鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第22回「義時の生きる道」

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鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第22回「義時の生きる道」
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「鎌倉殿に不満がある会」

いい加減、嫌気がさしたのか。義時は外に出て風に当たっていました。

そこへ重忠が現れ、義時に情報提供。

なんでも別に集まっている者たちがいて、彼らは鎌倉殿への不信が膨らみきっているようです。

「上総介殿の一件が繰り返されなければいいのですが……」

重忠が重苦しい表情を浮かべています。

確かに、御家人って危ういですよね。不満があるからって、すぐに謀反だの何だの、そんなに目立つ不穏な動きは控えればいいのに。

「鎌倉殿に不満がある会」には三浦義澄千葉常胤土肥実平岡崎義実……という上の世代が集まっていました。

上洛は金がかかるし、メリットもわからん!

そんな風に愚痴りあっていて、しかもそこには源範頼の姿も。「兄上は安寧な世を作りたいのだ」と皆の不満を和らげるようにフォローしています。

千葉常胤はむにゃむにゃと源義経のことを褒め始めた。もう酔ってほとんど寝ているから今日は終わりにしようと宣言されます。

「鎌倉殿を囲む会」と「鎌倉殿に不満がある会」は、明らかに年代差がありますね。

下の世代は上洛のメリットを理解していて頼朝の飲み会不在を愚痴っているけれども、上の世代はそうでもない。その辺、頼朝がきっちり説明すべきでしょう。

このドラマは時代考証がシッカリと練り込まれていますが、創作ですので表現上の強調はあります。

上の世代が、史実よりも教養が低く、荒っぽくされているのもその一例。

実際には、ここまで上洛が理解できていなかったとは言い切れません。ドラマはあくまでドラマです。

特に本作は【東と西】あるいは【武家と朝廷】という対立の構図が強調されます。

序盤における北条宗時の台詞や、オープニングで武士と天皇(朝廷)が対峙するようなイメージからも見て取れますね。

華夷変態――朝廷と武家の力が入れ替わる――そんなテーマが根底にあると思えます。

上世代の愚痴を一通り聞いた源範頼に、澄ました表情の比企能員が何やら話してかけいます。

範頼も比企一族の娘を妻にしていますので、姻戚関係ですね。範頼は兄と違って暇だから皆の話を聞くと優しさを見せます。

能員は、口にはしないけど、

「蒲殿が鎌倉殿であったらと……」

皆が思っていると囁きかけます。

「兄上あっての私、つまらぬことを申すな」

範頼に即座に否定すれ、能員も引っ込めますが、何か嫌な予感がしますめ。

範頼は慎重で温厚、なぜ死罪を命じられるのか理解できない人物とされます。

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しかし、本人の資質はどうあれ、担ぐことのできる神輿であれば危険……パワーゲームはまだまだ続いています。

 


烏帽子も被らず育児に奔走

赤ん坊を抱く阿野全成。隣には妻の実衣(阿波局)が居て、兄の義時がまだ引きずっていると話しています。

義時は育児に追われて大変。

当時としてはこっ恥ずかしい烏帽子も被らない姿で、子供たちの面倒を見ていました。

政子と大姫が、今にも義時を訪問しそうなほど心配していますが、全成は放っておくように言います。

きっと忙しさで悲しみを紛らわせているのだろう。向こうから相談してきたら応じるように……。

「珍しくいいことを言っている」と実衣がからかうように感心しています。この人も素直じゃないんだからなぁ。

政子は覗き見をしてはいけないと念押しします。

ここで北条時政が二人の青年を連れてきました。

曽我五郎と十郎の兄弟です。

八重の甥にあたり、どういう関係かややこしいので、実衣のように「遠い親戚」でまとめてよいかもしれません。

今は時政の家人だけど、いずれ鎌倉殿に目通りをして推挙すると時政。

烏帽子親としての責任を感じているようです。

このあと全成は難しいような気がすると実衣に告げています。

近頃の鎌倉殿は京都に縁があるものを重用している。新規で坂東武者を取り立てるとは思えないと考えているのです。

全成の見通しには頷けるところはあります。

瀬戸康史さんが演じる、若い世代の北条時連(北条時房)の顔を思い出してください。

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ああいう洗練されてきた人物と比較すると、曽我兄弟はいかにも粗削りに見える。

