一橋家の財政立て直しに目覚めた渋沢栄一。
しかし、周囲の状況は急激に変化していきます。
幕府軍が長州を相手に連戦連敗する中、大坂城で徳川家茂が倒れたのです。
慶喜が馳せ参じるのですが容態は思わしくない。
家茂の死因は脚気によるビタミン不足、糖尿病説もあります。甘いもの食べ過ぎで歯はボロボロだったとか。ストレスと糖分の過剰摂取が、寿命を縮めたと推察されます。
孝明天皇と同じくらいタイミング悪いときに死ぬのですが、家茂の場合、暗殺説はありません。
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慶喜が来ると、なぜか起き上がり、まだ死ねないと言い出す家茂。
和宮と結婚しながら攘夷を果たせない!
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だからこそ勅命を受けたからには長州を倒さねばならないと言い切ります。
その覚悟はあるかと問いかける家茂。慶喜はあまりやる気のない口調で、みなも期待しているから回復して徳川を守るよう言うのです。
慶喜にはその覚悟がないんですね。それが本音だろうと、病人の前で言ってしまうのも……。
家茂は慶喜と話したかったと言いますが、将軍とその最重要側近が、死の間際にそれを言い出すってどういうことでしょうか。
そして三日後、亡くなりました。
史実での慶喜、家茂と和宮の関係性を踏まえると背筋が寒くなりますが、ドラマなのでよいのでしょう。
将軍家をお継ぎになってはいけませぬ!
一橋邸にも悲報が届きます。
猪飼勝三郎から家茂の死を聞いてしまった栄一は焦ります。
しばらくは伏せるにせよ、世継ぎもないまま亡くなった。
「我が殿が将軍になるやもしれぬ!」
「えっ!」
って、なぜ驚くのでしょう。将軍継嗣問題を踏まえれば当然すぎるほど当然です。
徳川家康が出てきて、戦陣の中で亡くなったのは家茂だけだと言います。
家茂の死によって運命も変わります。
栄一は慶喜へ建白する。
「なりませぬ。将軍家をお継ぎになってはいけませぬ!」
まぁ、ほんの少し前まで、バリバリの倒幕運動や無茶なテロ計画を立てたりして、お縄になりたくないから平岡円四郎に拾われ、気づけば今の状態ですもんね。言ってみれば自縄自縛です。
「言いたいことはそれだけか」
慶喜はそう返す。栄一は何を言っているんだという気持ちにしかなれない。
一橋なら支えるけど、将軍になったら嫌……って、栄一は武士道を理解しているんでしょうか。
天璋院も世継ぎには反対します。候補は田安亀之助だと。
なぜ幼い亀之助なのか? ドラマでは天璋院の動機がぼかされれていますが、彼女は慶喜が大嫌いだったのです。それを描かないのが本作のスタンスですね。
和宮はボーッと家茂の亡骸と向き合っている。唐織が土産に届いたという逸話。最期までラブが強調されている。
「将軍にさえならなければ……」
そう夫の苦しみを思いますが……ん? 将軍になったからこその縁談ですよね?
和宮は、慶喜を呪うようなことを言います。なんでもかんでも感情に持っていくのが本作の欠点ですが、史実では慶喜の二心ぶりに和宮は呆れていました。
今回は、和宮と天璋院をはじめ、女性の場面がおかしい。あとからアリバイのために付け加えられたような気配がします。
長州征討
慶喜はのほほんと「幕府、もう滅亡しちゃうかも」と家臣の前で言います。
あまりのことに、真面目な永井尚志は将軍にならねばとムッとしています。
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当然の反応でしょう。だって将軍継嗣問題であれだけ騒いで、永井も巻き込んでおきながら、「空気読めないよね〜」と言わんばかりの演出される永井尚志が気の毒すぎる。
藤田小四郎の扱いを思い出しました。この分ですと松平容保もどうなってしまうのやら……。
慶喜もあれだけ家茂に託されておいて、どうしてこんなにやる気がないのでしょうか。
仮に本心はそうだったとしても、周囲に対しては隠してもよいのではないかと思います。孝明天皇の期待だってあるでしょう。
史実の慶喜だって「もうダメかも」というのはわかっていたと思いますよ。なんせ自分たち、斉昭と慶喜の親子で幕府の屋台骨を破壊し尽くしましたから。
まぁ、本作では「綺麗にカッコよく描く」ことありきで進んでいるので仕方ないですけど。
慶喜は大鉈をふるって改革をすると言い切り、数日後には将軍となって長州征伐へ向かいました。カッコよく帝から任命されています。
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一橋家の家臣団は皆喜んでいますが栄一は愕然としています。さすがに子供っぽく見えてしまうのは私だけでしょうか。
栄一にも色々と理屈はあるにせよ、彼は武士と商人の立場を都合よく使い分けて主張を持ち出している。渋沢成一郎も結構な大声で騒いでます。
かくして長州征討も回ってきました。(小道具さんが少ない時間で作ったぽい)役職一覧が出てきます。
大出世しても勘定で後方支援したいと言い募る栄一。千代へ送った文が届きます。
武士だから形見のつもりの懐剣を送っています。懐剣は武士の妻ならいざというとき自害せよ――というシンボルです。百姓でなく武士として、志士としてこの国のために命を捧げる覚悟と言います。
父は誉といい、母が嘆く。栄一の娘であるうたも出てきます。わかりやすい家族反応の場面です。
しかし、慶喜が出陣準備をしているのに小倉城が奪われてしまう。もう、幕府はもっとしっかりしなさいよ!
