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『光る君へ』感想あらすじレビュー第32回「誰がために書く」帝や道長は二の次なり

寛弘2年(1005年)、帝と定子の遺児である脩子内親王の裳着が行われます。

帝はまだ定子へ執着していました。彼女の兄である藤原伊周を、公卿でもないのに大臣の下、大納言の上に座らせたのです。

これにはマイペースな藤原道綱も驚き、有職故実にうるさい藤原実資は仏頂面をしております。

内裏をかき乱すような帝の真意はどこにあるのか?

というと藤原道長への牽制でした。

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まひろ、作家として覚醒する

早春のころ、まひろといとは小さな仏像に合掌しております。

すると庭では乙丸ときぬが大喧嘩。

なんでもきぬが紅を買おうとすると、乙丸は余計なものだとして許さないそうです。

都に来てから紅も白粉も買っていない。そう不満をぶちまけるきぬ。

すると乙丸はおずおずと「美しくなって他の男の目に留まるのが怖い」と言い出します。私だけのこいつでなければ嫌なんですって。

きぬは「だっだらそう言えばいいじゃない、うつけ!」と返し、素直に謝る乙丸。

かえって仲がよくなった二人に、まひろといとは困惑しています。

そしていとは、亡き藤原宣孝とまひろの喧嘩を思い出しました。

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灰を投げつけていたたことをいとがからかうと、まひろはしらを切っています。

「そういえば左大臣に渡したものはどうなったのでしょうか」

例のまひろの物語のことですが、どうやら返事はない様子です。いとは、よい仕事になりそうだったのに……と残念がります。

しかし、どうもまひろはそうでもない様子。

帝への物語を書き始めたことで、執筆欲が湧き上がるようになった。帝のためではなく、自分のために書きたいと言い出しました。

「それでは日々の暮らしのためにならない」

いとはそう困惑していますが、まひろは気にせず、美しい字でスラスラと物語を書きつけてゆきます。

金にならないことを突き詰めてゆく――なんだか父に似てきたまひろ。

利き手が左でありながら右手で筆を持ち、特訓に励んできた吉高由里子さん。所作の美しさにますます磨きがかかりました。

 

伊周の復活

内親王の裳着のあと、道長は土御門にて漢詩の会を開催しました。

伊周と隆家も招かれています。

そつなく挨拶を交わす道長と伊周は、そもそもは叔父と甥の関係ですね。

朝服ではない男性貴族がずらりと並び、色彩鮮やか――日本古来の男性服は派手で明るいものでした。

氷のように冷静な藤原公任は、紅葉のような赤を着こなし、白鳥のように細い首の斉信は、花瓶に生けた百合の花のように優雅です。金田哲さんはこの首の美しさゆえに配役されたのかと思うほど。

日本人の衣装は、歴史的に「渋い色合ではないか」と思われたりします。そのせいで明るい色合いが用いられた大河ドラマ『麒麟がくる』の衣装では、論争が起きたものでした。

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日本の渋い色彩感覚とは、来年の大河ドラマ『べらぼう』で描かれる江戸時代半ば以降、江戸のものですね。

