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しかめ面の中岡慎太郎(Wikipediaより)

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その日、歴史が動いた

中岡慎太郎死す!坂本竜馬暗殺の黒幕は闇に【その日、歴史が動いた】

更新日:

 

昔から「勝てば官軍」「歴史は勝者が書く」=「勝者にとって都合の悪いことは記録されない」といわれています。
代表的なのは本能寺の変の真相でしょうか。
あれは光秀があまりにも早く死んでしまったためという面もありますけども。
今日のメインは、タイムマシンができたらおそらく真っ先に解明されるであろうと思われるあの事件です。

慶応三年(1867年)の11月17日、中岡慎太郎が亡くなりました。
この人は坂本竜馬が暗殺された「近江屋事件」で負傷していたのですが、その後2日だけ生き延びていたのです。
ほぼ即死だった竜馬の代わりにさまざまな証言を残しました。
しかし皆さんご存知の通り、近江屋事件の犯人・黒幕は諸説ありますが、未だにはっきりと定説にまとまっていません。
というわけで、慎太郎の証言や彼に関する事柄を主軸に、近江屋事件について考えてみたいと思います。
ツッコミどころが多いので、先に慎太郎の証言をまとめておきましょうか。

しかめ面の中岡慎太郎(Wikipediaより)

しかめ面の中岡慎太郎(Wikipediaより)

瀕死のもうろう状態の告白が新撰組犯人説へ

1、刺客の一人が「こなくそ!」と言っていた

これが伊予(現・愛媛県)あたりの方言だというので、まずは新撰組の伊予出身者が疑われることになります。
が、京都周辺に伊予出身者が他に存在しないとも言い切れないので決定打とまではいきませんでした。

2、刺客は二人

当時の照明は今よりずっと暗かったとはいえ、三人以上であれば確実にそこでとどめを刺されていたでしょうから、これはおそらく事実ではないでしょうか。

3、刺客の一人(1と同一人物かは不明)が慎太郎にとどめを刺そうとすると、もう一人が「もうよい、もうよい」と言った

この発言に従って慎太郎にとどめを刺さずに立ち去っているので、刺客二人には上下関係があったのではないでしょうか。
それが身分的なものなのか、先輩後輩レベルなのかはわかりませんが。

資料や伝聞した人によって言うことが違ってきているので、他にも慎太郎の証言とされているものはいくつかあるんですが、概ね共通しているのはこの三つです。

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諸説につっこむ

もう途中に挟んでしまっていますが、ツッコミ編に参りましょう。
あまり他所のサイトさんで言われていない点を中心にしてみました。

近江屋という場所

まず、現場となった近江屋について。
竜馬は何度も暗殺の危険に遭っており、度々宿を変えたり薩摩藩から「ウチの屋敷にいたほうが安全ですよ」と勧められたりしています。
妻・お龍が入浴中に気付いて知らせたという寺田屋事件が有名ですね。
近江屋に来たのは、暗殺の直前にも等しい十月でした。
しかも近江屋の主人は竜馬に随分肩入れしていたそうで、家人にも内緒で隠し部屋まで作って竜馬をかくまっています。
暗殺当日には竜馬がたまたま風邪をひいていたため、二階の部屋に出てきていたのだそうです。
隠し部屋にいたはずの竜馬がその日、二階にいると知っていたのはごくごくわずかでしょう。

犯行時刻

次は、犯行時刻。
近江屋事件は午後九時ごろに起きたといわれています。
暗殺するのなら、人が寝静まった頃に忍び込んでぶっすり刺したほうが成功率高いと思いませんか?
近江屋はただの醤油屋さんですから、そう厳重に警戒していたわけでもないでしょうし。
戸締りされて入りにくくなるというデメリットはあるものの、わざわざ抵抗されそうなときに行かなくてもいいような気がするんですよね。
竜馬は刀だけでなくピストルも持ってますし、刺客によほど自信がなければ起きていそうな時間に行く必要はないように思えます。