「もはやここまでだ、引き際であろう」
松平容保と定敬兄弟が反対しますが慶喜は取り合わず、冷静に勅命をいただき、一時休戦すると言います。
孝明天皇は慶喜が嫌われているのか、それとも帝自身が疎まれているのかと不満を抱き、中川宮に尋ねます。
そして、なぜだか唐突に岩倉具視を大絶賛して、頼り始めるのです。
栄一と成一郎は新しい職へ
蟄居していた岩倉具視が登場。
孝明天皇の非現実的な攘夷政策を批判します。
大胆な不敬ぶりに、不謹慎ながらワクワクしてしまいました。慶喜ユニバースでは天皇すら「理解できない奴!」になるのですね。最近のニュースを思い出しました。
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公家は頭が古いと言い切る。それはその通りではありますが……。
そんな岩倉は次は慶喜が将軍になると大久保利通に聞かされ、喜んでいます。トメというおばあさんも笑いを添えます。
大久保は、薩長が天子様の世を作ると言い出し、岩倉もノリノリで倒幕へ向かってゆきます。
孝明天皇はどうするのか?
と言いますと……まあ色々と胡散臭い話は出てきますが、まずはあらすじを進めましょう。
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さて、慶喜が将軍になって出世したのに、栄一はむくれています。不機嫌です。一橋家でがんばりたいのに将軍なんて嫌だそうです。成一郎も一橋家を離れることに文句タラタラ。別れを惜しむ栄一……とか、そういう話はどうでもいいので、なぜもっと幕末の世情を解説してくれないのでしょうか。
建言を取り上げてもらえなかったと、泣き始める。
すると女性の反応――徳信院と美賀君が出てきます。
徳川慶喜周辺の女性だったら、新門辰五郎親分の娘であるお芳が見たいところ。
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1998年大河ドラマ『徳川慶喜』はもちろんのこと2018年『西郷どん』ですら出てきました。
こうした女性の反応部分は繋がりがちょっと不自然で、必要な場面を削って追加したのかもしれません。
陸軍奉行所書記官として新職場に入った栄一と成一郎。殿が遠くなったと嘆いています。
野暮なことを言いますが、栄一と慶喜ではあまりに立場が違い過ぎます。大河ドラマひとつ取ってみても渋沢栄一が出てきたのはこの作品が二作目です。
栄一の人生にとって慶喜はマストでも、逆はそうじゃない。遠くて当たり前で嘆くようなことではないでしょう。
ともあれ二人はしょうもないことで喧嘩を始めます。
話の本筋とはあまり関係ないですし、追加で入れたシーンでしょうか。構成がなんだかおかしくありません?
新選組・土方との語り合い
不穏な動きを見せる大沢源次郎を捕縛せよ。
新たな仕事についた栄一は、さっそく指名されました。
そんなものは新選組にやらせておけとかなんとか言いつつ、結局、栄一に任されたのです。
と、そこへ土方歳三がやってきます。
土方は不機嫌そうというか、平板な口調でボソボソと話しかけてきます。
栄一はいきなり捕縛するという土方の方針に異議を唱えます。対テロ特殊警察である新選組に何を言っているのか……道理に反するとかなんとか。
さらには自分にも腕があるとかなんとか言いますが、天然理心流の強みを知らないのでしょうか。
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確かに、こういうことを言ったという栄一本人の回想はありますけれど。剣士としてより現場指揮官として有能である土方なら、言いくるめて栄一を下がらせそうな局面です。まぁ、そこはドラマですよね。
栄一は腕があると得意げ。しかし史実では走るのだって……いや、やめておきましょう。
かくして大沢を見つけて、一人で捕らえにいきます。
「たのもう!」
しっかり名乗って入っていく栄一。コントなのか?と思わずズッコケそうになりましたが、「わかりやすい」を売りにしている本作ならではの演出でしょう。
実践的ではないせいか、殺陣もリアリティ不足。屋内戦闘とは? そう考えさせられる場面です。
栄一はピンチに陥り、土方が(やはり天然理心流らしくない)殺陣で倒します。なんだか変なサウンドエフェクトも入っていて、トランス状態になれそうですね。
助けてくれた土方に対し、救助が遅いと言いたいらしい栄一。俺を守るのが役目だとかなんとか強がります。
不思議にも、土方はそんな栄一を誉めます。心服したそうですが、栄一は、幕臣なんて馬鹿馬鹿しいと答える。風通しが悪い。本音むき出しで「亡国の臣となるんだい」だって。
しまいには「徳川は潰れちまう」と言い出し、もはや完全に土方と新選組へ喧嘩を売っています。
出会ったばかりの人間、しかも土方相手に何を言っているのでしょう……。
パリの博覧会へ急展開
案の定、土方がムッとすると、武州の百姓だと言い出す。
栄一は長ったらしい自分語りを延々と続けます。観客がいて、聴かせるような長い説明です。
土方も(わざとらしく)笑っています。土方も武州多摩の百姓だと言い出して意気投合。自分語りの癖が伝染したのか、カッコつけつつ何かを語り出す。
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何人も命を奪ってきたと言い(土方は現場指揮官タイプなので、実際に彼自身が切った人数はそこまで多くありませんが)、栄一はなんだかそれを聞いている。
この動乱の京都にいながら、新選組副長が人を殺していないとでも思っていたのでしょうか?
いや、それより、栄一の仲間も斬ってきたのが新選組のはずですが……それにしても長い!
武州の風を思い出したとかなんとか。いつまで、よくわからない幕末青春トークをするのでしょう。
前向きに生きるとは言いますが、今、自分たちがいるのは治安の悪い京都です。そこで延々と話しこむ彼らは一体なんなのか?と、突っ込んでいたら本作はストーリーが進まないですね。
このあと、渋沢成一郎は江戸まで大沢を連行するのでした。ここでもまた土方が成一郎を見て「渋沢か……」とかなんだかよくわからんこと言ってます。
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小栗忠順が(わざとらしい)トークをし、慶喜の悪口を言い出します。
幕臣は確かに慶喜を軽蔑していましたが、あまりにストレートすぎませんかね。
パリの博覧会について語られ、慶喜に相談すると言います。
慶喜はそんな中でも渋沢を気にしています。みんな渋沢に夢中ですね。
土方歳三の戦友は永井尚志
今週の栄一と土方のやりとりは、問題はないのか否か?
