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【青天を衝け第29回感想あらすじレビュー】
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むしろ『鬼滅の刃』「遊郭編」の方が教育にいい
『鬼滅の刃』「遊郭編」は子どもにどう説明したらいいの?
12月5日に放送が決まりましたが、舞台が遊郭ということに関し、大きな議論が起こりました。
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注目の作品だけに、以下の青天を衝け関連ニュースでも言及されていました。
該当の箇所を引用させていただきますと……。
今で言ったら「~今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ」by煉獄さん(『鬼滅の刃』より)みたいなものであろうか。「柱」と聞くとつい『鬼滅の刃』を思い浮かべてしまう。
「柱」は神様を数える助数詞ですので、そこが重なった程度で言われても……とは思いつつ、私も共通点を見出しました!
ネタバレありますのでご注意を!
「遊郭編」で戦う鬼の兄妹は、妹が遊女としてはじめて客をとらされた際に悲劇が起こります。
13歳の少女を客として取った憎たらしいあの男! そんなロリコン許せねえ! 一体どういうことだ!
そうなったとき、こう説明できるんですね。
「大河ドラマに出ていて、主人公と仲良くしている伊藤博文っているでしょ? 彼は“水揚げ”というのが趣味で、当時から気持ち悪がられてたんだよ」
大河でそんな人物を好意的に取り扱うのはいかがなものか――そう疑問を抱くことでも学習意欲は生まれます。
フィクションを歴史教育に活用できるかもしれません。
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女遊びが強烈すぎる渋沢スキャンダル!大河ドラマで描けなかったもう一つの顔
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梅を望んで渇きを止む
今週の漢籍コーナーの時間です。
現在放映中でクライマックスを迎えた朝ドラ『おかえりモネ』が秀逸で、同じNHKですからどうしたって本作と比較してしまいます。
モネでは主人公はじめ【仮説形成(アブダクション)】を支える人物が多いので安心です。
データを集める。そして想像し、仮説を形成する。
『青天を衝け』は、制作の第一段階からして、おそらく実行していません。作り手が資料を読み込んでいないように見え、必然的に登場人物たちもそうなってしまいます。
『鬼滅の刃』呼吸で学ぶマインドフルネス~現代社会にも応用できる?
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モネは、心を動かす術を知っています。
例えば先週の放送。強風が吹くからと秋祭りの延期をモネは市民のみなさんに提案します。けれどもなかなか話が通じない。モネには主人公補正によるゴリ押しはありません。
そこでモネは、その祭りの日はデータから察するに、アワビの開口(月に一度限定・アワビ漁解禁日)に最適だと言います。
命令はしない。ただ「アワビを獲りたくないですか?」と誘導することで、祭りの延期を成功させます。
『世説新語』を引用したいと思います。
梅を望んで渇きを止む。
梅を想像して喉の渇きを癒す。
あるとき、曹操は自軍が進まないことに苛立ちました。喉が渇いていて歩く気力が起きないのです。
そこで怒鳴りつけたりせず、彼はこう言います。
「ここを登り切れば梅がたっぷり実った林があるぞ!」
兵士は梅のことを想像して唾が湧いてきます。よーし、梅を思い出してがんばろう! そう進軍を再開したのです。
曹操がセコいテクニックで騙したため悪い意味で用いられることが多いものの、システムとしてはよい。
今だって、
「ワクチン接種したら割引します!」
「選挙に行った人にデザートをサービスします!」
こういうやり方システムはありますよね。
動機を刺激する心理戦はむしろよいことです。モネの場合は、アワビ漁に適している情報は真実なので、問題は全くありません。無理矢理延期させるより、禍根を残さぬ心理戦を展開できました。
それが大河ではなぜ……。
栄一こそ、そういう機転に長じた人物ではなかったのですか?
