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西郷どん(せごどん)特集 ゴールデンカムイ特集 明治・大正・昭和時代 その日、歴史が動いた

山本権兵衛~西郷隆盛の教えを受けて海軍を背負う 陸軍・政治家からも一目置かれた理由は?

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近代史はとかく覚えることが多いので、苦手な方が多いですよね。
「写真でイメージがしやすいから覚えられる」という方もいらっしゃるでしょうか。一方で人名となると、同姓の違う世代の人がいたりしてややこしいものです。
しかし、授業では「暗記」の一言で済まされている人名でも、個人的なエピソードを探っていくと、魅力が見えてきます。
本日はその良い例になりそうな、とある軍人のお話です。

嘉永五年(1852年)10月15日は、後に海軍大臣や総理大臣などを歴任する山本権兵衛が誕生した日です。

海軍というと、もう少し後の世代である東郷平八郎や山本五十六のほうが有名ですが、彼らの活躍も権兵衛なしではありえなかった……といっても過言ではありません。
功績の面ではもちろん、性格においても、彼は海軍に大きな影響を与えました。
経歴等については先達の書籍などに譲るとして、今回は主に権兵衛の人格をうかがわせる話をご紹介していきたいと思います。

【TOP画像】海軍経営者 山本権兵衛』より

 

西南戦争に加わらなかった従道に詰め寄った

山本の生涯には、それを貫く柱と呼ぶべきものがありました。
それは「自分が良い・正しいと思ったことは、誰に何を言われようと押し通す」ということです。しかしただの身勝手ではなく、「現実を踏まえて最善を導く」という筋が通っていました。
山本の行動は突飛に見えることでも、必ずこの柱に基づいています。いくつかの実例を挙げましょう。

まず第一に、西郷隆盛西郷従道兄弟に対してです。
山本と西郷兄弟はともに薩摩の出身ですから、旧知の仲でもあり、尊敬する相手でもありました。
そのため、西南戦争の前に山本は隆盛の真意を確かめようと、東京の兵学校を一時休んでまで鹿児島に会いに行っています。
場合によってはそこで西南戦争に加わったでしょうが、隆盛から「これからの日本には必ず海軍が必要になるから、今、学生の君たちは大いに学ばなくてはならない」と諭されました。
山本は隆盛の言うことはもっともだと思い、東京に帰って学問に励むことになります。ちなみに、このとき一緒に行った同級生は途中で引き返し、西南戦争で戦死しました。

また、西南戦争からしばらく経った後、弟である従道に「なぜ兄に賛同しなかったのか」と迫ったことがあります。詰問といってもいいでしょう。
従道は「兄弟揃って帝に背いては、他者への影響が大きすぎる」「兄の考えに反対するために東京へ残ったわけではない」と理由を話しました。従道には従道の考え方があり、保身に走ったわけではないということを理解した山本は、従道と互いに信頼し合うようになっていきます。

その後、山本が海軍の改革を行う際も、大臣である従道が「責任は取るから好きにやれ」と全面的に後押ししてくれました。

 

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「一夫一婦制は国法の定むる処なれば誓って之に背かざること」

二つ目は、妻・登喜子に対してです。
確たる資料はないですが、山本の妻・登喜子は新潟の漁師の娘で、品川の妓女をしていたそうです。それに山本が惚れ込み、船を使って妓楼から誘拐同然に連れ出したのだといわれています。
よく妓楼の主人に訴えられなかったものです。

これだけならただのダイナミックロミオですが、山本は妻に対しても「筋」を通します。

正式に結婚するにあたって、山本は登喜子に七か条の誓約書を書きました。
大ざっぱにまとめると、「家の中のことは妻に任せるから、日頃からいざという時のために夫婦仲良くしよう」というものです。
一つだけ原文で抜き出すとすれば、「一夫一婦制は国法の定むる処なれば誓って之に背かざること」でしょうか。