十郎の田邊和也さん、五郎の田中俊介さん。

どちらも精悍で、声もしっかりしていて、古いタイプの坂東武者感があります。これからが生きづらくなる性質に思えるのです。

 


お忍びでやってきた姉政子

義時は烏帽子も被らず子供の面倒を見ながら、八重の姿を思い出しています。

助っ人らしい仁田忠常がいて、こう声を掛けています。

「やればできる、できるよ、だいじょうぶ!」

するとそこへ誰かが「失礼いたします」とやってきました。

粗末な身なりの政子です。美味しいお餅を作らせたので、金剛に食べさせてに来たとか。おおっぴらにくると面倒なので、お忍びだそうです。

ここで忠常がやっぱり無理だと脱落してゆきました。金剛は餅をつまむなと叱られつつ、食べています。

政子はしみじみと金剛は義時に似ていると言います。

そうそう、頼朝には似ていませんね。義時は子供たちと接することで、自分の幼少期を思い出すようで、なんでも政子にはよく首を絞められていたとか。

「絞めてたわねえ」

政子、否定しないんかーい。

「あれはなぜ?」

「わからないのよ。顔を見るとなぜか絞めたくなるの」

そう語り、久々に弟の首を絞めにかかる姉。

二人は童心にかえったように餅を食べてしまいます。

義時は子供たちの引き取り先を探しているそうです。政子も賛成します。金剛を育てる役目があるからには、八重さんも反対しないだろうと。

「また来ます」

そう去ろうとする姉に、義時はこう語りかけます。

「その格好懐かしいですね。私はそっちの方が好きだな」

「実は私も。動きやすいんだもの。またね」

そう言う姉に対し、やっと笑い、頭を下げる義時。家族の絆はなんて素晴らしいのでしょう……と言いたいところですが、家族というよりはこの場合は姉と弟の絆ですね。

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こういうあたたかさは頼朝と弟たちにはない。

それに北条一家も全員がずっと仲良しでいるわけでもありません。

 

後白河の最期

頼朝との対面からしばらくして後白河法皇が倒れました。

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「ま。まもりぬいた わしは守り抜いたぞ」

「はい。守り抜きました」

「み、み、みかど……」

そう言われ、後鳥羽天皇がやってきます。

「守り抜かれよ」

「守り抜きまする」

「楽しまれよ」

そう言い残し、乱世をかき乱すだけ乱した日本一の大天狗、後白河法皇が死にました。

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枕元にいた帝は幼いながらも賢そうで只者ではありません。

実は後白河は守り抜いていない。そのことを後鳥羽が痛感することになります。

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建久3年(1192年)7月――後白河の死を待っていたかのように頼朝は自らを大将軍とするよう、朝廷に要求しました。

服喪の感覚はない様子。

数ある将軍号の中でも、朝廷が選んだのは――。

政子が頼朝を待っています。

「征夷大将軍、おめでとうございます!」

そう、征夷大将軍でした。

「大したことではない。御家人共を従わせる肩書きに過ぎん。征夷大将軍じゃ!」

「おめでとうございます」

「わしは日本の武士頂に立った、お前はその妻。政子、呼んでくれ」

「征夷大将軍!」

そう飛び跳ねてしまう政子。頼朝はお腹の子にさわると嗜めます。

「失礼いたしました。おめでとうございます。あっ、蹴りました」

「おう、蹴ったか。征夷大将軍の子が蹴ったか」

義時といるときとは違う政子の顔が見えます。

坂東武士・義時姉として粗末な服装でいる方が楽だけど、征夷大将軍の妻として、着飾っているときも幸せではあるのです。

かくして8月、政子は第4子を産みました。

千幡、のちの源実朝です。

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乳母には実衣(阿波局)と全成が選ばれました。

しかし全成は嬉しくない。占いでは吉と出たけれども、運が開けると出たけれども、筮竹を手にした全成はわかっています。

占いは半分しか当たらない。

いつも外れるなら真逆の行動を取ればいいけれど、半分だから厄介なのだと。

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今週は範頼に続き、全成にも死亡に至る道すじが引かれました。

占いが特技でさして危険でもないがゆえに、兄・頼朝の目は逃れたものの、夫婦で乳母になったことがこののち響いてきます。

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