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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第8回「いざ、鎌倉」】
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時には大事な飲みニケーション
義時が御所の一件を伝えると、岡崎義実はシュンとしてしまいます。
つれねえな。爺さん、元気だせ。みんなそう励ましますが、上総広常は不満ありあり。俺たちは野宿なのに、頼朝は寺を宿にしてるってか!
「いい身分じゃねえか、流人風情がよ! 俺はな、あいつの家人になったわけじゃねえんだよ! 小便、行ってくる!」
あー、もう、坂東武者よ、規律もねえ、忠義もねえ!
困りましたね。
和田義盛も不満そうだ。
「小四郎どうなんだよ、佐殿はちょっと調子に乗ってんじゃねえか? 俺たちはないがしろにされてねえか?」
畠山のことも腹に据えかねているってよ。
戦国武将はこういう事態を避けるため、事前に家ごとのルールを決めておりましたので、ここまで危なくはない。今は、そういう時代の前なんですよねぇ。
あらためて義時が深々とため息をついています。どうもうまくいってない。すると義村がこう来た。
「しょうがねえよ。あっちとこっちじゃお育ちがちがう」
義時は落ち込むばかり。本来なら北条がその間に立ってまとめていかねばならんのに……兄の北条宗時がいればよかったと思えます。
そこへ安達盛長がきて、佐殿と家人の隙間風がどうにかならんかと相談してきます。
「平六〜」
義時がそう声をあげると、義村は酒を飲む仕草をしつつ、佐殿はこっちの方はどうか?と盛長に聞いています。
強くはないと盛長が返すと、義村は家人たちと呑んでいるところを見たことがないと指摘します。
「あ、確かに!」
盛長が気付きます。
そうなんですよ、義村って情緒ケアは期待できないのですが、サッと役立つ策は出せる。そこを見抜けないと、こんな冷酷でわけわからん奴には何を言っても無駄だと諦めてしまう。
けれども義時は、幼い頃から平六がなんとかする様を見てきているから、いざという時は頼るんですね。
そのことを頼朝に提案すると、気が進まない様子。
それでもちょっと顔を出すだけ、心を掴むのは上手だと盛長に促され、酒を飲むことにするのでした。
広常が「頼朝を呼んでこい」とくだを巻いています。“佐殿”なんて呼びたくねえとかなんとか言っていると、義村が「武衛(ぶえい)」という呼び方もあると言います。
唐(から)の国では親しい相手を「武衛」と呼ぶと伝える。
その様子を見た畠山重忠が、ボソリと義村に「確か武衛というのは……」と困惑しています。
武衛とは、佐殿の意味する兵衛府(ひょうえふ)を唐風(中国風)に呼んだもので、佐殿の上位版ですね。
「まあ見てな」
不敵に微笑む義村。
かくして笑顔の頼朝が、酒盛りにやってきました。佐殿が来てくださったと、どよめく坂東武者たち。
広常は上機嫌でこう言います。
「こっちに来いよ、武衛!」
武衛、あんたとはこうして飲みたかったんだよ、武衛!
そう武衛を連呼され、頼朝は上機嫌になります。
「ははは、もうよい!」
義村がすかさず皆を呼びたてます。
「佐殿と膝を突き合わせて飲む機会なぞ滅多にない! 来い来い!」
頼朝も笑顔で労うと、調子に乗った広常が、“みんな武衛宣言”を始めて、頼朝だけが怪訝になっていく。
「それはどういうことかな?」
「いいんだよ俺のことを武衛って呼んでも。さあ武衛同士飲もうぜ!」
「武衛同士ってなんだ?」
戸惑いもありつつ、なんだか楽しそうな“飲みにケーション”が成立していますね。
こういう宴会ってなかなか大事です。
というのも料理なり酒に毒が入っていたらおしまい。生物は食料がないと生きていけない。命の一部を分け合う飲食には、信頼関係を育む効果があるんですね。
同じ釜の飯を食った仲と言うぐらいで、現代なら「そんな原始的なことはやってられない!」という指摘もありそうですが、妙なマウントや上司の武勇伝聞かされ地獄がなければ、食事自体は悪いものでもないでしょう。
そして教養格差です。
義村は、頼朝と自分達は「お育ちがちがう」と言い切りました。漢籍を読む機会の有無もある。義村と重忠は読む機会がそれなりにあった。
それでも京都には及ばないことが劣等感としてあるのかもしれない。けれども、上総広常たちはそのことすら把握できていない。
坂東武者を下にみる男を許せるか!