Twitterで公式が「あれは事実です」と本人証言抜粋を入れれば結構。ただし!
正直に申しますと、汚い手でトシさんに触るなと言いたくもなる。
新選組は2004年大河になった時、国会質問に出たほど政治的な組織です。
栄一と楽しい尊王攘夷テロ仲間、水戸学フレンズも斬られまくっている。
そういう記憶が生々しいころに「土方と気があったんでえ」と言おうものなら、それこそ軽蔑されます。ゆえに栄一は黙っていた。
それが晩年、大正時代に『大菩薩峠』という幕末ものの小説が出てくると、栄一がおじいちゃんの昔話として「小説に出てくる土方に褒められちゃった、友達だよ!」と言い出した。
それだけのことです。
大沢逮捕にせよ、栄一が「いきなり逮捕はどうしたものか」と言ったことは、本人の言によればその通り。
ただし、渋沢栄一は天狗党の一件といい、「信頼できない語り手」であることは踏まえておきたい。
ドラマではさらに大いに盛っています。大沢は寝巻きを着ていて、おとなしくお縄につきました。抵抗すらしていない。
土方との話も踏み込んだことは話しておらず、リップサービス気味に褒められたと言いたいだけではありませんか?
ハッキリいいましょう。渋沢栄一の土方に褒められた話は、上司が接待カラオケで「いやあ〜」と切り出した自慢話の類で、だから何なのかと突っ込みたくもなる。
倒幕前夜の極みだった頃に、なぜ、こんなどうでもいい話をするんでしょう?
要は、土方人気に便乗して「あのトシさんに褒められた栄一スゴイ!」と言いたいだけですよね。
この針小棒大なしょうもない設定のせいで土方を侮辱するような描写を連発する。
イモと言われるほど泥臭く力強い、そんな天然理流の殺陣をダンスめいた動きにした。
◆ 「青天を衝け」土方歳三役の町田啓太、美しい殺陣はこうして生まれた(→link)
振り返ってみれば、池田屋事件の土方からして決定的におかしい。
そのせいで近藤勇、永倉新八、沖田総司ら新選組隊士を侮辱したような描写にした。新選組はあくまで近藤勇が局長なのに、それをさしおいて土方が目立つ。
はなから「倒幕したかったけど、なんだかんだで慶喜に拾われたからついていった」とぬけぬけと言っている。そんな渋沢栄一と、幕府に忠義と誠を捧げ、函館に散った土方を並べて平然としているなんて信じがたい。
これほどの侮辱もありません。
まっとうに土方を弔った永倉新八あたりのことを思うと、腹が立って仕方ない。山川浩・健次郎兄弟と斎藤一の友情とはまるでちがう。
なんでこんな雑盛りトークができるのか? トシさん……。
土方にとって本物の友とは、箱館戦争で戦友だった永井尚志でしょう。
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栄一が晩年に漏らした話を根拠にここまで無神経な話をされたところでどうしたものやら。この記事には詳しく書かれています。
そうそう、永井尚志か。
明治になってから「駿府まで押しかけても会えなかった永井尚志w」と得意げに語り残した渋沢栄一という人間のことを踏まえますと、ますます眉間に皺が寄ります。
結局のところ、渋沢栄一は自分にとって一番都合のいい話を引っ張ってきて、自己顕示欲で言いふらす。信頼できない語り手としか言いようがない。
彼がお好きな『論語』ならば、さしずめ「巧言令色鮮し仁」ってところでしょう。口がうまくてペラペラ話す奴に限って、仁を理解していないってこと。
教育に失敗した毒親・徳川斉昭
なんてことなの!
将軍自ら戦陣に立たねばならないなんて!
そう嘆きだしそうな慶喜。これには幕臣も大名も、武士も、豪農層までもが「ハァ〜?」とドン引きすることでしょう。
そのドン引き代表として連れてきたいのが徳川斉昭です。ドラマではおもしろおじさんですが、史実では政治犯扱いされる人物です。
彼は鹿狩りだのなんだの、ともかくやらかす。鹿狩りってただの娯楽でもなく、結構な出費です。しかもただでさえ水戸藩は金がない。
御三家のプライドで石高を上方修正して申告したうえ、儀礼などでは金を惜しみなく使いまくる。
こういうことをする藩はともかく税率があがって、農民となればたまったものではない。
薩摩藩と仙台藩の官位レースは見栄っ張りのために民を苦しめる悪政でした。『殿、利息でござる!』でもご覧ください。
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そういう薩摩と仙台対決どころではないエクストリーム悪政をやらかす水戸藩。
水戸藩は人口減少幅が全国的にも高い。それもあまりに政治がひどいから、長いことリアル『北斗の拳』状態でした。
孔子だったらさしずめこう言いますね。
「うーん、苛政は虎よりも猛しだね」
(悪政に苦しめられるくらいなら虎に食われた方がマシ!)
そんな苦しい台所でなぜ鹿狩りなんてやったのか?
