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始皇帝の生涯50年 呂不韋や趙姫との関係は?最新研究に基づくまとめ

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始皇帝
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秦帝国の終焉

この二世皇帝・胡亥のもと、秦帝国は滅びの道を辿ります。

「陳勝・呉広の乱」を契機に戦乱が広がり、項羽と劉邦が争い、漢が成立するのです。

胡亥が無能で暗愚だった。

李斯はじめ、秦の家臣が奸悪だった。

戦争や「万里の長城」の無謀な工事で、民が疲弊していた。

そうした要因も考えられます。

武田家滅亡の要因を、全て勝頼の器量だけに背負わせることに無理があるように、秦の滅亡にも複合的な要因があるのです。

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漢を統一したあと、儒家が劉邦にこう進言したことは、前述の通りです。

「法家を重用した秦を反面教師にして、この王朝を長続きさせましょう!」

そうして採用された儒教は、社会を変革させずに、長く持続させるシステムとして極めて有用でした。

年齢、性別、家族関係、君臣。そうした上下関係が明確であり、とりあえず経典にあると主張すればそれで通るようになりました。

日本の乱世を統一した、あの君主も学んでいます。

徳川家康です。

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武士道と一括りにされますが、下克上がまかり通っていた戦国時代と、忠義が第一とされた江戸時代では、まったく違うことはおわかりいただけるかと思います。

東アジアでなぜ儒教がここまで根付いたのか?

それは乱世ではなく、ひとつの王朝を続けていくうえで、極めて優れた思想であったからと言えるのです。

だからこそ、秦から学べることもある。

そうとも言えませんか?

そして考えたいこと。

始皇帝は、なぜ長いこと中国史では悪として認定されてきたのでしょうか?

 

儒教の価値観からすれば反面教師だった

漢民族の道徳規範といえば、儒教です。

これは漢代になってからのもの。始皇帝とその周辺をたどる『史記』も、こうした儒教的な道徳律の影響からは逃れられません。

極めて冷静な筆致であり、素晴らしいことは確か。

ただ、司馬遷本人の問題ではなく、史料収集の限界点や、読み手の側が解釈も重大な要素です。

『史記』がベースであれば、絶対的に信じてよいかどうか。これは別問題です。

漢にとって始皇帝は、倒されてしかるべき宿敵ナンバーワンでした。

儒家および儒教道徳を身につけた漢民族から嫌われたのが「法家」です。

極めて合理的であり、秦躍進の原動力とも言える思想です。

ただ、あまりに厳格であるため、残虐非道で人情がないと思われたのです。焚書坑儒の背景にも、法家がおりました。

法家であり、秦躍進のブレーンであった李斯は「腰斬」という残酷な刑罰で処刑されました。

これが、儒教の目を通すとこうなってしまうのです。

「法家は残酷です。自分がもし、自ら定めた法律に裁かれたら? そんなことすら想像できないのです。そしてその結果! 残酷な刑罰で死にました。因果応報ではないでしょうか」

彼らの思想からすれば、人の道徳心を無視した秦は、その冷酷さで自滅した――そういう考え方になります。

漢の始祖である劉邦に、とくとくと儒教を売り込んだ儒家は、秦を反面教師にしたことでしょう。

「いいんですか? 皆が勝手気ままに振る舞うと、この王朝だって秦の二の舞になりますよ。礼儀作法、そして儒教のこの経典を実践すれば、理想の王朝が実現できます」

「えっ、そうなの? 秦を反面教師にして、儒教を学ばないと!」

乱世では特に役に立ちそうにないけれども、統治するのであれば儒教はとても便利である。

それが、漢民族、そして東アジアが学んだ手段でした。

「年上の人には敬意を示しましょう」

「親を尊重しましょう」

「家族は仲良く協力しあいましょう」

「主君に背いてはいけません」

なんだそんなこと、当然じゃないの。そうは思いませんか?

こうした日本人に根付いた基本的な道徳心は、儒教が基本です。

武士道は違うと言い張ったところで、武士の教養と道徳心は、儒教のテキスト『四書五経』由来ですから、ちょっと無理があります。

徳川幕府でも、儒教をしっかりと叩き込んだのは、戦乱の世の意識そのままで背かれては困るからなのです。

 

儒教に背くな、これは重要なのです

漢代に成立した『史記』、およびそれ以降の目で始皇帝をとらえると、どうしても儒教道徳を通した像になります。

始皇帝は反面教師、参考にしてはならない暴君なのです。

この例は、始皇帝のみにはとどまりません。

◆魏武帝・曹操

孔子の子孫である孔融を処刑に追い込む。

言動が乱世に即して儒教を軽んじる合理性が強過ぎ、最悪の暴君認定を受けることに。

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しまいには、「曹操は最悪だ。ナイスガイの劉備こそが正統な漢王朝後継者」という説まで成立するほど。

