鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第27回「鎌倉殿と十三人」

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鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第27回「鎌倉殿と十三人」
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権力で動く者いれば己の知性に従う者もいる

比企能員北条時政が権力ゲームを続けた結果、会議のメンバーは膨張します。

そのリストを見ている景時が義時。

知らぬ間に“12“人衆に……。

北条が数で勝るようでいて、実のところ比企は文官も取り込んでいる。

比企はシンプルな手を使いますので、文官には美女にお酌をさせた宴会三昧をしているようです。大江広元は全く嬉しそうではありませんが。

広元が上機嫌で酒を飲んでいた宴会は、上洛を果たした時のこと。

なぜ上機嫌だったか?

というと己の策が当たったからでした。関東の暴れ馬のような武士を手懐け、自分を見下してきた京都の連中の鼻をあかせた。

本作は、大きく分けて2つのタイプの人間が描かれます。

・己の愛情や権力欲で動く

・己の知性や策が当たることに喜びを見出す

大江広元は、己の策を愛しているタイプであり、酌をしてくれる美女に萌えたりしません。

自分の贈った和歌を読み解いた上でときめく、そんな聡明な女性なら違うかもしれない。人の欲求は、理性がある程度支配するものですので。

大江広元
大江広元がいなければ鎌倉幕府は運営できなかった?朝廷から下向した貴族の才覚

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景時に話を戻しますと、どういうことか?と怒っている。つまらぬ内輪揉めをしている場合か?と。

これ以上増やさないとはいうものの、もう手遅れでしょう。

数だけでなく、どう考えても不向きな和田義盛もいるわけで……。

そしてここで土肥実平が、義時に訴えかけてきました。

「誰もわしに声を掛けてはくれん!」

嗚呼、なんて素直なのでしょう。

義時は関わらない方が無難だと言いますが、できれば誘われてから断りたかったと言う実平。

土肥殿はいつだって仲裁役だと義時も返します。

にしても、なぜ実平は、合議制メンバーに誘われたかったのか?

本音を言えば、死ぬまでにもう一度鎌倉殿に奉公したいとのことで、そんな善意の相手を振り切って進むしかない義時が辛い。

残酷ながら、実平もすでに“爺さん枠”とも考えられるわけで、やる気だけではどうにもならないかもしれません。

土肥実平
初戦で敗北の頼朝を助けた土肥実平~西国守護を任される程に信頼され

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そして合議制メンバーは十三人へ

政子もリストを見ます。

そして足立遠元もいると告げられ、どこか誇らしげな遠元。

武蔵ならば畠山重忠が載りそうなのに、あえて自分が載っていることが嬉しいようです。

政子が一徹なところがよかったのではないかというと、誇らしげにこう言います。

「一徹。よく、言われます」

ほんとにぃ?

安達盛長とセットにして、比企を多くしたいから選ばれたのでは?

安達盛長
疑り深い頼朝に信用された忠臣・安達盛長~鎌倉幕府でどんな役割を担っていた?

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でも、こういうところがうまいと思います。

武蔵はこの後修羅場になるのですが、足立遠元は切り抜けているんですよね。

そういう不思議なタフさをこうして表現しているのかもしれませんし、演じる大野泰広さんがこれまた味があるんですよね。

遠元ってキャラ立てして動かすのは難易度が高いと思うけれども、埋没していないからすごい。

政子は頼家がこれでよいと申すならこれでよいと許可を出しつつ、一点要望を加えます。

「もう一人、加えて欲しい人がいるの」

「私はやめましょう」

姉の意図を即座に察知する義時ですが、12人も13人も一緒だと政子は押し切ります。

頼家はまだまだ若い。嫌なことがあると逃げ出す。叔父として側にいて欲しいと押してくるのです。

「“13”人目はあなたです」

逃げ出せないように外堀を埋められ、引き受けるしかない義時。

こんな役目からスルッと逃げた義村。

キッパリ断った重忠にはなれない。

しかし、こんな後ろ向きな大河主人公ってありですか? いいですね、ありです!

頼家が蹴鞠をしているところへ、義時が近づいてきます。

「遅くまで精が出ますね」

そういう義時に、頼家は何やら騒がしいようだと返します。

そして鎌倉中に手足になるものがいると豪語。彼なりに騒ぎを察知しているのです。

景時から5人と言われていたけれど、最終的には何人か?

