麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第15回 感想あらすじ視聴率「道三、わが父に非(あら)ず」

2020/04/27

深芳野の遺骸と御霊を前に、利政から嫡男・高政(斎藤義龍)に譲られた家督。

天文23年(1554年)、斎藤利政は出家し、斎藤道三となったのでした。

家督を継いだ兄・高政のことを、どこか冷たい目で見つめる者がおります。

斎藤孫四郎斎藤喜平次という異母弟です。

 


道三の言う新しき血とは?

孫四郎と喜平次は、正室・小見の方から生まれました。

唐突にこの兄弟が出てくる。それだけでも、道三にとっての家督相続路線は高政にあったということはわかります。

ただ、その意思表示に曖昧さがあったことが、悲劇の原点にある。

【斎藤家と織田家の家督相続 どこで差がついた?】

織田信秀:正室の子である信長を嫡男としている。側室の子・信広は、信長より年長であっても相続権がないことを配置で示している

→それでも信長と信秀の対立はあり、信長は同族に責められ苦しめられてはいる(斎藤家よりはマシ)

斎藤道三:深芳野と高政すら、家督相続できるか不安に感じていた

→そのことが深芳野を酒浸りにし、高政が「母は慰み者だ」と思うほどの誤解を招く

深芳野:もともとは土岐頼芸の愛妾だった

→曰く付きの女性を妻にすると、問題が生じやすい

キリスト教圏では、君主の妻は処女性が求められるものです。そういう趣味だの性癖だの、そういう話でもない。

処女性に疑念が生じれば、強引な離婚が認められることもある。他の理由や不妊を処女性や異常な性欲のせいだと言い張れば、そんな無茶も通る。

ちょうどこの時代とかぶるイングランドのヘンリー8世は、この手の無茶ぶりを通しまくったことで有名です。

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そういうことがよろしいとは思わないのですが、家督相続における揉め方を見ていると、理由あってのことだとは思えます。

そして生母の身分。これも大事です。

キリスト教圏では、そもそも庶子には相続権がない。

日本はそうではないため、生母の身分は関係ないようで、実はある。「劣り腹」という言葉もあるほど。

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江戸幕府将軍の嫡子の母は、正室生まれでない者が多い。

それどころか、身分が低いシンデレラガールもおりました。そのため誤解が生じやすいのですが、母の身分は重要なのです。

道三は、国の政治を全て我が子に委ねると言い切ります。

「古きを脱し、新しき世を作るのは新しき血じゃ」

そう念押しすると、承知いたせと続けて、高政の声を我が声と思えと言い切るわけですが……。

「この儀承知いたしたか」

「はは〜っ」

それでも、こう言いたくはなるところではあるのです。

道三の言う新しき血とは、信長に流れているのではないか?

彼の言うところの血とは、生物学的な親子関係ではなく、考え方、思考回路の話ではないかと思える。それこそが悲劇を生みかねないのです。

 


光秀の思考力と知性

二月後、煕子が読書中の光秀の元へやって来ます。

ここでちょっと疑念が湧いてくるのですが、光秀は理想の夫なのかということなのです。結婚後も、ほっこりきゅんきゅんべたべたいちゃつきをしていない。

長谷川博己さんに、いやらしいほどのべちゃべちゃしたいちゃつきをさせれば「ナンチャラ砲」だのネットニュースで取り上げられることは証明済。それを敢えてしていないようには思える。

あの朝ドラの演技は、ハセヒロさんの魅力なんざ1ミリたりとも出ていないとは思います。

彼の持ち味は思考力と知性。あの役にはそれがなかった。世紀の発明? 図書館で文献一冊も読まずに発明と言われたところで、何を言うのやらとしか言いようがない。まあ、あの朝ドラの話はもういいんだッ!

で、光秀ですが。

読書をしているだけで、思考力と知性がキラリと光るからには、彼らしいよい役だとは思えるのです。

そんな読書姿が素晴らしい光秀は、煕子から聞いて不審に思っています。

どういうことか?

Who:明智光安

Where:明智の城

Why:不明

ここで光秀はこう言います。

「こんな夜更に何事じゃ?」

時間の時点で彼は不信感を抱く。ここでのライティングが素晴らしくて、光秀が光安の元へ向かう暗さが本当に濃い。

ライティングは課題だとは思っておりまして。

海外のドラマは、本当に画面が暗いんですよ。テレビやタブレットの画像設定が難しい。一方で日本のドラマが明るすぎるということだとは思いました。

本作は序盤、色彩がきついとされたものですが、そういう国内外の基準もふまえるとか、4K対応とか、そういう技術面でのことがあります。それに対してリアリティをどうするか?悩んだ証拠だとは思うのです。

試行錯誤がないと進歩もないから、マイナスよりもむしろ果敢な努力として、私は「いいね!」と押します。最近はこなれてきましたし。

 

孫四郎の背後に帰蝶が

さて、そこにいたのは孫四郎でした。

光秀は緊張を見せます。狼の遠吠えが聞こえるのがまたよいですね。そうそう、この時代なら狼はいたものです。

光安も、その嫡男の明智左馬助も、困惑し切った顔をしています。

明智左馬助の生涯を描いた記事。光秀の親類にして福知山城代を任された武将はいかなる生涯を駆け抜けたか。
明智左馬助(秀満)の生涯|光秀に福知山城代を任された男 その事績とは?