娯楽ではなく「軍事教練である!」と言い訳できるから。本作でも初回で出てきましたよね。武士の狩猟は、流血に備えるような気構えを養うためにも必要です。
本作序盤でも出てきたあまりに厳しい斉昭の慶喜教育は、そういう武士の気構えを養うためのもの。そんなわけわからん教育の結果があのトンズラ慶喜か……そうあきれられたものですが、本作はその上塗りをしていて半端ないものがあります。
教育に失敗した毒親、って感じですね。
本作は、出番が長ければ長いほど、登場人物に傷がつく恐ろしいシステムを導入しました。
勝海舟のキャストが未定ですが、ホッとしつつこう叫びたい。
「勝海舟さんよ、いっそもう出てこなくていいぜェ!」
もう無血開城の功績は慶喜にくれてやってもいいから。
NHKだって、せっかく『明治開化 新十郎探偵帖』と『小吉の女房』で粋な勝海舟を出してんだ、ここで汚すこたねえや。
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理知的な人物と、荒々しい新選組隊士の対比。
これは『八重の桜』における山本覚馬と斎藤一という先例があり、どうしたって比較してしまいます。
池田屋で顔を見知っていた宮部鼎蔵の遺骸を見つけ、こんな才智あふれる人を斬り捨てたことに覚馬は嘆きと怒りを見せます。
すると斎藤が、そんな覚馬に斬りかかった敵を倒し、甘いと返す。
人物像がぎゅっと濃縮されたような秀逸な場面です。
山本覚馬は武力倒幕へ向かう薩長の動きを察知し、それを止めるべく、このあと奮闘して捕縛されます。群衆に紛れて姿を消す西郷隆盛に追いすがっていたもの。
一方で斎藤は、土方が会津を離れる中、会津に残って戦い続ける。
知に生きる覚馬。剣に生きる斎藤。どちらの生き様も輝きや正義があり、それは見どころがあったものですが……。
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大河で幕末史を学ぶなかれ
渋沢栄一が日本で初めて紙幣を発明したと誤解を与えるんじゃないか?
先週、そんな懸念を示しましたが、杞憂に終わってくれませんでした。
◆ 「青天を衝け」幕末で偽札対策!篤太夫の銀札作りにネット「ほんとに、今のお札」「あったまいいー」(→link)
この篤太夫の一連の行動にネットでは「最古のお札誕生か」「あったまいいー」「偽造防止対策もバッチリ」「ほんとに、今のお札だな」「偽造防止策まで」「お札の原盤、木彫りなのか!」「手形みたい」「札で顔を隠す栄一可愛いな!」「途中から聞いていなかったに大爆笑」といった声が上がっていた。
やはり、誤解を与えてしまい、しかもネットで拡散するドツボに陥っていますね。
もはや手遅れかもしれませんが、それでも足掻いてみますと、以下、国立印刷局のコンテンツが参考になります。
◆お札の歴史(→link)
越前福井藩では17世紀に藩札が採用されていますね。
それでも日本最古ではなく、関ヶ原の戦いの頃、伊勢商人が使っていた――とは上記の国立印刷局の記事に掲載されています。
ドラマであんな誤解のある描き方をして、そして案の定、ネットで出鱈目情報が拡散すれば、それこそ松平春嶽が怒りだしそうです。
二百を超える藩にあった藩札を無視してよいものでしょうか?
そう思っていたら、なんだか本作特有の超解釈を踏まえた感想が……いや、この方だけが悪いのではなくて、本作のだまし方とその受け止め方としてでも。
◆ 『青天を衝け』19話「信用」で経済を回す。渋沢栄一が勘定組頭に大出世(→link)
「仁をもって得た利でなくては意味を成さねえ。上に立つ者だけがもうけるなら御用金を取り立てりゃ早ぇ話です。しかしそれじゃあどん詰まりだ!」
まさに渋沢栄一の著書『論語と算盤』で提唱された「道徳経済合一説」(利益を独占せず社会に広く還元するという考え)だ。
今回、篤太夫が取り組んでいた「銀札」は、既に諸藩でも作られてはいたが、うまく活用できていたのはごく一部だったという。
従来、金や銀で取引していたのに、いきなり紙切れがお金の代わりだと言われても、なかなか信用してもらえなかったからだ。
そこで、篤太夫は「銀札引換所」を作り、偽札対策も講じることで、「確実に額面通りの銀と交換できる」という信頼を得て、銀札を活かすことに成功した。
「経済活動には信用が何より大事」なこともバッチリ理解していたのだ。
こちらでは「藩札はあっても信用されていない、取り戻したのが栄一」という方向性です。
これは渋沢栄一ならではの「言行不一致」の典型例だと思います。本人だってそこを自覚していたからこそ、天狗党関連の汚い裏切りには口をつぐんでいた。
ドラマでも一橋家に不信感を持つ人々が出てきて、狭量で愚かな演出をされていますが、そもそもは天狗党で汚い裏切りをしたせいで、信頼を落としておいて何を言っているのかとしか言いようがありません。
そしてこの記事にはそれ以上にまずいことも。
「富国強兵」論や、武器の性能についていろいろと記されており、なまじ大手媒体、かつこれだけの字数があれば説得力も出てしまう。ざっと問題点を挙げますと。
・五代友厚と大久保利通の評価がおかしい
→ドラマの誘導、演出をそのまま受け取ると史実と齟齬をきたす。本作は渋沢栄一が評価していないという程度の根拠で、大久保を噛ませ犬にしているようで幕末明治史理解において有害にもほどがある
・五代を経済だけを考えて平和な人扱いにするのもちょっと
→先週突っ込みましたが「死の商人」です
・銃の性能、武装等、幕府と新政府軍の理解が大雑把すぎる
→佐幕藩でも商人と連携し、最新鋭武装をして連戦連勝した庄内藩がいます。そして、忘れちゃいけない長岡藩のガトリング砲!
・そういうことを無視して長岡藩や庄内藩に惨敗し、薩摩藩まで財政難に陥った。それが戊辰戦争。
そういう経済破綻を止められなかったことについてどう評価するんでしょう?
