麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第44回(最終回)感想あらすじ視聴率「本能寺の変」

麒麟がくる第44回感想あらすじ~視聴率は2/8に発表予定です

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麒麟がくる感想あらすじレビュー

※文中の記事リンクは文末にもございます

それは安土城での戦勝祝いでのこと。

織田信長は、饗応役であった明智光秀を手ひどく打ち据えました。

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そしてそのまま饗応役を解かれ、別室にて一人考え込む光秀の前に……明るい笑顔の信長が顔を出しました。

 

光秀の饗応役を解いた信長の真意とは

「あれこれ言うたが気にするな。家康があの場でどう出るか、様子を見ておきたかったのじゃ」

光秀は驚愕の表情を浮かべるばかり。

いったい信長の真意とは?

なんでも、招かれた側の家康が、饗応役に光秀を指名したことが「礼を失している」と信長は感じたとのことです。

それならば家康にそう伝えればよいものを、なぜこんな試すようなことをするのか。信長はいつも人の心を壊すようなことをしてしまいます。

そのことをさして反省するわけでもなく、信長は秀吉から来た文のことを言います。

四国・長宗我部元親のことでした。

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長宗我部勢が背後にいると攻めにくい。毛利討伐に乗り気でなく、秀吉の求めにも応じず、背後を突かれるかもしれない――。

織田政権の失敗が見えてきます。

光秀が言うように、何らかの名目を立てるなり、寛大さを示していれば変わっていたかもしれないのに。

たまらず光秀は反論します。

それは秀吉の言いがかりに過ぎない。長宗我部とは身内同様うまくやっていて、信長を敬っているのだと返します。

光秀が四国対応で骨を折っていたのは確かなこと。

同時に、秀吉ほ思考ルーティーンと破滅への道のりが見えてきます。

どうして人は戦争するのか?

このことはずっと議論の種になってきました。

秀吉の場合、その思考は【戦争で金を儲ける】ところに目的が設定されている。

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信長ですらそうではない。貿易で儲ける思考回路があります。

こういう思考であるのであれば、朝鮮、そして明まで目指すことでしょう。

秀吉の朝鮮出兵は、当時のスペイン・ポルトガルの影響だという説もあり、最近ではAmazonプライムビデオの『MAGI』が採用しておりました。

本作では、秀吉の根本的な思考回路に設定しているようです。

 

鞆にいる将軍を殺せ

秀吉と違い、厭戦傾向のある光秀。

それに対して信長はこう言い切ります。

「わしは決めたのだ。三男・信孝を讃岐に向かわせる」

「殿、左様な大事な話を、私に一度も話さず!」

「そなたは丹波にいたゆえ、言うのが遅れた」

信長はそんな風に言い返しますが、秀吉とはきちんとコミュニケーションを取っています。

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そして信長はこのあと、備中高松城を攻めている秀吉の援軍ではなく、別の大事な目的を示すのです。

「そなたは備後の鞆の浦へ向かえ」

「鞆へ?」

「鞆にいる足利義昭を殺せ」

 

毛利が戦の大義名分としているのは、鞆の浦に足利将軍がいるからだ。

「将軍がいる限り、わしの戦は終わらぬ。そのことがようわかった。将軍を殺せ。それが此度のそなたの役目じゃ」

信長はそう言い切ります。信長は甘え、また光秀を試した。

光秀にも隙はあった。光秀が義昭と会ったこと。その目的を秀吉が信長に伝えていてもおかしくはない。

そして信長は、邪魔者は殺す。

潜在的な脅威となりうる松平広忠の首を取った。母の愛のためならば、弟・織田信勝でも殺した。

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光秀が本当に自分を愛しているのならば、きっと義昭を殺してくれるはずだ。

憎き首を光秀が持ってくる――その場面には甘美な陶酔感があったことでしょう。

 

前久と藤孝は

光秀は馬を走らせています。

その脳裏には義昭の言葉が浮かんでくる。

「信長がいる京には戻らぬ。ここで鯛を釣っていれば殺されることはないからな。そなた一人の京でもあれば考えもしよう」

屈託なく笑っていたあの顔です。

光秀の館では、左馬助が迎えに出ます。

藤田伝吾が出陣のために4千を集めていると報告。主力は丹波勢とのことです。

光秀は左馬助に尋ねます。

「わしが家康殿の饗応役を解かれたいきさつは聞いたか」

「あらましは」

「鞆におられる公方様を討てと命じられた。わしにはそれはできぬ……急ぎ細川藤孝殿にお会いしたい。いま、いずこにおられる?」

細川藤孝・細川忠興父子は京都に滞在中とのこと。公家衆と蹴鞠の会が開かれていました。

京では藤孝が蹴鞠をしています。

思えばこの藤孝は戦国随一の多才であり、そういう才智を演技で示してきた眞島秀和さんはご立派でした。

そこへ近衛前久がやって来て、藤孝に声をかけてきます。

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話題は、安土で家康殿の饗応役を解かれた光秀のことでした。

不調法があり、周りの者は信長殿と明智殿の間に隙間風が吹いていると噂になっているとか。

松永久秀や佐久間盛信のこともある。

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万が一、信長殿が明智を切り捨て、ことを構えるとなったら、そなたはどちらにつく?

