ベートーヴェンの耳が不自由な理由

ベートーヴェン/wikipediaより引用

世界史

偉大すぎる作曲家・ベートーヴェンの耳が聞こえないのはナゼなのか

クラッシック音楽が子守唄の馬渕まりです。

今回の患者さんは誰もが知っている作曲家のベートーヴェン。

【ジャジャジャジャーン♪】というあのフレーズだけで「運命(交響曲第5番)だ!」となる偉大な音楽家ですね。

彼は、音楽家にとって「過酷な病」を持ちながら後世まで残る曲を書きました。

皆さんご存知、難聴です。

しかも両耳が不自由だったわけですが、その理由についてはあまり聞くことはない気がします。

一体なぜそうなってしまったのか?

まずはベートーヴェンの生い立ちから見てみましょう。

 


虐待のようなスパルタ教育で

世界で一二を争う著名な音楽家・ベートーヴェン。

本名ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大使領(現ドイツ)のボンに生まれました。

父のヨハンは宮廷歌手で、母のマリアは宮廷料理人の娘です。モーツアルトの父も音楽家でしたね。

これは素敵な音楽一家に生まれんやな!と思ったら違いました。

祖父のルードヴィヒ(名前が同じでややこしいです)は宮廷の楽長を務めた立派な人物でしたが、父のヨハンは酒浸りの生活。3歳で祖父が亡くなるとベートーヴェン一家の生活は困窮いたします。

そこで音楽の才能はある父が、真面目に働き始めたら良かったのですが、

「息子のほうが全然才能あるじゃん! これは磨けば金になる、めざせ第2のモーツアルト!」

とばかりに、虐待に近い音楽スパルタで子供の教育を始めてしまいました。

モーツアルトの父が息子の才能を見抜き、英才教育を受けさせたこととはまるで対称的ですね。可哀想だ……。

父のせいで一時は音楽嫌いになりかけたベートーヴェンでしたが、才能を開花させると、わずか7歳で演奏会に出演。

16歳で母マリアを肺結核で亡くし、父がアルコール依存症で失職すると、一家の大黒柱として働きます。

家計を支えつつ幼い弟たちの世話をしていたのです。

1729年、ハイドンに才能を見いだされ弟子入りを許された彼はウイーンに移住し、その年末に父は死去します。

1803年・33才頃のベートーヴェン/wikipediaより引用

そしてピアノ演奏の名手として名をあげていきます。

しかし、苦労が報われたように見えたベートーヴェンに恐ろしい病が襲いかかります。

それが難聴でした。

耳が聞こえなくなった後も数々の業績を残したベートーヴェンですが、その話は後半に回すとして彼の難聴そのものを考察して行きたいと思います。

 


耳の構造を知ろう

難聴の話をする前に、まずは耳の作りをご説明いたします。

耳は外耳、中耳、内耳に分けることが出来ます。

・外耳は鼓膜より外側、耳介と外耳道いわゆる耳掃除が出来る部分

・中耳は鼓膜と内耳をつなぐ部分で3つの小さな骨がある

・内耳は一番奥で、音を感じるセンサーの役目を担う

各部分をもう少し詳しく見ていきましょう。

『外耳』……耳介と鼓膜

外耳の主な役目は音を集めることです。

自分の耳をご覧頂ければ分かりますが、耳介は顔の横に出っ張っており、効率的に音を集めることが出来ます。

集められた音は鼓膜に伝わり鼓膜を震えさせます。

『中耳』……鼓室、耳小骨(ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨)、耳管

中耳の役割は鼓膜の振動を内耳に伝えることです。

鼓膜の振動は、鼓膜にくっついた耳小骨を介して内耳に伝わります。

『内耳』……蝸牛、半規管、前庭

内耳では、蝸牛(かぎゅう)で振動を電気信号に変え、蝸牛神経を介して脳に情報を送ります。

蝸牛というのは『かたつむり』のこと。

あの殻のように渦を巻いた蝸牛にはリンパ液が入っており、耳小骨の振動でリンパ液が揺れ、その揺れを感覚細胞(有毛細胞)がとらえて電気信号に変換します。

有毛細胞は場所によって長さが違い、蝸牛の入り口付近の有毛細胞は高い音を、奥に進むにつれて低い音を感知するようになっています。

半規管は身体の回転を、前庭は傾きを感知する器官ですが今回は置いておきます。

 


