それは安土城での戦勝祝いでのこと。
織田信長は、饗応役であった明智光秀を手ひどく打ち据えました。
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そしてそのまま饗応役を解かれ、別室にて一人考え込む光秀の前に……明るい笑顔の信長が顔を出しました。
光秀の饗応役を解いた信長の真意とは
「あれこれ言うたが気にするな。家康があの場でどう出るか、様子を見ておきたかったのじゃ」
光秀は驚愕の表情を浮かべるばかり。

いったい信長の真意とは?
なんでも、招かれた側の家康が、饗応役に光秀を指名したことが「礼を失している」と信長は感じたとのことです。
それならば家康にそう伝えればよいものを、なぜこんな試すようなことをするのか。信長はいつも人の心を壊すようなことをしてしまいます。
そのことをさして反省するわけでもなく、信長は秀吉から来た文のことを言います。
四国・長宗我部元親のことでした。
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長宗我部勢が背後にいると攻めにくい。毛利討伐に乗り気でなく、秀吉の求めにも応じず、背後を突かれるかもしれない――。
織田政権の失敗が見えてきます。
光秀が言うように、何らかの名目を立てるなり、寛大さを示していれば変わっていたかもしれないのに。
たまらず光秀は反論します。
それは秀吉の言いがかりに過ぎない。長宗我部とは身内同様うまくやっていて、信長を敬っているのだと返します。
光秀が四国対応で骨を折っていたのは確かなこと。
同時に、秀吉ほ思考ルーティーンと破滅への道のりが見えてきます。
どうして人は戦争するのか?
このことはずっと議論の種になってきました。
秀吉の場合、その思考は【戦争で金を儲ける】ところに目的が設定されている。
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信長ですらそうではない。貿易で儲ける思考回路があります。
こういう思考であるのであれば、朝鮮、そして明まで目指すことでしょう。
秀吉の朝鮮出兵は、当時のスペイン・ポルトガルの影響だという説もあり、最近ではAmazonプライムビデオの『MAGI』が採用しておりました。
本作では、秀吉の根本的な思考回路に設定しているようです。
鞆にいる将軍を殺せ
秀吉と違い、厭戦傾向のある光秀。
それに対して信長はこう言い切ります。
「わしは決めたのだ。三男・信孝を讃岐に向かわせる」
「殿、左様な大事な話を、私に一度も話さず!」
「そなたは丹波にいたゆえ、言うのが遅れた」
信長はそんな風に言い返しますが、秀吉とはきちんとコミュニケーションを取っています。
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そして信長はこのあと、備中高松城を攻めている秀吉の援軍ではなく、別の大事な目的を示すのです。
「そなたは備後の鞆の浦へ向かえ」
「鞆へ?」
「鞆にいる足利義昭を殺せ」

毛利が戦の大義名分としているのは、鞆の浦に足利将軍がいるからだ。
「将軍がいる限り、わしの戦は終わらぬ。そのことがようわかった。将軍を殺せ。それが此度のそなたの役目じゃ」
信長はそう言い切ります。信長は甘え、また光秀を試した。
光秀にも隙はあった。光秀が義昭と会ったこと。その目的を秀吉が信長に伝えていてもおかしくはない。
そして信長は、邪魔者は殺す。
潜在的な脅威となりうる松平広忠の首を取った。母の愛のためならば、弟・織田信勝でも殺した。
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光秀が本当に自分を愛しているのならば、きっと義昭を殺してくれるはずだ。
憎き首を光秀が持ってくる――その場面には甘美な陶酔感があったことでしょう。
前久と藤孝は
光秀は馬を走らせています。
その脳裏には義昭の言葉が浮かんでくる。
「信長がいる京には戻らぬ。ここで鯛を釣っていれば殺されることはないからな。そなた一人の京でもあれば考えもしよう」
屈託なく笑っていたあの顔です。

光秀の館では、左馬助が迎えに出ます。
藤田伝吾が出陣のために4千を集めていると報告。主力は丹波勢とのことです。
光秀は左馬助に尋ねます。
「わしが家康殿の饗応役を解かれたいきさつは聞いたか」
「あらましは」
「鞆におられる公方様を討てと命じられた。わしにはそれはできぬ……急ぎ細川藤孝殿にお会いしたい。いま、いずこにおられる?」
細川藤孝・細川忠興父子は京都に滞在中とのこと。公家衆と蹴鞠の会が開かれていました。
京では藤孝が蹴鞠をしています。
思えばこの藤孝は戦国随一の多才であり、そういう才智を演技で示してきた眞島秀和さんはご立派でした。
そこへ近衛前久がやって来て、藤孝に声をかけてきます。
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話題は、安土で家康殿の饗応役を解かれた光秀のことでした。
不調法があり、周りの者は信長殿と明智殿の間に隙間風が吹いていると噂になっているとか。
松永久秀や佐久間盛信のこともある。
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万が一、信長殿が明智を切り捨て、ことを構えるとなったら、そなたはどちらにつく?
「……そうならぬことを祈る他ありません」
そうかわす藤孝。本当にこの人は、圧倒的に賢い。しかもリアルな賢さがある。
賢い人物像の演出って、2010年代あたりから変わって来ております。
BBC版『SHERLOCK』を字幕と吹き替えでみるとわかるのですが……。
古いパターンは「さぁ、ゲームの始まりです」とニヤリとドヤ顔しながらペラペラ持論を展開する。
一方、新たなパターンはむすっとしていて黙っているか。棒読みでガーッと語るか。暗い顔をしてうつむくまで、頭の中でいろいろ回っていると表情でわかる。
眞島さんはそういう2020年代の賢い人物をこなしてきた。素晴らしいことです!
明智様に叛いてほしい
前久が、今度は化粧をしている伊呂波太夫と話しています。
明智様が受けた酷い仕打ちの話を聞き、驚く太夫。