渋沢栄一と五代友厚を過大評価した結果、いろいろ破綻する事態に陥ってます。
雑な大河ドラマと、雑な公式SNS運用と、雑なファンダムで情報を煮詰めた結果、陰謀論じみた幕末明治史理解が形成されていて、本当に洒落にならないほど有害な状況が出来しました。
【史料批判】の欠如
『青天を衝け』周辺は、作り手からファンまで、渋沢栄一の自伝とドラマの描写を丸呑みにする前提があると思えます。
私は渋沢の自伝そのものを猜疑心で見てしまうため、話が噛み合わない。
ドラマはじめフィクションの作り手も、良心的ならば、あるいは慎重ならば、あまりに怪しいエピソードは避けます。
『麒麟がくる』では、光秀と家族ついて、有名な逸話を取り上げない傾向がありました。いくら有名で盛り上がる話だろうと、信憑性の低いものはストイックに切り捨てた結果だと推察できます。
「自伝でこうあるから妥当じゃないですか?」
そんな意見には「史料批判をしてください」で終わりにできるといえばそう。歴史を学ぶ意義、歴史学そのものを考えるための本は図書館にでもありますので、手に取ってみてください。
「まあ、確かにそこは……でもあれは結局こういう意図があるから」といった反応でもなく「私がいいと言ったらいい! それを貶すのはヘイトだ!」となれば危険な兆候かもしれません。
【史料批判】能力、あるいは【アブダクション(仮説形成)】とでも言いましょうか。
そういう基礎的な力がないと歴史ものでは失敗します。
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そういう勘違いの典型例として、申し訳ありませんがこちらを使わせていただきましょう。
◆【青天を衝け】冒頭、北大路欣也が「こんばんは、徳川家康です」で登場する重要な意味(→link)
大森さんはそもそも幕末通だった。幕末生まれの実業家で教育者の今井あさ(波瑠、30)をヒロインとするNHK連続テレビ小説「あさが来た」(2015年下期)を書いた際、幕末の資料を読みあさったからだ。
インプットの量だけでなく、データを読み込んだら、付き合わせて適切かどうか検証しなくてはいけません。
大森氏は、その突き合わせが甘いことは『あさが来た』の時点で指摘されていたことです。
それっぽく、うまく、口当たり良くまとめる能力は高い。ゆえにこの記事筆者のような方は「通だな」と思わされてしまう。
しかし、歴史を学ぶ上の基礎がどうにも欠けているので、ボロがでてしまう。
土方と栄一が「友達だよ!」なんて話は、エピソードを拾って出すにはよいのせよ。
永井尚志への対応や信憑性をたどれば、破綻していると気づけると思います。
【アブダクション(仮説形成)】ができないことは、作中の誰もこの論理を使っていないことからわかります。
昨年は明智光秀や徳川家康らが使っておりました。ちなみに今の朝ドラ『おかえりモネ』の百音と菅波も使っております。
「信頼できない語り手の自伝」に騙されると……
NHKは近年まっとうな史料批判をせず、自伝やら事後の弁明を丸呑みした結果、大恥をかいた悪い例があります。
大河ではなく、朝ドラです。
2018年下半期『まんぷく』――これは日清食品の公式見解と、ヒロイン夫である安藤百福氏の見解を丸呑みし、史料批判を怠った結果、大問題が発生しました。
チキンラーメンは日清の発明でもなんでもなく、台湾の伝統食品です。
それを台湾華僑が生産販売し、日清が特許を買い取った。
その辺の事情を隠すため、日清側はいろいろとあまり上手でない逸話を作った。
なまじ大企業になったため信じこまされておりましたが、下手にドラマにするからその嘘がバレて、いろいろ報道されてしまいました。
この程度のことは、記録が残っておりますから簡単にバレる。受信料で何をしているのかと恥をかいた。
◆ なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか(→link)
なぜ、そんな事態に陥ったのか?
答えは単純、自伝を丸呑みして史料批判を怠ったからです。
自伝が全然信頼できない人は結構おります。
朝ドラつながりでいえば『エール』の古賀政男なんて、戦時中と戦後で正反対の言い分が並んでいて圧巻でした。
ああいう言い分を信じたら、日本人の大半が、戦時中から戦争に大反対していたことになる。そんなわけはない。
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そういう目線で渋沢栄一の言い分を見ていくと、大仰かつ胡散臭い箇所が多い。
彼は倒幕論者でしたから、とりわけ幕府の批判が的外れかつ大仰だと思えます。代官を悪し様に罵倒し、自分を馬鹿にするのだから幕府倒壊は当然だと言い切る。
そういう“予言の自己成就”じみたことを言う。
幕府存続を願っていた幕臣とはまるでちがう。
「確かに幕府にも反省点はある。だからといって、ここまで屍山血河を築き上げるほどの悪事をしたのだろうか?」
それが彼らの思いでしょう。
そうした痛切な嘆きと比較すると、渋沢栄一が罵倒する代官だのなんだの、あまりに些細、自己欺瞞、身勝手だと思えます。
商業を軽んじるだの、商人を見下すだの。そんなことだから幕府は倒れて当然だと彼は語りますが、その結果としてできた明治政府がどれだけ藩閥政治を蔓延らせ、えげつない差別をしてきたのか?
彼の言うことを信じて「江戸幕府崩壊は商人を軽んじたから」と言ったら、問題を単純化し過ぎていて通じません。
要するにポジショントークです。
代官に怒りを感じた話をいちいちしつこくしていますが、まだ若い、それこそ十代で、井の中の蛙で大海を知らない頃の意見を反省もせず、世間に開陳することそのものが甘えと傲慢ではないかと問いかけたい。
そんなことを堂々と披露できることそのものが、ふてぶてしさではないでしょうか。
渋沢栄一に関していえば、何も私一人が辛辣に見ているわけでもありません。
彼の伝記を執筆した幸田露伴は、渋沢栄一の話になると逸らすようになった。それだけ不愉快な何かがあったのでしょう。
幕臣の子孫からすれば、「冗談じゃねえ!」と舌打ちしたくなるようなことが山ほどあったにちがいありません。
妻子ですら、人格者として講演会をして回る渋沢栄一に不信感があったような話もあります。
それでも泣く子も黙る長州閥とお仲間で、資産家です。
ぬかりなく福祉にも金を払い、外面はいい。
ただ、どうしたって、その胡散臭さや二面性に気づく人は出たのだろうと思います。
そういう狡猾さがなければ、とっくに大河に取り上げられていたでしょう。
明治が遠くなり、昭和も遠くなり、渋沢栄一の胡散臭さに引っかかる視聴者が減って、なんでも丸呑みにしてくれる今の時代だからこそ成立する。
渋沢栄一は確かに優れた人物でしょう。
ただ、ストーリーテラーとしての才能はそこまででもないと思える。
自分語りの時点で言行不一致傾向が強く、胡散臭い人物像が浮かび上がってきてしまう。それをドラマで雑に肉付けすれば、おかしくなることは目に見えています。
モラルを逸脱した大河
人の命や尊厳を軽んじる。まるでカードゲームのように動かして、視聴者にウケればいい。
本作の展開には、そうした不実、あるいは歴史への敬意を失った姿勢をどうしても感じてしまいます。
『麒麟がくる』では、石仏をペチペチと叩きながら利用する信長を、光秀が暗い目でじっと見つめる場面がありました。
いくら効率的だろうと、石仏を拝む人の心を踏み躙ってもよいものか?