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「夜分、前触れもなく押しかけあいすまぬ」

孫四郎は用件を切り出します。

兄・高政に不満があるのだと。これだけならば、家督相続できない異母弟の愚痴でとどまる。

厄介なのは、尾張の姉上・帰蝶の思惑です。高政では信長に敵対し、大きな争いを巻き起こすと危うんでいるのです。

帰蝶は孫四郎に、密かに明智と相談し、美濃の進べき道を間違えぬよう伝言があったというのです。

夫・信長を支えたい帰蝶の気持ちはわかる。ただ、危ういことではある。

それより何より、明智が大迷惑だ……。

帰蝶は幼少期から光秀に無茶振りをしているわけで、光秀はそんな帰蝶の感情を迷惑に思っていても不思議はない。嫌いにならない光秀は偉いと思う。まぁ、そのことが、ストレスになるんでしょうけれども。

孫四郎は、明智の一族の考えは父・道三に最も近いと言い切り、信長と争うことの是非を考えて欲しいと言ってきます。孫四郎本人で考えなさいよ。そう言いたくはなります。

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道三はどこまで察知しているかというと、孫四郎と喜平次が耳に入れても反応しないそうです。譲ってみてわかることがある。よろず見届けると言うばかり。

光安が孫四郎の意向を聞いてくると、このまま兄上に美濃を任せておくわけには参らぬと言います。志を同じくする国衆と共に国を守るのだと。

2016年以来、大河における国衆の扱いが実に洗練されていて、興味深いものがあります。そのうえで、明智に先陣に立ってもらいたいと言うわけですが……。

いい加減にしろよ、こいつら! そう言いたくなる。光安も左馬助も、困った顔で光秀を見てきます。この父子は決断力がそこまでないらしい。勇敢でないわけではないのです。

決断が下されれば存分に働く。ただ、自ら決断を下すタイプではないと。もっともこういう父子だからこそ、光秀が率いやすいところはある。

光秀はここで即座に言い切ります。

「その儀、お断り致しまする」

道三様は誰よりも高政様のことを知っている。その道三が、髪を下ろしてのこと。迂闊に決断できないというわけです。

ここが光秀の賢さではある。帰蝶と孫四郎が気にしている父・道三の意向を盾にしている。

光安も左馬助も、これには納得している。ただ、孫四郎は悔しそうではあります。愚挙は見過ごせぬ。その上で、兄上と同門であるから左様に悠長なのだと言い切ります。

「そうお思いならそもそもここに来るべきではなかった」と言い返す光秀。孫四郎が怒って去っていくと、光安も、左馬助も、嫌そうな顔になっています。

光秀も、顔がしわくちゃになってしまうのでした。

 


愚かでないし、迂闊でもなく、良い人でもない

後日、稲葉山城で――。

高政が祐筆とともにテキパキと仕事をこなしています。国衆同士の揉め事を解決しているようです。

ここで光秀が顔を出すと、つまらぬ訴えが山ほどくると言い、他国と戦をしている暇はないと苦笑しております。

高政はハッキリと言う。父上のような戦は好まない。日々平穏がよい。これには光秀も納得しています。

高政は、よい人物なのだろうとは思えます。こういう揉め事を解決してくれる。こまめにLINEを返してくる、そういう人を友達に持っているとよいとは思う。

ここで高政は、光秀を呼び出した件を聞いてきます。

高政は聞いた!

一昨日の夜、孫四郎と明智の城で会ったんでしょ? 背後にいるのは帰蝶でしょ? 盛んにやりとりして、わしと敵対する国衆をまとめようとしているくらい知っているんだからね! そなたに軽くあしらわれて帰ったんでしょ?

よかったですね。変なことを返答していたら、明智一族は今頃死んでいたかもしれません。高政の諜報技術、なかなかのものではないですか。

本作の高政は愚かでもないし、迂闊でもない。実はそこまでよい人でもないんですな。

知能となれば、父子でそこまで違いはないとは思う。あるとすれば、思考回路の使い方です。

高政は苦々しげに、父上の間違いは孫四郎を甘やかしたこと、織田のうつけを高く持ち上げたことだと言います。

「実にやりにくい……」

政治を展開しにくいと素直に考えればそうなりますが、彼の心の底にある渇望も見えてしまう。

 

十兵衛はわしの味方であろう?

愛情の伝え方が絶望的に下手な父のせいで、ずっと高政は飢えていた。

4月11日放送の『柳生一族の陰謀』では、父母に認められぬ家光がこう絶叫しました。※5月23日に再放送です!

「血を分けた母に捨てられたこの地獄が、どれほどのものか!」

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高政も、ずっとずっと、地獄にいたのでしょう。

でも、その地獄はちゃんと抜け出す方法はあったと思うんですよね。

自分という器に親の愛が足りなければ、自我をとことん鍛え上げてそこに満たせばどうにでもできる。

魚を釣ってあげたら母が喜んでくれた。織田信長はそれ以来、しつこいまでに魚を釣り続けてきた。

母は喜ばない。

けれども、魚を買える民は喜ぶ。ま、いっか♪

信長は一体なんなのかと突っ込みたくはなるのですが、彼は彼なりに、ひび割れた器に自我で蓋をして、民の笑顔と自己満足を注いで満たしたわけです。

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道三、帰蝶、そして信長は、自我で自分という器を修復できる。できるがゆえに、できない人間の「孤独を理解できない」ところがあるのかもしれませんが……。

光秀は、そんな高政に信長との盟約について確認します。

聖徳寺での会見は歴史の名場面であり、あの義理の父と子の意気投合するところは素晴らしいものがあった。けれども、そのことが高政の心をどれだけ傷つけたのやら。

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高政は、楽観的なことを言います。

織田彦五郎か今川義元が、信長を討ち果たすかもしれない。

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彦五郎とはそういう話をしていて、礼を尽くして参られたとも言います。碁を打ちに来ているとか。光秀との会見をセッテイングしようかと高政は言うのですが、光秀は「それには及びませぬ」と断ってしまいます。