今や三白眼で睨んで「がんばってるんだもん!」アピールばかり。朝ドラと大河は並び称されますが、脚本の精密性ではもう下剋上達成じゃないかと思った次第です。
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る
このドラマは『韓非子』からこう突っ込みたくなります。
事は密なるを以って成り、語は泄るるを以って敗る。
成功は情報漏洩阻止から! 軽い気持ちで流すと失敗する。
以下の記事では面白いとされている大隈との舌戦。
そもそもが史実として怪しい渋沢栄一の自伝が準拠で、本作の考証の危うさがにじみ出ていると感じてしまいます。
だいたい舌戦としてもレベルが低いんですよね。
創作で構いませんので、なにか具体性があり、しかも時代に即した説得力があれば良かったのに、それがない。朝ドラよりもレベルが数段落ちます。
最も気になるのは、やはり時代考証のミスです。
大隈はやたらと「である!」と連呼していますが、ああいう口調はこの時期は成立していない。
西洋の影響を受け、演説が流行するようになってからの語り口です。
大隈重信は悪筆を気にしており、演説に新機軸を見出したのはたしかにそうですが、もう少し後のことです。
この辺はどうにも渋沢栄一本人がゴマカシているんではないか?と思えます。
散々指摘していますが、幕臣が新政府に仕えることは「弍臣」のふるまい、恥辱の極みでした。
渋沢はその恥辱を誤魔化すため色々と自伝で小細工した。それをベースにドラマが肉付けされているのでしょう。明治になって嘘臭さが増してきたと呆れるばかりです。
渋沢栄一は商業の才能はあった。
しかし、ストーリーテラーとしてはそうでもない気がします。
しかも、このあたりの時代考証のミスは、親切丁寧にこのドラマ関係者がSNSで解説していました。
時代考証としては「である!」はよろしくないけれど、脚本の先生は「ちょっとだけなら」と使ったとのこと。
ダメ大河でよくある「ちょっとだけなら」現象です。
以前、戦国大河の考証をした某先生がぼやいていました。
「落城シーンで城を燃やしたいんですよね」
「いや、この合戦で城は燃えていないのでそれはちょっと……」
「でもどうしても燃やしたくて!」
「まあ、ボヤくらいならいいかな」
そう許可を出して放送を見たところ、そこにあったのは大炎上する天守閣だった……これだと私が時代考証しなかったみたいじゃないか!と、嘆いていたとか。思わず同情したくなる話です。
今回もそうなのでしょう。
ドラマは水物だから、脚本の時点で考証の先生が釘を刺したって、演出スタッフが言い出したら制御できません。
「うーん、インパクト弱いなぁ。であーる、であーる、であーる! と、リピートで叫んじゃえ」
そんな経緯でもあったのではないでしょうか。
かつて、そういう舞台裏のぼやきは、講演会で漏れるものでした。
それが今はSNSがあるから、ダイレクトに漏洩してしまう。
困ったものです。
この漏洩のせいで、本作の脚本家の先生はやはり時代劇適性があやしいのではないかとまた首を捻ってしまった。
確かに、朝ドラから大河へ脚本家がステップアップすることはお約束です。
近年の成功例は『ごちそうさん』からの『おんな城主 直虎』でしょう。
逆に問題があるのが『花子とアン』と『あさが来た』。朝ドラの時点で、歴史劇ではやってはならないほど重大深刻な問題点があると指摘されてきました。
『あさが来た』については、私だけでなく書籍でも問題を指摘しているものがあります。
要は、脚本家はじめ製作陣まで統制が取れていない。そういうお粗末な采配がSNSで見えてくるというのは、どうにもいただけません。
既に『鎌倉殿の13人』は、SNS舌禍による降板騒動が発生しています。
NHK大河チームは、SNS利用に関するコンプライアンスも見直していただきたいと願うばかりです。
これはもう、企業や組織の常識ではないでしょうか。
遠慮無ければ近憂あり
お次は、栄一も大好き!という設定になっている『論語』の「衛霊公」から。
遠慮無ければ近憂あり。
遠い将来まで見ていかなければ、必ず目の前で不祥事が発生しますよ。
これを踏まえまして。引用したい深い記事はこちらです。
◆吉沢亮『青天を衝け』、成功のカギは大河ドラマの「朝ドラ化」にあった(→link)
要するに、大河を朝ドラに寄せてきたからヒットしたという論旨です。
名作枠の『あさが来た』の露骨な二番煎じをしておりますから、成功要因としてあげることは自然でしょう。
スタッフも意識して寄せているので「関係萌え〜史実どうでもいい〜」という反応のまとまった記事になっています。
栄一と慶喜は、史実を無視して同性同士のバディ関係にされました。
これで連想させられるのが『あさが来た』のヒロイン姉妹。あのモデル姉妹も姉は亡くなっていました。
『青天を衝け』の夫婦の絆描写も『あさが来た』と同様ですね。