明智殿はよく我慢している、いつ信長殿に歯向かうてもおかしくないと前久が言うと
「叛けばよいのですよ」
さらりと答える伊呂波太夫。
彼女には一直線に物事を考えるところがある。松永久秀と一致するところで、美しくすっと線を引くような爽快さ。

世の中は美しいか、醜いか――叛いた方が美しいからそうしちゃいなさいよ。ニッと笑って、そう囁くような妖艶さがある。この紅をつける仕草なんて美しいったらないですね。
「気軽におっしゃいますがね。信長殿に刃向かうて勝った者は一人もおらぬのです」
前久がそう返すと、なおも太夫は言い切る。
そうしなければ、世の中変わらない!
「仕方ありますまい」と言葉を濁す前久にして、太夫は一歩も退きません。
「明智様に叛いてほしい。明智様に勝って欲しい。明智様に、五万貫く全てを賭けてもいい!」
やはり彼女は久秀と思考回路が似ていると思えるのです。
変革こそが美である。魂が放つとびきり美しい火花が見たくて、そう訴えているようだ。審美眼の女として、久秀の魂と共にいるかのようです。
二人で茶でも飲んで暮らさないか
光秀は思い出しています。
将軍を殺せ!と言い切った信長のことを。
「私に、将軍を?」
「そなたと戦のない世を作ろうと話したのはいつのことじゃ。10年前か、15年前か? そなたと二人で永々と戦をしてきた。将軍を討てばそれが終わる。二人で茶でも飲んで暮らさないか。夜もゆっくり眠りたい! 明日の戦のことを考えず、子どもの頃のように長く眠ってみたい。長く」
無邪気な顔でそう語る信長。
そのためになぜ義昭を討たねばならないのか?
信長は光秀の戸惑いには気付けず甘えている。

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そんな無邪気な思いで、邪魔者の義昭を倒したいと思ってしまう。義昭なんて、信長からすれば邪魔な石ころのようなものになってしまった。
「私には将軍は討てませぬ!」
そう返すしかない光秀。その思いが通じさえすれば……。
悩む光秀のもとに、細川藤孝が忠興と娘たまの夫妻を連れてやってきます。
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私も忠興も蹴鞠でこちらにくることになり、おたま一人を丹後に置いておくもの寂しかろうと忠興が言い出したと、藤孝が語ります。
「父上、お久しうございます。蹴鞠が何度でもあればよいのに、そう思いました」
たまが笑顔で父に告げます。
忠興から大層大事にされていると聞いた。光秀がそう言うと、たまはのろけるように言葉を繋ぎます。
「つづらに入れて持って歩きたいと仰せになりました」
「左様なことは言ったかな」
「やれやれ、これでは戦にならぬな」
そんな息子夫妻の会話に藤孝は苦笑。
要するに『鬼滅の刃』の竈門兄妹状態ということです。微笑ましいようで、忠興の執着がわかります。
忠興のたまへの態度はいろいろと言われる話ではありますが、熱愛であったことは確かでしょう。あんなことがあっても離縁せずにいたのですから。
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光秀が藤孝殿に話があるというと、忠興は先に二条へ参ると去ってゆきました。
覚悟には果てがない
光秀は藤孝に、毛利攻めのことを確認します。
信長様直々に出陣する。本能寺で支度をする。出陣は来月。丹波の軍勢は下知があり次第、西国へ向かう。
そう確認すると、藤孝は丹後にとどまり、忠興を大将として向かわせると答えます。