ここで高政は不満をぶちまけます。帰蝶も、信長も、今日までわしに何の挨拶もない。この城を継いで二月、文のひとつもよこさぬ。そのうえ孫四郎にまで何かをしている。そこに怒っていると。

「十兵衛そなたはわしの味方じゃ。そうであろう」

高政はそう言ってきます。光秀が肯定すると、こう言ってくるのでした。

「うむ。ならば尾張へ行き、帰蝶へ釘を刺してきてもらいたい。孫四郎に近づくな さもなくばわしにも覚悟がある」

「何故……尾張へ……」

光秀は困惑します。このあと、廊下で織田彦五郎が来て、前を通ってゆくのでした。

 

常識人の高政と対比して浮かび上がってくる信長像

高政は、あくまで“普通”の人だとはしみじみと思いました。信長と帰蝶のやっちまったところも出てきてはいる。

高政は常識人です。

◆セレブと近づきたくない?

→この場合、彦五郎です。そういう大物と面会するってすごいでしょ! そう好意的に持ちかけてくる人はいるものです。悪いことでもないわけですし。ただ、光秀には通じない。高政自身、由緒正しき土岐頼芸にコロリと洗脳された感はある。

◆手紙くらいよこしなさい!

→信長と帰蝶が手紙をよこさないくらいで、イライラしている高政。ちっちぇ〜ダッセェ〜、って笑えますか? そういう人っていませんか?このご時世です。ホテルに行ったら、有力者からの手書きの手紙があって、感動を覚えたという体験談がSNSで見られます。そういう効能が手紙にあることは、古今東西確かなことなのです。

高政は誠意を見せて欲しいと願う。ごく“普通”の人なのです。

そんなもんどうでもいいから結果を出せばいいと突っ走るタイプとは違う。常識があります。例えば企業の採用試験の面接で高評価を得られるのは、こういうタイプでしょう。別に狂ってはいない。流されることはあるけれども。

そして信長のことも。史実での信長は、贈答外交をしてはいます。そこは頑張ってはいる。

ただ……そのやり方が気まぐれだったり、相手をカチンとさせるようなことが多くて、それがトラブルにつながったと思われる点も指摘されておりまして。

空気が読めない不器用信長というのは、近年確立されてきた像ではあるのです。本作は、歴史だけではない知見を駆使してそんな信長像を追っているので、その点も注目かと思います。

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そしてそういう信長によって、光秀筆頭に周囲がどれほど心を削られていくか。そこも大切ではないでしょうか。

寺を焼くとか。誰かを成敗するとか。そういうことだけでなくて、コミニケーションエラーを過激な形でバンバンやられると、人間とは耐えきれないものかと思います。

 

高政次第で再登板は「ない!」

光秀は、斎藤道三の館に行きます。

道三は鉄砲を撃ち、上達したとはしゃいでいます。感想を聞かれた光秀は、鉄砲組の足軽くらいまで腕があがったと正直に言います。

「やってみるか、わははははは!」

道三は上機嫌。隠居して、ちょっと子どもっぽくなりました。

彼は他の家臣や光安とすら違い、正直にズバズバ言うからこそ光秀を気に入っているのです。光秀は彼相手に「ハァ?」と言ってしまったり、「嫌い!」と言い切る。

それはありえない、現代っ子みたいだ、だらしがないという指摘はよく見かけます。

光秀はどの時代でも少数派で、個性があって、素直で、取り繕わずにバシバシと言う。

相手が取り繕う、籠絡しようとしても、通じにくい。そういう性格であることを『おかしい、ありえない』と感じるのだとしたら、観る側のタイプが違うのでしょう。

そしてこう言い切ります。

「今日はわざわざわしの腕前を見にきたのか? 何か申したいことがあるのならさっさと申せ」

ここで光秀は聞いてきます。

高政様から、尾張の帰蝶様の所へ参れと言われたこと。孫四郎様との妙なやりとりをやめさせろと。そしてお手上げだと言い切る。

帰蝶様に頼んでも丸く治められない。高政様の使いという時点で追い返されると。

光秀は光秀なりに、道三との会話にやりやすさを感じているところはあります。

だって、高政にはそんな本音を言えなかったわけじゃないですか。道三とは本音トークができるのです。

私個人が、道三や信長タイプが好きなのはこの点です。話題がすぐに飛ぶし、変なところで地雷踏みかねないし、きついことも言い合うでしょう。しかし本音をぶん投げられると、楽な人間だっておりますよね。

そんな道三に対し、だからこそ光秀はこう直言できる。

「おそれながら、かかる混乱は、殿がはっきりとのちの道筋をつけず家督を譲ったため、皆戸惑うておる……」

信長との盟約をどうするつもりだったのか? 高政の考えに全てを委ねるのか? 高政次第で再登板はありえるのか?

