ナポレオン3世が徳川慶喜に軍服を贈ったり。
ジュール・ブリュネが江戸幕府の軍隊近代化に関わったり。
幕末も終わりの頃になりますとフランスもいよいよ立ち上がり、日本へ強力な外交官を送り込んできました。
レオン・ロッシュです。
大河ドラマ『青天を衝け』にも登場し、ヨーロッパ編とその前後では存在感を見せていましたが、慌ただしい描写であったため、彼の経歴についてサッパリわからん……という方も少なくなかったでしょう。
1900年6月23日は、そんなレオン・ロッシュの命日。

レオン・ロッシュ/wikipediaより引用
本稿で、その生涯を振り返ってみましょう。
現地人から信頼される外交官として
1809年――ナポレオン第一帝政時代、ロッシュはグルノーブルの裕福な家庭に生まれました。
グルノーブル大学に入学したのは1828年のこと。法律を学ぶものの、嫌気がさして僅か半年で退学してしまいます。
その後、アフリカ大陸・アルジェリアへ。
プランテーション経営を始めた父に付いていったのですが、事業は芳しくなく、ロッシュは己の才覚で道を切り開くほかありません。
彼は2年ほどでアラビア語を習得すると、アルジェリアに駐留するフランス軍の通訳となりました。
ロッシュはここで才智を発揮します。
フランスに反抗していたアブド・アル=カーディルに停戦をすすめ、成功をおさめたのです。
現地の指導者たちと信頼関係を築き上げ、それが高く評価されました。
近代化を推し進める見識や理解力もありました。
そして外交通として、名声を高めたのです。
こうした経歴を持つロッシュが、東洋の果て=日本に送り込むには適任と判断されたのでしょう。
1863年、ロッシュは二代目駐日公使に任じられたのでした。
フランス外交の切り札 満を辞して来日す
ペリーの黒船来航から本格化していった幕府と諸国との交渉において、フランスは存在感が薄いものでした。
阿片戦争以来最大の警戒感を呼び起こすイギリス。
不凍港が欲しいのか、領土獲得をめざしているとわかるロシア。
あくまでフランスは諸外国の一つに過ぎません。
そんな1864年、初代駐日大使としてパッとしなかったベルクレールがチュニスへ派遣され、入れ替わりとしてロッシュが着任します。
1864年は元治元年となった年。幕府崩壊まであとわずか4年であり、時既に遅しと思えるところです。
通訳には、幕臣・栗本鋤雲とも親しいメルメ・カションがつけられました。

メルメ・カション(左)と関係の深かった栗本鋤雲/wikipediaより引用
日本に着任したロッシュは、すでに50歳を超えておりましたが、赤ら顔に白髪、逞しい体つきと鋭い眼光は「魅力とカリスマのある人物」と評されています。
鋤雲とカションの関係。
そこへ加えられたロッシュ持ち前のバイタリティ。
見る見るうちにフランスの存在感は高まっていきます。
栗本鋤雲と親しく、日本屈指の見識を持つ人物が幕府にいました。
小栗忠順です。

小栗忠順/wikipediaより引用
小栗はフランスの策を取り入れ実現化へ
商工業に強い小栗は、フランスの策を取り入れ、実現化へ動きました。
横浜仏語伝習所。
いずれの開設も圧倒的なスピード感です。
ロッシュに対するイギリス人の評価は辛辣でしたが、彼の実力を恐れたゆえのことでしょう。
日仏の首脳が接近すると必然的に貿易面でもフランスが有利になり、イギリスやアメリカの商人から不満の声が上がっていたのです。
とりわけ生糸貿易は目玉であり、彼らはフランスの権益独占を見過ごすわけにはいきませんでした。
ロッシュが赴任して間もなく、幕府には大きな衝撃が走りました。
第二次長州征討の際、将軍・徳川家茂が没したのです。

徳川家茂/wikipediaより引用
ロッシュの懸念が現実のものとなってしまいました。
「家茂はどうにも幼く病弱で頼りない」
普段からロッシュはそう不満を抱いていたのです。
しかし後継者については「理想的な人物である」と大きな期待をかけていました。
徳川慶喜です。
慶喜は最愛の愛弟子
知性、エネルギー、魅力、行動力がズバ抜けている。
温和で聡明、端正で威厳があり、よく話を聞く、思慮深く勉強熱心……。
慶喜について筆を走らせるとき、ロッシュは恍惚の表情を浮かべていたのではないでしょうか。まるで恋人を表現するかのような情熱的な言葉が、彼の記録から確認できます。