ここで藤孝はあることを確認してきます。
毛利攻めに伴い、備後・鞆の浦におられる公方様と幕府の残党一掃したいとのこと。上様からお下知はあったか?というのです。
「お下知はあったが、私はお断り申した。まず毛利を倒せばよい。公方様の扱いはそのあと考えればよい」
「それで上様はご納得いただけましたか?」
「再び説得いたし、ご納得いただく」
藤孝はそれでご納得いただけるのかと疑念を呈しています。
確かに前久が言う通り、隙間風は周知のこととなっている。そしてその原因は、信長の気性由来であると。
光秀は逆に尋ねます。
以前、藤孝殿は上様の行き過ぎたことを止める折には、声を揃えてあげる覚悟であるとおっしゃっていた。今でもそのお覚悟はおありか?
「覚悟とは……どれほどの覚悟でござりましょうか?」
「覚悟には果てがありませぬ」
光秀はそう返します。はかれない。心の動きはもうはかれない。無限大です。
藤孝は帰り道で、松井康之にこう告げます。
「急ぎ備中の羽柴殿に使いを出せ。何も起こらぬことを願うが、起こるかもしれぬと伝えよ」
「はっ!」
やはりこの藤孝は賢い。それにいざとなれば友情を切り捨てる。そういう冷たいまでの合理性を見せて来ました。
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信長を救いたい でもどうやって?
光秀の心に、帝の言葉が去来します。
「力ある者はあの月へ駆けあがろうとするのじゃ。数多の武士たちがその月に登ろうとするの見て参った。そしてみな、この下界へ帰って来るものはなかった。信長はどうか? 信長が道をまちがえぬよう、しかと見届けよ」
桂男こと呉剛のように、冷たい月の中に信長を閉じ込めておけるか? 光秀はそう悩んでいるように見えます。

冷たい孤独な世界の中で生きているよりも、いっそ、地面に落としてしまう方が救いになるのかもしれない。そう迷っているようです。
将軍を殺す――そのリスクは松永久秀が体現していると言えるでしょう。
彼自身は、実はそこまで足利義輝の殺害に関与していないものの、結果的に彼の悪事として伝えられてきました。
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もしも信長と光秀が義昭を殺したら、消えぬ血のあとが残ることでしょう。
生かさず殺さずでよいはずなのに、このままではどうなることか?
光秀は義昭のみならず、信長を救いたいようにも思えるのです。それができるのは、彼とある意味一心同体になってしまった自分だけであると。
たまは薬研で薬を作りつつ、歌っています。
思い出すとは忘るるか 思いださずや忘れねば
父の気配を察した娘に、光秀は語りかけます。
「やめずともよい。よい歌だな」
戦から帰ると、忠興はいつも言うのだそうです。
わしがいない間はわしのことなど忘れているのであろう。
いえいえ、いつも思い出しておりまする。
そう答えると、わざとこの歌を歌う。
「思い出す」と言うのは「忘れている時があるから」だ。忘れていなければ、思い出すとは言わないものだと。
光秀は、忠興はおもしろい旦那殿だ、よいお方だとしみじみと語ります。そして、そういうお方が戦に出ずともよい世にせねばならぬと言います。
忠興はたまに、きっとそなたの父君がそういう世を作ってくださると、いつも言ってくるのだそうです。
嫁に行く前は、父が戦でお亡くなりになったらあとを追いたかった。今は忠興様とともに生きたい。命が二つあればよいのに。そう笑顔で語るのです。
「命は一つでよい。そなたは忠興殿と長く生きよ。そのためにわしは戦うている」
「父上も……長う生きてくださりませ」
こうした言葉に、本作の真意はあると思います。
願ったところで命は二つにならない。そうであれば、どうやって生きた証を残せばよいのでしょう。
帝はただただ見守るのみ
雨の中、前久が帝に謁見を果たしています。
どうやら織田と明智の争いを報告しているようです。そのうえで、もしも両者が対立したらどちらを選ぶのか。そのことを尋ねに来た様子です。
帝の脳裏にも光秀の姿は浮かびます。
そして帝はこう言います。
「花を看(み)、川を渡り、己の行くべきところへ行く者を、ただただ見守るだけぞ、見守るだけぞ」
高啓『胡隠君を尋ぬ』を踏まえてそう言います。
この漢詩の「胡隠君(胡という隠者)」は誰なのかはっきりしません。光秀という万葉を愛する鳥がどこかへ行く。それを見守るだけだと言っています。
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これで本能寺の変・朝廷黒幕説は否定されました。
同時に、光秀が何か隠された本質へ向かっていくとも示されています。
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天正10年5月末――。光秀は本拠地の丹波・愛宕山に入ります。
そこで彼は信長との会話を思い出す。
「殿は多くの間違いを犯しておられます。帝のご譲位のこと。家臣たちの扱い……初めてお会いしたころ、殿は浜辺でとった魚を安く売り、多くの民を喜ばせていた。名もなき若者たちを集めて家臣とされ、大事に育てておられた。心の優しい方と思うていた。しかし殿は変わられた! 戦のたびに、変わってゆかれた!」
そう訴える光秀。
そこに帰蝶の声が重なります。

