こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【青天を衝け第28回感想あらすじレビュー】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
新政府に出仕するなり土下座
静岡では栄一ファンクラブと化した一団がエールを送っています。
すっかり褒めるだけのお仕事になってしまった川村の存在が物悲しい。
そして美賀君タイムです。妾を連れて軍艦逃亡をした夫に対し、これだけ甘えた態度を取れるのもすごい人物像になってしまいました。わざとらしくもじもじと触ろうとするあたり乙女ゲーのようで。
なぜ渋沢栄一の大河にこんなラブシーンがあるのか。
美賀君は子どもが欲しいと言いますが、彼女は30歳を過ぎていて、当時なら「お褥御免」(性生活引退)でしょう。よほど情愛が深ければ例外はあったとはいえ、慶喜と美賀君には該当しません。
むしろ30過ぎて「子作りしたい」とでも言おうものなら「肉食系ですね……」と言われて恥をかくもの。
でも仕方ない。このドラマって子作り宣言が好きなんですよね。千代が妊娠したことも、栄一がうれしそうに語っていましたし、「仕込むべ!」宣言までしていた。美賀君の子作り宣言もしつこくて、私達は一体何を見せられているのでしょうか。
美賀君は別のことを心配すべきかと思います。なんぜこの先、慶喜は、女中に20人以上の子供を産ませますので……。
場面変わって、栄一が新政府へ。
スローモーションでコート着用をしてズケズケと中へ進んでいきます。
政府の大物達が会合を開いており、ここでも島津久光がバカ殿扱いされていて辛いものがありました。
西郷の敵とされる島津久光はむしろ名君~薩摩を操舵した生涯71年
続きを見る
そして松平春嶽がいます。
福井藩の経済通・由利公正は本作に出てこないでしょうね。
龍馬が抜擢した由利公正は一体何が凄いのか? 福井藩から日本初の財務大臣へ
続きを見る
幕末のドタバタで調停調停に追われた松平春嶽(松平慶永)生涯63年まとめ
続きを見る
同席していた大久保利通については要注意です。
大久保は渋沢栄一たちとはちょっとタイプが違う。儒教でも勢い重視に魔改造された幕末陽明学ではなく、理論重視の朱子学的な発想の持ち主です。
勢いとノリでやっちまった感のある明治維新ですが、大久保は確固たる国家ビジョンがあったと評されるところではあります。
そういうカッチリとしていて自分のやり方を通したいところが、冷たくて感じが悪いとみなされがちで、本作の大久保も「渋沢アンチ」な言動をする、いけすかない奴枠に入りそうです。
できれば維新の三傑を侮辱するようなことは避けて欲しいのですが……。
栄一は語ります。
「ここで働いている連中は5年先、10年先、100年先を見据えていない!」
うーん、それって、横浜を焼き討ちして幕府転覆を企みながら一橋家に仕えた、計画性がない人に言われても……。
「改正掛」とかなんとかプレゼンしていますが、そこに伊藤博文がやってきました。ここは大蔵省じゃないぞ……。
「大変失礼いたしました!」
と、急に土下座。ファニーな栄一の姿を笑えということでしょうか。
明治2年11月、それが渋沢栄一の初出仕でした。
総評
本作は予算が絞られ過ぎているのでしょうか?
セット、衣装、小道具の作り方がおかしく感じます。同じ場所で撮り溜めしているとわかる場面も多く、カメラワークや大仰な演技で誤魔化していませんか?
