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【青天を衝け第28回感想あらすじレビュー】
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新旧紙幣はテロサー仲間
このドラマの描き方だとわかりにくい。むしろ隠蔽しておりますが、栄一と伊藤博文はテロサー(テロリストサークル)の友です。
『花燃ゆ』のヒロイン文は、“オタサーの姫”をもじった“テロサーの姫”と皮肉られました。
松下村塾はテロリスト集団だとみなされたのです。
ただ、あのドラマはそれなりの誠意があったがゆえ、ありのままのテロリストを描いてしまいました。
しかし、本作はロンダリングが激しくわかりにくい。
栄一が京都でこなしていたことだってテロサーでのウェイウェイ活動です。
ですので、誰かと再会したら
「おっ……京都でテロをしていたときの!」
「久しぶり〜」
となるわけですね。
幕末に冤罪で殺された塙忠宝という人物がおります。
大正になってから渋沢栄一は「あれを殺したのは伊藤博文なんだよ!」とバラしました。
なぜか?
塙が殺された理由は「廃帝の典故」を調べていたから。孝明天皇を廃位するつもりなのか?と難癖をつけられ殺されました。
このとき塙と同じ誤解により、中村正直暗殺計画も持ち上がります。藤田小四郎が薄井龍之に命令したのです。
中村の暗殺計画は未遂で終わりますが、藤田の天狗党と栄一は友人です。こうしたテロサー人脈で栄一は話を知ったのでしょう。
「なあ栄一〜、伊藤俊輔が塙をぶっ殺したぜ! 俺ら天狗党でも誰か殺さないとあがんないよね〜!」
「おーマジで? 誰かぶっ殺さなくっちゃ、時代は尊王攘夷だよね!」
こんなヤリトリをしていてもおかしくないのです。
新旧お札の顔が、テロサー繋がりってどういうことなのでしょう……。
伊藤と渋沢のコンビはテロサー以外でも関係はあります。
汚職、女遊び……こうして冷静になってみると、今年の大河って本当に教育上よろしくないドラマではないでしょうか。
投獄された忠臣たちを心配してあげて
ちらっと「あいつ投獄されてるってよ」とついでに語られる渋沢成一郎。
これも冷たい話です。
ほんとうに心配なら、それこそもっと前に調べているのでは?
福沢諭吉は榎本武揚に差し入れをしていたそうですよ。
そして永井尚志もやはり忘れられている。
忠義の幕臣 永井尚志を我々は知らない~慶喜や栄一に追いやられた無念とは?
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永井は箱館戦争収監者でも際立って高齢であり、それは大変な苦労をしたのですが、栄一も、慶喜も、昭武も、そんな忠臣の心配をしていない。
「やはり栄一と慶喜はスペシャル」
そんな話より、自分のために命を賭した忠臣の心配しませんか。
本作の栄一は「みんなをしあわせにする!」といいますけど、「みんな」の範囲があまりにミニマムです。
銀河へ飛ばした方がよい男たちが勢揃いするドラマ
美賀君が笑顔で慶喜と再会しました。
彼女は、実在の人物というより、放置していても再会すれば喜ぶ、そんな美少女ゲーの中にいそうな存在に思えてきました。
史実の彼女がニコニコしていたと思います?
どうにも嘘くさくて仕方ないのは、以下のような記録があるから。
・結婚した夫は、美人すぎる祖母こと得信院とイチャイチャしている!
・京都に行った夫は妾を作りまくってる!
・大阪から帰ってくる軍艦には火消しの娘である妾を乗せていた!
・明治になったら自分以外の女、しかも身分の低い女中2人との間に10男11女を儲ける!
『八重の桜』では山本覚馬に対して
【#あんつぁまを鴨川へ投げ込め】
なんてハッシュタグがありました。
本作は、まとめて銀河の果てに飛ばした方が良いのではないか――そう思うメンツが揃っていて圧巻です。
・徳川斉昭:女中から大奥女官まで片っ端から手をつける。「精力が強すぎる」と散々言われる。こんなに下半身に人格がない大名も珍しい。
・徳川慶喜:女連れ軍艦逃亡だけでも十分恥辱。この公方様なら東京湾に沈めたところで幕臣は怒らねえ!
・渋沢栄一:本来ならお札にも大河にもできないほどの性豪
・伊藤博文:明治天皇も呆れ果てた「マントヒヒ侯」。日本史上屈指の乱れぶり。
・井上馨:伊藤博文とワースト候補の乱れぶり。
・福地桜痴:ペンネームが「(芸者の)桜路たん萌え〜」という意味の時点でもうやばい。文才最高・人格最低最悪と散々言われた。
どうでしょう。圧巻ではありませんか?
こんな智略で大丈夫か? 栄一と慶喜
今年放映されたNHKの傑作ドラマに『今ここにある危機とぼくの好感度について』がありました。
主役は好感度だけ重視している。ゆえに中身のないことを連発する残念なイケメンです。
「スポーツって、体を動かすことだと思うんですよね」
こういうしょうもないことをペラペラと言うわけです。
なぜこんな話をしたかというと、本作がまさしくこれなんですよね。
好感度か?→SNSでわーっと盛り上がる口当たりによいフレーズか?
理論か?→厳しく冷たいようで、ネットでは叩かれるけれども、本質を突いたものか?
作品作りではこうした二択も突きつけられますが、ある程度のバランスが必要でしょう。
昨年の『麒麟がくる』は後者の理論を求め、好感度を犠牲にする言動をする人物が多かった。
主役の光秀からして、斎藤道三や朝倉義景への言動がきついこともありましたし、信長相手にもレスバトル状態になっておりました。
一方で本作は、当たり障りのない中身のないことばかりを言う。
しかもタチが悪いことに、栄一も慶喜も、マウントしてもよい相手には小馬鹿にする態度をとります。
慶喜の場合、島津久光が典型例です。
久光は幕末屈指の切れ物大名なのですが、兄・斉彬と比較され、何かとバカ殿扱いをされます。
フィクションでもそのイメージが増幅していて、悪影響が抜けない。安心して叩いて良い人物とも言え、本作でも慶喜がさんざん小馬鹿にしていました。
栄一は水戸藩士相手にそれをする。
彼が天狗党と深い繋がりがあった史実を踏まえると本当に悪質極まりない話です。
本作は、理論として正しいかどうかよりもパフォーマンス重視です。
バカにしていい相手をバカにしてウケを狙う。耳に優しい学級目標じみたコトを大仰に言わせて、「いい話だな〜」と感動させる。さすがにあざといと言わざるを得ません。
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