そう問い詰められ、道三は言い切ります。

「それはない」

そう、ここです。ここが本作のセオリーだ。

 

無我夢中で生きるしかなかろう

父子対決の定番ともなれば、父が実権をすんなりと譲り渡さないことが原因とされます。

けれども、道三はきっぱりと譲っています。そのうえで道筋なぞ必要あるかと言い切る。

「わしは己が正しい道の上を歩いてきたなどとは微塵も思わぬ。戦も、勝ったり負けたり……」

無我夢中で生きてきた。高政もそうすればよい。そう突き放すのです。

その上で、こう言い切る。

力があれば、生き延びる。非力であれば、討ち果たされる。

わしの力でどうにもできぬ。帰蝶も孫四郎もそう。

わしはいずれ消えてなくなる。それも今日か明日かの違い。

「美濃と尾張の盟約をどうするか。明日考えることか、今日考えることか。それだけの違いじゃ」

なに現実逃避してんの? 一瞬、そう突っ込みたくなりますが、同時に真理であると思った。

柔軟性が大事です。今日は正しくとも、明日は状況が違うことはありえる。そのとき、いかに軽やかに方針転換できるか。そこが大事。そしてこうも言います。

「帰蝶には伝えた。信長が武運拙く彦五郎に負けるくらいなら、身ひとつでさっさと帰って参れ。高政は食い扶持くらいよこすであろうとな。しかし、わしはあの信長という男はやすやすとは負けぬと思う……」

まあ、道三は結構無茶苦茶なことを言っているとは思う。

我が子をもっと心配しろよ! そう突っ込みたくはなりませんかね。

道三は男性で、父親で、かつ乱世の人物だから、そういうものかと流されるかもしれない。

これが女性で、母親で、平和な時代の人物が、同じ思考ルーティンを取るとどんだけボコボコにされるか。そこは証明されています。何の誰かって、前期朝の連続テレビ小説『スカーレット』のヒロイン・喜美子のことですけれども。

彼女は陶芸の道を選んだ我が子に、自分の名声を使わせようとはしない。距離を置こうとする。彼の病気を救うためには尽力するものの、職業人としては甘やかさなかったものです。

道三にせよ、喜美子にせよ。親子だろうと、別人格なら仕方ないと突き放すところはあるのです。

そして光秀には、こう言うだけなのです。

「高政とうまくやれ。孫四郎はきつく叱っておく。行け」

光秀は道三に鉄砲を渡されて、問題解決していないことに愕然としています。そしてこう聞きます。

「殿は何故今、家督を譲ろうと思われたのですか?」

「……そのような大事な話、ただでは話せぬわ」

これも道三の、ケチと認識されているがゆえのはぐらかしではあります。

視聴者側は、深芳野の遺体を抱きしめて茫然とする彼の姿を見たわけです。そこには愛に向き合った決断があったのです。

光秀は結局、何も解決しないことに苛立ちます。

思わず鉄砲持ち上げ、投げつけようとして、踏みとどまるのです。

 

守護・斯波氏を丁重に出迎える信長の演技よ

そのころ、尾張・清須城では異変が起きました。

守護の斯波義統が、織田彦五郎の家老・坂井大膳によって暗殺されたのです。

逃げ惑うところ、生々しい暗殺。本作の殺陣は伝統と革新の融合性があります。

時代劇らしい所作を残しつつ、生々しさがある。『柳生一族の陰謀』といい、本作といい、殺陣は毎度眼福であり、安堵させられております。殺陣ができる人全員を『MAGI』に引っこ抜かれたのかと、ここのところ悩んでいたものでした。

今時の若いものはダメだなんてことはないわけです。これは作り手だけの責任でもなくて、見る側の責任もあるのかも。殺陣、殺陣、殺陣……そういう時代劇需要は大事だッ!!

そんないい殺陣でさっくりと斯波義統は討ち取られまして。その子・斯波義銀が信長の元へ逃げこみます。

信長はここで、きっちりと義銀を出迎えます。

父上のご無念を思えば胸が潰れそうだと、保護することをきっちりきっぱりと言い切る。仇討ちに手を貸して、清須に先陣を切ってご覧に入れますと宣言するのです。

ここが本当に染谷将太さんのおそろしいところだとは思えるのですけれども。

こうして出迎える信長は、ちゃんと礼儀作法ができているわけじゃないですか。うつけには見えない。

でも……一本調子というか、心がこもっていないというか、仰々しいというか。マニュアルで暗記して対応していて、感情がこもっていないように思えるのです。

父・信秀相手の時のように感情が昂っていない。義父・道三との会見のように、会話を楽しんでいる雰囲気でもない。そこを演じ分けるのだから、本当に凄いと思えるんですよね。

大きく打てば大きく響き、それなりに打てばそれなりに響く。そういう精妙な演技に毎週驚かされるのです。

 

「打つ」と「討つ」

織田信光が、そんな信長の正室・機長の元へ世間話でもするかのように来ています。

帰蝶は、義銀は殿と魚釣りに出かけているといいます。気持ちはトーンダウンしたようです。

信光と帰蝶は、完全に腹の探り合いになってゆく。

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信光は、義銀のヒートアップ度合いを探っています。本当に魚を釣っているかどうかはわからない。ただ、帰蝶がそう見せたいと思わせたいとはわかった。

清須攻めをどうするのか? 叔父上(信光/信秀の弟)の軍勢と合わせても、攻め切れるかどうかわからない。

ここで信光も、大いに迷うておると言います。

「まあ! 百戦錬磨の叔父上もお迷いに……」

帰蝶は団子を前にしてそう言い切る。

この団子は、京都で駒と伊呂波太夫が食べたものよりしっかりとしています。尾張マネーの力だ!