義時は気まずそうに返します。

「10人ちょっと……13人」

頼家は苛立ち、自分はそんなに頼りないのか?と嘆いています。

義時が否定しても、精一杯やっているのに気に入らんのかと苦々しい表情。なんとかラクにしたいという義時の訴えも通じません。

尼御台(政子)の考えだと言っても、聞く耳を持ちそうにない。

義時が粘り強く新しい鎌倉を築いていこうと語りかけ、13人まで増えたけど、少数に力が集中するよりはよいかもしれないとフォローします。頼朝もそこを心配していたと。

頼家は、景時から聞いていた話と違うと察知。

つまりは、どちらかが嘘をついている。

もう誰も信じられなくなりそうで、実際、情で丸め込んだつもりでもほだされぬと突っぱねる頼家です。

そしていよいよ13人お披露目の場となりました。

文官にはじまり、北条時政や比企能員、梶原景時など、一人一人が高らかに紹介され、無事に終わるかと思いきや頼家は突然こうだ。

はなから御家人なぞ信じていない。

それも父と同じだと言い切り、紹介しておきたい者がいると宣言します。

・小笠原弥太郎長経
・比企三郎能本
・比企弥史郎時員
・中野五郎能成
・江間太郎頼時
・北条五郎時連

若手の御家人たち6名であり、頼家は彼らこそが手足となってくれる者たちで、信じられると言います。そして己の政をこの者たちと行い、新しい世にすると宣言します。

せっかく集まった13人なのに、こうなってしまったと。

ちなみにこれは不思議な面子とされます。

吾妻鏡』では“5”人とされるのに、名前は“4”人しか載っていない。このリストで言うと、上から4番目までで、5人目が不明なのです。

本当に5人か? 5人目は誰か? 実はもう一人いたかも……でも『吾妻鏡』は意図的に減らした。

そんな時代考証をふまえた想像力で上記の6人になっていると。

ともかく劇中の時政は、それでも息子の時連と孫の頼時がいるから、ホッとしています。

って、そういう問題でしょうか。

義時と頼時父子は、“北条”ではなく“江間”として扱われます。

梶原景時は苦虫を噛み潰したように、頼朝がいなくなるのが早すぎたと呟く。

大江広元は仕事に戻ると宣言するのでした。

 


MVP:源頼家

源頼家は暗君なのか?

『吾妻鏡』では暗愚さが強調され過ぎとも指摘されます。

かといって何も問題がない人物とも言えない。

そこをうまく落とし込んできた秀逸な造形ではないでしょうか。

やる気をことのほか評価するところは真面目なようで、世の中そういうものでもありません。

彼にはビジョンがない。

それこそ『貞観政要』でも熟読していれば違ったかもしれない。

ならば、いっそのこと面倒くさいことは徹底して距離を置き、塩対応をとるくらいのほうがうまくいくのではないか?

中途半端にやる気を出す頼家を見ているとそう思えてきます。

彼は非効率的で、わざと相手の神経を逆撫でするようなこともしてしまう。ピュアなところが全部跳ね返るようになっていて、肝心の中身がない。

『麒麟がくる』の光秀と比較してみましょう。

光秀は「こんなことでは麒麟はこない!」と初回からずっと絶望を繰り返していました。

彼の中にある「麒麟とは?」という発想は、儒教の教えがあればこそ。

朱子学を熱心に学び、どういう世の中がよいのか、光秀にはビジョンがありました。

頼家にはない。

彼はただただピュアなだけ。

そのピュアなところは、母親譲りにも思えてきます。

政子は正面切ってぶつかっていくところもありすごくピュア。

頼家は父にも、母にも似ていて、日に日に顔が変わるのは子供だけではないと思えてしまう。

問題は、どういう部分が似るか?ということでしょう。

ずーっと政子みたいなピュアなだけだと、自分も周囲も疲れてしまう。

そんなときに、頼朝のずっこけた軽快さがあればな……と思ったり、いやいや、政子の謙虚さや柔軟性もあればよかったのか、などと考えてしまいます。

金子大地さんが全力で挑んでいるからこそでしょう。

いつ見てもギリギリで、張り詰めている感じがある。

オンとオフが切り替えられていない痛々しさが、演じる段階であるんだと思えてしまって、そういう挑戦の場を提供する大河ドラマって、やはり貴重なコンテンツですよね。

そして今週の残酷さ。

頼家の鏡像のようなもう一人のMVPは、後鳥羽院ですね。

彼は圧倒的に賢い。

しかも、誰も彼を縛らない。

解き放たれた帝王の中の帝王が、これから立ち塞がってくる――そう示した秀逸な伏線です。

人間の才知、器量、教養、そして持つ権威。

それを見れば後鳥羽院が負けるわけがない。

どう倒すのか?

