奄美大島の西郷の食生活

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幕末・維新

西郷は奄美大島でどんな食生活だった?生命線はソテツとサツマイモ

西郷隆盛の出身地である薩摩は、日本でありながら独特の食文化が発達していました。

例えば、戦国時代から「歩く野菜」と呼ばれ、好まれていた豚肉は安価であり、西郷のような下級藩士であっても、頻繁に食べられる食材でした。

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幕末の日本では珍しく、薩摩では肉食文化が広まっていたせいか。

西郷はじめ同地の藩士らは体格がよくなり、大柄な人物が多かったとされています。

薩英戦争の後、イギリス大使ハリー・パークスらが薩摩を訪れた際には、豪華な西洋風肉料理が提供され、彼らを多いに喜ばせました。

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藩主の食膳には、中国や遠く東南アジアからの食材も並んだほど。

肉、海産物、サツマイモ、甘い味付け……故郷の味は、西郷らに活力を与えました。

そんな薩摩本土と、異なる食文化を持っていたのが、西郷の流刑地となった奄美大島です。

そこで西郷はどんな食物を食べたのか?

本稿では、その一部を紹介させていただきます。

 


生命線はサツマイモやソテツ(蘇鉄)

薩摩藩本土の鹿児島は、火山灰の影響で稲作が向いていない土地が多く、反面、サツマイモ(現地ではカライモ)の栽培が盛んでした。

それは奄美大島も同様。

サツマイモが主食としての生命線でした。

サツマイモというと、ふかしたり茹でたりする食べ方が現在では一般的です。

奄美大島には、「ネンヤノ(ネンキヤナまだはダゴ)」という調理法がありました。

砂で揉み、よく洗って蒸し、生煮えのうちにすりこぎで崩してお椀によそって食べるのです。

もうひとつの生命線が、ソテツ(蘇鉄)です。

意外かもしれませんし、実際、食用にするにはなかなか難しい植物です。発がん性があり、しかも有毒である、サイカシンという物質を含んでいます。

幕末に行われていた、無毒化してデンプンを取り出す過程は以下の手順でした。

1. 薄切りにする

2. 数日間乾燥させる

3. 数日間水につける

4. 再度乾燥させる

5. 俵に入れて発酵させる

6. 水洗いする

7. 臼でひいて粉にする

この過程がおざなりにされると、中毒になってしまうのですから、これはもう大変です。

手抜きは一切許されません。

こうしてできた粉は、焼酎の材料、お菓子の材料、味噌に入れるといった用途がありました。

ソテツやユリからとったデンプンを溶かして、間食にすることもあったそうです。

まさにソテツは島民の生命線です。

ただ、選べるのであれば有毒植物を好んで食べるはずもないわけでして。

もともとソテツは救荒食物(飢饉や災害といった非常時に利用される代用食物)でした

奄美大島の耕作地は大半がサトウキビ栽培に用いられるようになったため、本来食用に向かないソテツを食べねばならないほど、島民の生活は厳しい状況に置かれていたのです。

また、ソテツは食べる以外にも使えました。

葉を屋根や壁の材料にしたり、肥料や燃料にしたり、様々なかたちで利用したのです。

奄美大島で作られる蘇鉄味噌/photo by Hhaithait wikipediaより引用

島ではわずかながら稲作も行われていました。

が、白米が一般的な島民の口に入ることはあまりありません。かなりの貴重品です。

ドラマ『西郷どん』で主人公の西郷隆盛が島民に白米の握り飯を配って、村の長老から「やめてくれ」と頼まれていたのには、こういう背景があったのですね。

他の野菜については、幕末の奄美大島では以下の品目が食べられていました。

麦(貴重品)
島瓜(島キュウリとも参考
ラッキョウ
カブ
カボチャ
ニンニク
キノコ類
海藻類(アオサ、モズク等)
などなど

 


様々な肉と魚

日本では見られない肉食文化が薩摩にありましたが、奄美大島もそうでした。

というより薩摩以上に多種多様。

幕末当時、奄美大島では以下の肉や魚が食されていました。

豚肉
猪肉
鶏肉と鶏卵
山羊


ウサギ
海亀
ワニ
カタツムリ
サワラ
ヒユ(シイラ)
シュク(アイゴ)
貝類
ウナギ

ヤギの肉は、体をあたためるため、婦人病や冷え性の人に特に効果的とされました。

スタミナがつく食材として、現在でも人気があるそうです。

カタツムリまで食べたのか?とはチョット驚かれるかもしれません。

が、その食習慣は、他国にもありますよね。

フランス料理のエスカルゴは有名ですし、イベリア半島、東南アジアでも食されているようです。

カタツムリは作物を食べてしまうため、食用にして駆除するのは理にかなっています。

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