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だんだんと、信光は迷ってきます。そのうえで彦五郎から囲碁を打つ誘いがあると語るのです。

かつて彦五郎の父と打っていた。懐かしむためだろうと言います。

距離を詰めてくる帰蝶。

「よいお話ではありませんか。うちにお行きになればよろしいかと……碁を」

これはダブルミーニングで「打つ」と「討つ」をひっかけているとは思えるわけです。

信光は、信長殿がわしを疑わぬか?と聞いてきます。

「団子の蜜が……」

団子の蜜が垂れることに気付かぬほど、気の迷いがあることを帰蝶は見抜きます。信光は、彦五郎の心情を推察して語るのです。斯波義統を討ったものの、義銀を信長に押さえられて焦っているのだと。

そうそう、討つのであればその後継者ごと始末しておきたい。これは本作最終回まで重要になってくる点です。

「こちらも手詰まりでございました。あちらから誘いがあるのは好都合ではありませぬか。叔父上が心変わりなさるとは誰も思いませぬ。お迷いになられず、お行きになればよい」

行けばよろず片が付く。そう言いながら、二人は団子を食べるのです。

「……美味じゃ」

さて、美味であるのは団子だけでしょうか。

小道具の使い方、セリフ回し。お見事です。流し見ができない境地に至りました。

役者がよいとか。題材が面白いとか。そういうことはわかるのですが、脚本と演出の質がともかく高いのが今年の大河です。この一点だけでも、この作品は他の大河との比較が難しく、あまり意味がないとは思えるのです。

2016年と2017年は、改革を考えた助走として比較はできる。それ以外は、そもそもセオリーが違うので、比較する意味がないと思えるのです。2020年代には、2020年代の大河が必要なのです。

 

ゲーム感覚でサラリとやらかす

清須城では碁盤を挟んで織田彦五郎と織田信光が向き合います。

そして不意を突き、生々しい殺陣で彦五郎が暗殺されてしまう。彦五郎もずいぶん油断したとは思います。思いあがる要素があったのか? そこが気になるところです。

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城の主を失った清須城の崩壊は早い。

信長はやすやすと城を乗っ取り、碁石を手にして満足げな顔をしております。

さて、帰蝶の描き方がここのポイントではあります。

今週の帰蝶は、かなり策略を練っています。夫を救うにせよ、今回はなかなかえげつないものはあった。

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でも、それを痛快なゲームとして描いているところが新しいとは思います。川口春奈さんで正解だとも思える。

これは染谷さんもそうなのですが、毒々しい役者よりも、むしろこういう無邪気で愛らしい顔もできる人物の方がふさわしいとは思えるのです。道三も、出家後子どもらしさが出てきていて、本木雅弘さんが圧倒的でもあるのですが。

わざとらしく毒々しい悪女ではなく、ゲーム感覚でサラリと何かをやらかす。そういう女性像。強烈な自我がある女性像。

アンチもつきやすいとは思いますが、嫌われてこそ帰蝶だという個性はあります。2020年代にふさわしいヒロイン像として、これからも描かれてゆくことを願うばかりです。

といっても、別に帰蝶が信長を天下人に導くわけでもないとは思います。

帰蝶はのびのびと振る舞ってはおりますが、これは信長が制限していないからこそではある。

「おなごは黙っておれ! 口出しするな!」

そう怒鳴りつけて威張っている信長ならば、こうはならない。共に歩む選択をした二人だからこそ、こうなるのですね。

信長は家督を継ぎ、斯波義銀を擁して大義名分を得ました。母からの承認は得られなかったものの、帰蝶は彼を認めてくれている。

充実して、これから強くなる一方。そんな条件が揃ってきたのです。

美濃と尾張が対照的になってゆきます。

 

高政の心の傷に塩を塗り込む稲葉の嫌らしさ

信長のこの進撃は、周辺諸国に衝撃を与えます。岩倉城以外、ほぼ尾張を掌中に納めたのです。

稲葉山城では、高政が稲葉良通を前にして苛立っております。

道三がわしの目に狂いはなかったと自慢している、まるで我が子のように喜んでいると。孫四郎は、高政に代わってと称し、帰蝶に馬まで贈った。孫四郎は尾張の後押しで、この城の主になろうとしていると焚きつけます。

本作で一番苦手な人物が、この稲葉良通のような気がしてきました。

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彼は高政の劣等感を刺激している。「我が子のように」とわざわざ言って、心の傷に塩を塗り込んでいるわけです。

塗り込まれる高政は、自我がないからそういうことになるとは思うのですけれども。焚きつけねば、我が身が危ういから仕方ないとはいえ、どうにも好きになれない。そこまでいやらしい演技をする村田雄浩さんは本当に素晴らしい。

高政は動揺します。

「馬鹿な! 父上はわしに家督を譲ったのじゃ!」

そう高政が言っても、稲葉は執拗です。

国衆の中には、孫四郎は正室の子、高政は側室の子だとはっきり申す者もいると言うのです。

「よろしいか。家督なぞ、道三様の腹ひとつでどうにでもなる。尾張がこうなった以上、孫四郎様から目を離せませぬぞ」

 

