鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第27回「鎌倉殿と十三人」

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訴訟に疲れ 妻と側室の諍いに疲れ

訴訟の山を見る源頼家

いざ仕事が目の前に積まれると、自身が宣言したとはいえ、あまりの無謀な分量に嫌気が差してきています。

裁いてこそ徳の高い政治とはいえ、確かにこれはつらい。

しかも、超ややこしい案件もある。

和田義盛梶原景時です。

本来、義盛のはずだった侍所別当を景時が掠め取ったと訴えてきました。

景時が、頼朝から命じられたと理路整然と返すと、一日別当だのなんだの言い出す義盛。

ヒートアップする義盛に、義時はそもそも「鎌倉殿」を連呼するなと言います。今は頼家が鎌倉殿なのだから、頼朝殿と分けよ、と。

もうワケがわからねえ!と義盛は暴れ出し、景時なんか他の御家人からちっとも信用されてねぇ!とまで言い出します。

もうダメです。はい、タイム。義時が休憩を取らせると、頼家に対して康信が「記録を参照するとよい」とヒントを出してくれます。

しかし、ウンザリしてしまった頼家は、何処かへ立ち去ってしまう。

そうそう。鎌倉幕府初期の訴訟って『笑点』の座布団方式のようでよくわからない。

トークスキルの高い方が有利なので、不満を溜めてしまう口下手な御家人もいたとか。突発出家なんてことにもなりかねず、過渡期ゆえの辛さがあったのです。

頼家が向かった先は、正妻・つつじ(辻殿)のいるところ。

つつじ(辻殿)
頼家の正室で公暁の母・辻殿ってどんな女性だった? 祖父はあの源為朝なの?

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しかし、すでに母である政子がいて、御台所の心得を説いていました。

御台所が尊敬されるのは、あくまで自分の力ではなく、鎌倉殿あってのこと。勘違いしないように。そう言い聞かせる政子です。

そこへ頼家がやってきて、くだらぬことが多すぎて疲れていると愚痴をこぼします。

とはいえ訴訟沙汰は、当人たちにとっては一大事。

政子が「大事なことだ」とたしなめていると、今度は、はしゃいだ様子のせつがやってきて「一幡が自分の足で歩いた♪」とかなんとか言い出します。

自分で歩くと怪我をするから目を離さないように、と政子がフォローすると、せつは当てつけのように語り始めます。

子供を産んで、手間ひまかかると愛おしさが増す!

子供は日に日に顔が変わる!

まるで自分がすべて面倒を見ているようで、実際は、誰かに子供を任せているからこそ、ここへも来れるワケで。

頼家の男児を産んでいる――そんなエゲつないマウンティングをかますと、つつじも負けじと、自分に頼家との子ができたら源氏の血を引く鼻筋の通った子だろうと言い返します。

しかし

「産んでからおっしゃい!」

と勝ち誇るせつ。

頼家は嫌気がさしたように立ち上がり、どこかへ消えてしまいます。

どうやら頼家は、せつには籠絡されていない模様です。

彼女に夢中だったなら、比企ばかりを贔屓していたかもしれない。

若いころは美貌に参ってしまったけれど、冷静になってみれば損得勘定をしているかわいげのない女だ――なんて調子で嫌気がさしてしまったのかもしれませんね。

かといって、つつじはどうか?

義母の言うことを聞く優等生で、これまた子を欲しがる始末。

こんな調子じゃ恋も楽しめず、いずれ、日が沈んだらいそいそと、愛する女の元へ通い始めるかもしれませんね。

そこで膝枕をしてもらうなり、酒の酌をしてもらうなりして、リフレッシュする。

しかし、現実は夜になってから蹴鞠……圧倒的孤独を感じます。

 


文官たちが事前に処理する合議制

そんな頼家と比べ、圧倒的に幸せなのが義時。

帰宅すると、頼家の経験のなさをどう補うのか考えている。なんとかしたい、手を貸すべきかどうか。

比奈が幼い頃から頼家を観察してきたと言います。

比奈(姫の前)
義時がベタ惚れだった姫の前(比奈)北条と比企の争いにより引き裂かれた二人

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困った時ほど助けてくれと言えない性格。木登りをして降りられなくなっても助けてくれとは言わなかった。でも、本当は助けて欲しいのだ。

すると隣にいた頼時が、何をしても頼朝と比較されるから辛いのだろう、と付け加えます。

他でもない、頼家の父である頼朝は、生前、この頼時と頼家を比較していたものです。

と、比奈がその気持ちを理解。彼女も八重と比べられて辛かった。

八重姫
『鎌倉殿の13人』で頼朝と義時の妻だった八重~謎多き存在ゆえ物語では注目される

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ともあれ新たな鎌倉殿を助けねばなりません。

そこで義時は、景時に自分の案を提示します。

訴訟は事前に文官が評議し、とるべき道を探ってから鎌倉殿にあげる。こうして負担を軽減しながら、頼家の判断、仕事を尊重する。

と、景時は、文官だけではなく自身も含めて「“5”人衆であれば」と提案します。

文官たちに相談すると、彼らも年季が必要だと納得しています。

すると、効率を重視したのでしょう。大江広元が「文官だけで決めて結果だけ伝えればよろしいのでは?」と提案すると、「鎌倉殿のやる気を削いではいけない」と義時が却下します。