「毒を盛る。信長様に。今の信長様を作ったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が一人歩きを始められ思わぬ仕儀となった。万(よろず)作ったものがその始末を為す他あるまい、ちがうか?」
もしも……帰蝶が違うことを言っていたら?
彼女は後悔したかもしれませんが、それもひとつの欠片に過ぎません。
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信長はこう返します。
「わしを変えたのは戦か? ちがう。そなただ。大きな世を作れとわしの背中を押したのは誰じゃ? そなたであろう! そなたがわしを変えたのじゃ。今更わしはひかぬ。そなたが将軍を討たぬというならわしがやる! わしが一人で大きな国を作る! 世を平かにし、帝さえもひれ伏す、万乗(ばんじょう)の主となる!」
感情をむき出しにするように、信長がそう答えるとき、光秀にはあの夢の樹が見えます。
万乗の主とは、多数の兵車を出す君主のこと。その座は月にあるのかもしれない。そんなものに君臨したら、信長はもう、道を誤って地に戻れなくなってしまう。
光秀は決意を固めた顔になります。
なお、この作品では【愛宕百韻】が出て来ません。
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連歌を知らないわけではないことは、既に示されております。
信長が本能寺に到着するころ亀山城では
京の5月29日、安土城からわずかな供を連れ、信長は宿所の本能寺に入りました。カメラワークが俯瞰していて、よい絵が撮れています。
丹波・亀山城では、光秀が腹心たちを前にしています。

斎藤利三が愛宕山で過ごしたことに触れ、愛宕権現は戦のめでたいお告げをしたのかと尋ねると、藤田伝吾は毛利を一気に討ち破り、殿の武名がさらに響くということではないかと続けます。
不思議だとは思いませんか?
愛宕権現ならば、毛利だって祈っているかもしれない。そうなったら愛宕権現はどちらにつくのか? 神のお告げとは何なのか。
光秀はこう返します。
「昨日まではそうであったが、お告げが変わった。我らは備中へは行かぬ。京へ向かう」
家臣たちは京のいずこへ参るのかと気にしております。
「本能寺。我が敵は本能寺になる。その名は織田信長と申す。信長様を討ち、心あるものと手を携えて世を平かにしていく。それが我が役目と思い至った」
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光秀はここで刀を抜き静かに置きます。
そしてこう言うのです。
「誰でもよい。わしが間違うておると思うなら、この太刀でわしの首を刎ねよ。今すぐ刎ねよ」
「殿、皆思うところは同じでござりまするぞ」
「同意でござります」
そう家臣たちは同意するのです。
不思議なときが訪れてしまった。誰も止めない。止めようとすらしない。何が起きたのか?
光秀が透き通り、何か別の生き物になっていくような気配すらある。
菊丸には家康の堺脱出を勧め
京の本能寺では、島井宗室を相手に信長が碁を楽しんでいます。
すっかりと打ち解け、笑顔もこぼれる。どうしてこんな無邪気そうに見える信長が、あんなにも残酷になれるのか。やはり理解が難しい人物ではあります。
光秀が何かを書いていると、人の気配がします。
「左馬助か?」
そこにいたのは菊丸。出陣の騒ぎに紛れて侵入したことを詫びます。
光秀が、家康殿の使いか?と尋ねると、今は堺にいて以後十兵衛様をお守りするよう命じられてきたというのです。
家康も不安になるような饗応役解任だったんですね。