憎悪がたぎって冷静に認知できない

視聴者からすれば、道三はむしろキッパリと家督を譲っているとわかるのです。

高政らにはそれが通じない。

これも伏線があったし、父子の性格の差があるのです。

信長はうつけだと、噂を聞いた高政は言った。

それに対して道三は、自分で確かめたのかと言った。そして自分はこの目で見てきたと言う。

もしも、高政がここで道三の元に向かっていたら。せめて光秀に話を聞いていたら。そもそも道三が、我が子に対して心を見せていたら。

これまた尾張と美濃の違いですが、信長も父・信秀に不安感を募らせていました。そこで帰蝶が自らの機転で、信秀の気持ちを聞いて、信長に伝えたのです。

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この違いは何か?
コミニケーションエラーですね。

高政が狂ってしまったとも、愚かであるとも思えない。道三が極悪非道ともいえない。

信長はいい子ちゃんじゃないし。信秀が素晴らしいパパだとも思えない。

けれども、誤解を解消できなかったか、できたのか。そこの違いはあるのです。

本作は流し見ができない。あきらかに、難易度が高い。

道三が我が子をコケにして仕切るとか、そういうわかりやすい対立ではない。もっと細かいヒビが割れていくような怖さがある。

これまた前期朝ドラを持ち出しますが、『スカーレット』は主人公夫妻の離婚原因がまさしく人間関係のすれ違いでして。これが「わかりにくい!」と散々叩かれたものです。

最近のNHKには「人間関係の齟齬がもたらす悲劇」を追求したい流れが、セオリーがあるのでしょう。

ここで高政が城から下を見下ろすと、道三と孫四郎の姿がありました。

「これこれ孫四郎! 何をしておる早く来い! ははははは!」

「父上、お待ちくだされ」

孫四郎はここで、兄を見上げるのでした。

ここも高政目線だと、腹立たしく思えるのですけれども。

道三は家督を譲って隠居生活を楽しんでいるだけかもしれないし、孫四郎はただなんとなく見上げただけかもしれないわけです。

けれども、高政の胸には憎悪がたぎっています。

あんなふうに父に甘えられたことはない。かわいいと思われていたかもわからない。それなのに孫四郎は……。

今、高政は地獄にいます。

 

今川家でも対応に大わらわ

駿府では、太原雪斎が清須の織田彦五郎が討たれ、信長が清須城に入ったたことに焦っています。

太原雪斎
義元を支えた黒衣の宰相「太原雪斎」武田や北条と渡り合い今川を躍進させる

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彦五郎がああも油断しきっていたのは、今川義元と斎藤高政との同盟あればのことなのでしょう。慢心が生じ、そこをつけ込まれた。

そこにいるのは、治療にやって来た東庵と駒でした。

東庵は、薬草の鴨子芹を差し上げようとしたのにと忘れたとぼやいています。そこで駒が買いに行くのです。

雪斎は、明日の歌会は取りやめると殿に伝えるよう指示を出しています。事件があればこういうイベント中止は当然のことです。信長が膨れ上がり、一気に三河に雪崩れ込むことを警戒しています。

東庵はこう言います。

「あの、急なご事情がおありのようでしたら、今日の療治は……」

「いつもの療治を」

「はっ」

「それでは鴨子芹を……」

雪斎は敢えていつもの日常を送ろうとする。

かえってその方が落ち着くのか、考えを張り巡らせられるのか、動揺を悟られたくないのか。さあ、どうなのでしょう。

それにしても、東庵は重要人物になりました。彼は権力と共に移動している。今後、尾張で信長の治療をしても何ら不思議はないのです。

雪斎は苦々しげに、世情の噂ほどあてにならぬものはないと言い切ります。

「織田信秀の倅は大うつけと言われておったが、そのうつけが尾張をほぼ掌中におさめようとしておる。由々しきことじゃ」

「ほう。左様でございますか」

さりげない会話ではあるのですが、重要だと思われます。

美濃の高政は、割とすんなり「うつけの噂」を信じている。そして父の道三とは違い、今日のことは今日、明日のことは明日と柔軟に考えられない。

噂を信じて失敗した基本計画を押し通そうとして、限界にぶつかってしまう。そういう失敗が見えて来ました。

高政が信長の清須入りを知り、ゲームのルールが変わったとあっさり接近できれば、この先の展開は違うはずなのです。

このドラマは、もちろんただのドラマではあるのですが、そうとも言い切れない何かがある。

破滅する人間には、古今東西通じる、危険な何かがある。それがどういうものかを考察することは、無駄にはならないでしょう。

 

字を教わりたくて駒につきまとう藤吉郎

さて、駒が買い物に出かけようとすると。門にはあいつがいました。

「お駒ちゃん! これなんと読むのじゃ?」

藤吉郎(豊臣秀吉)です。

徒然草』第112段のようです。

人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙(もだ)しがたきに随ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雑事(ぞうじ)の小節(しょうせつ)にさへられて、むなしく暮れなん。日暮れ塗(みち)遠し。吾が生(しょう)既に蹉駝たり。

内容としては

「空気ばっかり読んでいたら人生終わるぜ! あいつはやばいと言われてもいいんじゃね?」

というような、そういうぶっ飛んでいこうと押してくるようなところですかね。

駒は私ばかりに聞かずに、他の人に聞きなよとつっぱねます。そもそもなんなんだ、ストーカーかというようなことを突っ込むと、毎日ここで療治をしていると知っているらしい。

薬種問屋に向かう駒に、藤吉郎はついてきます。

乱暴者に殴られた自分を救い、字を教えてくれた駒にお礼をしたい、「わしにできることがあればなんでも言うてくれ」と迫ってとくるのです。

駒は「何もありません!」と断るしかない。それでも相手はめげない。

このリア充陽キャが!

秀吉は本作でも屈指のそういう奴ですわ。これも運命だぜとゴリゴリ押してくるところは、紛れもなくそういう奴。不器用な光秀、ぶっとんだ信長とは違う。

モテそうで「キモい……」と鬱陶しがられそうでもある。そこは史実を踏まえているとも思えます。

 

これからは今川ではなく織田だ

薬種問屋に着いた駒は、菊丸に鴨子芹を頼みます。若い店員が増えて、今は命令できるようになったようです。

しかしストーキングしている藤吉郎と菊丸は険悪な雰囲気に……。藤吉郎は、しつこく駒に字を習いたいと言います。寺の隅で二日でもいいって。物売りならそんなこと要らんと菊丸は邪険に取り扱うのですが、藤吉郎は侍を目指すと言い出すのです。

なんでも尾張の織田信長は、どんどん召しかかえてくれるとか。

今までは今川様にするつもりだったけれども、織田様に行くと決めたそうです。だから一緒に行こうとしつこく駒に迫るのでした。

この草履売り!
この薬売り!