ナポレオン3世から贈られた軍服姿の徳川慶喜/wikipediaより引用
素晴らしきこの慶喜を教え子とし、日本を変えてゆく――そんなロッシュのロマンのもと、幕府は最終局面へ向かってゆきます。
しかし、慶喜に惚れ込み過ぎてきたロッシュには、残念ながら脇の甘さがあったと言わざるを得ません。
深い付き合いも面識もなく、慶喜の建前、表層部分しか観察できなかったのでしょう。
要は慶喜の情けない一面、逃亡癖のある性格を知り得なかった。
ただしこれはロッシュだけの話ではありません。
松平春嶽はじめ、多くの人物が慶喜について苦い思い出を残しています。
そもそも15代将軍も、慶喜にスンナリ決まったワケではありません。
慶喜の優柔不断さ、不誠実さについてはかなり悪評があり、将軍継嗣問題において慶喜支持のため薩摩から嫁いだ天璋院篤姫すらも見限っていまいした。
彼女は田安亀之助(幻の16代将軍と呼ばれる徳川家達)と考えていたのです。

徳川家達/wikipediaより引用
自国の権益ありき ハリー・パークス
【一会桑政権】のときも、会津藩と桑名藩は慶喜に対して不信感を抱いていました。
温和な松平容保は不満を出さないものの、藩士たちは慶喜に厳しい目を向け、不満を漏らしています。
何よりも、本人が「将軍になりたくない」と固辞し続けていた。
そうした各方面における不協和音は、ロッシュが喧伝するタイクーン(大君・将軍のこと)像からは全く見えてきません。
まるで理想の生徒を得たロマンに溺れているかの様子――これはロッシュ、ひいてはフランスの外交的欠点でした。
比較としてイギリスを出しますと、彼らはハリー・パークスを筆頭に、かなり辛辣で自国の権益ありきで動いています。

ハリー・パークス/Wikipediaより引用f
明治政府の上層部となる人物に対しても容赦なく厳しい姿勢でした。
また、ロッシュ自身の野心もあります。
極東にフランスの同盟国を築き上げれば、彼自身にとっても母国にとっても、大きな成果。
ゆえに同国のジャーナリズムも彼の甘い夢を書き立てました。
フランスと夢の国・日本というロマンスが、新聞紙上を飾りたてたのです。
かくしてどこか見通しの甘い蜜月関係が、幕府倒壊前夜に成立したのでした。
幕政改革にのめり込むロッシュ
ロッシュの示した国政改革案は、フランス第二帝政をモデルとしたものでした。
「ナポレオン3世のようにおやりなさい」
そうロッシュは諭します。

ナポレオン3世/wikipediaより引用
身分制度改革。
陸海軍の整備。
経済改革。
海外貿易の促進……要するに明治政府と同じ方針です。
倒幕などなくても、日本は近代化が可能でした。
600万ドルにもおよぶ対日借款、武器売買契約も結び、幕府は急速に力を盛り返していきます。
なんせ、このとき幕府が買い取った後装式シャスポー銃は幕末最強の歩兵銃でした。
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一方でイギリスは、内政不干渉を表向き主張しながら、薩摩藩と手を結び、倒幕計画を進めました。
フランスと近い幕府を倒し、イギリスの意のままに動く新国家建設を目論んでいたのです。
そのためにパークスは「将軍は日本の統治者でない」と主張し、ロッシュが幼い帝を操る前に釘を刺す――そんな攻防がありました。
するとフランス本国は、徐々にロッシュに対して不信感を抱き始めます。1866年には外相がリュイエからムスティエに交代したことも影響してきます。
いったい不信感とは?
600万ドルの対日借款は……
日本に投資して見返りはあるのか?
個人的な思い入れで肩入れしてるのでは?
そんな思いに駆られながらも、ロッシュは断固として慶喜を支持。
しかし思わぬ綻びが彼の母国・フランスで待ち受けておりました。
日仏関係強化の目玉として派遣され、留学を希望していた慶喜の弟・昭武一行がパリ万博に参加します。

徳川昭武(左から三番目)らの遣欧使節団・ベルギーで撮影/wikipediaより引用
このとき、イギリスは抜け目なく薩摩藩と連携し、幕府権威失墜をはかる工作をします。
万博に、幕府のみならず琉球国名目で薩摩藩も出展し、混乱を生じさせたのです。
フランスのジャーナリズムは幕府が信頼をできるのかとバッシングを始めます。
しかも、ロッシュの通訳を務めたカションまでそうした論に同調するような投書をしてしまった。
こうした混乱の中、600万ドルの対日借款も取り消されてしまい、破綻は決定的なものとなります。
このことに関してはのちに勝海舟が「小栗忠順が真っ青になって慌てていた」と回想しています。その上であたかも自分はそもそも借款に反対だった、裏があるという旨のことも語っております。
だからこそ自分は取り消しに一役買ったようなことを語り残しておりますが、日本側よりフランス側の情勢変化が大きかったのだと思われます。
金の切れ目は縁の切れ目なのか。フランスは日本のロッシュに帰国命令を出しました。
しかし、それが届く前に政変が起こるのです。
倒幕と日仏蜜月関係の終わり
慶応3年(1867年)末――事態はおそるべき速さで進んでゆきます。
土佐藩は後藤象二郎らが先頭に立ち、大政奉還を進めてゆきます。