あの時代は浮世絵が大量生産されるようになり、日本人の美的センス形成に大きな力を持っておりますので、今から楽しみでなりません。

そんな中、伊周の漢詩が詠まれます。

『枕草子』で描かれた爽やかな貴公子の姿はそこにはもうない。

尊大で老獪、道長に挑むふてぶてしさよ。あの頃よりも魅力が増した姿を、三浦翔平さんが演じています。

『本朝麗藻』 「花落春帰路」

春帰不駐惜難禁 春帰りて駐らず 惜しむこと禁じ難し

花落紛々雲路深 花落ちて紛々たり 雲路深し

委地正応随景去 地に委つるは正に 景に随いて去るべし

任風便是趁蹤尋 風に任するは便ち 是れ蹤を趁(お)ひて尋ぬ

枝空嶺徼霞消色 枝空しく嶺を徼(めぐ)りて霞色を消す

粧脆渓閑鳥入音 粧は脆く渓閑かにして鳥音を入る

年月推遷齢漸老 年月は推し遷りて齢漸く老ゆ

余生只有憶恩心 余生は只だ恩を憶う心有り

春かえりて とどまらず耐えがたきを惜しみ

枝は花を落とし 峯は視界を遮るように聳え霞は色を失う

春の装いはもろくも崩れて、谷は静かに、鳥のさえずりも消える

年月は移ろい我が齢も次第にふけていく

残りの人生、天子の恩顧を思う気持ちばかりが募る

漢詩の会を終えて廊下に出た斉信が、伊周のことを健気だと評しています。

一方で公任は「なにか裏があるのではないか」と深読みし、斉信が行成に意見を求めると、行成も「はい」と重々しく答えます。

すっかり騙されるところだったと悔しがる斉信。

公任と行成は、道長の器の大きさにすっかり感服しているようです。

 

物語は、帝の御心にかなわなかったのか

帝は道長を呼び寄せ「伊周を陣定(じんのさだめ)に呼びたい」と言い出しました。

立て続けに、不満を言い出しそうな公卿を説き伏せるよう、道長に命じます。

それは難しい……。

顔をしかめる道長は、陣定は参議以上でなければ参加できないと説明するも、それでも帝はどうにかしろという。

難しいと譲らない道長。

ついに帝は、朕の強い意向ならば逆らえないだろうけれども、それでは角が立つから道長に任せようとしているのだと一歩も引きません。

道長はしぶしぶ折れ、はかってみると言い出し、帝はやっと納得します。

そして先日渡したまひろの物語の感想を求めたところ、こうきました。

「ああ、忘れておった」

作戦失敗でしょうか。

道長はまひろのもとに来ると「御心にかなわなかった」と残念そうに伝えます。

力及ばず申し訳ないと謝りながらも平然としているまひろ。

落胆はせぬのか?と道長が訝しがると、まひろはあっさりと認めます。

帝にお読みいただくために書き始めたことは、もはやそれはどうでもよい。落胆はしない。今は書きたいものを書こうと思っている。

そして、その心をかきたてた道長に深く感謝していると述べるのです。越前紙も大量にもらっておりますね。

「それがお前がお前であるための道か」

「左様でございます」

あっさり認めましたね。

この後、まひろが執筆に励む横で、道長が作品を見守る様子が描かれます。

せっせせっせと、藤壺中宮を恋慕う源氏について書いてゆくまひろ。道長はこう思います。

「俺が惚れた女は、こういう女だったのか……」

めんどくさい女です。恋に溺れ、相手を恋に溺れさせていくあかね(和泉式部)とは違う。

道長は寛大でよい男かもしれません。

とある女性作家が、かなりの高齢でデビューした契機を語っていました。

彼女の夫は、自分の目につかないところで書くように語っていたため、夫の死後にならねば満足に執筆できなかったそうで……。目の前にいる女の目を、常に自分に向けさせたい男はいるものです。

道長はむしろ自分にそっけない女が好きなのかもしれません。源明子のように重い、束縛する女は苦手なのかもしれません。

それはさておき、このまひろも厚かましく見える。

クライアントの依頼に応じられなかったのにあまり反省してない様子です。そもそも依頼主の道長は、帝への提出前に「この作品はちょっと……」と懸念していました。

来年の『べらぼう』にもこのタイプの作家が出てきます。

曲亭馬琴です。

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江戸時代の作家は、帝の御心ひとつではなく、読者たちが買い漁りたくなる魅力が必要でした。

人気シリーズともなれば、ネタが尽きようが商売のために書き続けさせられる――そのタイプが十返舎一九でしたが、一方で自分のセンスをとことん突き詰める馬琴のような作家もいます。

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迷惑で厚かましいクリエイター魂の発揮を来年の大河でも味わえます。

馬琴の後半生は大河では追えませんが、10月公開の映画『八犬伝』でご覧になれますので、ご興味をお持ちの方はぜひ。

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