菊丸も、光秀が向かうところが何処か、おおよそ察知しています。
「わしはこの戦は所詮、己一人の戦だと思うておる。ただこの戦に勝ったあと、なんとしても家康殿のお力添えをいただき、ともに天下を抑えたい。二百年も、三百年も、穏やかな世が続く政(まつりごと)を行うてみたいのだ。もしわしがこの戦に敗れても、あとを頼みたいと、そうお伝えしてくれ。今堺におられるのは危ういかもしれぬ。三河に戻るがよい。菊丸もここから去れ。新しき世になった折、また会おうぞ。これはわしからの一生に一度の願いじゃ、必ず届けよ」
「はっ!」
そう言い、菊丸は去ってゆきます。
この台詞を根拠にあの人物説に与することができるかというと、私はそうは思いません。
結果を知っている現代人からすればそう思えますが、光秀の立場からすれば儚い夢、願望のように思えます。天から降ってきた願いを伝える。そんな儚さがある。
6月1日夜、明智光秀の軍勢は亀山城を出発します。煕子の声が響きます。
「私は麒麟を呼ぶものが、十兵衛様、あなたであったなら……ずっとそう思っておりました」
そのころ、信長は機嫌よさそうにしているのでした。
秀吉と官兵衛のもとへ藤孝からの一報
備中・羽柴秀吉の本陣には、細川藤孝からの伝言が届いていました。
明智光秀が信長に刃向かう恐れがある。
隣には、影のように黒田官兵衛が座っています。
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秀吉は目をらんらんとさせてこう言うのです。
「やればいいのじゃ! 明智様が上様をやれば面白い! 官兵衛、こりゃ毛利など相手にしとる場合じゃないぞ、高松城をさっさと片付けて帰り支度じゃ!」
「はっ」
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官兵衛は脚を引きずりつつ、この場を去って行きます。
「明智様が天下をぐるりと回してくれるわい」
そうほくそ笑む秀吉は、最後の最後まで邪悪でした。
軽い言い方が腹立つ! 信長と明智がそうなっても悲しいどころか浮かれている! 佐々木蔵之介さんが見事にやり切った。もうこの時点でのちにどういうことをするのか完成していて素晴らしい。
そして官兵衛の濱田岳さんです。
やられた! いろいろと背負ってきた暗さ、翳り、淡々と仕事をこなす態度。脚を引きずって歩く後ろ姿だけでもたまらないものがある。これはまさしく黒田官兵衛だ!
『麒麟がくる』は『軍師官兵衛』キャストの再利用がうまいと思います。
それに濱田さんはネタにされるほど火野正平さんを彷彿とさせるわけですし、大河に戻ってくるしかないと思えました。かっこいい。こんなにすごい役者だと思いもよらなかった。短い出番でぐっと掴まれました!
そして藤孝ですが、別にこの書状でもって密約とまではみなせないとも思うのです。
藤孝には藤孝なりの、平らかな世を作るセオリーがある。信長と光秀が争って京都が荒れたら困る。一番動きやすい有力家臣に連携のポーズをとる。
リスク管理として正しい。
そこは冷酷だとも狡猾だとも思いませんし、本作の藤孝は終始一貫してそういう人物像でした。兄・三淵藤英とはちがうのです。
「であれば、是非もなし」
信長は眠りにつきます。
人生最期の夜を迎えるとき、大抵の人はそうなるなどと予測だにせずに眠る。
そして天正10年6月2日、早朝――光秀の軍勢が本能寺を取り囲みました。
「かかれー!」
号令をかける光秀。
エエオウエエ!
エエオウエエ!
明智軍がそう叫びながら、本能寺に襲いかかります。
寝所にいた信長が起き上がり、ドカドカと歩いてゆくと、軍勢が取り囲んでいると蘭丸に告げられました。
「軍勢? いずこの軍勢じゃ?」
「水色桔梗の旗印が見えまする。明智殿の軍勢かと」
「十兵衛か!」
矢が飛んできて、信長に突き刺さる。小姓たちが必死に信長を庇い、矢の前に倒れてゆきます。
「上様、奥へ!」
強く促され、奥へ向かってゆく信長。信長はそしてこう言います。
「十兵衛、そなたが……そうか、ははっははっはは! 十兵衛か、はははっ、ははは!」
矢を抜き、血を舐める信長。そしてこう言うのです。
「であれば、是非もなし」

ありとあらゆる感情が重なって、入り混じって流れてゆく。ずっとずっと信じていた。一番近くにいるはずだった。いわば自分の分身が殺しに来る。
他の誰かであれば怒ったかもしれないけれど、十兵衛ならばもう仕方ない。そんな諦念がそこにはあります。
わしを焼き尽くせ
矢を抜き、槍を持ち、戦う信長。蘭丸たち小姓も大奮戦をしています。
殺陣に迫力がある。
かなり高いレベルで展開されていて、殺し合いは痛々しく重いものだとわかる動きです。
血が流れ、命が消えてゆきます。
燃え盛る家から幼い少女を助けていた。そんな優しい十兵衛が、こうして人を殺す側になった。そうだ、十兵衛、お前だって変わったんだ。
お互いが変わった。戦のせいじゃない。お互いが、お互いを、変えてしまったんだ!
そう思えてくる、圧巻の殺陣です。
光秀は達成感どころか、悲しい顔で本能寺を見つめています。もう一人の自分を殺さねばならない。

どこで間違ったのだろう?
一体、何が悪かったのだろう?
殺すことなんて思いもよらなかった自分自身を、どうしてこうしているのだろう?
信長は矢を放ち、槍が折れるまで戦い、刀まで抜きました。
血塗れになり、銃で撃たれ、血に染まってゆきます。
蘭丸と共に脚をひきずり、奥へ向かう信長。そしてこう宣言します。
「わしはここで死ぬ。蘭丸、ここに火をつけよ。わしの首は誰にも渡さぬ。火をつけよ。わしを焼き尽くせ」
自分自身が炎と化して消えるように、信長はそう言うのです。
長く安らかな眠りが訪れた
外では「火が上がった」と明智勢が言います。斎藤利三が奥書院あたりからだと推測している。
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光秀には、波の音が聞こえます。
朝焼けの中、信長は船に乗って来ました。光秀の澄んだ目に、彼は未知の生き物のように映っていた。
帰蝶に会いに行き、出会ったときのこと。
桶狭間のあとに声をかけたこと。
大きな国を作ると笑い合ったこと。
光秀はそんな相手が燃え尽きる様を遠巻きに見るしかない。明智左馬助と斎藤利三が背後で見守っています。
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信長は腹を切り、目を開けたまま、死を迎えていました。
凄絶な死というよりも、そっと眠る子どものようにも見える。
長く安らかな幼い頃のような眠りが、彼に訪れたようです。
在天願作比翼鳥
天に在りては願わくは比翼の鳥と作(な)り
天では翼を分けあい飛ぶ鳥になりたい
在地願爲連理枝
地に在りては願わくは連理(れんり)の枝為らんと
地では根が分かれていても、枝が連なるひとつの木になりたい
天長地久有時盡
天長く 地久しきも 時有りて尽く
天は長く、地は久しいけれど、いつか終わるときは訪れる
此恨綿綿無盡期
此(こ)恨みは綿綿として尽くる期(とき)無からん
けれども、この満たされぬ思いが尽きることはない
白居易『長恨歌』
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伊呂波太夫が東庵のもとへ。
本能寺で戦があり、明智様の軍勢が攻め込んだと伝えると、東庵が「本能寺には信長様がいた」と言い出します。
「明智様がご主君を!」