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◆南宋・秦檜

現実的な路線をとったように思える政治家です。

が、儒教的な価値観からすれば、二君に仕え忠臣・岳飛を謀殺した、極悪非道の人物認定にされております。

◆明・張居正

暗君揃いの明で、よく働いた名宰相です。

ただ、敵を多く作り過ぎました。

「やばい……父が亡くなったとはいえ、このまま服喪したら留守中に何かされるかも。服喪カットでいいよね」

そして死後「宰相殿は実力はありましたが、父の服喪すらまじめにやらない、非道徳なところがありましたな」

遺族没落……

ご理解いただけたでしょうか?

このように儒教道徳に背けば、極悪非道認定は避けられないのです。

日本史でもそうです。好例が、伊達政宗であります。

政宗は実父を射殺し、実母が出奔――という儒教道徳違反をダブルでぶちかました人物です。弟のことは歳下ですので、まぁセーフ判定で。

こんな人物が藩祖となると、仙台藩は困ります。

藩でも悩んだのでしょう。

結果、当時の史料からはうかがえないうえに、信憑性が現在否定されている、母による政宗毒殺事件が創作されたのだと推察できます。

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新史料発見が相次ぐ、そんな時代に生きている!

この政宗の例は、始皇帝像を考えるヒントにもなります。

江戸時代以来、大河ドラマ『独眼竜政宗』まで、強固に染み込んできた政宗像。

それが否定されたのは、近年の研究で当時の史料発見と研究が進んできたからなのです。

時代の進歩で、かつては得られなかった史料を発見し、その結果歴史が覆る!

これが、歴史研究進化の基本です。

過去に起こったことは変えられないかもしれないけれど、過去に成立した創作混じりの像は変えられる。そういうことなのです。

前述の曹操も、大発見により新事実が発覚しつつある代表例です。

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1970年代から、中国では新史料発掘に本格的な取り組みを開始しました。

それが21世紀になり、成果が実り始めたのです。

木簡、竹簡、帛書、遺骨、副葬品の発見。

遺骨からの複顔。

ミトコンドリアDNA鑑定。

歳月とベールに覆われた歴史が、ついに明らかになる。

そんなエキサイティングな時代に私たちは生きています。

 

今だからこそ学びたい、始皇帝の世界

東に儒教があるのであれば、西にはキリスト教徒がありました。

ヨーロッパでは、キリスト教に王が改宗してからこそが、その国のスタートラインに立ったのだとみなす歴史観があるものです。

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ただし、これも歴史が進み、科学技術が進歩する過程で歪みが生じてきます。

地動説然り。

進化論然り。

人間が疑問を抱かないように、経典でそうなっているから、神の教えであるからと説明されてきた謎。それが解明に至るようになったのです。

そうなると、宗教を信じていてよいものだろうかと人類は疑念を抱くようになります。

フランス革命、ロシア革命、文化大革命では、「宗教はいらんわー!」と、恐ろしいほどの破壊が行われたこともあります。

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こうした破壊と改革はやりすぎにしても、宗教的な価値観に疑念が抱かれることは、むしろ時代の流れとして当然と言えるのでしょう。

そんな流れの中で、儒教以前の法家思想や始皇帝の言動から、学ぶべきことが見えてくるのです。

乱世。

激動の時代。

進歩し続けなければ、遅れてしまう時代。

儒教的な価値観からすれば、浅ましいほどにギスギスしているように思えたかもしれませんが、実に魅力的でもあります。

そうした時代の実像が、新史料発見により見えるようになりました。

21世紀という今日に、始皇帝の時代が、後世の誇張や潤色なしに見えるようになってきたこと。

これほどまでに胸がおどることはありません。

こんな歴史の解明を目撃できる私たちは、極めて運がよいのだと改めて感じます。

『キングダム』を契機に、この劇的な流れをぜに味わっていただければと思うのです。

紀元前に終わった時代のこと。

だからといって、この時代が色褪せることはありません。

むしろ今だからこそ、その存在感が増す――そんな人物であるのです。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
鶴間和幸『人間・始皇帝』(→amazon
鶴間和幸『中国の歴史 ファーストエンペラーの遺産』(→amazon
NHK「中国文明の謎」取材班『中夏文明の誕生』(→amazon
ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス 上下』(→amazon

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