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【青天を衝け第33回感想あらすじレビュー】
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焼き捨て三銃士のキャンプファイヤー
秘策は蚕卵紙を焼くことでした。
買い控えを逆手に取って売り控え、さらに新聞に載せるそうです。
そしてここで福地源一郎が出てきますが、あまりにさりげない出方ですね。
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そして栗本鋤雲も……。
嗚呼、ここには出てきて欲しくなかったなぁ。もうこの人だけは見たくなかった。
栗本が嫌いなわけでも、役者にも文句はありません。あれほど誇り高い男が、渋沢の隣にいるところなんてむしろ見たくないのです。栗本が汚れるようで、もう冗談じゃない。
武士から反骨のジャーナリストへ!栗本鋤雲は二君に仕えず己が道行く
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兎にも角にも焼き捨て作戦が実行されます。
渋沢栄一と、尾高惇忠と、渋沢成一郎の、焼き捨て三銃士がかっこよく松明を掲げて、キャンプファイヤー!
えぇと……このシーンは、どうやってリアクションすればよいのですかね。
外国人に一泡吹かせたった! 凄い!
ということかな……。
どういうわけか神秘的なBGMも流れています。
「天まで届きそうな炎だ。見てるか、真田、長七郎、平九郎……」
そう惇忠がいいます。
そうか、これは慰霊だったのか。
真田なんて製作者も忘れていそうな存在感だったし、そもそも火が危険では?
知恵者だったら蚕卵紙をド派手に全部焼いたフリして、政府御用の倉庫にでも隠しておけばよかったなんじゃないですかね。
文化祭最終日のキャンプファイヤーだったら、もう仕方ないですね。盛大にやってケジメをつけなければ明日から元の高校生活に戻れませんから。
世の中が金を中心に回り始めた
栄一が子供を見ていると、三野村が羽子板を持ってやってきました。
この身分の人が単身でホイホイ来ることに不思議な感じを覚えますが、ドラマとしては「名優を使えばええんやで」とでも言いたげで切なくなってきます。イッセー尾形さんの無駄遣いにしか見えません。
そして小栗忠順のことが千代の口から語られますが……。
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千代に聞くまでその一件を知らない栄一って、あまりに無能ではありませんか?
ときに敵対するような取引相手なのですから、どこでカードを切ってこられるかわからない情報、自分で集めておく必要がありましょう。
そして五代と宴会タイムです。
相変わらず飲食場面が多いですが、なぜかそこで『論語』を発見。なぜ、宴の席にそんなもんが置いてるんだ???
イケメンたちがいて『論語』がある。
「君たちがいて僕がいる」のチャーリー浜を一瞬思い出してしまいましたが、なぜかそこに千代もいて三野村もいる。
史実の千代を考慮すると、宴席に顔を出すようなタイプじゃないと思います。
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小栗のことを語るのも「忘れてないよ!」アピールのようで逆に不信感が湧いてしまいます。
世の中が金を中心に回り始めてしまった――と三野村が嘆いています。
これも全部アリバイですね。
金勘定だけでなく道徳も考えていたアピールのため、『論語』を持ち出した。
なんなんでしょう、懐にわざとらしく入れた『論語』って。お笑いコントのツッコミ待ちにしか見えません。
そして三野村はナレーションで死に、西郷隆盛も新聞で死んだことが語られます。
さすがに今回はロス戦術を使わないんですね。
西郷が大仰に散れば、SNSにロスロスロスロス書き込んでもらえたでしょう。
そうかと思ったら唐突に戦費の話が出てきます。
戦争で金が動く!と喜ぶのはショッカー岩崎。
いやいや、そういうのがお得意なのは五代様ですよ。グラバーとタッグを組んで、戊辰戦争では“死の商人”としてたっぷり甘い汁を吸いました。
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大久保利通もセリフで暗殺されます。
大久保と親しかった五代は、すかした顔をして碁盤と向き合っている。
生前はさんざん大久保をコケにしておいて、死んだら急にしんみりって、このドラマって本当に冷酷だと思います。人の死が、持ち上げたいキャラの装飾に使われまくってます。
こんな調子で『論語』を解いてて凄いだのなんだの言われても、仁義礼智信、どれひとつとして成立していません。
見ているだけで心がささくれる。悲しいかな下劣としか思えません。
総評
受信料とは何か――。
スポンサー契約せずとも、利害抜きにして、公平公正に番組を作るために徴収する、それが建前のはずです。
なぜそんな基本的な話をするのかと言うと、よりにもよってNHK大河ドラマで、その基本を逸脱をしているから。
『獅子の時代』も渋沢栄一大河説がありますが、そうならなくて正解でした。
なんせ渋沢には関連企業が多すぎて問題があります。
しかも本作はそこにとどまりません。
主人公を持ち上げるため、あまりに単純な善悪描写をするので、三井だの、三菱だの、他の企業をおとしめ始めました。
もしも福沢諭吉が出ていたら大隈重信と共に早慶ディスにもなっていたでしょう。
本作には、NHKの存在意義まで破壊する勢いがあります。
『論語』プッシュで道徳心を語られても、根本的なルールを破っておいて何を言っているのやら。
渋沢栄一以外は、いくらでも貶めてよい。
そんな世界観でよいのでしょうか。
そもそもその『論語』にも大変失礼なのですが、それはじっくり後述します。
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