完全に子供扱い……で、そのことを聞いた頼家もムッとしています。自分に「政治に関わるなということか!」と怒りを露わにすると、そういうことではないと景時が返します。

訴訟は政治の要。あくまで最後の判断は鎌倉殿が行う。

それが一番いいと言われ、ようやく頼家も納得しています。

比企能員もこれにはホクホク顔。

比企能員
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梶原景時が入っていることは気に入らないから、自分も入れて“6”人衆にしろと言い出します。

となると、北条時政も自分を入れろと言いだして“7”人衆となり、今度は比企が、出家した姻戚の安達盛長を無理矢理ひきずり込む。

餅でも食ってればいいってよ、はい、“8”人衆。

 


義村と重忠が断り義盛が入る

こうなると、もう、両者は止まりません。

時政は、三浦義澄三浦義村父子にも話を持っていきました。

義澄はやる気なさそうですが、幼馴染の時政に頼み込まれて断れない。

数合わせと見抜いている義村は、自分が入ると角が立つからとして断っています。代わりに挙げたのが「あの男」――和田義盛でした。なんでだよ!

和田義盛は坂東武者のカリスマだ!なのになぜ滅亡へ追い込まれてしまったのか?

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難しいことはできねえと戸惑う義盛に、「皆わかっている」とのこと。

りくはここでこうきました。

「和田殿の勢いが欲しいの♪」

ええっ! 嫌な予感しかしない……。

それでも引き受けて“10”人衆となり、さらに畠山重忠の名が挙がると、義盛がやめておけと言います。重忠が祖父の三浦義明を攻め殺して以来、反発心がある義盛です。

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さぁ重忠はどうだ?

「お断りいたします」

あっさり断ってきたぞ!

なんでも武蔵の者同士として事前に比企から釘を刺されていたとか。

時政は娘婿に断られてオロオロし、りくは重忠が他のことで北条に協力すると言っても「結構だわ!」と冷たい態度を取っています。

りくって、自分が軽んじられたとなると怒りと恨みを募らせる性格のようですね。

さぁ、時政よ、どうする?

佐々木の爺さん(佐々木秀義)の名前も挙げますが、既に世を去っているし、千葉常胤ももうすぐ世を去る。

義村が「もう爺さんは止めとけ!」と言い切りました。それはそうだけど、義村って敬老精神ってもんを取り繕うことすらしませんよね。

そんなわけで、千葉常胤が十三人に選ばれなかった理由が高齢という、アッサリと斬新な展開です。

そして義村のめんどくさい知性が今週も発揮されていますね。

数合わせと見抜いたら、能力的には使えないけど駒として動かしやすい義盛をぬけぬけと推薦する。面倒くさそうなので自分ではなく、三浦一族の義盛に投げた。

重忠の場合は、権力を求めない清廉潔白さゆえに断るけれど、義村はひたすらめんどくさいだけのような気がします。

一歩離れたところでギャーギャー騒ぎ回る連中を見ている方が、快適だし、楽ですからね。

義時は疲れ果て、父が何を考えているのかと重忠にこぼしています。

メンタルケアなら重忠で正解でしょう。義村に何か言ったところで、ズバっと核心突かれて終わり。

重忠は静かに、しかし、ハッキリと懸念を伝えます。

先の鎌倉殿という大きな柱が倒れ、崩壊寸前だ……。

義時は、頼家がなんとかすると返すものの、重忠はこう言います。

「あの方にそれができると本当に思っておられますか?」

 

野生のままの武士・八田知家

比企能員が八田知家を籠絡しようとしています。

知家はまるで獣のように相手に近づいていく。

「話は聞いた」

そのうえで、誰かの頼みを聞けば誰かを敵に回すことだと言い切り、その分の見返りを求めてきます。

能員はすぐさま砂金でも入った袋を渡します。

袋の臭いを確かめる知家。そうして受け取りつつ、俺が比企に付き合うと思うなと釘を刺します。

仲間にはならない、俺は俺だ。そう言い切る知家。

彼がまた去っていく中、能員は笑い出してから毒づきます。

「はははははっ……くそっ!」

それにしても、八田知家とは一体何者なのか。

彼の出番はあまり多くないものの、出てくるだけで何か別の雰囲気が出てきて見ているだけで気が引き締まりますね。

鎌倉時代の書籍を読んでいると、武士の姿が脳裏にパーッと浮かぶことがあります。

日々の風景の中に田んぼがあるのが当然だと思って私たちは生きていますが、そもそもは誰かが開拓したからこその景色です。

そうではない原野で馬に跨り、野生のままに生きる。

実は当時から「坂東武者ってどういうもの?」と当人たちも悩んでいたらしく、和田義盛ですら先輩格の武士に教えを聞きに行っているんですね。

そういう洗練される前の武士、その風格を知家からは感じます。

八田知家
頼朝上洛の日に大遅刻した八田知家~鎌倉では一体どんな功績があったのか?

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登場したばかりの上総広常にもそんな雰囲気はあったのだけれども、彼は“武衛”こと頼朝に籠絡されて、野生味が抜けてしまった。

知家はそれがまだ濃く残っているからこそ、「俺は俺」と一匹狼として生きているように思えます。

生き方そのものがかっこいい。

草原を走り抜ける獣のようで、何かが違うと思える。

市原隼人さんは、そういう風の香りが漂ってくるような八田知家を鮮やかに出してきて素晴らしい。

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