「……そうならぬことを祈る他ありません」

そうかわす藤孝。本当にこの人は、圧倒的に賢い。しかもリアルな賢さがある。

賢い人物像の演出って、2010年代あたりから変わって来ております。

BBC版『SHERLOCK』を字幕と吹き替えでみるとわかるのですが……。

古いパターンは「さぁ、ゲームの始まりです」とニヤリとドヤ顔しながらペラペラ持論を展開する。

一方、新たなパターンはむすっとしていて黙っているか。棒読みでガーッと語るか。暗い顔をしてうつむくまで、頭の中でいろいろ回っていると表情でわかる。

眞島さんはそういう2020年代の賢い人物をこなしてきた。素晴らしいことです!

 

明智様に叛いてほしい

前久が、今度は化粧をしている伊呂波太夫と話しています。

明智様が受けた酷い仕打ちの話を聞き、驚く太夫。

明智殿はよく我慢している、いつ信長殿に歯向かうてもおかしくないと前久が言うと

「叛けばよいのですよ」

さらりと答える伊呂波太夫。

彼女には一直線に物事を考えるところがある。松永久秀と一致するところで、美しくすっと線を引くような爽快さ。

世の中は美しいか、醜いか――叛いた方が美しいからそうしちゃいなさいよ。ニッと笑って、そう囁くような妖艶さがある。この紅をつける仕草なんて美しいったらないですね。

「気軽におっしゃいますがね。信長殿に刃向かうて勝った者は一人もおらぬのです」

前久がそう返すと、なおも太夫は言い切る。

そうしなければ、世の中変わらない!

「仕方ありますまい」と言葉を濁す前久にして、太夫は一歩も退きません。

「明智様に叛いてほしい。明智様に勝って欲しい。明智様に、五万貫く全てを賭けてもいい!」

やはり彼女は久秀と思考回路が似ていると思えるのです。

変革こそが美である。魂が放つとびきり美しい火花が見たくて、そう訴えているようだ。審美眼の女として、久秀の魂と共にいるかのようです。

 

二人で茶でも飲んで暮らさないか

光秀は思い出しています。

将軍を殺せ!と言い切った信長のことを。

「私に、将軍を?」

「そなたと戦のない世を作ろうと話したのはいつのことじゃ。10年前か、15年前か? そなたと二人で永々と戦をしてきた。将軍を討てばそれが終わる。二人で茶でも飲んで暮らさないか。夜もゆっくり眠りたい! 明日の戦のことを考えず、子どもの頃のように長く眠ってみたい。長く」

無邪気な顔でそう語る信長。

そのためになぜ義昭を討たねばならないのか?

信長は光秀の戸惑いには気付けず甘えている。

こんなに大事な光秀とゆっくり暮らせたらよい。子どものころに戻りたい! 生まれた日はちがうけど、死ぬ日は同じであればいい。ずっと、ずっと、ずっと十兵衛と一緒にいたい!

そんな無邪気な思いで、邪魔者の義昭を倒したいと思ってしまう。義昭なんて、信長からすれば邪魔な石ころのようなものになってしまった。

「私には将軍は討てませぬ!」

そう返すしかない光秀。その思いが通じさえすれば……。

悩む光秀のもとに、細川藤孝が忠興と娘たまの夫妻を連れてやってきます。

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私も忠興も蹴鞠でこちらにくることになり、おたま一人を丹後に置いておくもの寂しかろうと忠興が言い出したと、藤孝が語ります。

「父上、お久しうございます。蹴鞠が何度でもあればよいのに、そう思いました」

たまが笑顔で父に告げます。

忠興から大層大事にされていると聞いた。光秀がそう言うと、たまはのろけるように言葉を繋ぎます。

「つづらに入れて持って歩きたいと仰せになりました」

「左様なことは言ったかな」

「やれやれ、これでは戦にならぬな」

そんな息子夫妻の会話に藤孝は苦笑。

要するに『鬼滅の刃』の竈門兄妹状態ということです。微笑ましいようで、忠興の執着がわかります。

忠興のたまへの態度はいろいろと言われる話ではありますが、熱愛であったことは確かでしょう。あんなことがあっても離縁せずにいたのですから。

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光秀が藤孝殿に話があるというと、忠興は先に二条へ参ると去ってゆきました。

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