駒はそれを聞きながら、うつむいて手を握りしめています。
ここで光秀が、土を手にして落とすところが映し出されます。
駒はかつて、光秀にこう言いました。
「その人は、麒麟を連れて来るんだ。麒麟というのは、穏やかな国にやってくる不思議な生き物だよ、って。それを呼べる人が必ず現れる。麒麟がくる世の中を――」
左馬助が光秀に、この焼け方では髪の毛一本も見つからないと告げています。
坊主どもがここで間違いなく腹を召されたと言っているそうです。
斎藤利三が「二条御所の信忠様も火の中で最期のよし」と伝え、今少し掘り返し検分するかと問われた光秀はこう返します。
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「いや、もうよかろう。引き揚げよう」
本能寺から去ろうとする光秀の前に、伊呂波太夫が現れました。

「きっとこうなると思っていましたよ。帝もきっと喜ぶでしょう。明智様なら、美しい都を取り戻してくださると」
「美しい都……それは約束する。駒殿に伝えてもらえるか。必ず麒麟がくる世にしてみせようと」
「きりん?」
ここで光秀は急かされ、こう告げます。
「そう言っていただければわかる。麒麟はこの明智十兵衛が必ず呼んでみせると」
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天下を取った
明智光秀は天下を取った――ナレーションがそう告げます。
本能寺の変は人々を驚愕させ、事態を一転させた。
柴田 勝家は、遠い戦地にいてなす術がない。
光秀の有力な味方と思われていた細川 藤孝や筒井 順慶は、一斉に沈黙。
伊賀山中の徳川 家康は、次の事態に備え三河へ戻る。
光秀の天下はここまでであった――。
6月13日、西国から思わぬ速さで戻ってきた羽柴秀吉が立ち塞がり、光秀は敗れました。
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世の動きは一気に早まった。そう語られます。
光秀はまるで、信長という存在を追いかけ、風のように消えてしまったように思えるのです。
そして本能寺の変から3年後、天正13年(1585年)――。
京の内裏では、東庵が帝と双六をしております。
「世の中も双六と変わりませぬ、一歩先は見当がつきませぬ」
羽柴秀吉様が世を正しているのはわかる。まさか関白におなりになるとは。
東庵がそう言うと、帝は返します。
「これまでも力ある武家の棟梁が立ち上がっては世を動かし、そして去っていく。世が平らかになるのはいつのことであろう」
それはもう少し先の話になりますし、秀吉が関白になったと出てくることも重要です。公方様ではありません。
十兵衛の姿をした何かが馬で駆け抜け
備後・鞆の浦では、駒が義昭を訪れていました。
「駒、よう参ったな!」
「公方様、お変わりはありませぬか?」
義昭は元気そうです。変わらず釣りに明け暮れているようです。

いずこへ行くか?と問われた駒は、高山城の小早川様の元へ行くと返します。なんでも堺衆が茶会をするようで、駒の丸薬の顧客でもあるため、呼ばれているとか。
しかし義昭は不満そうです。
小早川は秀吉に真っ先についた。志のない男じゃと言います。
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「世を正しく変えようというのは志じゃ、わしは大嫌いであったが、織田信長にはそれがあった。明智十兵衛にははっきりとそれがあった」
義昭は頼りないようで、世の中の真理をさらりと言う、そんな人物です。
すると駒が、十兵衛様がどこかで生きているという噂を告げました。
義昭は呆気に取られています。駒が聞いた噂によると、光秀は丹波の山奥にいて、いつか立ち上がる日に備えているとか。
ここまで話したところで、義昭に迎えの者がきます。
「行っておいでなされませ」
「うむ、また会おうぞ」
駒は微笑み、公方様を見送るのでした。