武力を用いることなく政治体制を改革する案でした。
そう簡単に慶喜が権力を手放すものか?
そう疑念が抱かれていたものの、慶喜はこれを受け入れます。
慶喜からすれば、フランスの提案に従い、近代化を進めてきた自負があります。己の力を抜きにして近代化ができてたまるか。そう思っていてもおかしくはありませんでした。
しかし、それも錦旗のひるがえる【鳥羽・伏見の戦い】で敗北するまでのこと。
大坂から江戸へ逃げ帰った慶喜の元へ、ロッシュは駆けつけました。
どうすれば立て直しが図れるか?
そう問われ、ロッシュは提案します。
・全国の諸大名に大政奉還後の新体制を告知し、薩長の求めには応じない
・東海道を遮断し、江戸湾の入り口に艦隊と砲台を配置し敵を防ぐ
・現存の歩兵のみならず、フランス人士官が指揮をする別種の舞台を組織する
・予算がなければ軍備が整えられない。財政改革が必要だ。そのためにはまず信頼関係を……フランスに借金を返済しましょう!
抗戦を避けた慶喜の表向きの言い分としては「天子様に弓引くなぞできぬ」というものがあります。
しかし素直に信じていいかどうかはわかりません。
それよりも、恩師であるロッシュに失望した気持ちがあったとしてもおかしくはありません。
露骨にフランスが軍隊に干渉する。そして借金は取り立てる。
甘い夢とロマンは消え去り、国益を重視する恩師ロッシュの裏の顔が見えた……そのことに失望してもおかしくはありません。
このあと慶喜の助命嘆願において重要な役割を果たし、勝海舟に対し「交渉が失敗したら軍艦で我が国まで送り届けましょう」と請け負ったのは、皮肉にもパークスでした。
ロッシュの宿敵がロッシュの愛弟子を助けるという、あまりに皮肉な展開。
どうにも皮肉な結末でもって、幕府は崩壊します。
日仏関係も様変わりします。
個人的な騎士道を重んじ、幕府軍と共闘したブリュネは厄介者扱いされ、敵対していた明治政府側と交渉することとなるのでした。
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元号が明治となった1868年、ロッシュは残務処理を終え、明治天皇に謁見を果たした後、フランスへ帰国を果たします。
その後、外交官を退職。
1900年6月23日、ボルドーでひっそりと息を引き取りました。享年90。
幕末の日仏関係に何が欠けていたのか?
幕末のイギリス人外交官には「ドライな印象」を受けます。
親日!
日本大好き!
といった甘い顔はまったくせず、自国の権益を第一とし、値踏しながら日本を見ていることがわかる。
一方でフランスはどうか?
ロッシュはかなり情熱的に日本と慶喜への愛を書き残しています。
カションと栗本鋤雲の交流も、互いへの敬愛が感じられます。
また、イギリスへの敵愾心も、彼らの判断力を鈍らせていました。
外交というよりも、あたかも友情や恋愛のような、生々しい人間関係がそこにはあります。
しかし、皮肉にもそれが悪かったのかもしれません。
フランスは幕末外交においては後発であり、問題に取り組むにせよ、そもそもの時間が短かったといえます。
これはロッシュも意識しており、時間をかけて変えてゆくべきであると示していました……のみならず、冷静さの欠如が目立つのです。
ロッシュは本国から「個人的な思い入れで幕府を支持している」と懸念を抱かれています。
カションは幕府の使節団と些細なことで揉めた腹いせに、幕府に不利な新聞投稿をしてしまいます。
いずれにせよ、個人の感情暴走がそこにはありました。
ロッシュのそうした熱意は、本来ならばプラスの要素として働くこともありました。アルジェリア時代に現地有力者の信頼を勝ち得た背景には、そうした情熱と人間性があったはずです。
幕府がフランスと接近したのも、イギリスほど狡猾ではないと感じたことが背景としてあります。
ロッシュにせよ、カションにせよ、話術に長けていて、熱心に応じてくれる誠意を感じたからこそ信じられたのです。
しかし……。
それが行き過ぎて失敗したのなら、なんとも皮肉なことです。
かくして情熱的なロッシュと慶喜という師弟関係は崩壊。
日本という国は新たな師弟関係のもとで新たな国家建設を進めてゆきます。
イギリスです。
明治政府の上層部が恐れたパークスは、遠慮呵責なく明治政府の外交に干渉してきました。
幕末期は内政不干渉をうたっていたイギリスも、いざ明治時代を迎えるや、途端に本性を見せてきたのです。
彼らが背後で目を光らせる中、明治日本が歩み始めたことを私達も記憶しておいた方が良さそうですね。
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【参考文献】
鳴岩宗三 『レオン・ロッシュの選択 幕末日本とフランス外交』(→amazon)
富田仁『メルメ・カション―幕末フランス怪僧伝』(→amazon)
小野寺龍太『栗本鋤雲:大節を堅持した亡国の遺臣』(→amazon)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(→amazon)
安藤優一郎『幕末維新 消された歴史』(→amazon)
他