10月6日――頼朝勢は鎌倉に入ります。
石橋山で大敗してから一月半後のこと。
義村から「何を考えている?」と聞かれた義時は、こう返します。
「この様子、兄上に見せたかった……」
弟としての姿がなんとも気の毒ではある。更には、義村と比較しても甲冑の地味さはどういうことでしょう。
そのころ大庭の館では、山内首藤経俊が頼朝勢総勢三万だと慌てていました。
もはや勝ち目はないと経俊は言うものの、景親は、清盛に頼朝の首を取ると手紙を送ってしまったのです。
大庭景親は相模一の大物武士だった~それがなぜ一度は撃破した頼朝に敗北したのか
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景親はそう悪い人でもない。恩義は知っている。時政よりはそのあたりは真面目だと思います。
そして、経俊が勝ち目がないと焦る中、景親は梶原景時にこう呼びかけます。
「尻尾を巻いて逃げるなどできん、平三、出陣じゃ!」
「既に勝敗は決しておりまする」
「何?」
「某は大庭の家人ではござらぬ。ここまでのようでござるな。御免」
経俊とはちがい、景時は頼朝がふくれあがるという知らせを天命だと思い、聞いていたのでしょう。
景時はとてつもなく賢い。この知能がいなくなれば、景親はもう何もできないかもしれない。
兵器の性能が極端にない限り、勝負は、数と戦術で決まります。坂東の平家方は数でも、そして戦術でも勝ち目が消えつつあります。
そして景時にここまで余裕があるのは、畠山重忠を受け入れ、先頭に立てて相模入りした頼朝軍の動向も踏まえてのことでしょう。
あれを見れば、頼朝は降伏した者に対しても、場合によっては条件も良く、受け入れることがわかる。相模武士である景時にとって、先頭に立っていた畠山重忠は希望そのものだったのではないでしょうか。
もしも和田義盛が重忠を襲撃していたら、こうはならなかった。寛大さも時には武器となります。
一方、伊東家は?
伊東祐親は平家を待つと覚悟を決めています。
しかし息子の祐清は、八重と佐殿の仲を裂かなければ……と後悔の念を漂わせる。この、後世の人間がさんざん言ってきたことに、祐親は苦々しくこう返します。
「血筋の良さを鼻にかけ、坂東武者を下にみる。あんな男にどうして愛娘をくれてやることができようか!」
父の言葉に戸惑うばかりの祐清は、援軍を連れて戻って参ると出かけてしまいます。
と、祐親は江間次郎を呼び出し、こう告げる。
「頼朝に決して八重を渡してはならぬ。わかっておるな」
「かしこまりました」
そう答えるしかない江間次郎。
この場面は、祐親が無茶苦茶なようで、本質をついているとは思います。
岡崎美実も、上総広常も、三浦義村ですら、頼朝と自分たちは違うと感じてしまっている。義村のようにこの状況を面白がってやるほど達観できないと、モヤモヤが残るばかり。
祐親は、すごいことなんじゃないか?と思います。
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都会や文明の土地から来た男性と、現地女性の恋愛はともかく美化されてきました。
男が上、女が下という構造。それはロマンでもなく、搾取だったのでは?
そういう目線が出てきたからこそ、もう美化できない。典型例がディズニーでも取り上げられたポカホンタス伝説です。大河ですと『西郷どん』における西郷隆盛と愛加那がそうでした。
こう示すことで、今後、義時が京都と対峙するとすれば、伊東祐親の無念もそこに反映され、ただの狭量な悪役ではなくなります。
とても大事な人物になりそうです。
亀が来たので再会は一日延期
鎌倉の仮御所にて、義時は明日姉上(政子)が着くと頼朝に告げています。
「それなんだが明後日にしてもらえぬか。いささか疲れが出た。休みたい」
その日取りは庚寅でよろしくない、そう全成が告げるものの、暦に振り回されたくないと頼朝が強引に決めてしまいます。
一日延びたことを姉に伝えなければならない義時。
安達盛長が、頼朝をどこぞへと連れて行きます。
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亀でした。
「会いたかった、佐殿」
「はははははは!」
抱き合う男女。ったくもう、権三(亀の夫)の亡霊にでも祟られればいいのに!