蹴鞠の才能を見せてしまう時連と、おっとりよい子の頼時が、馬を並べてその帝王に立ち向かうなんて、ものすごいことではありませんか?

 

総評

綺麗な若者と、汚い大人――。

選挙で一週を休んでの放送はそんな対比が無惨なほどでした。

タイトルを考えつく限り最悪の形で回収したと思います。

この十三人の合議制は、もっとソフトに綺麗にまとめられたのでは?と思うのに、敢えて汚い打算全開にしてきました。

ラストを締めるのが大江広元の「仕事に戻ろう」宣言というのも厳しい。

広元からすれば「勝手に排除してろ」と突き放してもよい。

知識、経験、ありとあらゆる面で勝っていることを、彼は理解しています。

己抜きで政治を回してみろ、できんだろ?

そういう達観があればこそ、ああも冷静にできる。

高潔そうな畠山重忠だって、泥に塗れたくないという打算はあるのでしょう。

権力を突っぱねる彼らしいところはあるけれども、そこは高潔で素晴らしいけれども、頼家からすれば泥に塗れてでも一緒にいてくれるわけではないのです。

義時だって、その助けたい気持ちなんて頼家にはわからない。

妥協を重ねている義時は圧倒的に汚い。くすんでいる。

かつて義時がどんなにピュアであったかなんて、そんなもん、頼家からすれば生まれる前の昔話です。

景時だって汚い。こいつは嘘つきだ! そういう冷たい感情が芽生えました。

他の連中はもう話にもならない。三浦義村はそもそもが、何か違う。

そんな汚い連中に傷付けられた若者の猛き心を癒すのは、女の柔肌であると言われるところではあります。

でも、頼家はそうじゃない。

せつは、比企の一員として、自分との関係をマウンティング材料にしてくるし!

つつじは、源氏であることを掲げ、早く子が欲しいと要求してくるし!

頼家はどこにも救いがない。

彼は荒淫だのなんだの言われます。女に手をつけると言われます。

でもそれは孤独を癒すためだったのかと思うと悲しくてたまらないものがある。

なんという孤独か。

そして、私たちはわかっているはずだ。

頼家が嫌う大人の汚さとは、彼らが苦労を重ねるうちに身につけたものなのだと。そこを理解することが大人になるということかもしれない。

ここから先は昨年の大河を厳しく指摘させていただきます。

ファンの方は飛ばしてください。

あの2021年大河の最終回は「青春はつづく」というタイトルで、呆れました。

青春は終わります。

本人が終わってないと言い張ったところで、苦い処世術と若い頃にはない叡智や分別を身に付けたならば、終わっているのです。

青春時代の渋沢栄一なんて、幕末によくいた攘夷思想を掲げるテロリストに過ぎません。

なんとか生き延びてお縄にもならず、西洋の知識を身につけて立ち直ったわけです。

その西洋=夷狄の知識を身につけた時点で青春は終わっていた。

そこを認識せず、青春はよいものだと無邪気に讃える姿勢には失望したものです。

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それに徳川慶喜という最後の征夷大将軍ともあろうものが、そんなテロリスト出身の渋沢栄一にばかり頼っているという描写も問題ですよ。

幕臣時代の渋沢栄一なんてさしたる活躍もしておりません。

ただ逮捕から逃げたい打算で、本音は討幕派のくせに出仕していただけに過ぎない。

今回、少数のものに権限が集中することは悪いと義時が言いました。幕末とて同じこと。

なんでもできるスーパーマンがいて、無双して解決する――そういう幼稚な世界観はWeb広告に出てくる転生もの漫画で間に合ってます。

大河でやることじゃありません。

そういう軌道を今年は修正してくれてありがたい。当然といえばそうなんですが。

※著者の関連noteはこちらから!(→link

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文:武者震之助(note
絵:小久ヒロ

【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト

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