特に大隈重信が際立っておりましたが……。
◆ NHK大河「青天を衝け」覚えたての株で4億円を稼いだ栄一を政府がスカウト!変顔連発のバイプレーヤーも(→link)
こちらの記事でもこんな風に書かれています。
“明治編”になっても、強烈なキャラクターたちがドラマを盛り上げていくという「青天―」の作風は変わらない。
大隈は立憲改進党設立、総理大臣就任、早稲田大学創設などの実績で知られているが、映像が多く残っている時代ではないため、大倉の熱演が新鮮な印象を与えそうだ。
(中略)
栄一以外の配役が爪痕を残すのも「青天―」の醍醐味。
肛門に中指を入れる痔の予防法を真顔で説き、最期は妻にキスして息絶えた徳川斉昭(竹中直人)や、歴史に残る写真にやたら似ているペリー(モーリー・ロバートソン)など挙げるとキリがない。
大隈重信のように現代にまで影響を残し、功績を重ねてきた方が結局“変顔”枠って、それでよいのでしょうか。
こうした持ち上げ記事を読むと、本作がどういう受容をされているかわかります。
徳川斉昭は水戸藩士に極度に暴力的な思想を吹き込み、人材枯渇を招いた元凶です。
そのことを問われるワケでもない。トイレで心臓発作を起こし急死したのに、無理やりなキスで話題作りをしている。
ペリーが目立つというのもおかしい。
徳川慶喜と関わりが深い外国人はロッシュ。
明治政府に影響を与えた外国人はパークス。
彼らが話題にのぼらず、教科書に必ず出てくるペリーを、本職でない方が演じたことだけで話題をさらう。
爪痕ではなく、わーっと盛り上がり、SNSに投稿して終わる――そういう歴史バラエティのノリを大河でしています。
それで瞬間的には盛り上がるのでしょう。しかし、同記事にはこうもあります。
第27回の世帯視聴率は12・6%だった。前週に引き続きフジテレビで「鬼滅の刃」特別編集版が放送されていることも関係しているのだろうか、12%の壁を破れないでいる。
この前は24時間テレビで、今回は『鬼滅の刃』。裏番組を言い訳にしておりますが、12%で伸び悩むということは、盛り上がってないと見る方が自然ではありませんか。
歴史を辿ると、こんな例があります。
いかに王朝なり政権なりが腐敗しきっていようと、代替となるものがなければ形骸化しつつもズルズルと存続してしまう。
日本ならば室町幕府で、中国ならば明王朝が典型例。大河もそうではないでしょうか。
時代劇最後の砦とも言えますし、唯一無二のブランドではある。が、しかし、幕末の黒船来航状態だと指摘したくなります。
かつて、こんな誇りが散々言われました。
「アジア、いや、世界でも一年かけてじっくりと歴史ドラマを作るなんて、日本だけだ!」
確かにそうだったかもしれません。予算もかつてはあったのでしょう。『独眼竜政宗』あたりは豪華でしたね。
そのころ韓国のテレビ局の人々は九州の電波を拾おうと必死でした。
「日本の大河ドラマはすごいな。我が国の歴史でもこんなドラマを作れたらいいなぁ」
中国でも、大河ドラマのようなものを作りたいとは思われていました。
しかし、それはもはや数十年前の話。
今はVODで韓流や華流の時代劇が大量にみられます。話数も長く、それこそ大河ドラマの趣がある。
東洋史は日本人にとってハードルが低く、視聴者が次々に流れている。
こうした状況を鑑みるに、大河の未来は相当厳しくなっています。
その自覚があるからこその手抜きなのでしょうか。
本作は、昭和後期から平成前半あたりでセンスが停滞していて辛いものがあります。
ドジっ子出仕。
子作り宣言。
とっくに夫婦になっていながら、高校生のように慶喜に手を伸ばす美賀君。役者の年齢もあってか、夫婦というより親子のように見えました。
さらには、顔芸とか、「あーるあーるあーる」連呼とか。
ボーイズラブ狙いみたいなイケメン同士のハグとか。
明治時代の話ではなくて、平成の学園もののようで困惑するばかりです。
今週良かった点は、家康に前説トークをやらせなかったことぐらい。
当初から嘘が目立っていた本作ですが、今週はほぼ全てが栄一&慶喜コンビの自己弁護に終始していました。
四民平等どころか藩閥ガチャの明治
幕臣や賊軍とされた藩の人物は、政財官に入り込むルートを閉ざされました。
例外が教育と軍隊です。
その様子は『八重の桜』でも描かれ、山川浩と健次郎兄弟は、兄が軍、弟が教育を選びました。
山川一家は明治でも最優秀家系とされるほどでしたが、それでもルートが限られております。
浩の場合、陸軍内でも「会津のくせに目立ってんじゃねえよ」と散々嫌がらせを受け、西南戦争ではかなり無茶苦茶な作戦を命令されています。
それでも浩はなんとかしてしまうからおそろしいのですが。
敵に囲まれた城を獅子舞で突破!会津藩士・山川浩の戦術が無双だ!