難聴の種類

難聴の種類を2つに大別すると『伝音性難聴』と『感音性難聴』に分けることができます。

伝音性難聴:外耳、中耳の障害による難聴

音の振動が十分に伝わらない状態です。

中耳の炎症や耳小骨の障害で起きます。

小さい音は感じ取りにくいですが、センサーが壊れているわけではないので、骨を伝わる音の振動(骨伝導)は感知することができます。

感音性難聴:内耳、聴神経、脳の障害による難聴

音を感じ取るセンサーがダメになった状態です。

この2つの難聴は音叉を使った検査でも見分けることができます。

1855年、A. Rinne によって考案されたRinne法は、正常であれば骨伝導よりも空気伝導の方が長く聞こえる性質を利用し、振るわせた音叉を耳の後ろの骨につけて音を聞かせ(骨伝導をつかった感音テスト)、聞こえなくなった時点で外耳道の外へ移動させて音が聞こえたか否かで難聴の種類を判別します。

ここで音が聞こえれば正常ないし『感音性難聴』、もし聞こえなければ感音はOKですが、鼓膜→センサーまで到達する部分に問題がある『伝音性難聴』と判断することができます。

 

ベートーヴェンの難聴の原因は?

さてここからが本番です。

もちろん、ここで結論を出すことはできませんが、有力な説が2つあります。

①耳硬化症説

耳硬化症は伝音性難聴を来す代表的な病気です。

思春期頃に発症し、徐々に進行して行くことが多く40歳頃に症状がはっきりすることが多い。

原因は不明ですが、人種差が大きく(白人に多く・有色人種に少ない)、女性が男性の2倍かかりやすいことから何らかの遺伝的要因が関連していると推測されます。

また女性ホルモンが関わっているとの説もあります。

この病気は耳小骨の1つであるアブミ骨に生じる進行性の骨異形成が本体です。ちなみにアブミ骨は形が馬につける「鐙(あぶみ)」に形が似ていることから命名されました。

耳硬化症の初期にはこのアブミ骨がやわらかく変化するのですが、やがてそれを元に戻そうと周りの骨が硬くなる変化が出現。

その結果、硬化によってアブミ骨は動きにくくなり、鼓膜の振動を上手く内耳に伝えられない『伝音性難聴』を引き起こします。

さらに病気が進行すると、内耳周囲の骨の変化が進み、内耳機能の低下による『感音難聴』が進行する可能性もあります。

ちなみに耳硬化症は手術で劇的に症状が改善いたします。

ベートーヴェンの難聴が耳硬化症のせいではないか?

その根拠としては、状況証拠によります。

好発年齢が近い進行性であること、会話は聞こえなかったがピアノの高音は聞くことができ甥の演奏ミスを指摘した、晩年スティックを歯で噛み、端をピアノにあてることで音を聞き取っていた(まさに骨伝導の利用ですね)のでした。

②鉛中毒説

ベートーヴェンが鉛中毒だったことはほぼ確実です。

彼の遺髪の解析結果から正常の約100倍(60ppm)の鉛が検出されました。

ただし、ヒ素と水銀は検出されなかった模様。

ベートーヴェンの身体に大量の鉛が蓄積されていた原因は『ワイン』ではないかと考えられております。

当時のヨーロッパでは大量生産の安物ワインを作る際、甘みを出すために醸造過程で鉛化合物が頻繁に添加されていたもよう(こわっ)。

父親に似てしまったのか。ベートーヴェンもかなりの大酒家であったようで、死因もアルコールの多飲による肝臓疾患といわれております。

晩年は慢性的な腹痛や下痢に悩まされていたとの記録があり、鉛中毒の症状と一致します。

ワインの鉛で鉛中毒、そして難聴と言いたいところですが、鉛中毒の症状で難聴を起こす頻度はあまり高くありません。

鉛中毒で健康を害していた可能性は高いですが、難聴の原因だったかどうかは疑問が残るところであります。

この他にも、

『親父に殴られた』
『先天性梅毒』
『骨パジェット病』

など諸説あります。

中には、難聴であれだけの曲を作るのは難しいのでは? ということで『完全な難聴ではなかったが、政府のブラックリストに入っており、スパイの盗聴をさけるためあえて難聴のふりをして筆談を用いた』という面白い説もあります。

ベートーヴェンの難聴の原因ははっきりしませんが、彼の残した曲が素晴らしいことは言うまでもありません。

今宵はワインを片手に曲を楽しんでみてはいかがでしょう?


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文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/wikipedia
岩手医科大学耳鼻咽喉科(→link
慶應義塾大学病院(→link
日経メディカル(→link
NCBI(→link
NIID(→link

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