青天を衝け感想あらすじ

青天を衝け第38回 感想あらすじレビュー「栄一の嫡男」

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青天を衝け第38回感想あらすじレビュー
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巧言乱徳

今週の漢籍です。

子曰く、巧言は徳を乱る。小(ショウ)、忍(しの)ばざれば、則ち大謀(タイボウ)を乱(みだ)る。 『論語』「衛霊公」

「口先だけでうまいことを言う、そういう中身のないコタツ記事みたいなものはな、結局のところ、徳を乱すんだよ。ちょっとした批判ですらキレ散らかしているようでは、大きな事を成し遂げることはできんぞ」

ドラマ完結も間近です。

孔子が見たら嘆くような記事が、てんこ盛りです。

◆【大河ドラマコラム】「青天を衝け」第三十七回「栄一、あがく」急展開を見せる終盤の行方を占う見事なドラマと俳優陣の好演(→link

最終回を意識する12月に入り、持ち上げ記事もいよいよ熱を帯びています。

「残り少ない回数でいかに栄一の後半生を描くのか」。この回の的確な構成や俳優陣の好演を見る限り、その心配は杞憂(きゆう)に終わりそうだ。むしろ、どんなふうにこの先の半生を描いてくれるのか、楽しみになってきたと言ってもいい。最終回まで無事に駆け抜けてくれることを期待して、残りの物語を見守っていきたい。

杞憂に終わるどころか、大河枠ごと破壊しかねないと私は嘆息が止まりません。

「的確な構成」とおっしゃられますが、本作で明治時代の政治や商業の何がわかるというのでしょう。

視聴者は「おかしれぇ」とか「がっぽんがっぽん!」だけしか覚えてないのでは?

振り返ってみれば、福沢諭吉も同時代に輸入していた複式簿記を「凄い!」と持ち上げつつ、結局は外国人との算盤対決に話をすり替えていました。

あんな調子では、とても銀行業や他の産業について描けるワケもありません。

以下の記事では、テンプレ通りにSNSの声を拾ったような文面が作られています。

◆“栄一”吉沢亮&“五代”ディーン・フジオカ、友情の微笑みSHOTにファン感動「素敵なふたり」「エモ過ぎ」(→link

具体的には以下の部分です。

これに対し、コメント欄では

「一段とかっこよくて素敵でした」

「再び五代様ロス」

「素敵なふたりをありがとうございます」

「素敵なツーショットです」

「共演シーンはエモ過ぎました」

「西のイケメン、東のイケメン」

などの反響が寄せられた。

おそらくウンザリしているのは私だけではないでしょう。

その読者の声って、テキトーにアカウントを作って、自分で投下しても書けてしまいますよね。

まぁ、実際にそんな声が広がっているのかもしれませんが、イケメンが見たいなら、単に並んでいるだけでなく戦ったり合奏したり、やたらと陰謀が起こったりする『陳情令』のほうが何もかもがエモいですよ。

アマゾンの海外ドラマランキングでTOPになっただけのことはあります。

主演コンビは歌も上手ですから。

 

お次は大手スポーツ紙から。

◆ NHK大河「青天を衝け」再婚したばかりの栄一に離婚話が浮上! 家庭内がバタバタ…第38回見どころ(→link

千代ロスについての言及です。

悲しみを忘れることは簡単にはできない。それでも前を向いて生きないと自分も周囲もつらい。栄一のように“千代ロス”を引きずる番組関係者は、離婚話について「実際のところは分かりません」と説明。史実かどうかは分からないが、傷心の栄一と一緒に胸を痛める視聴者にとっては、架空のエピソードには思えないだろう。

本作品の栄一は、平九郎や長七郎、土方歳三あたりが死んだことはイベント感覚で、あっさり忘れていました。

千代のことだけダラダラ引きずっているのは、ただの都合にしか思えません。

そもそも史実では、千代の死後、兼子との間にすぐさま子供ができています。再婚までに三人作り、そのうち二人が夭折でした。

そして大河について一家言ある方の話を聞いている、そんな記事はこちら。

◆ NHK大河ドラマ「青天を衝け」クライマックスへ 吉沢亮、栄一の役 染み込んだ(→link

どうせなら小島毅先生か一坂太郎先生に話を伺っていただきたいところですが。

辛口のコラムニスト桧山珠美に、人気の理由などを分析してもらった。

スタートが遅く、(オリパラによる)中抜けもあった逆境の中、うまく盛り上げた脚本のうまさが光る。渋沢の成長と、吉沢亮の演技の成長がうまくリンクした。千代役の橋本愛らも仲の良いファミリー像を見せ、千代がコレラで亡くなる様子はコロナ禍にかぶせて理解しやすくしていた。