当時のお偉いさんは(も?)女遊びをして一人前という風潮がある中、登喜子にとってこれほど心強い一文はなかったでしょう。故郷から遠く離され、すぐに頼れるような親族もない状況で、唯一の味方に心の底から誠意を表されたのですから。
なんせ山本は、ほぼ教育と無縁の生涯を送ってきたであろう登喜子のために、わざわざふりがなを書いてまで自分の意志を伝えているのです。
これでついていかない妻はいないでしょう。

山本権兵衛と妻・登喜子/Wikipediaより引用

山本権兵衛と妻・登喜子/Wikipediaより引用

もうひとつ信憑性に欠ける話ではありますが、山本は自分の乗艦に妻を連れてきて案内したことがあるそうです。しかも、そのとき妻の履物をわざわざ揃えてやったのだとか。
これより数十年前の「和宮が将軍家茂の履物を揃えたことにより、真に御台所となった」という話と比較すると、山本の奇矯ともいえる誠実さがわかります。

馴れ初めや履物の話は事実かどうかわかりませんが、いずれにせよ「山本ならやってもおかしくないことだ」と受け取られてきたからこそ、今に伝わっているのでしょう。

 

あえて薩摩を外していたんでは?というぐらいの公平感

最後に、山本の「薩摩出身だけれどもイレギュラー」に見える点について。

当時の海軍は「薩摩海軍」といわれるほど薩摩出身者が多い組織でした。
どちらかといえばお偉いさんも豪傑タイプで口下手な人がほとんどだったので、陸軍との折衝でうまくいかず、なかなか希望が通らないという歯がゆい思いもしていました。
当初の海軍は陸軍の下に置かれていたため、そもそも下に見られており、「海軍独自の司令部がほしい」と言っても実現に至っていなかったのです。

しかし、弁が立つ山本が会議に加わってからは、明快な理論で陸軍をうならせることもあったといいます。
山本は若かりし頃ドイツ艦での実践演習を体験しており、その時の教官を「生涯尊敬する人の一人」としていました。その演習では文字通り世界中をまわっており、欧米人と接する機会も多かったと思われます。
その経験が山本の弁舌能力を上げたのかもしれません。

ときの陸軍のお偉いさんに、山本の幼馴染みがいたことも幸運でした。やはり最後にものをいうのは、人間同士の単純な信頼関係ということでしょうか。
しかし、バリバリの派閥政治だった当時において、山本は「地元が同じだから」というだけでは人事を行わなかったのも、他者から信頼を勝ち得るに大きかったのでしょう。
人員整理や新しい役職者を選ぶ際は、あえて薩摩出身者を除外していた感すらあります。
人事に関わる役職に就く前から、「山本がやってくれるようになれば、きっと公平になるだろう」とまでいわれていました。

 

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「奸賊になるのでは」という疑問も、会えば「任せておけば大丈夫」

こうした山本の「柱」は真っ直ぐすぎて、外からは不審と映ることも多かったようです。当時の新聞にもプラスマイナス両方の面からいろいろ書かれています。
大臣や元老クラスにも「もしかしたら奸賊になるのでは」と危惧していた人は多かったようですが、実際に会って話した人のほとんどは「あいつに任せておけば大丈夫」と思うようになっていきました。

山本もまた、同じように信頼できる人間を要職につけます。日本海海戦で大勝利を収め、一躍世界に知られた東郷平八郎がその最たる例です。

東郷はそれまで地味な男だと思われていましたが、日清戦争時のとある事件を見事に解決したことで、山本の信頼を得ていたのです。
山本は総理大臣としては目立った功績はないのですが、にもかかわらず二度も組閣を命じられたのは、そういった絶大な安心感と、人を見る目が確かだったからなのでしょう。

ちなみに、二回目は関東大震災の直後です。元々ときの首相・加藤友三郎が亡くなったばかりだったため、文字通り未曾有の事態でした。
そんなときに急遽総理大臣を任されるのですから、日頃上から下までいかに信頼されていたかがうかがえますよね。
現代も、これから日本の未来を背負っていく方々も、政治家センセイたちにはぜひともお手本にしてほしい人物です。

長月 七紀・記

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参考:山本権兵衛/Wikipedia 山本登喜子/Wikipedia

 




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