麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第44回(最終回)感想あらすじ視聴率「本能寺の変」

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麒麟がくる第44回感想あらすじ
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覚悟には果てがない

光秀は藤孝に、毛利攻めのことを確認します。

信長様直々に出陣する。本能寺で支度をする。出陣は来月。丹波の軍勢は下知があり次第、西国へ向かう。

そう確認すると、藤孝は丹後にとどまり、忠興を大将として向かわせると答えます。

ここで藤孝はあることを確認してきます。

毛利攻めに伴い、備後・鞆の浦におられる公方様と幕府の残党一掃したいとのこと。上様からお下知はあったか?というのです。

「お下知はあったが、私はお断り申した。まず毛利を倒せばよい。公方様の扱いはそのあと考えればよい」

「それで上様はご納得いただけましたか?」

「再び説得いたし、ご納得いただく」

藤孝はそれでご納得いただけるのかと疑念を呈しています。

確かに前久が言う通り、隙間風は周知のこととなっている。そしてその原因は、信長の気性由来であると。

光秀は逆に尋ねます。

以前、藤孝殿は上様の行き過ぎたことを止める折には、声を揃えてあげる覚悟であるとおっしゃっていた。今でもそのお覚悟はおありか?

「覚悟とは……どれほどの覚悟でござりましょうか?」

「覚悟には果てがありませぬ」

光秀はそう返します。はかれない。心の動きはもうはかれない。無限大です。

藤孝は帰り道で、松井康之にこう告げます。

「急ぎ備中の羽柴殿に使いを出せ。何も起こらぬことを願うが、起こるかもしれぬと伝えよ」

「はっ!」

やはりこの藤孝は賢い。それにいざとなれば友情を切り捨てる。そういう冷たいまでの合理性を見せて来ました。

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信長を救いたい でもどうやって?

光秀の心に、帝の言葉が去来します。

「力ある者はあの月へ駆けあがろうとするのじゃ。数多の武士たちがその月に登ろうとするの見て参った。そしてみな、この下界へ帰って来るものはなかった。信長はどうか? 信長が道をまちがえぬよう、しかと見届けよ」

桂男こと呉剛のように、冷たい月の中に信長を閉じ込めておけるか? 光秀はそう悩んでいるように見えます。

冷たい孤独な世界の中で生きているよりも、いっそ、地面に落としてしまう方が救いになるのかもしれない。そう迷っているようです。

将軍を殺す――そのリスクは松永久秀が体現していると言えるでしょう。

彼自身は、実はそこまで足利義輝の殺害に関与していないものの、結果的に彼の悪事として伝えられてきました。

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もしも信長と光秀が義昭を殺したら、消えぬ血のあとが残ることでしょう。

生かさず殺さずでよいはずなのに、このままではどうなることか?

光秀は義昭のみならず、信長を救いたいようにも思えるのです。それができるのは、彼とある意味一心同体になってしまった自分だけであると。

たまは薬研で薬を作りつつ、歌っています。

思い出すとは忘るるか 思いださずや忘れねば

父の気配を察した娘に、光秀は語りかけます。

「やめずともよい。よい歌だな」

戦から帰ると、忠興はいつも言うのだそうです。

わしがいない間はわしのことなど忘れているのであろう。

いえいえ、いつも思い出しておりまする。

そう答えると、わざとこの歌を歌う。

「思い出す」と言うのは「忘れている時があるから」だ。忘れていなければ、思い出すとは言わないものだと。

光秀は、忠興はおもしろい旦那殿だ、よいお方だとしみじみと語ります。そして、そういうお方が戦に出ずともよい世にせねばならぬと言います。

忠興はたまに、きっとそなたの父君がそういう世を作ってくださると、いつも言ってくるのだそうです。

嫁に行く前は、父が戦でお亡くなりになったらあとを追いたかった。今は忠興様とともに生きたい。命が二つあればよいのに。そう笑顔で語るのです。

「命は一つでよい。そなたは忠興殿と長く生きよ。そのためにわしは戦うている」

「父上も……長う生きてくださりませ」

こうした言葉に、本作の真意はあると思います。

願ったところで命は二つにならない。そうであれば、どうやって生きた証を残せばよいのでしょう。

 


帝はただただ見守るのみ

雨の中、前久が帝に謁見を果たしています。

どうやら織田と明智の争いを報告しているようです。そのうえで、もしも両者が対立したらどちらを選ぶのか。そのことを尋ねに来た様子です。

帝の脳裏にも光秀の姿は浮かびます。

そして帝はこう言います。

「花を看(み)、川を渡り、己の行くべきところへ行く者を、ただただ見守るだけぞ、見守るだけぞ」

高啓『胡隠君を尋ぬ』を踏まえてそう言います。

この漢詩の「胡隠君(胡という隠者)」は誰なのかはっきりしません。光秀という万葉を愛する鳥がどこかへ行く。それを見守るだけだと言っています。

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これで本能寺の変・朝廷黒幕説は否定されました。

同時に、光秀が何か隠された本質へ向かっていくとも示されています。

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天正10年5月末――。光秀は本拠地の丹波・愛宕山に入ります。

そこで彼は信長との会話を思い出す。

「殿は多くの間違いを犯しておられます。帝のご譲位のこと。家臣たちの扱い……初めてお会いしたころ、殿は浜辺でとった魚を安く売り、多くの民を喜ばせていた。名もなき若者たちを集めて家臣とされ、大事に育てておられた。心の優しい方と思うていた。しかし殿は変わられた! 戦のたびに、変わってゆかれた!」

そう訴える光秀。

そこに帰蝶の声が重なります。

「毒を盛る。信長様に。今の信長様を作ったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が一人歩きを始められ思わぬ仕儀となった。万(よろず)作ったものがその始末を為す他あるまい、ちがうか?」

もしも……帰蝶が違うことを言っていたら?