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盛長も呆れつつ、遠くから見てしまった義時にこう言います。
「そういうことです」
唖然とするしかない義時。
事情を義村に聞くと、亀という漁師の娘で、上総から連れてきたと説明されます。
「はぁ……佐殿はどういうおつもりなのか! 姉上がありながら!」
「都生まれだから妾なんて当たり前なんだろう」
突き放したように言う義村。
昔は一夫多妻制が当然だとは言いますが、坂東武者はよほど身分でも高くなければ一夫一妻が当たり前。そんなボーナスにありつける男なんて、歴史においてもそう多くありません。
そしてこのことは、義時のさらなる苦悩を増やします。
「どうしてすぐに会えないのですか!」
政子にそう詰め寄られるのです。姉の出迎えを任された義時は、政子からのプレッシャーに対し、今日一日骨を休めて改めて……とゴニョゴニョ言っておりますが、その脳裏にはいちゃつく頼朝の影がチラついていてもおかしくはありません。
休むとかなんとか言っても納得しない姉に、今まで会えなかったのだから一日ぐらい……と返すしかない。
ここで義時が兄上(宗時)のことを言いかけると、政子はきっと帰ってくると言う。りくも無事だと言う。
しかし実衣は、兄が死んだことをわかっているのに、そういう言い方をするのは大嫌いだと言い切りどこかへ去ってゆきます。
「気分悪い!」と不満そうなりく(牧の方)。実衣も、義村と同じくで情緒ケアが苦手で猜疑心旺盛、かつ達観していて皮肉屋、さらには観察眼に優れていて、賢いタイプなのでしょう。
義時は、兄上の思い通りに進んでいると言うばかりです。
政子は目を輝かせ、鎌倉は住みよいところだと聞いていると話します。
「これからは、いいことしか起きない気がする……」
「そうなるよう、努めます」
このやりとりを覚えておきたいですね。
今後、政子の身にふりかかること。そんな苦難の生涯を振り返り、周囲を叱咤激励する政子の姿。
先の展開を意識しつつ覚えておくと、このセリフが重くなってきそうです。
それにこの先、ある意味宗時の思いの先に、大きな宿命があるわけですが、この時点で、ふっと気がつくと何かに飲まれそうな気がするドラマです。
芋も単なる芋ではない?
実衣が、森の中をずんずん歩いて行きます。
美しい風景ですね。
すると「腹が減ったなあ」という義経の声が聞こえてきます。
弁慶が叫ぶ。
「御曹司! 向こうの家でこれをもらいました!」
佳久創さんのこの弁慶、義経のことが好きで好きで好きでしょうがないという気がします。
言葉は悪いんですけど、散歩している犬を思い出す。主人を全面的に敬愛していて、絶対についていくと誇らしげな姿。人間を犬にたとえるのは確かにどうかと思うのだけれども、生き物が持つ原始的で透き通った敬愛があると言いましょうか。
こういう声音で主人を呼ぶ誰かがいたら、もうただただ、これはよいものだと感心するしかありません。
藤平太という若者は、源氏の人だとわかって喜んで持ってきたそうです。
鍋を開け、芋を箸でつまもうとする義経の一行。滑ってなかなか食べられないでいると、義経が芋をグサリと箸で刺して、食らいつきます。
「うまい!」
「おおー!」
空腹を満たせる喜びで盛り上がる一同。誰も行儀が悪いとは言いません。
やはりこのドラマは、飲食の場面に深い意義があるとみた。豆なんかポリポリしていたりする場面も多いですよね。
義経の食べ方も単なる飲食ではなく、彼の持つ機転そのものが凝縮されているのではないでしょうか。
鍋が戦場で、芋が敵だとすれば?
「おおー!」と褒める者だけではなく、思わぬ攻撃に討たれる敵もいる。
鎌倉は近いのかと尋ね、この丘の東だと、聞いた義経は興奮しています。そしてこの恩は必ず返すと名前を聞きます。
「腰越の藤平太」と名乗る若者。彼は再登場を果たすことでしょう。
荷車に芋をいっぱい積んで、必ず戻ってくるからな!
満面の笑みとなった義経は、さらに何かの臭いを嗅ぎ取る……潮の臭いでした。
「海が見たくなった! いくぞー!」
「御曹司ー!」
弁慶が呼ぶ中、義経は元気に走っていきました。
義経は、誰に対しても冷たいわけじゃありません。
自分から兎を取ろうとした野武士には冷酷極まりなかったけど、芋をくれた藤平太には必ず借りを返すと言い切る。ものをもらったら素直に受け取る。
上総広常の砂金を一旦断った義時とは違います。
そして、潮の臭いで好奇心を刺激されたら、そちらへ走って行ってしまう。
子どものような、動物のような、純粋な性格です。
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