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【マヤ文明】
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巨大な水槽跡から31体の遺骨
マヤ文明の各都市では、石碑に記録を刻んでいました。
しかし、9世紀から最初の25年で7つの都市、次の25年で5つの都市、そして9世紀末までには8つの都市が記録をやめてしまうのです。
最後の記録は909年。
これより先、記録は一切残っておりません。
そしてマヤ文明の都市遺跡には、凄惨な虐殺のあとが遺されています。
2005年、カンクエンの遺跡にある巨大な水槽跡から、31体の遺骨が見つかりました。
手足を切断されており、男性、妊婦を含めた女性、子供のもの。宝石や貝殻を身につけており、身分の高い遺体であることがわかりました。
この水槽の近くには、カンクエン最後の王夫妻が埋葬されていました。
王とその一族が処刑された跡でしょう。
こうした暴力のあとは、都市同士で激しい戦争が起きていたことを示します。
農業よりも戦争の悪循環
都市が発展し、政治闘争が激化した結果か。
あるいは引き金となる天変地異や疫病があったのか。
とにかく何らかの理由で人々は争うようになりました。
互いを攻撃し、交易や農業よりも戦争を重視するようになっていったのです。
人々の住む場所は、肥沃で農作物が大量に栽培できる場所ではなく、防衛に適した場所へと変わっていきました。
戦争の結果、農作物も富も減少し、その減ったものを奪うため、戦争はより激化します。
人口は減り、都市は崩壊し、人々は古代マヤ文明を捨てて別の場所へと旅立ちました。
旅立てたのは幸運なあくまで人々であり、争いや混乱の中で命を落とした人も大勢いたでしょう。
結果、300万人いた人口が100万人に減少したとも、1000万人前後いた人口が200万人を割ったとも言われています。
生き残った人がおり、その子孫にあたる人々も存在するとはいえ、確かにこれは文明崩壊と言えるのではないでしょうか。
古代マヤ文明崩壊の謎——まさに歴史上の密室殺人。
そのミステリアスは今日も人々を引きつけています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
マシュー ホワイト/住友進『殺戮の世界史: 人類が犯した100の大罪』(→amazon)