そう争う二人をおさめる駒。

藤吉郎は、自分が尾張に行ったら会えぬから、今、字を教わると主張しています。駒と尾張での再会はあるのでしょうけれども。

コミカルでゆるいようで、大事な要素はあります。

仲間の意見を聞いて今川だと決めた物売りの藤吉郎が「これからは織田!」と思うほど、その勢力が伸びていること。

そして藤吉郎は転換が早く、柔軟性があること。

生真面目に「今川様って決めたんだ」と思っていたら、彼の人生はまるで違っていたことでしょう。

転換が早いことも、大事なのです。

そうそう、菊丸は死亡退場と予測します。なるべく早急に消えてもらいたいと思われるようなことを、演じる方がやらかしてしまったことは残念ではあります。時代にそぐわぬ失言は痛い目にあうのだと、教訓を残していただけばと思います。

 

孫四郎と喜平次が斬られた!

稲葉山城に、孫四郎と喜平次の兄弟がやってきています。

光安がすれ違うと、なんでも兄の見舞いに来たのだとか。食い物すら喉を通らぬ、顔を拝してくると向かってゆきます。

光安は、ここで自分も見舞いに行かねばと思っており、怪しさには気づきません。

日野根という家臣から病状を聞き「それはいかんなあ」と素直に信じております。

高政は寝ているようです。

「太刀をこれへ」

そう言われ、従ってしまう孫四郎と喜平次。

「兄上、孫四郎にございます」

ここで突如、戸が固く閉められます。出られぬ状況になったのです。

孫四郎は家臣に切り捨てられました。

「兄上ー! 誰か!」

そう叫ぶ喜平次も、刺殺されてしまいます。

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生々しいリアリズムのある殺陣でした。高政は病床で満足げにしております。

 

「誰がこのような仕打ちを……申すな!」

このあと、泣き声の響く稲葉山城の庭に、槍を手にした道三が急いでやってきます。

槍を投げて、亡骸二体に向き合う。

「これが……孫四郎と喜平次か?」

被せてあった布を取り、我が子二人を確認します。その手に血がつく。

「誰が誰が誰が誰がこのような……誰がこのような仕打ちを……申すな! 分かった。申さずとも分かった。美濃を手に入れた褒美がこれか! わしが全てを譲った我が子が、全てを突き返してきたのじゃ。このように血塗れにして! わしが分けた血が、孫四郎の血が、喜平次の血が、このように、このように……」

我が子の血で顔を赤くして、道三は叫びます。

「高政ッ、わしの手を汚しおったな! 出てきて、この血の臭いを嗅ぐがよい! 高政……ゆるさんぞ!」

絶叫する父の姿でした。

光秀は藤田伝吾から、この恐怖の顛末を聞いています。高政の意を受けた者が孫四郎と喜平次を討ち取り、高政は稲葉良通らを城に集めたのだと。

道三は稲葉山城から出て、大桑城に入るのです。

国を二分する戦へ突入してゆく。

一方、高政は宣言しています。

孫四郎と喜平次を斬ったのは、弟ではない。斎藤道三の子を殺したまでのこと。

そのうえで「わしは源氏の土岐頼芸の子である」と言い切るのです。

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悪しき芽を摘んだだけ。ここから先は皆の力を結集し、揺るぎない国を目指すと宣言するのです。

光秀の苦悩は深まってゆきます。

 

MVP:斎藤高政と斎藤道三

今回は決裂したこの二人です。

二人には、欠落しているものがあると見えてきます。

高政には【自我】がない。

サイコパスだのなんだの呼ばれていた信長よりも、残酷なことをするようになってしまった高政。

彼は父との交流で穴が開いた自分という器に【自我】ではなく【虚像】を満たしました。

彼が本当に土岐頼芸の子であると思っていたかどうか。これは史実をたどれば、可能性は低い。けれどもフィクションであるからには、敢えてそうすることもできるわけでして。

土岐頼芸という偽り、虚像で器を満たしたことが、悲劇だと思えるのです。

偽りで満たしたから、どんな残酷なことをしても平気になっていってしまう。本来の自分とは違う虚ろな何かになってゆくのに、本人すらそれがわからない。

高政の凶悪な行動は、支配欲だけとも思えない。

何かへの復讐にも思えてしまう。いくつもの齟齬があって、彼は血に染まってゆくのです。それを演じきる伊藤英明さんがすごい。

そして斎藤道三ですが、彼は良い意味で人間臭さが出てきました。

隠居したことで見えてきたもの。そしてそもそもの隠居の理由は、彼が自分自身の心と向き合うことを取り戻したからだとは思えるのです。

それまでの道三は【共感】をかなぐりすててきた。

相手に同情を見せようともしないし、相手に求めようとすることもなかった。冷たさが見えてしまう。織田信秀のように、我が子に【共感】を見せることすらできなかったのです。

それが隠居して、やっと取り戻せてきた。

楽しい気持ちをともに味わえるからこそ、光秀や孫四郎とあんなにも楽しく過ごすことができた。そもそもの隠居のきっかけだって、深芳野相手にすら愛という心を見せられない、その罪滅ぼしと自己解放の結果ゆえに見えるのです。

一体お前はどうしたんだクソレビュアー! そう突っ込まれると前置きして。今の斎藤道三は、『アナと雪の女王』のエルサ状態、レリゴーを歌い出したようなものには思えました。

 