脇の使い方もうまい。朝ドラ「あさが来た」で五代友厚を演じたディーン・フジオカを同じ役で使う仕掛けは、なかなか商売上手。土方歳三役の町田啓太、渋沢平九郎役の岡田健史らイケメンの若手で歴女の心をつかむ「キラキラ大河」の側面も見せた。栄一の浮気は「千代が許可した」という女性主導に仕上げ、炎上リスクを抑えたと思う。

今回の大河は、女性や子どもが親しみやすい味付けで新しい潮流を感じる。世間の「新1万円札の人」に対する愛着は相当上がり、「国家プロジェクト」の意味でも成功だったのではないか。 (談)

「辛口のコラムニスト」という肩書ですが……滴り落ちる蜂蜜のような言葉ではありませんか。

甘いけれども、ジャンクフードのように中身がない。

渋沢の成長と言いますが、加齢演技をできているとは思えません。

何年経っても10代の頃の「ぐるぐるする!」を口にしている。

現代で言えば、

「おめえつぇぇなぁ! オラわくわくすっぞ!」

「営業王に、俺はなる!」

とかなんとか言っているようなもんでしょう。どこが成長しているのでしょうか。「ぐるぐる」の、二度目の「る」の言い方が成長しているんだとしたら、もう私にはお手上げです。

脇役の使い方というのもどういうことでしょうか。要するに話題性や役者さんに頼っているだけでは?

そしてこの記事は、このドラマの本質を突きました。

「歴女」という言葉。この単語は死語になっていただきたい。差別的だと私は指摘したい。

歴史を好きになることに男女は関係ありません。

それなのに、女性というだけでこんなことを散々言われる。

「乙女ゲーで新選組にハマったんでしょ?」

「あれでしょ。『戦国BASARA』やって伊達政宗はイケメンだと思ってない?w 当時からむしろブサイクと言われていて……」

男性だって『信長の野望』や『無双』、『FGO』からはまっていたりしませんか?

それなのに女性だけ「どうせイケメン目当てっしょw」とコケにされる。

いいかげん、こんなことやめていただきたい。

今年の春には、日本史の男性研究者が女性研究者に対し「お姫様扱いされる」という趣旨のことをSNSで投稿し、問題視されました。

そういう葬るべき価値観を東京新聞で再生産してどうなさるつもりですか?

「キラキラ大河」とか「女性や子供に親しみやすい」という言い回しからして、古典的な「女子供向け」とバカにするニュアンスが滲んでいます。

「女子供向け」で「キラキラ大河」が成功するのであれば、なぜ『花燃ゆ』は失敗しましたか?

そして、以下の一文に、本作の意義を語り尽くした感があります。

世間の「新1万円札の人」に対する愛着は相当上がり、「国家プロジェクト」の意味でも成功だったのではないか。

受信料でオリンピックを盛り上げるプロジェクト『いだてん』は大失敗でした。

その轍を踏まないよう、巧言を弄し、徳を乱すことと引き換えに利を得る――『青天を衝け』では、そんなメディア展開が見えてきます。

私が思い出したのは、天狗党の乱のことです。

あの事件では幼い子供たちすら処刑されました。

しかし、あまりに幼いと斬首も難しい。首をすくめてしまう。なので、甘いお菓子を差し出して、首を伸ばしたところを斬った。

このドラマの甘ったるさとは、まるでそんなお菓子のよう。

そうでもしないと首を伸ばさない誰かがいて、害するためにお菓子をちらつかせる誰かがいる。一体どんな状況なのか?

私はそんなことに加担したくありません。斬ることも、斬られることも、御免被ります。

では、徳を乱さぬためにはどうするか?

前述の『陳情令』でも見ましょう。

イケメンを見るだけのドラマじゃありません。

あの作品に登場する雲夢江氏の家訓は「明知不可而為之」、成せぬことを成す――『論語』「憲問」が由来です。

子路、石門に宿る。晨門(しんもん)曰く、奚(いず)れよりぞ。子路曰く、孔氏より。曰く、「是れ其の不可なることを知りて而(しか)もこれを為す者か」。

子路(しろ、孔子の弟子)が石門で一晩を過ごした。門番は子路に問いかけてきた。

「どちらからいらしたんです?」

子路は答えた。

「孔先生のところからだ」

すると門番はこう言いました。

「ああ、あの無理だとわかっているのに、そんな理想を追っている(是知其不可而爲之)人のお弟子さんですか!」

なぜ、こんなことを引用するのか?