とどめをささなかった理由

第三に、刺客が慎太郎にはとどめを刺さなかったことについて。
竜馬は額を切られてほぼ即死に近い状態だったそうですから、刺客から見ても助からないことがわかったでしょう。
対して慎太郎は全身に傷を負っていながら、2日間生き延びています。
それでも証言されてしまうことなどの危険性はありますから、慎太郎にもとどめを刺すのが(よくないけど)ベストなはず。
にもかかわらずとどめを刺すのをやめさせたということは、あくまで標的は竜馬のみであって慎太郎はどうでもよかったのではないでしょうか。
もちろん、刺客が「コイツもめった刺しにしたしそのうち死ぬだろ」と思い込んだという凡ミスの可能性もありますけれども。
もしくは絶対に身元と黒幕がバレない自信があったとか。

近江屋の人たちの反応

四つめ、近江屋の人々がなぜすぐに反応しなかったのか?という点が怪しさ爆発です。
客人(実は刺客)を取り次いだ竜馬の付き人・藤吉が刺客を案内する途中、階段付近で殺されたといわれているのですが、このときの悲鳴や物音は二階にいた竜馬が聞いています。
ということは当然一階でも聞こえたはずです。
その状況で、二階のドタバタが聞こえなかったとは考えにくいですよね。
真上の部屋の物音って現代の住宅でもすぐわかりますし。
藤吉が殺された時点で近江屋の建物全体が刺客の一派によって制圧されていたとすれば、近江屋の人が誰も反応しないのもわかるのですが、そうした記録がないんですよね。
近江屋の主人は異変に気付いてから迅速に行動しているんですけど。
表から客人が来てもおかしくない時間に、店の主含めた全員が立ち回る物音に気付かないなんておかしいんじゃないでしょうか。
犯人と黒幕については既に先達の方々がいろいろな説を出していらっしゃるので、当コーナーではあくまでツッコミに徹しようかと思います。
が、竜馬と慎太郎を殺す大義名分があって、なおかつメリットがある組織はどこも名乗り上げていないという点が大きなポイントではないでしょうか。
ということは、二人を殺したことがバレるとまずい勢力が黒幕という見方もできますよね。
……これ以上書くと全方向からお咎めを受けそうなヨカーン。くわばらくわばら。

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満面の笑みの隣の女性

最後に、慎太郎についてもう一つツッコミたいところがあります。
直接事件との関連はないかもしれませんが、慎太郎が満面の笑みで写っている写真です。
事件の約一年前、慶応二年(1866年)11月24日撮影とされているものなのですが、左側の女性(と思われる人物)がなぜか墨塗りされてわからなくなっています。

笑顔の中岡慎太郎(Wikipediaより)

笑顔の中岡慎太郎(Wikipediaより)

ただ単にその人が誰なのかわからなくするなら破いて持ち去ってもいいし、写真を焼いてもいいはず。
そしてさらにわけのわからないことに、慎太郎の膝によりかかっていると思しき着物の袖はそのままになっています。もちろん女物です。
現代のように同じ柄の服が大量に出回るわけではありませんから、着物の柄がわかれば誰かわかりそうなものですよね。
慎太郎の写真を残さなくてはいけないが、隣の人物がわかるとまずい理由……となると、てんで見当がつかないのです。
妾やごひいきの芸者がいて当然の時代ですから、「奥さんに浮気がバレるとまずい」というわけでもないでしょうし。
「誰かがお粗末な女装をしてその場を笑わせていた」とかならわかるんですが、それにしては慎太郎の顔が実に楽しそうというか清々しいというか和やかというか。

記録と現実が完全に合致するとは限りませんし、今となってはタイムマシンができるまで謎のままなんですかねー。
長月七紀・記
参考:

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竜馬暗殺の謎を探る
中岡慎太郎館公式サイト|幕末の志士、中岡慎太郎の生きざまに触れる




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