美濃を手に入れるため。人の上に立つために、愛も含めて感情をずっと封じ込めて生きてきた。

それを解放して、高政に何もかも譲ったのに、待っていたのが孫四郎と喜平次の死体。

エルサもありのままにいろいろ解き放って、祖国アレンデールをえらい目に追い込むのですが、美濃の道三はもっと悲惨でした……。

人の上に立つために、責任を果たすために、心を封印する。それには人間として何かを犠牲にする、悲しい宿命があるのです。解放できたらできたで、悲惨な境遇に陥りかねないと。

子どもみたいにはしゃいでいたところから、急転直下して血塗れになって怒りを炸裂させる道三。人間の運命として、ここまで悲惨なものもないと思えました。

ただただ、圧倒されます。

道三に続編はない。

彼の呼び声を聞きながら、未知の旅へ向かうこと。それは信長に託されるのでしょう。

 

総評

さて、もう書くことはないと思いたい。いいかげん脳みそしぼりすぎて疲れた。とはいえ、書けるのでそうしますが。

見かけたのです。長谷川博己さんが目立たないとか、なんとか、そういうことを。ですので、クソレビュアーとしては反論をしたい。

そもそも人間に対して「あなたは主役向き」だのなんだのジャッジすることが思いあがりだと思います。

良いではないですか。数年に一度の歌会を「楽しいからいいじゃん!」と推し進める誰かと御伽衆とか。そういう人をリレー形式でドラマにしてもよろしいのです。面白ければよいのです。

何が言いたいかってことですけどね。

本作に関して、光秀の影が薄いという意見もあるようですが。それを言うのであれば『西遊記』の三蔵法師、『水滸伝』の宋江はどうなるのか。ああいう作品は脇役が目立つんだよなあ。

そこまで古典的な話をしても仕方ないので『ゲーム・オブ・スローンズ』でも。

あのドラマのシーズン1エピソード4のタイトルは”Cripples, Bastards, and Broken Things”(障害があるもの、庶子、壊れたもの、日本版タイトル「壊れたものたち」)というものがあります。

小人であるティリオン、歩行困難となったブラン、庶子のジョン。

そうした「普通ではない人たち」に焦点を当てた秀逸なタイトルです。彼らに対して意図的にスポットを当てています。

現代にふさわしい価値観のドラマ作りとは、こういう観点だと思うのです。

それなのにラブコメ『天地人』あたりを持ち出して、

「現代的なドラマ作りとはあれだ」

と指摘されたところで、何を言っているのかということです。

だいたい『天地人』なんてもう10年以上前の作品です。

というわけで、クソレビュアーとしては「明智光秀が主人公に向かない理由」ではなく、どうしてこんな遅れた論調があるのか。そこに突っ込みたいと思います。

蜀犬吠日(しょっけんはいじつ)――日照時間の短い蜀(四川省)の犬は、お日様に吠えてしまうという意味。

人は、認識外のことについて罵倒するか、批判するか、トーンアップしてしまいがち。これはクソレビュアーの私もその通りで、トレンディ業界人の考えるドラマのノリが全くわからないゆえに、酷いことを書いてしまう。反省しています。

反論するとなると人は饒舌になる傾向もありますし、気をつけねばならぬと自戒しております。

認識外のことで間違えることも、そうなのです。

コティングリー妖精事件というものがありまして。シャーロック・ホームズの作者である、高い知性を持つコナン・ドイルが、捏造妖精写真にまんまと騙されたというものです。

ドイルはバカなのか? 間抜けだったのか? これも認識の問題でして。

当時は写真技術がまだまだ新しいもので、かのドイルですら認識不十分ではあったのです。ゆえに、騙されてしまったと。

議論考察の前に、そもそも自分の認識が十分であるかどうか。ここも極めて重要でしょう。

本作は難解で、手強い。認識外のこと、知見を取り入れているから。蜀の犬にならないよう、このご時世にいろいろ調べないといけないと痛感させられます。

でも、それがプラスになると思えばできるわけでして。

本作は難しい。

単純な狂気とか。悪とか。優劣とか。簡単に言い切れないところが難しい。

斎藤道三と斎藤義龍なんて、優劣や知能は明らかだとは思っていました。そういう単純なことでもない。そう痛感させられます。

またそれかよ、というツッコミはわかっていますが、『孫子』「勢篇」です。

乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は彊(強)に生ず。治乱は数なり。勇怯(ゆうきょう)は勢なり。彊弱は形なり。

何を言いたいかと申しますと、「評価なり正しい選択」は水のように変わるということ。

状況が変わったら、自分の前言を撤回して、コロコロ変わると言われようとも、方針や生き方そのものまで変えねばならないということです。

高政は、信長の清須城乗っ取りの時点で方針を変更できたとは思う。

あの義兄はすごい、うつけではないと認め、方針転換できたはずでしょう。

それなのに、父・道三や弟・孫四郎への意地、自分の見通し、世情の噂に固執して、破滅へ向かおうとしています。

この高政が心底怖いと思った。

こういうご時世です。自分の生き方そのものを変えねばならない時は来ている。そうしみじみと思えてしまうこのドラマは、作られるべき使命感があるのでしょう。

制作が途中でストップするかもしれないという、意地の悪い記事もある。

結果、長谷川博己さんが目立たないままになるとか……いや、彼は十分目立っておりますけれども。

確かにこの状況下です。中止はあるかもしれない。

けれども、何年かかってでも本作は完成させるべきだとは思います。それだけの示唆がある作品であるし、そうする価値はある。

来年以降を変えてでも、これは何年かかってでも作り上げていただきたいと願うばかりです。


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【参考】
麒麟がくる/公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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