新札の顔であれば、私は津田梅子の大河が見たかった。

その思いを同じくする方の記事が以下にあります。

◆作家・柚木麻子「渋沢栄一より大河ドラマにしてほしい"ある女性たち"の物語」(→link

津田梅子が主役となれない理由。

あまりに理不尽なものです。

そんな5年間を過ごす中、「朝ドラや大河ドラマはもっと女性史にスポットを当てて、わかりやすくドラマにしてくれたらいいのにと思います。少なくとも、津田梅子は渋沢栄一より先にやってもよかったのではないか」という思いを強くしたという――。

津田梅子を研究している方に、「津田梅子って、なぜ大河ドラマにならないのですか?」と聞いたら、「外国ロケが多いと、女性の話はドラマになりにくい」と言われました。まず、予算が組まれないらしいのです。梅子は少なくとも10年間アメリカに滞在していたので、人気の若手女優に生き生き演じさせたい少女時代の舞台が全部アメリカになってしまう。予算の問題のほかに、女の人が外国にいると「自分とは遠い人」「エリート」だと敬遠されてしまうという配慮もあるようです。

成せぬことを成す――誰かがそう思い、津田梅子大河を『おかえりモネ』のキャストとスタッフで実現していたらばどれほどか。そう嘆息するばかりです。

 

女子と小人とは養い難し

孔子だからといって、『論語』だからといって、よいことだけがあるとも限りません。

その代表例がこちら。

女子と小人とは養い難し。『論語』「陽貨」

「女と小者はどうしようもないよね」

これは大河ファンにもある悪き傾向で「女大河」「スイーツ(笑)大河」という蔑称がありました。

先ほどの記事からすると「キラキラ大河」という言い換えで誤魔化しているような印象も受けます。

◆Pixiv スイーツ大河(→link

◆『西郷どん』想像以上のスイーツ大河展開に 離脱寸前の人続出か(→link

その轍を踏みたくないから「キラキラ大河」と言い換えているとか?

『青天を衝け』は大体がスイーツ大河の条件に合致します。

渋沢栄一が愛人多数であること、ロンダリングしながらもアリバイ程度には描いているから、除外しているのでしょうか。

個人的にこの言い方は好きではありません。

というのも、

「女向けだから」

「女性脚本家だから」

というミソジニーとセットになるから。偏見を助長するから「女子と小人とは養い難し」同様に使いたくないのです。

しかし、そんな私でも流石に「養い難し!」と唸ってしまったことはある。

◆大河「青天を衝け」草なぎ剛 脚本の大森美香さんは「びっくりしながら見ていた」(→link

私は慶喜役が決まった時から、苦い顔になることが増えました。

なぜなら役者のファンがこういうことをSNSに書いておりまして。

「つよポンが演じるならきっと慶喜もいい人だよね!」

いや、いや、いや。

演じる役者と歴史上の人物を混同することはなりません。

それなのに、この脚本家氏は堂々と語ってしまう。

大森さんは「慶喜の能の面が外れたところから、ずっと、びっくりしながら見ていた。慶喜はこういう人だったんじゃないかと、草なぎさんを見て思わされたところが多かった」と述懐。