あのドラマのモデル夫妻はかなりそっけない仲でしたが、劇中では散々盛り上げてられていた。
こうした“美点”を露骨に踏襲し、モデル夫妻が仲が良いわけでもなくその時代らしい冷たい関係であったにも関わらず、NHK大阪はその後も連続して作っています。
『わろてんか』と『まんぷく』です。
この2作品は史実のモデル夫妻を知っていたら失笑ものでしょう。
『わろてんか』のヒロインモデル・吉本せいがフィクションで扱われる際は、夫の女遊びや金へのだらしなさを描くことが定番。
『まんぷく』のヒロイン夫妻に至っては、夫が重婚しており、法律上婚姻関係が無効なのだからシャレになっていません。
しかも、企業を露骨に宣伝する内容で平然と歴史修正が行われ、その点で叩かれてもいました。
『わろてんか』の場合は放送終了後に吉本のスキャンダルが発覚し、『まんぷく』の場合は放送時から「こんなモデルを美化してよいのか?」と雑誌記事にまでなった。
まさに「遠慮無ければ近憂あり」の典型例でしょう。
放映中にモデルの黒さまで暴かれるなんて、そうそうありません。今年の大河はそうなってしまうのでは?と思ってしまいますが。
しかし、こうした苦い経験からなのか。
NHK朝ドラ班は改心し、かつジェンダー描写を一気にアップデートさせています。
特にNHK大阪の近年二作品はスゴイ。
・『スカーレット』:陶芸家夫妻の妻の才能が夫を凌駕し、敗北感を覚えた夫が姿を消してしまう
・『おちょやん』:劇団の座長を務める夫が、若い劇団員に手をつけ妊娠。ヒロインが失踪し離婚してしまう
どちらも視聴者阿鼻叫喚。夫妻は魅力的であったにも関わらず、粉砕された。
カップル萌えと引き換えに、21世紀らしいからこそジェンダー観を手にしました。
男と愛し合うだけでのうて、才能発揮した方がええやんか!
せやせや、女同士で団結して生きていけばええんやで!
そう叩きつけたのです。
そんな奮闘を見たあとに『あさが来た』を見ると、悲しいぐらいに古くさい。
イケメン王子様に頼りきりで、いい歳こいてもへらへら笑って「びっくりぽん!」と叫ぶ。そんなヒロインが痛々しくて仕方ないのです。
放送中の『おかえりモネ』も進歩しています。
このドラマの菅波というヒロインの相手役は、大河のイケメン集団よりはるかに話題を集めております。ただ顔がいいのではなく、個性が豊かなのですね。
そんな菅波がヒロインにプロポーズしたのに、彼女は仕事を重視してしまう。斬新です。
朝ドラがそんな疾走を続けているのに、大河は何事でしょう。古臭い朝ドラの二番煎じって……。放送時はともあれ、放送が終わったら消えゆくだけかと思います。
むしろ本作はジェンダー観からすれば極めて有害です。
差別や抑圧があったにも関わらず、それがなかったかのように描き、「夫婦の絆があるよね〜」と甘い嘘を振り撒くことはゴマカシを是認してしまうことにつながる。
リアリティのある明治女性ならば、山田風太郎『エドの舞踏会』(→amazon)でもお勧めします。
伊藤博文の妻・梅子が実に気の毒だとわかるでしょう。
大河も、本気で朝ドラに倣ってもらいたい。
一昔前のハラスメントが横行するものでなく、現代にふさわしい朝ドラに倣ってください。
もう2015年のまぐれあたりの朝ドラなんて、古びていて“オワコン”。二番煎じで、視聴率も落ちつつある。
ここで大河で失敗したらどうなるか? 井上真央さんのことを思い出してみましょう。
◆「 久しぶりに見てもやっぱりキレイ」井上真央(34)を支える先輩女優と実母との“女の絆” 松潤とは…《秋ドラマ「二月の勝者」出演》(→link)
この記事にはこうあります。
2015年には、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主演をゲット。ところがこの視聴率が伸び悩んだ。
「当時“歴代最低”の視聴率を記録してしまった。大河をやると、その後に民放で主役オファーがバンバンくるというパターンが多いのですが、そうとはならなかった。あのあたりから元の事務所との関係が怪しくなってきたんです」(同前)
大河のおそろしさとは、複合的要因があるにも関わらず、主演のキャリアに傷がつきかねないところでしょう。
近年は『平清盛』、そして『花燃ゆ』が典型例。本作はそうならないことを祈るばかりです。
短期的なウケ狙いで、役者のキャリアが停滞するなんてもう見たくはない。
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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◆青天を衝け感想あらすじレビュー
◆青天を衝けキャスト
◆青天を衝け全視聴率
文:武者震之助(note)
絵:小久ヒロ
【参考】
青天を衝け/公式サイト