彼女は後悔したかもしれませんが、それもひとつの欠片に過ぎません。

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信長はこう返します。

「わしを変えたのは戦か? ちがう。そなただ。大きな世を作れとわしの背中を押したのは誰じゃ? そなたであろう! そなたがわしを変えたのじゃ。今更わしはひかぬ。そなたが将軍を討たぬというならわしがやる! わしが一人で大きな国を作る! 世を平かにし、帝さえもひれ伏す、万乗(ばんじょう)の主となる!」

感情をむき出しにするように、信長がそう答えるとき、光秀にはあの夢の樹が見えます。

万乗の主とは、多数の兵車を出す君主のこと。その座は月にあるのかもしれない。そんなものに君臨したら、信長はもう、道を誤って地に戻れなくなってしまう。

光秀は決意を固めた顔になります。

なお、この作品では【愛宕百韻】が出て来ません。

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連歌を知らないわけではないことは、既に示されております。

 

信長が本能寺に到着するころ亀山城では

京の5月29日、安土城からわずかな供を連れ、信長は宿所の本能寺に入りました。カメラワークが俯瞰していて、よい絵が撮れています。

丹波・亀山城では、光秀が腹心たちを前にしています。

斎藤利三が愛宕山で過ごしたことに触れ、愛宕権現は戦のめでたいお告げをしたのかと尋ねると、藤田伝吾は毛利を一気に討ち破り、殿の武名がさらに響くということではないかと続けます。

不思議だとは思いませんか?

愛宕権現ならば、毛利だって祈っているかもしれない。そうなったら愛宕権現はどちらにつくのか? 神のお告げとは何なのか。

光秀はこう返します。

「昨日まではそうであったが、お告げが変わった。我らは備中へは行かぬ。京へ向かう」

家臣たちは京のいずこへ参るのかと気にしております。

「本能寺。我が敵は本能寺になる。その名は織田信長と申す。信長様を討ち、心あるものと手を携えて世を平かにしていく。それが我が役目と思い至った」

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光秀はここで刀を抜き静かに置きます。

そしてこう言うのです。

「誰でもよい。わしが間違うておると思うなら、この太刀でわしの首を刎ねよ。今すぐ刎ねよ」

「殿、皆思うところは同じでござりまするぞ」

「同意でござります」

そう家臣たちは同意するのです。

不思議なときが訪れてしまった。誰も止めない。止めようとすらしない。何が起きたのか?

光秀が透き通り、何か別の生き物になっていくような気配すらある。

 


菊丸には家康の堺脱出を勧め

京の本能寺では、島井宗室を相手に信長が碁を楽しんでいます。

すっかりと打ち解け、笑顔もこぼれる。どうしてこんな無邪気そうに見える信長が、あんなにも残酷になれるのか。やはり理解が難しい人物ではあります。

光秀が何かを書いていると、人の気配がします。

「左馬助か?」

そこにいたのは菊丸。出陣の騒ぎに紛れて侵入したことを詫びます。

光秀が、家康殿の使いか?と尋ねると、今は堺にいて以後十兵衛様をお守りするよう命じられてきたというのです。

家康も不安になるような饗応役解任だったんですね。

菊丸も、光秀が向かうところが何処か、おおよそ察知しています。

「わしはこの戦は所詮、己一人の戦だと思うておる。ただこの戦に勝ったあと、なんとしても家康殿のお力添えをいただき、ともに天下を抑えたい。二百年も、三百年も、穏やかな世が続く政(まつりごと)を行うてみたいのだ。もしわしがこの戦に敗れても、あとを頼みたいと、そうお伝えしてくれ。今堺におられるのは危ういかもしれぬ。三河に戻るがよい。菊丸もここから去れ。新しき世になった折、また会おうぞ。これはわしからの一生に一度の願いじゃ、必ず届けよ」

「はっ!」

そう言い、菊丸は去ってゆきます。

この台詞を根拠にあの人物説に与することができるかというと、私はそうは思いません。

結果を知っている現代人からすればそう思えますが、光秀の立場からすれば儚い夢、願望のように思えます。天から降ってきた願いを伝える。そんな儚さがある。

6月1日夜、明智光秀の軍勢は亀山城を出発します。煕子の声が響きます。

「私は麒麟を呼ぶものが、十兵衛様、あなたであったなら……ずっとそう思っておりました」

そのころ、信長は機嫌よさそうにしているのでした。

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