駒が街並みを歩いてゆきます。
子どもたちがはしゃいで走り抜け、人々は穏やかな日常を生きている。
と、道端で物を売る男が、どこか光秀に見えます。彼女は、群衆の中に消えていく男の姿を、追いかけました。
「十兵衛様! 十兵衛様! 十兵衛様!」
曲がり角の先には、誰もいません。
そこには、昔より綺麗になった塀がありました。
以前より賑やかになった街。
昔よりも楽しそうに走り回る子ども。
世の中は少し明るくなっているようです。
そしてどこかの道を、明智十兵衛光秀の姿をした何かが馬で駆け抜けてゆくのでした。
【完】
MVP:到来した“麒麟”
ラストを見た後は、しばらく考え込み、ちょっと意味がわからず呆然としました。
ただ、これが到来した麒麟だと納得はできます。
天海説は一切与するつもりはありません。
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徳川家臣団は実力者揃いです。今さら光秀の助けは不要でしょう。
生死という点、一個人としての明智十兵衛光秀はもう亡くなっていると思います。
けれども、麒麟となって彼はそこにいる。
幻の聖なる獣になりました。
この見立ては台詞に示されてはいます。
光秀は覚悟に果てはないと言った。命は一つで十分とも言った。
義昭は「世を正しく変えようというのは志じゃ」と駒に語っています。
光秀の志が麒麟になって残り、世の中を駆け巡っているのですね。
そのヒントは「現代の写真家が撮る『明智光秀の肖像画』」にもありました。
第一弾の時点で、麒麟のシルエットが光秀に重なっています。光秀の右腕に麒麟の頭部があるのです。
第二弾は人間として生きる。そういう顔。
そして第三弾は時代を超えた近未来風。どの時代にも、麒麟はくる。それはあなた次第だと訴えているように思えます。
実はもう、麒麟は到来していました。
それは現在にもいるのです。ただし、それに気づかなければ見えないのです。
謎解き:「麒麟は誰の頭上に訪れたのか?」
徳川家康。これも答えは出ています。
光秀が菊丸に託した言葉からもわかります。
麒麟の目から見れば、家康こそ泰平の世をもたらす人物なのです。
総評
難解であり、大河そのものを変革する大胆さに満ちた作品でした。
大河の主演で人生観まで変わる役者さんもいる。本作のように、主人公が謎めいた消え方をする『獅子の時代』の菅原文太さんが代表例とされています。
演じるうちに何かが共鳴し、あんな知性と人徳あふれる素晴らしい人間になったと。
長谷川博己さんもそうなるような気がしてならない。
『スタジオパーク』を見ていて、役の理解度、人格、知性……ありとあらゆる面でいろいろと超越している。
これから先、とてつもない高みにのぼるのではないか?と思いました。他の役者さんも、何か開いてしまった感覚があるのではないかと感じます。
どうしてそうなるのか?
答えも見えて来ました。
この作品を「ゲーム的な心理バトルでもない」という評価もありました。
ゲーム的な心理バトルというのは……私の推察と断っておきますが『羊たちの沈黙』あたりのブームから始まった流れでしょう。
「さあ、いよいよゲームの始まりです……」
そうニヤリと笑う“サイコパス”が出てくるやつ。
そういうフィクションは古い心理学知見ベースのものでしょう。未だにそういう古いものベースの評や感想が多いことに、私は危機感を覚えなくもありません。
とはいえ、NHKにはEテレがありますから、そこは上手です。
受信料云々以前に、Eテレがあって知見が揃うことこそNHKの強みでしょう。
Eテレとはうまい財産です。
ハートネットTVに寄せられる声だけでも結構なサンプルになる。その強みを使わないでどうするのかという話です。
◆大河「麒麟がくる」最終回 NHK制作統括者「狂気の駆け引きの極み」(→link)
上記、スポニチ記事から引用させていただきますと……。
落合氏はこのドラマの信長について
「脚本の池端俊策さんの『母の愛情の欠如がこういう人間像を生み出していく』という深い人間観察を感じさせる。
そもそも信長には『好き』『嫌い』の2つの感情しかない。
自分に敵対する者に情をかけることも理解できないし、自分が差し出す生首をみんなが喜んでくれると疑いもなく思っている」
と指摘。さらに
「戸惑う相手の気持ちを考慮できない。
ある種病んでいるのだが、当時は心理学も進んでおらず、自分を客観視することもできない。
一方で、本来持っているチャーミングな素顔もあるため、非常にアンビバレンツな人間になる。
そういう複雑性と悲劇を染谷さんが大変深く理解して演じた」
と語る。
本作は脚本家の池端さんはじめ、手練れが揃っている。池端さんだけが素晴らしいわけではないと思うのです。
母親の愛情欠如が性格に欠陥を生み出すという理論は【冷蔵庫マザー】理論といって現在は否定されています。
劇中の描写には【冷蔵庫マザー】理論以外の要素があると感じられる。
いろんな理論を組み合わせているということは、この「心理学も進んでおらず」という言葉からも察せられます。
非常に興味深いことです。
こういう体制が整っているのであれば、NHKは磐石で進化しつつドラマ作りができる。Eテレの放送停止なんて、ドラマの質も落としかねない暴論です。
心が原動力だし、麒麟の到来そのものだ!
そう言い切った本作は、それゆえに時代を超越するものになったと思います。