光秀はそんな絶望を感じていた。
あのときの光秀と同じ気分を毎週味合わされている気がするのです。歴史上の人物をペチペチ叩き、面白がり、利用する。そういう精神性が耐え難い。
本作のスタッフは板橋駅前の新選組供養塔前で手を合わせてみたらいかがでしょう。
さらに強い言葉で申し訳ありませんが、本作は史実の正確さとかの以前に、モラルから逸脱しているのではないか?と感じることもあります。
かつての朝ドラ『エール』でも同様な指摘がありました。
◆朝ドラ『エール』は史実に基づくドラマのモラルを逸脱していないか?(→link)
『エール』は昨年の朝ドラです。『青天を衝け』とこの二作は似ている部分があると、上記の記事を読んで確信できました。
さらに、古山裕一のキャラクターを、見る者が共感できるように陳腐なものにしてしまうのは、『エール』の作り手たちが、古関裕而を理解できなかったからではないか。
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『青天を衝け』の作り手たちは、渋沢栄一のみならず、幕末の価値観というものを共有していない。というか、するつもりもないのかもしれません。
NHKドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』は、好感度だけを考える人間がいかに薄っぺらいかを皮肉っていましたが、まさしくそれ。
好感度のゴリ押しだけで幕末の人物を解釈するゆえ、結果的に侮辱へと繋がってしまう。
幕末は、そう遠い時代でもありません。
あの時代に苦しんだ人々は、子孫を戒めるためにも、理解し難い時代のことを語り継いで来ました。
まだ幼い子が懐剣を握りしめ自刃したこと。
死体が転がり、朽ちてゆくこと。
腐肉をかきわけ家族の遺体を探したこと。
そういう記憶を残そうと努力してきた。
オーラルヒストリーとして伝えられた人は、このドラマの作り手が想像するよりも多いものです。天狗党の乱などがいい例ですが、毎週、あまりの無神経さに愕然とさせられてしまう。
私のレビューを読まれ「好きな大河を貶されて頭にきている」という方がいるようです。
怒っているのは私も同じです。
幕末明治は鎌倉時代や戦国時代とは違う。断絶なく繋がっている記憶が市井にあり、それを侮辱するようであれば頭にきて当然ではないでしょうか。
五輪・パラ期間中は中止
ここで五輪関連ニュースでも。
◆五輪・パラ期間中は大河ドラマ休止(→link)
開催期間中は、大河が中止だそうです。 NHKは大河と朝ドラ枠でまでオリンピック推しですから、黙って受け入れるしかないでしょう。
そして謎解きはできた気がする。
どうにも本作は、準備期間の短さや雑な仕事が目立ちます。
いや、こういう記事を見れば頑張っていると言いたいのでしょうけれども。それは各人の努力不足というよりも、放送回数を何回にするか、どうするのか、不安定な要素があるので仕方ないとは思います。
ただ、それにしてもやっつけ仕事が多すぎる。
◆かくも楽しきドラマ「時代考証」のウラ側(→link)
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まだ龍馬に期待してるの?
そういえば本作には、坂本龍馬も高杉晋作も出てきておりません。
龍馬が出ないことは別に仕方ないとは思いますが……『八重の桜』でもそういうアプローチはありました。
まぁ、人気云々ではなく、本作について言えば、ストーリー展開をいちいちぶつ切りにするからわからないことが問題です。
幕末ファンは放置して、コスプレドラマにするつもりなのでしょうか。
むしろ出ないことで守られるものもある。例えば『天地人』では前田慶次や最上義光が出なかったことで、彼ら自身の栄誉は守られたと思いました。
『青天を衝け』における小栗忠順なんて出たことそのものが不幸で……。
松平容保の影の薄さにも引っ掛かっていますが、出されたところで不愉快なので(役者のせいでなく脚本と演出のせい)この先もモブ扱いで結構です。
前述の通り、勝海舟ぬきの無血開城にも怖いものみたさで期待したい。
それ以上に、上記のコラムは最後の段落を気にしています。
最後は「視聴率も好評!」と言いたげなのですが、どうにも最近は苦しい。
第19回の世帯視聴率は13・6%。同時間帯ではテレビ朝日系「ポツンと一軒家」に次ぐ高い数字だった。先日、東京五輪・パラリンピック関連の放送で「青天を衝け」の放送が5回分休みになることが発表された。SNS上では栄一風に「承服できねぇ」と怒る声、「えーーーー」と悲しむ意見が相次ぎ、人気の高さをうかがわせている。
『ドラゴン桜』との比較はどうするんでしょうかね。
佞言は忠に似たり
推しは褒めるべし。褒めて褒めて、批判はするな!
