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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第41回「逆襲の三成」】
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どうした「男勝りの阿茶」
「殿のお留守はこの男勝りの阿茶にお任せくださいませ」
って、こんなひどいセリフありますかね?
自分で言いますか?
「殿のお留守はこの阿茶にお任せくださいませ」
これだけで十分でしょうよ。
要するに過剰なキャラ説明なんですね。
『ワタシってサバサバしてるから』の網浜じゃあるまいし、自称するもんじゃありません。
先週、「阿茶だけ立膝なのが鬱陶しい」と書いたところ、散々突っ込まれました。
網浜みたいに言うならこんな感じ。
「ちょっと〜何か見たんですけどw 戦国時代の女性が立膝していたって知らないなんてマジ? そのくせ大河感想書いているとかマジウケるwww どーせ『麒麟がくる』とか見てないんでしょwww バカすぎてウケるんですけどwwww」
これにワタサバ本田ぽく反論しておきましょう。
「ええ、知ってますよ。畳がまだ少なく板敷の時代では、正座ではきついですよね。肖像画や木像も立膝のものはあります。『麒麟がくる』はそれをふまえ身分や性格を問わずに全ての女性がそうしていたのに、このドラマは阿茶局だけがキャラ立ての一環として立膝なのが嫌なのでそう書きましたけど。伝わらなかったんですか?」
というわけで、こんなワタサバじみた阿茶局は嫌いです。
マザーセナに匹敵するほど鬱陶しい女性を出すなんて、本作はセンスがあります。
いくらなんでも乗り込んでくる毛利に阿茶局が対抗するなんてやりすぎでしょう。
そしてこのキャラ付けは『レジェンド&バタフライ』の帰蝶とほぼ同じですね。
ド派手な話題作りで中身は空っぽ?映画『レジェンド&バタフライ』
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失礼しました、自称がしつこいのは「狸」連呼の家康もそうですね。
どいつもこいつも、かわいげのない網浜さんみたい。
ドラマ版の網浜は好きになれましたが、こちらは無理です。
どうするランウェイ感
徳川家臣団がランウェイ感覚で歩き回る場面は、心底、絶望しました。
榊原康政だ!
井伊直政だ!
……って、あんなもの見せられて、ただひたすら恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。画面を殴りたくなるほど恥ずかしい。
私は大河で使った甲冑を見たことがあります。
軽そうに見えました。それを重量感があるように見せるのは、役者なり演出の力だと思い知ったものです。
それが今年はない。なぜか?
重量や制限される関節の動きすら考慮していないのでしょう。
カッコつけるためだけに槍を持ち込んだり、面頬を意味なくつけたり。
渋谷のハロウィンですか?
大河でんなもんやらないでください。無意味に面頬をつけて俯いている姿はマヌケだと思い至りませんでしたか?
井伊直政のチョビ髭については……往年のバラエティ番組で女性アイドルが演じていたバカ殿にしか見えませんでした。
だいたいここで「天下を取れるぞ!」とか言っているあたり、歴史を知る未来人視点なんですよね。
合戦はスマホゲーのイベントじゃありません。事前に勝敗が見えないから、戦いが成立するんでしょ。
ちなみに、本物のランウェイ感がある冨永愛さんは、時代劇にそなえて鍛錬していたそうです。『大奥』の吉宗もそれあってのオファーだとか。
信玄公祭りでも見事に信玄役をこなされていました。
今年の大河では、そういう鍛錬ができているように思えません。
◆今年で50回目の信玄公祭り 信玄役に冨永愛さん 1300人の武田衆と「いざ出陣」(→link)
大河ドラマからではなく、『大奥』から冨永愛さんを選んだ主催者サイドの英断が光りますね。
どうしようもないジェンダー感
家康と元忠の場面はなんなのか。
昼間から白い蝋燭をつけています。
蝋燭は高級品であり、普及はもっとあとのこと。何を無駄遣いしているんですかね。
しかも話題をマザーセナの巫女こと千代から切り出す。
もう本当にどうしようもない。
千代は初登場時、家康を坊や扱いしていました。
ならば70近くともおかしくないでしょう。
一体今は何歳ですか?
設定を忘れていませんか?
そんな千代と別れて辛いと言いたいらしいのに、これですよ。
「いや……なに、所詮はおなご。言うことを聞かんかったらバシッとひっぱたきゃあおとなしくなりますわい」
何いってんだこいつ。
このあと家康が怖がっているのはお前だと言うものの、こんなの昭和DV男そのものじゃないですか。
男尊女卑にせよ戦国というより昭和の感覚に思えるもんだから、いちいち生々しくて気持ち悪いドラマだ。
このドラマって、徹頭徹尾、ジェンダー感が昭和あたりで止まっているんですよ。
政治的な力を持つ女は消えるか、過小評価される。
寿桂尼は出てこない。
北政所はいつの間にか消えた。
糸(早川殿)は政治力が消された。
阿茶局は気取っているけど愚か。
あるいは、死にますね。
田鶴。マザーセナ。市。茶々。
愛くるしいのは癒し系だけ。
レーシックお愛。
謎の同性愛設定が出てきたけれども、なんだかんだで夫に従順で側室をしているお葉(西郷局)。
女性同士の同性愛は日本史でどんな扱いをされてきた?どうする家康考察
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作り手の時代錯誤感がポロッと出てきて、恥ずかしいとは思わないのでしょうか。
鳥居元忠の忠誠心と覚悟ですら、こういうミニマム感に押し込めるところがまさしく時代錯誤でしょう。
命懸けの覚悟なんてない。ラブラブを見せつけたら死んじゃう――そういう死亡フラグしか認識できないんでしょう。
「あんなかわいい妻がいるのに死んでかわいそ〜」
何がなんでも恋愛を絡めるのって、もはや失笑されるセンスです。
それなのに今年の大河はなぜここまで恋愛脳なのか?
人生の価値観はモテだけ?
仁義礼智信すら理解できませんかね?
◆ 「映画やドラマにセックスシーンは要らない」「いちいち恋愛に発展させるな」若者の声、米調査(→link)
マザーセナへの悲恋を中心に置いた『どうする家康』のセンスって、あまりにも時代錯誤。
作った瞬間から腐るドラマを作って、なにが「シン・大河」なのでしょう。
本作が本物の若者向けでないことは明白でした。
本物の若者はガンダムネタで盛り上がりません。
『逆襲のシャア』は1988年。
『あんなに一緒だったのに』が主題歌の『機動戦士ガンダムSEED』は2002年ですよ。
ナウなヤングにバカうけ感覚ですか。
今時の若者はティラミスやナタデココでなく、台湾カステラやトゥンカロンが好きですからね。
◆「どうする家康」家康&三成決別!BGMは「あんなに一緒だったのに」?ガンダムネタ話題 ネット驚きも(→link)
どうする瞬かない星
このずれた恋愛感は、男同士にも及んでいます。
信長と家康のBLといい、家康と三成の星の下でのBLといい。
あんな瞬きもしない星の下で語り合ったくらいで、一体なんなのですか?
馬鹿げたシチュエーションでも、それらしく演じることのできる三成が哀れ……。
男同士の争いですら、BLバッドエンドでしか描けないとは、どこまでも陳腐な脚本です。
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