続きを見る
明治の四民平等には裏があります。
地獄のような藩閥ガチャの世界でした。
薩長土肥――肥前佐賀藩の悲運
「薩長土肥」という言葉があります。ご存知の通り、明治維新で功績を挙げた藩のことですね。
薩摩といえば西郷隆盛と大久保利通。『西郷どん』だ!
土佐といえばなんといっても坂本龍馬。『龍馬伝』だ!
肥前……って誰かいたっけ?
大隈重信です!
忘れないでくださいね。同じ佐賀でも江藤新平は「佐賀の乱」で敗れる印象ばかりが強いし……。
処刑後に斬首写真を晒された江藤新平~肥前藩の逸材41年の生涯まとめ
続きを見る
肥前佐賀藩は早くから西洋の技術を取り入れ、装備面では薩長より充実しており、西軍最強とされています。
ただ、明治政府の藩閥抗争で埋没。
土佐藩の場合は自由民権運動で存在感を示したものの、肥前はそうでもありません。
そうしたもろもろの要素が重なり、大河の題材にすらならない。
そして今回は顔芸枠です……。なぜこんなことに……。
明治政府は人がいない!
静岡に人が集まっているのは栄一のせい?
いや、違います。明治政府の無策や将軍家の威光によるものでしょう。
もやもやと誤魔化していますが、要するに将軍様を担がれて反乱でもやられたら困るということです。
こうした士族反乱は続発し、西南戦争まで続きました。
明治維新はそれほどまでに雑なスタートを切ったということの証左でもあります。
小栗忠順のような優秀な人材すら死なせてしまったものだから、渋沢栄一の出番がある。皮肉な話です。
冤罪で新政府軍に処刑された小栗忠順~渋沢より経済通だった幕臣はなぜ殺された?
続きを見る
本作は、そんな不都合な史実をロンダリングした結果、よくわからなくなりました。
ドラマの描写を見ていると、渋沢栄一がスゴイからこそスカウトがあり、人が集まったように思えます。
しかし、大隈重信が動いていることにご注目を。彼はこう語っています。
「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」
小栗忠順は冤罪による刑死という非運をたどっています。
新政府にしてみれば、幕臣の中に小栗忠順には及ばずとも逸材がいるのではないか? という意図は当然あったことでしょう。
こうして考えてきますと、本作が小栗=ネジだけで済ませた理由も見えてきます。周囲を下げて主役を持ち上げるテクニックです。
大隈の変顔は何なのか?
なぜ大隈が栄一を欲しがるかというと、早い話が「ジェネリック小栗忠順」欲求ですよね。
でも、そのまま描くと栄一の価値が下がる。ゆえにボカす。
ただし、あまりにスカスカにするとバレちゃうから、大隈の過剰な演技と演出で中身があるように見せるというワケです。
サブタイトルにもなったここを押さえておけば話は通じます。
「日本中から今、八百万の神々が集まるのも同じさ! キミもその一人。せっかくの知識を静岡藩だけでなく、日本のために使ってみないか!」
“八百万の神々”で騙されそうになる。
こういうキャッチーなフレーズには要注意です。
そもそも幕府は、そんなことしなくとも小栗忠順なり栗本鋤雲なり、優秀な人材がおりました。
昌平黌出身を探ればよいわけだし、人材登用のシステムがあったわけです。
幕臣の栄一だって、そういうシステムのおこぼれに預かっている。
武士から反骨のジャーナリストへ!栗本鋤雲は二君に仕えず己が道行く
続きを見る
栄一は若い頃に習ったことをやたらと強調しますが、新政府にスカウトされるのは、やはりフランスでの経験が大きい。
そのフランス渡航の交渉や実務をこなして話を詰めたのは、くどいようですが栗本鋤雲や小栗忠順たちなのです。
では、幕府の人材登用システムを使う理由は?
身もふたもない話ですが、明治新政府が有能な人材を放逐なり殺害したからです。
明治新政府って、みんなキラキラと坂の上にある雲をめざして頑張っているんだろうな〜なんて思われますか?
西郷隆盛は鹿児島から新政府に出仕するよう求められ、嫌がりました。
というのも、何もすることがなくてキセルをふかしているような奴らがボケーっとしている。それが実態だったからです。
会社のパソコンでソリティアやネットサーフをしているおじさん。その明治版が大量に湧いていた。これじゃ何もならん!
そりゃ西郷も「オイはこげな連中と仕事したくなか!」とキレますよ。
※続きは【次のページへ】をclick!