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【血友病とヴィクトリア】
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悩めるアレクサンドラの前に現れた怪僧ラスプーチン
アリスの四女・アレクサンドラ王女は、ロシアのロマノフ家・ニコライ2世に嫁ぎました。
結婚してから十年目に、待望の皇太子アレクセイが誕生します。
しかし生後六週目にして、臍のあたりから出血し三日間も止まりませんでした。皇帝夫妻は我が子を襲った病魔を嘆き悲しみました。
アレクセイは些細な怪我でも出血し、痛みに苦しめられるのです。
アレクサンドラは我が子の病魔は、自分の血のせいだと悟っていました。彼女にとって甥にあたる姉妹の子たちも、血友病に苦しめられていたからです。
そして一心不乱に祈り続け、次第に彼女は、現代ならば鬱病と診断されるような心身の苦しみを抱えるようになります。
ロマノフ一家を襲った悲劇は、単なる家庭の悲劇ではおさまりません。
当時は民衆の不満が高まり、皇帝による支配が揺らぎだしていた時代なのです。ここでロシアの皇太子が病に倒れたら、ただでさえ脆弱な王家はもう持たないことでしょう。
我が子のために祈り続けるアレクサンドラの前に、現れたのが怪僧として知られる僧侶。
そう、ラスプーチンです。
ロシアの怪僧ラスプーチン! 青酸カリ服用でも頭を砕かれても死なず?
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日本のフィクションにもしばしば登場するこの男、元は貧農出身でした。
彼はただの僧侶というよりも、スピリチュアルな治療を得意とするという、要するに怪しい男。しかし抜群のカリスマ性を持つラスプーチンは、ロマノフ家の人々すら信頼させます。
なんとラスプーチンは、他の医者がさじを投げたアレクセイの痛みを止めてみせたのです。
しかも一度だけではなく、何度も「奇跡」を行いました。
ラスプーチンが一体何を行っていたかは、よくわからないのですが……。
毒でも死なず、銃でも棍棒でも死なず
かくしてアレクサンドラの心をつかんだラスプーチンは、しまいには国政にまで口を出すようになります。なにせアレクサンドラにとってラスプーチンは救世主です。
とはいえ、怪しい僧侶が国政を牛耳ることを、他の貴族が指をくわえて見ているわけもありません。
1916年、ラスプーチンは敵対する貴族がはなった刺客に襲われます。が、毒を飲まされても死なず、銃で撃たれ、棍棒で殴られでも息がありました。
刺客はついに標的を酷寒の川に放り込み、ようやく溺死させます。
ここまで丈夫だと、本当にラスプーチンは何か「奇跡」でもあやつっていたのではないか、と思わされてしまいます。
一方、ラスプーチンの死に、皇帝夫妻はパニックに陥りました。もはやロマノフ家はこれまで、命運は尽きたと嘆いたのです。
実際、この予感は当たってしまいます。
ラスプーチンの死から三ヶ月後の1917年3月15日、ニコライは退位に追い込まれるのです。
退位の翌年1918年7月17日、皇帝一家はシベリアの建物内で銃殺されたのでした。
ヴィクトリア女王の血に混じっていた血友病の遺伝子。その影響は彼女のあと三世代に及び、子孫のうち16人に発症しました。
偉大なる女王の血が歴史に落とした、悲劇的な影でした。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
ブレンダ・ラルフ・ルイス/樺山紘一/中村佐千江『ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史』(→amazon)