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織田家 その日、歴史が動いた

織田信忠 父・信長から家督を譲られし有能な二代目は、非業な最期を迎えた

更新日:

偉大な父の跡を継いだ息子の辿る道は、だいたいの場合二つに分かれます。
父の功績を引き継いで家を安定・発展させるか、もしくはプレッシャーに押しつぶされて滅亡するか。
戦国時代でよく知られている例で言えば、前者が徳川秀忠で後者が武田勝頼ですかね(本人の能力はさておいて)。
ちょうどその間の時代に、どちらになったかもわからないまま命を落とした人がいました。

天正三年(1575年)の11月28日、織田信長が嫡男・織田信忠(1558~82)に家督を譲り形式上は隠居しました。

この後も現実的な意味では信長が最高権力者だったのですが、既にこのとき42歳。
「人間五十年」を意識していた信長としては、そろそろ自分が死んだ後のことをはっきりさせておきたかったのでしょう。

信長

信長さん(富永商太・絵)

何せ、自分が弟と家督を争って苦労してますからね。
そのためか、形だけの割には18歳の信忠につけたおまけがスゴイ。
それまでの本拠だった岐阜城はもちろん、因縁の地・美濃も織田家代々の尾張もまとめてあげちゃっているのです。
家宝の品々もまとめてポーンと渡してしまいました。
中には日本三大敵討ちの一つ、曽我兄弟の仇討ちで有名な曽我五郎由来の太刀「星切」まであったそうです。
気前がいいにも程があんだろ。

信長と比べて暗愚だったといわれる信忠ですが、そりゃそもそも比較対象がおかしいというもので。
何よりあの信長がきちんと家督を継承させる意思を見せているのですから、お眼鏡には適ったということになりますよね。
もちろん、そこに至るまでには信忠自身の努力もありました。
というわけで、判官びいき(※ただし由来の人物義経は除く)がテーマの当コーナーでは「織田信忠△」でいきたいと思います。

 

普通にかっけー武将

まずは武士としての面からお話しましょうか。

子供の頃は、「奇妙丸」なんて奇妙な名前をつけられましたが、すくすく育った信忠が元服したのは、元亀3年(1572年)のこと。
つまり、大人とみなされてから家督相続まで3年しか経っていないのです。
その間に石山本願寺との戦いがあり、伊勢・長島の一向一揆があり、鉄砲三段撃ちで有名な長篠の戦いがあり、信長の叔母を陥落した武田のちょい悪おやじ秋山信友を捕まえたり、これら全てに従軍していました。
家督を継いだ年には、対武田軍の大将も任されています。
信長は当時、全国各方面に軍団を派遣していた状態。逆に言えば、ほかの方面軍の秀吉や明智らが注視しているなか、決して失敗はできないということです。

そんなときに大将を任されたのですから、信忠は一軍の将として信頼でき、また他の家臣達にも劣らない働きができると見込んだのでしょう。
事実、信忠の攻め口は鮮やかで、武田家を高遠城へ追い詰めたときには信長が「ちょっと危ないから引いとけ」と止めたのを無視したにも関わらず、見事勝利を収めるほどでした。
これにはあの信長も驚いたようで、「お前なら天下を任せてもいいだろう」と最大級の褒め言葉を贈っています。
信忠△。

 

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信玄の娘との婚約をあくまで貫き通す

次は、よき夫としての面。
時間を遡って、まだ武田家と織田家が戦をする前、信長が美濃を取ったばかりの頃の話です。
当時まだまだ織田家には力がなく、武田家と事を構えるのは得策ではありませんでした。
そのため信長は一度頭を下げて、信玄へ同盟をもちかけています。
このとき信長の姪っ子を養女として勝頼に嫁がせたのですが、彼女は子供を産んですぐ亡くなってしまいました。
そこでもう一度婚姻を結ぶために選ばれたのが、信忠と信玄の六女である松姫です。

時勢が落ち着かないこともあり、松姫はすぐに織田家へ嫁いで来ることはありませんでした。
その代わり、この二人はしょっちゅう文通をしています。
これは信長の勧めもあったそうですが、手紙だけでなく贈り物のやりとりもしていたとか。
血生臭い戦国時代のことというかそもそもその一因が当人達の父親だというのにゲフンゲフン、まるで二人だけ平安貴族のような間柄です。
残念ながら織田と武田の同盟は失敗に終わったため、信忠と松姫は直接顔を見ることもないまま婚約破棄となってしまいました。

ですが、信忠は武田家を滅ぼしに甲斐まで行った後も、松姫を気にかけていた節があります。
彼は正室を迎えていないのです。
織田家の跡取りですから、側の女性も子供もいくらいてもいいのに、です。
もちろん子供はいましたが、その生母もあくまで側室扱い。
ということは、いずれ正室をどこかから迎えたいと思っていたか、あるいは……?

これにはもう一つ根拠があります。
本能寺の変が起こる直前に、信忠は松姫の消息を聞き迎えの使者を出しているのです。
松姫は武田家が滅びた後、武蔵・八王子まで逃げて姪っ子たちとひそかに暮らしていました。
信忠がやろうと思えば無理やり連れて来させることもできたはずですし、既に滅びた家の女性をわざわざ迎えても政治的なメリットはありません。
それでも丁寧に使者を出したということは、松姫の意思を尊重するつもりだったのではないでしょうか。
松姫もこれに応え、信忠の元に向かいます。
しかし、松姫が到着する前に本能寺の変が起きてしまい、二人は現世で顔を合わせることはできなかったのでした。

 

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本能寺の変でも「nobutada△」すぎる信忠

最後に、やはり本能寺の変での話をしましょう。
実は、信忠には逃げるチャンスがありました。
信長は本能寺にいて包囲されてしまったため逃げようがありませんでしたが、信忠は別のお寺にいたので光秀の手が回っておらず、逃げようと思えば逃げられたのです。

しかし、彼は父の救出が不可能と知ると、逃げずに二条御所(現在の二条城)に向かいます。
ここには当時の皇太子・誠仁(さねひと)親王一家が暮らしていました。
そのため寺よりも防御能力が高かったのです。

信忠はまず親王一家と女性を逃がしました。
どこからどう見ても切羽詰ったこの状況で、皇族のことを考えた冷静さは間違いなく評価に値するでしょう。
地味ではありますが、ここに信忠の能力が一番現れているのではないでしょうか。

逃がすべきを逃がした後、信忠は明智軍相手に篭城戦を演じます。
しかし近侍の数十名程度では当然適うはずもなく、自らも剣を取って戦ったものの、あえなく自害することになったのでした。

どうでしょう?
一軍の将としても、夫としても優れた人物であり、土壇場でも判断力を失わない、立派な後継者ではありませんか?
途中ちょっと綺麗過ぎる話もありますが、少なくとも信長の目は間違っていなかったといえそうですよね。
多分信忠が生きていたら、日本の歴史はまた違ったものになっていたんだろうと思うと、生き延びて欲しかった気もしますが……。
まあ、それは後世の人間が考えた身勝手な話ですかね。

長月七紀・記

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