カリグラ像/photo by Louis le Grand wikipediaより引用

ローマ

ローマきっての暴君・カリグラ 本当にただの乱暴者だったのか?

37年3月16日はカリグラがローマ皇帝に即位した日です。

帝政ローマ三代目の皇帝で、同時にローマきっての暴君としてもよく知られています。

しかし、彼の生涯を追いかけてみると、『ただ乱暴なだけの人とは違うよな……』という印象もあります。

早速、見て参りましょう。

 

通称の元ネタは「小さな靴を履いた可愛い少年」

彼は、ローマの軍人であるゲルマニクスの息子として生まれました。

父に従って幼い頃から戦場に行っており、子供用サイズの装備をつけて、陣中に和やかな雰囲気を生み出していたとか。

「カリグラ」という通称も、このとき「小さな靴を履いた可愛い少年」という意味でつけられたものなのだそうです。

大きくなってからは本人は嫌がっていたようですけれどね。まあ、人間でいえば中年になっても親戚の人に「○○ちゃん」とか小さい時のあだ名で呼ばれるようなものですから、気持ちはわからなくもありません。

しかし、7歳のときに父が亡くなると、家運は一気に傾き始めます。

カリグラの母や兄が、時の皇帝・ティベリウスに疎まれて、追放されてしまったのです。

まだ幼かったカリグラと妹たちは、曾祖母や祖母に預けられながら、人質のような生活を送ります。そのまま母や兄は追放先で亡くなり、カリグラと再会することはできませんでした。

 

若くて強い皇帝は当初歓迎された

皇帝・ティベリウスは途中で随分と気変わりしたらしく、カリグラが18歳になると、手元に置くようになりました。

カリグラからすれば屈辱だったでしょう。

しかし、若いうちに皇帝に気に入られたことで、ティベリウスの後継者と目されるようになっていきます。

おそらくそれを意識していたからこそ、母や兄の仇ともいえるティベリウスの側でおとなしくしていたと思われます。この間に最初の結婚をしているのですが、相手の女性がすぐに出産で亡くなっており、私生活でも暗い時代でした。

ティベリウスが亡くなったとき、カリグラは真っ先に後継者として認められたことで、その忍耐は報われます。

しかも彼は歓迎されました。
ティベリウスの晩年が暗い時代であり、カリグラの父・ゲルマニクスの人気が高かったことから、「若く強い皇帝」の即位は市民から支持されたのです。

それだけでなく、場合によっては皇帝を暗殺することもある親衛隊や、皇帝と対立するのがお決まりの元老院(内閣みたいなもの)などにも期待されていました。

かつて「カリグラ」と呼び始めた兵士たちも、彼の即位を熱烈に歓迎したようです。

「あのちびっこいのが立派になって(`;ω;´)」みたいな感じでしょうか。

ときにカリグラは25歳。心身ともに若々しい皇帝の誕生ですね。

 

されど、奇怪な言動が始まった

本当はティベリウスの孫と共同統治になるはずでした。

が、初代皇帝・アウグストゥスの血縁であるカリグラの存在感は圧倒的。事実上、彼だけが皇帝といっても過言ではない状態になります。

即位からしばらくの間は、非常に寛容な政策を布きました。

兵士にボーナスを出したり、ティベリウスの時代に捕まっていた政治犯に恩赦を与えたり、同じく先代が禁じていた剣闘士試合を復活させたり。いずれも民衆を喜ばせる政策を実行しております。

また、無念を抱えたまま亡くなった母や兄の遺骨を引き取り、アウグストゥス廟という霊廟に安置していました。本当は、生きて再会したかったでしょうね……。

母と兄の遺灰を先祖の墓に安置するカリグラ/wikipediaより引用

しかし、いつの頃からか、前途に暗雲が立ち込めます。

カリグラは奇怪な言動をし始めたのです。

自らを「神」と称するのはまぁ「為政者あるある」ですが、一人でなにもないところに話しかけては、側近に「今、女神と話していたところなのだが、お前たちには見えるか?」と無茶振りをするなど、明らかに異常が認められたのです。

もしかすると、本当に神が見えていたのかもしれません……その辺は後世の我々にはわかりませんね。

一度大きな病気をしたことがきっかけで、不眠症になり、精神的に不安定になっていた……というのが一番現実的でしょうか。

 

彼を見下ろしたら、どんな理由であれ死罪なり

おそらくや彼の身に起きたであろう精神の疾患。

病は悪化する一方のようで、忠実な側近を崖から突き落として殺すなどの暴挙を働きどんどん人心が離れていきます。

カリグラを「暴君」とする逸話は、おそらくこのあたりの出来事をさらに脚色したものでしょう。詳しく書くとR18になりそうですので、ご興味のある方は各自お調べください。

問題なさそうなところでいくと、カリグラの外見を評した文章としてこんなものがあります。

たぶん、そのまま載せたほうがいろいろと想像がつきやすいと思うので、創元社さんの『ローマ皇帝歴代誌』(→amazon)から訳を引用させていただきますね。
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