです。だからこそ言いたい。

今年の大河が女性搾取をキラキラコーティングしているというなら、明治元勲を英雄視する過去作品から考えないとなりません。

そうはいっても一作目からはしんどいでしょうから、まずは『青天を衝け』ですね。

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宣伝を頼むとなれば、やはりあの人だ

重三郎は花の井に、こんなことを問いかけています。

花魁が小間物屋で櫛をもっと売りたいと思ったら、誰に売り込みの口上を頼むか?

「そりゃ、あの人しかいないだろ」

「だよな。あの人だよな」

トウザイ トウザイ ふしあわせ

商いの損あい続き

きくかきかぬほど

夢中にて一向存じ申さず候

歯磨き漱石香

二人は「漱石香」の売り込み口上を口にします。

重三郎の魂胆は一体なんなのか。花の井が疑問に思っていると、客の小間物屋から相談を受けたと下手な嘘が返ってきました。

ここで稲荷ナビが「漱石香」の説明をします。

当時大ヒットした歯磨き粉で、広告でヒットを飛ばした商品なのだとか。

この「漱石香」からは様々な要素が見えてきます。

歯磨きが定着していることであり、当時は「房楊枝」という道具で磨いていました。

さらには「漱石香」という名前です。

「漱石」の由来は、『光る君へ』の世界観ならばまひろや為時なら「ああ、なるほど」となる由緒正しい中国の『世説新語』由来であり、夏目漱石の筆名と同じ由来です。

枕流漱石(ちんりゅうそうせき)

石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕す。

昔、晋の孫楚が若い頃、世の中に嫌気がさして引きこもり願望を友人の王済にぼやきました。

「山奥で石を枕にして、流れで漱ぐような生活をしたい」

こう言おうとして、いい間違いました。

「山奥で石で口を漱いで、流れを枕にしてぇよ」

王済は「マジかよやべぇな」と突っ込みます。すると孫楚はムキになったのでした。

「流れを枕にすることで俗世間の汚い話を聞いた耳を綺麗にすんだよ! 石で口を漱いでいやしいものを食べた口の中を掃除したいんだよ!」

かくして、この言葉は負け惜しみという意味で残りました。

『世説新語』という、おもしろ言行録めいた漢籍由来の名前がついた商品が売れる――江戸の教養は実に大したものではないですか。

まぁ実際のところ、江戸っ子はそんな名前ではなく「ともかく買ってくれ!」とぶっちゃけすぎた平賀源内の売り口上に惹かれたようですが。

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