主人公に善性を見出すのであれば、それは資料や研究からすべきこと。

『麒麟がくる』ではこんなアプローチをしていました。

光秀の建てた城の構造。

当時残された証言。

治めた地域の伝承。

そういった要素から、これまで積み上げられてきた分厚い悪人イメージを剥がし、光秀の本質を求め、作品に生かす。

間違っても

「長谷川博己さんがイケてるから光秀もいい人にしよう!」

なんてことは言いません。それが当然です。

しかし、慶喜に対する言葉で、謎は解けたところがあります。

「彼が演じる慶喜の、こんなところは見たくなーい!」

そういう心理があったとすれば、そりゃあ慶喜の卑劣で悪どい所業なんて描きませんよね。

天狗党の残酷な見殺し。

妾を連れての軍艦逃亡。

周囲の困窮を無視して女中と子作り三昧。

渋沢栄一の数々のあくどい言動もそうなる。

それでも出演者も同意することでしょう。

◆ 吉沢亮、SMAPの大ファンだったと告白「初めて言うんですけど…」(→link

◆ 吉沢亮、草なぎ剛からシャンパンの贈り物 大河最終回を見ながら「飲もうかな」(→link

大河も変わったなぁと思います。

独眼竜政宗』の撮影であったことですが。

◆ 渡辺謙が語る『独眼竜政宗』 命懸けだった勝新太郎との緊迫シーン(→link

渡辺謙さんと勝新太郎さんが緊張感を保ったまま本番にのぞんた話は有名です。

緊張感を高めるため、この場面の収録まで勝は渡辺と一切顔を合わせなかった。迎えた撮影時、ヒリヒリと緊迫した雰囲気の中で、勝は「この若造が」とばかりに、手にした采配を渡辺の首元に突きつける。完全な勝のアドリブだった。当時の現場を渡辺が懐かしそうに振り返る。

「とにかく何が起こるかわからない。全身にアンテナを張り巡らして、命懸けでした。それが政宗の心境とシンクロしたのでしょう。勝さんとのシーンはすべて何が起こるかわからない雰囲気でした」

この緊張感が空前の大ヒットを生んだのだ。

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昔を偲んで懐古趣味なんかに陥りたくはありませんけど。

今年は、あまりに弛緩しすぎではありませんか?

昨年の長谷川博己さんと染谷将太さんにも緊張感がありました。

長谷川さんは、撮影後メイクを落とした染谷さんを見て「あ、こんなにかわいいんだ……」と驚いていたとか。

それが今年はいつでも高校の文化祭だ。

しかし、どうやら作り手は賛美しか耳に届かないようではある。

◆「青天を衝け」脚本・大森美香、五代が主役のドラマにも意欲(→link

渋沢栄一同様、人当たりがとてつもなくよろしい方です。

巧言令色鮮し仁とはこのこと。

そりゃ需要があれば「また五代様ドラマやりたいです」と笑顔で返すでしょう。

しかし、聞きたいのはそんなことじゃなく、インタビュアーにもきっちりと仕事をしていただきたい。

五代を二度も描いておいて、黒田清隆すら名前も出さないで、それで彼の生涯を描いた意味があるのでしょうか?

五代友厚と黒田清隆
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彼の事績で最も知られている開拓使事件を二度も捏造まみれにして、大隈重信はじめ当時の声、特に北海道の声を「誹謗中傷だ! 嘘だ!」と言い切っておいて、それをまた繰り返す。

はっきり言いますが、彼女の描いた五代様は名前と設定を借りただけのオリキャラ状態です。

文豪の名前を使っているけれども、ほぼオリキャラ――そんなゲームがありますよね。それと大差はありません。

五代友厚の伝記を読んでも、広岡浅子や渋沢栄一は、ほとんど出てきません。

この二人の人生にでしゃばっている五代友厚なんて、オリキャラでしかなく、そういう侮辱や捏造についての考えを確認したいのです。

学問としての歴史を勉強をするとき、こんな風に釘を刺されることは多い。

「ドラマやゲームの印象は一旦忘れてください。それはむしろ歴史を学ぶうえで邪魔です」

それなのに、まさか大河の脚本家が、役者のプロモーション気分で歴史を捻じ曲げるのはいかがなものでしょう。

女子だから養い難いとは申しません。小人ではないか?と私は伺いたい。

歴史を扱うのであれば、歴史学とは何か、その基礎くらいは最低でも学んでいただきたいのです。

メディアにも問題があると感じます。

・なぜ歴史を学ぶ意義がわからないで、大河を引き受けたのか

・『あさが来た』の時点で歴史を扱う力量に問題があると懸念されていた方を、なぜ再起用するのか

その辺りを突っ込んでこそジャーナリズムの価値があるのでは?

そして気づきました。

『麒麟がくる』のときは、クランクアップ後も、作り手も役者さんも、「放映されてからでないと終わった気がしない」と語られていました。

作り終えてから観客の反応を見て、それで初めて終わる。そんな意識ですね。

それが今年は、もう終わって成功したと「万歳!」している有様。ろくな反省もなく、次もあればやると即答してしまう。

歴史と向き合い、作品を丁寧に仕上げていくというより、そろばんを弾いて儲けを出す商人の姿勢ですよね。

儲かるか、そうでないか。

判断基準がそれだけだとすれば――仁義礼智信――すべてが欠けた姿勢ではないでしょうか。

※著者の関連noteはこちらから!(→link

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◆青天を衝け感想あらすじレビュー

◆青天を衝けキャスト

◆青天を衝け全視聴率

文:武者震之助(note
絵:小久ヒロ

【参考】
青天を衝け/公式サイト

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