突然何かと思われるかもしれませんが、こんな記事がありました。
◆ 若者のあいだで「批評」と「スポーツ観戦」が不人気な理由(→link)
推しを批評されたくないと若者は思っている――そんな趣旨ですが、果たして正しい指摘でしょうか。なんで若者だけなの?
司馬遼太郎の小説と違うから、と研究者の説に批判する方とか。
『独眼竜政宗』で見たのだから、最上義光は悪党だと言い張る方とか。
昔からそうではありませんか?
大河については「ともかく褒めろ論調」が染み付いたらそうなる。今年はなまじ序盤から「成功! 押せ押せ!」ムードが定着したから、強く感じます。
【一貫性】と【承認欲求】の罠。マルチ商法でもよく使われる心理テクニックですね。
一度決めたことはひっくり返せないし、褒めあって楽しんでしまうと、途中から貶せなくなる。
出来では『花燃ゆ』と『西郷どん』と大差はない。
しかし、評価は違う。より悪質性が高まったとは思いますが、こういうときは「褒めている意見」の論旨を突き詰めると見えてくるものがあります。
◆草彅剛がNHK大河「青天を衝け」で見せる“静”の凄み ついに民放入り混じり争奪戦に(→link)
こちらの記事を何度か読みましたが、以下の部分が最もよくわからない。
「いまや栄一と慶喜が直接絡むシーンは視聴者が最も待ち望む瞬間です。これまで大河では幕末物は視聴率が取れない上、渋沢栄一という地味な主人公ということで、当初は吉沢だけでどこまで引っ張っていけるのか不安視されていました。しかし、吉沢の演技もさることながら、草彅の慶喜がすごい。吉沢が“動”で“熱”を演じれば、草彅は“静”でそれ以上の“熱”を表現しています」(芸能ライター・弘世一紀氏)
静かで熱があるとは?
それがみどころだとすれば、役の解釈がまちがっているのではないかと疑念を抱いてしまいます。
要するに、論拠が薄弱なまま「よいといったらよい!」と押し切る傾向が強くなると。
「反権威主義なのに、内容は権威主義」であること
大河ドラマの話なのに、なぜナチスのことを?
そう突っ込まれそうですが、これは頷くしかない記事でしたので紹介させていただきます。
◆新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(→link)
2ページ目から引用させていただきますと……。
ポリコレへの反発
筆者のツイートに寄せられた批判的なリプライを動機づけているのはおそらく、ナチスを「絶対悪」としてきた「政治的正しさ(ポリコレ)」の専制、学校を通じて押し付けられる「綺麗事」の支配への反発である。ナチスの「良い政策」をことさらに強調することで、彼らは自分たちの言動を制約する「正義」や「良識」の信用を貶め、その「抑圧」からの脱却をはかっているのである。
この「ポリコレへの反発」由来の冷笑系反発は、幕末明治になると会津藩が集中して攻撃される傾向を感じています。
典型が野口英世。
彼の借金踏み倒しといった放埒な話を皮肉げに披露されることは多いものでした。
あんな奴を褒める地元民もどうかしている、という侮辱も耳にしたことがあります。
野口のやらかしなんて、渋沢栄一や北里柴三郎と比較すればさしたるものでもありません。
Wikipediaには「観光史学」という項目があります。
観光のために史実をどうこうだとか、そんなことは多くの自治体でしていること。国際的にもあります。
それを会津だけがやらかすように捻じ曲げた項目です。そしてこういう言動もSNSでバズる。
「会津藩には、そもそも新政府は“謝罪し、反省する態度さえ取れば寛大な処置を取る”と言っていますよね、それなのに抗戦したのだから自業自得でしょう」
不正確です。
藩主である松平容保は隠居し、喜徳に家督を譲った。それなのに新政府は執拗に容保の首を求めてくる。家老ではなく、藩主の首を求める時点で非常識です。
そういう幕末当時の価値観や状況を無視して、それこそ新政府が言い張ったことを無批判に受け入るし、バズるんですね。
その根底にある心理がうまく解析されていますので、長いけれども引用します。
だが「ナチスは良いこともした」と主張する人たちにあっては、そうした反権威主義的な姿勢はいわゆる「中二病」的な反抗の域を出ず、歴史から真摯に学ぼうとする態度につながることはほとんどない。
そこでは多くの場合、学校的な価値観への反発が「教科書に書いていない真実」への盲信に直結している。一般に出回っている不正確な情報、怪しげなデマの類でさえ、「教科書的」な見方を否定するものであれば、いともたやすく「真実」と見なされる。
かくも多くの人がこの落とし穴にはまってしまう原因はほかでもなく、そうした情報が権威にとらわれずに「自由」に物を言いたいという欲求と、自分たちは「本当のこと」を知っているという優越感とを同時に満たしてくれる点にある。
「白虎隊だのなんだの言うけど俺らは真実の、教科書に書かれていない歴史を知っているしw」という優越感に会津を小馬鹿にする言動はマッチする。
真摯に学んで訂正するよりも「会津ざまぁw」と言い続けるとスカッとするから、それを続けるのでしょう。
そしてこの『青天を衝け』って、そういう冷笑系歴史スタンスにマッチするんですね。
本作を見ていて引っかかることは山ほどあります。「世間は知らない本当のことを私は知っている……」と慶喜あたりが虚ろな目で言うあたりがなんとも陰謀論じみていて不気味です。雑でキャッチーな新解釈も出してくる。
「そっか! 教科書にはない歴史を大河で学んじゃった!」
そういうニーズにマッチするんですね。
こういう冷笑系にどう対抗するか?
