マヤ文明滅亡

マヤ文明の遺跡「チチェン・イッツァ」

中南米

マヤ文明はなぜ滅びた?最後は戦乱により200万人が何処かへ消えた

2024/10/11

日本のとある県で県民が全員消えた。

行方も原因もわからない。

彼らは一体どうなってしまったのか。

県庁に争いの跡はあるのだが、果たして何が起きたのだろう――。

想像するだけでゾッとする話。

歴史の中には、時にそうした出来事が実在するから恐ろしいものです。

岐阜県の総人口とほぼ同じ200万人もの人々が、都市と文明を築き上げ、そして忽然と消えてしまった。

それがマヤ文明です。

 


1200年前 マヤ文明に何が起こったのか

いまからおよそ1200年前の西暦909年頃。

日本が平安時代ド真ん中だったその頃に、中南米でマヤ文明が滅亡しました。

同文明は、メキシコ南部からグァテマラ、ベリーズへと拡大。

数世紀にわたって独自の文化・技術を築き上げ、200万人もの人々が暮らしておりました。

そんな大都市が、突如として廃墟となり、人々は原始的な暮らしに戻ったのです。

一体何が起きたのか?

一夜にして人が消えたとか、文明が崩壊したわけではありません。

およそ一世紀という時間をかけて、マヤ文明は衰退、滅亡したものと見られます。

都市単位で衰退し、遺されたパイを奪い合うように争い、滅亡したのだと。

メキシコ南部からグァテマラ、ベリーズまで広がっていたマヤ文明

 


気候や環境の変化に政治闘争など

マヤ文明は、なぜ衰退したのか。

以下に主な説を列挙してみたいと思います。

概要
干ばつ(気候変動)雨が降らずに農作物ができずに滅亡ルート。取り出した土からも気候変動のあとがあった。ただし、古代マヤ人の骨を見ると、栄養状態は悪くない
環境破壊焼き畑農業や農地開発によって植生を変えてしまった。ただしこれにも反論がある
外敵の侵入メキシコ経由で外敵が入り滅ぼされた。ただし遺跡からは他文明の人工物が広範囲に発見されることはない。さらに侵入者がどこへ消えたかも不明
火山の噴火や大地震ポンペイのように火砕流が発生すれば一晩にして滅亡することもありうる。が、マヤでは一世紀かけて人が離れていて、滅亡までの時間が長すぎる
交易経路変更による滅亡中南米における交易経路が変更されたため、街が賑わいを失い、徐々に衰退し滅亡に向かったという説。ただしこれは因果関係が逆で衰退したからこそ交易経路が変えられたのではないかという反論も
疫病大流行西半球はヨーロッパ人の侵入前に大規模な疫病の流行はない
政治闘争政治闘争によって戦争が発生し、殺しあいへと発展した

実は、マヤ文明・崩壊に関する説は、全部で88もあり、結局のところ何が本当の原因か、今なお特定できていません。

いつくかの要因が複合しているのではないか、と考えられております。

ウシュマル遺跡「魔法使いのピラミッド」※超自然的な力で一夜のうちに建てられたという伝説がある

例えば、干ばつが引き金となって疫病が流行り、その動揺に乗じて政治闘争が起こったとか、そういうわけですね。

いずれにせよ文明跡から発掘されるものを見ますと、マヤ文明の終焉が穏やかなものではなかったことは浮かんで参ります。

 

巨大な水槽跡から31体の遺骨

マヤ文明の各都市では、石碑に記録を刻んでいました。

しかし、9世紀から最初の25年で7つの都市、次の25年で5つの都市、そして9世紀末までには8つの都市が記録をやめてしまうのです。

最後の記録は909年。

これより先、記録は一切残っておりません。

そしてマヤ文明の都市遺跡には、凄惨な虐殺のあとが遺されています。

2005年、カンクエンの遺跡にある巨大な水槽跡から、31体の遺骨が見つかりました。

手足を切断されており、男性、妊婦を含めた女性、子供のもの。宝石や貝殻を身につけており、身分の高い遺体であることがわかりました。

この水槽の近くには、カンクエン最後の王夫妻が埋葬されていました。

王とその一族が処刑された跡でしょう。

こうした暴力のあとは、都市同士で激しい戦争が起きていたことを示します。

マヤ文明ティカル神殿

 


農業よりも戦争の悪循環

都市が発展し、政治闘争が激化した結果か。

あるいは引き金となる天変地異や疫病があったのか。

とにかく何らかの理由で人々は争うようになりました。

互いを攻撃し、交易や農業よりも戦争を重視するようになっていったのです。

人々の住む場所は、肥沃で農作物が大量に栽培できる場所ではなく、防衛に適した場所へと変わっていきました。

戦争の結果、農作物も富も減少し、その減ったものを奪うため、戦争はより激化します。

人口は減り、都市は崩壊し、人々は古代マヤ文明を捨てて別の場所へと旅立ちました。

旅立てたのは幸運なあくまで人々であり、争いや混乱の中で命を落とした人も大勢いたでしょう。

結果、300万人いた人口が100万人に減少したとも、1000万人前後いた人口が200万人を割ったとも言われています。

生き残った人がおり、その子孫にあたる人々も存在するとはいえ、確かにこれは文明崩壊と言えるのではないでしょうか。

古代マヤ文明崩壊の謎——まさに歴史上の密室殺人。

そのミステリアスは今日も人々を引きつけています。


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【参考文献】
マシュー ホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon

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小檜山青

東洋史専攻。歴史系のドラマ、映画は昔から好きで鑑賞本数が多い方と自認。最近は華流ドラマが気になっており、武侠ものが特に好き。 コーエーテクモゲース『信長の野望 大志』カレンダー、『三国志14』アートブック、2024年度版『中国時代劇で学ぶ中国の歴史』(キネマ旬報社)『覆流年』紹介記事執筆等。

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