光秀は何者か?
ハセヒロさんはちゃんと定義ができているのではないでしょうか。
◆長谷川博己、『麒麟がくる』明智光秀役の約18カ月を振り返る 「一生の宝物になりました」(→link)
上記の記事にはこんな一節があります。
明智光秀は、孔子の言う「義」の人であったと思います。それは光秀を演じる上で、最後まで一貫して崩してはならないと思っておりました。
世のため、民のため、平らかな世を目指し貫き通した男だと思います。
『麒麟がくる』を楽しみながら、儒教があるから特定の国はダメなんだとか、そういう本を買っている人はいないと思いたいのですが、どうにもわかりません。
特定の民族や宗教だけが飛び抜けてよろしくないという理論は“オワコン”です。
神は何か?
宗教とは?
このあたりも研究が正体を明かしつつあります。
神が人を生んだと言うよりも、人が神を生み出したのだと。
考古学で人骨を発掘していくと、人間とはどうしようもない生き物だということが判明してゆきます。
かつては人間とは文明の発達とともに堕落すると思われていましたが、文明以前の人骨を掘り出して調べると、生々しい暴力、収奪、そして共食いの様相まで出て来てしまうのです。
そこで、
このままではよくない!
人間はもっと良くなっていかなければならない!
どの文明や集団にも、そう掲げる思想家なり宗教家が出現。殺人はよくない、収奪は駄目だ、虐殺なんてあってはならないと説き始める。
自分たちよりも、子どもたち、そして孫たちはもっとよい世界に生きて欲しい。そういう願いが、人類の歴史を進歩させきました。
思い出してもみてください。
10年前にマイボトルを持ち歩こうなんて思えましたか? ペットボトルを買えばいいのになんでそんなことするんだ?
そう冷ややかに見ていたことがあったのではないでしょうか。
いや、今の世の中は悪くなっている。そう思えることもあります。
進化といってもまっすぐには進めない、ジグザクになっているから、そういう悲しいことは当然あります。
それでも、一世紀前と比較すれば確実によくはなっていることもたくさんあります。
それでも、そう思えないのだとすれば、理想を望む心が速すぎて現実が追いつかないのでしょう。
もどかしいけれども、そうやって一人一人がよりよい世界を望むことが「麒麟を呼ぶ」ということではないでしょうか。
お花畑だの綺麗事だの言って、片付けてはならない。
変わることを否定してもならない。
麒麟は、私たち一人一人が呼び続けねばならない。
どうすれば麒麟が到来するのか、考えなければならない。
明智十兵衛光秀という麒麟が今いたら?
そういう発想ができるからこそ本作は素晴らしい。きっとその麒麟は、手洗いやマスクの着用について助言ができることでしょう。
人間というのは、不思議な生き物だと。とてつもなく美しいと。『麒麟がくる』ではそう示されました。
食べて、子孫を残すこと。それだけを考えていくのであれば、しないようなことを人間はやらかす。
生存よりも志に全てを注ぎ込み、美しいか、醜いか、信念に沿っているか、そこを基準にして突き進むことがある。
本作の松永久秀を見て、なんて人間は無茶苦茶でおかしな生き物なのかと思いました。審美眼に命すら委ねて散っていく。
久秀の前にいる家臣も、なんでそんな美学のせいで死ぬのかと困惑しているのではないかと思えました。
でも、そうじゃないだろうと。
美しさを求めずに頭を下げて生きる久秀を見たら、それこそ柳生宗厳あたりは「こんな殿は求めていない!」と失望したのではないか?
美に命まで賭ける。それでこそ、人間の生き方ではないかと。
人間は特別で不思議です。
人として生きるということは、言葉を残し、物語を語り、演じ、音楽を奏で、芸術を残し、心を動かし、命の維持だけではない何かを求めていくことにあるのではないか? そう思える、そんな不思議なドラマ……じゃない。
むしろここまで追いついて欲しいと言いますか。突っ走ってるなぁ、ついていけない奴は放置して授業を進める厳しい先生みたいなドラマでした。
解読のために、中国文学、中国思想、東洋医学、認知心理学、その他もろもろも読解せねばならない。難題でした。
日本史の本棚だけにとどまっていては追いつけない。いいドラマです。
このくらいやらないと、もう世界のドラマには追いつけない。そういう意識があるからには、大河はまだ大丈夫!
一年ちょっと前には10年後に大河が消えているのではないかと書いた記憶がありますが、それを吹き飛ばして余りある出来です。
おまけ
スピンオフや続編もあるとかないとか言われておりますが、『鬼滅の刃』最終回方式が個人的には見たいと思います。
帝にあげたプレゼントをメルカリで出品されてキレ、光秀の行動をGPS監視してしまう信長。
ツイッターフォロワー数自慢を始める秀吉。
筋トレに目覚めてプロテインバーをやたらと食べている家康。
気がつけば人生相談をされてばかりいて疲れてきた光秀。
ここまで綺麗に終わると、そういう形式のものくらいで切り替えないとむしろ納得できないのです。
本記事では全てを書ききれません。
後日、あらためて総評を記したいと思います。
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト






