気が重たくはなりますが、やらんでどうするかという気持ちは湧いてきます。
彼らには特徴がある。
「反権威主義なのに、内容は権威主義」であること。
リベラル思想、人権、フェミニズム。そういう考え方のせいでかえって自分たちは苦しいのだから、笑い飛ばしてやるという反権威主義。親が叱りつけるような逸脱をする少年の心……といえばいいけれど、厨二病メンタリティがある。
ヨーロッパの例が示されています。ご参考にでも。
◆ 世界が無視できない「権威主義的ポピュリズム」、こんな人たちが支えている(→link)
この手の動きは、結局、権威主義に近づいてしまいます。
会津を小馬鹿にする理論なんて、明治以降、政府主導でやってきた手垢のついた話。新しい理論を生み出そうとして、否定された方向へ向かってゆく。そういう傾向がある。
会津に対して、心底何かを言いたいわけでもなく、ただ逆張りでそう言っているということは、SNSでの会話を見ていれば推察できます。難しい話でもありません。
古の学ぶ者は己の為にし、今の学ぶ者は人の為にす。
自己研鑽ではなく、冷笑主義でバズるために歴史を学べば、何らかの破綻にはぶつかる。もうそれを見逃している場合でもないのでしょう。
フォースと共にあれ
なぜ大河の話をしていてジェダイが出てくるんだ?
そう戸惑う気持ちはわかります。
小島毅先生の書籍由来で、目次の時点で凄まじい『志士から英霊へ』はおすすめです。
渋沢栄一本人の言葉を読むと、脳裏に何か澱が溜まってゆく。それが解き明かされました。小島先生の言葉を引用しましょう。
◆幕末の志士たちは「テロリスト」だった そしてジェダイはダークサイドに落ちた | ブックス・レビュー(→link)
──松陰もジェダイだった?
彼はむしろ偏った見方をする人だ。自分の信念を貫くために、それに従わない人たちを間違いと決め付ける。対話や議論を求めていくのではなく、書物や教えを通じて得たものに基づいて作り上げた自身の信念こそ正しいと突き進んでいく。
儒教の古典『孟子』の中にある言葉、至誠を根拠にして、誠を尽くせば皆わかってくれるはず、と独善的に事を運ぶ。思想史的に位置づけ直すと、兵学をあずかる形で養子に行ったことから、責任感を持って軍学を身に付け、その結果として、正真正銘のテロリストになっていった。
付け加えておきますと、彼らの特徴は陽明学やら水戸学を魔改造気味で学んでいたということ。フォースのダークサイドは水戸にある。
斉昭と藤田東湖の責任は重いでしょう。
そして、渋沢栄一もそんなダークサイドを学んでいる――。
第二帝政のフランスでサン=シモン主義を学んだ。そういうことは確かにあるでしょう。
しかし私はどうしても、自分の興味範囲もあるとはいえ、水戸学のライトセーバーがヴォーンと鳴る音が聞こえてくるのです。
ここで引用したことは、栄一の性格にもあてはまると思えます。
どんな些細なことでも、ともかく自分に逆らったら厳しく徹底して批判する。渋沢栄一の大久保利通評価を信じて良いものかと私には思える。
『青天を衝け』はそんな栄一自伝準拠のためか、バランスが悪いと最初から感じていました。
霊媒師、代官、そして大久保にせよ。栄一はどうにも、自分の信念を妨害したと認定した相手を極悪非道認定する傾向があります。
劇中で家康が「武士は商業を重視しない」と定義しました。あの最大の典拠は渋沢栄一の言葉でしょう。
栄一はずっと不満があった。商人というだけで見下されている、マウンティングしてくる、だから幕府なんて滅びちまえ! そういうルサンチマンありきで自伝が展開されていると思える。
それが基礎にあるドラマならば、そういう見方を醸成しますよね。
実はこういう自己中心的な傾向は、水戸学周辺、幕末の陽明学周辺に漂っています。栄一は朱子学も徹底的に嫌っています。
心即理――自分の心が正しい、そぐわないものは全部否定してやる――そういうダークサイドに落ちる危険性がある。
そして実際のところ、栄一はダークサイドに落ちます。
労働者の権利を軽視し、足尾銅山の惨禍を生み出した。海外でも問題視された行動がある。
そうして人を踏みつけにしたことに対し、彼は真摯に反省したのかどうか?
晩年になって渋沢栄一という人間はおかしくなったのか?
それとも、本質的なフォースに問題があったのか?
答えはおわかりでしょう。
横浜焼き討ち計画といい、天狗党関連といい、栄一は若い頃よりダークサイドにかなり近づいてきた。
彼の本質はやはり、ジェダイです。
晩年までそういう水戸学は捨てていない。藤田東湖の言葉を重々しく引いてみたりする。東湖の息子である小四郎を見捨てておいて、すごい神経だとは思います。
彼のようなジェダイの考えは、到底理解できないのでしょうね。
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さらに心配なことが。
『青天を衝け』では決して主人公たちのダークサイドは描かれないでしょう。ゆえに彼らのフォースが視聴者にも伝染してしまう。
「こんな素晴らしいドラマを楽しむ私たちを否定するのか!」
そんなブォーンという低い音が、聞こえてくるようです。
もう一度、小島先生の言葉を。
──彼はダークサイドに落ちた?
正義のために戦っているつもりが、闇というものに引き寄せられていく。『スター・ウォーズ』でもよく描かれていると思う。
単純な善悪二元論、勧善懲悪ではない。
善の中にすむ悪の魅力、それこそが悪の魔力なのであり、最初から悪だとわかっていたら、力を持たない。日本語でいうところの「心の闇」。それを幕末の志士たちの生き方に重ね合わせると、彼らはなぜテロリストになってしまったのかがわかってくる。
自分たちの目指す正義が阻まれていると感じたときに、妨害するものを力ずくで排除しようとする。結局、自分たちが敵と考えていた人たちと同じ側に立ってしまう。他者を抑圧あるいは弾圧する。それがダークサイド。
大河ファンからすれば、私は悪の帝国なのでかもしれませんが、まぁ仕方ないですね。
ともあれ、皆様はフォースと共にあれ!
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【参考】
青天を衝け/公式サイト



















