なぜこの年は戦国時代の“男色”がやたらとクローズアップされたのか――。
そんな印象が大きいのが2023年のことです。大河ドラマ『どうする家康』では織田信長と徳川家康でなにやら匂わす描写があり、北野武監督映画『首』では男色によるもつれを悪用した展開となりました。
こうした作品を見ていると、日本の戦国時代は男色で歴史が動いたのか、と混乱してくるほどですが、そこで本稿でも考えてみたい。
戦国時代の男色には実際どんな特徴があり、具体的には、誰と誰がそんな関係にあったのか?
さっそく見て参りましょう。
東アジアにおける宗教的束縛は?
日本は伝統的に同性愛に寛容である――。
このような見解をしばしば見かけますが、実際はどうなのか。
同性愛の受け止め方には宗教の規範が大きく影響していて、例えばキリスト教では男色が厳禁であり(詳細は後述)、日本では主に以下の通りとなっています。
・神道
特に禁じていません。
・仏教
性行為そのものを禁じるというより、女性性そのものへの禁忌があります。
仏陀が母親の腋の下から生まれた伝説はその象徴でしょう。
聖母マリアは処女懐胎であり、性行為そのものを忌まわしいものとする一方、仏教は女性の生殖器を忌まわしいものとしました。
そうした影響からか、東アジアの仏教では男色が認められました。
・儒教
儒教が深まるのが日本では比較的遅く、藩校や寺子屋が広まった江戸時代の中期以降に庶民まで浸透します。
渋沢栄一の妻・兼子の言葉から「儒教には性的な規範がない」という見方もありますが、それは誤解。
儒教では子孫を残すことを重視していて、男色は、その考え方に反するため推奨されません。
確かに中国では、儒教思想へ対抗するように、友情の延長や交歓として男色が賛美されることもありました。
そして男子を重視する儒教では、女児の間引きが必要悪として広く行われ、男女比が偏り、男色を促すという皮肉な結果が生じたとされます。
日本では江戸時代中期に、儒教朱子学が広く浸透して、都市部でも男女比の偏りが少なくなると、トラブル回避のため男色を禁じる藩もでてきました。
地域によって男色の浸透度が変化してくのです。
薩摩のように色濃く残った地域もあったため、明治維新後の江戸っ子は嘆きました。
連中が男色などと気持ち悪いものを持ち込んだ――と、これはなかなか重要な指摘でしょう。
日本の男色は、明治以降、西洋諸国の目を意識してタブーとされたとされますが、近代へ向かう中で低調になる流れもあったのです。
お隣の中国では、仏僧と小坊主の男色行為がジョーク混じりで語られることもありました。
男色を「梅を望んで渇きを止む」と呼ぶこともあります。『世説新語』に由来する言葉で、梅のことを想像して唾を飲み込み、我慢するという意味です。
女性が得られないから、とりあえず男性で我慢しておこう――そんな意味ですね。
要するに、中国での男色とは【女性を得られないための代替】という見方が一般的だった。
キリスト教圏やイスラム教圏よりはゆるいけれども、日本ほどでもない。
それが東アジア諸国の男色事情でした。
日本の中世は男色こそが性愛最大手
中世日本は、ともかく自由でルーズ。
むしろ美少年と愛し合うことこそ、至高の体験だという認識がありました。
今でも神社に行くと、絵馬がかかっていますね。
合格祈願や家内安全など、様々な願いが記される中でやはり多いのが、あの人と結ばれますように、良縁に恵まれますように、といった恋愛関係のものです。
こうした願文の類をみれば、人々の願いがわかるというもので、中世日本の場合、
「美少年と愛し合えますように!」
「あのかわいい男の子を手に入れたい!」
といった男性からの願いが多い。ともかく美少年を求めていました。
「男色禁止ってマジ?」と笑われる宣教師
そんな、男色に対する規制が特にない日本に、カトリックの宣教師が来たら、どうなるか?
宣教師が来日するにも、それぞれの事情があります。
まずは宗教改革。プロテスタントに対抗するには、ブルーオーシャンの開拓が必要であり、東アジアへ目を向けました。
当時、圧倒的に人口の多かった明(中国)では、厳しい海禁政策が実施されていました。その苦労を乗り越えたマテオ・リッチはだから偉大といえるでしょう。
一方、ザビエルのように隣国・日本を目指す宣教師もいました。

フランシスコ・ザビエル/Wikipediaより引用
彼らは理知的だし、きっとできる!
ザビエルは浮かれてそんな記録を残しましたが、やがてそれは失望に変わりました。
日本人は宣教師を取り囲み、「バカな妄想を吹き込む」と笑いものにしているのです。
一体なにがそんなにおかしかったのか?
「あんたらのわけわかんない神を拝めって言ってるんだな?」
「お、あんたかい? 妻は一人だけにすべきだって熱く主張してる奴ってさ?」
「男色禁じているってマジ? できるわけねえだろ、ウケるwww」
おお神よ、彼らはそもそも何が罪かわかっていません……そう嘆くしかない、宣教師にとっては絶望的な状況がそこにはありました。
戦国武将のカップリング事情
戦国時代の男色が当たり前なのはわかった。
とはいえ、具体的に誰がどうしていたのか?というと、盛られすぎて実情はわかりにくくなっています。
「出世が早い。寵愛されている。おまけにイケメン! これはきっと男色相手だからだろうな」
話がそんな風に誇張されることもしばしばあり、鵜呑みにするのは危険です。
また、暗君伝説として盛られることもあります。
「あのうつけの殿様は、美少年を寵愛しすぎておかしくなっちまったのさ!」
といったパターンですね。酒色で堕落することはお決まりコースの一つであり、そうした流れで誇張されることもありました。
確たる証拠が残るケースは以下のような場合です。
・美少年の罪を美貌ゆえにお目溢しした
・仇討ち騒動になった
・書状が残っている
こうした確固たる証拠がなければ「あった」とは認定しにくい。そこは男女の愛と変わることはありません。
フィクションで有名なカップルを考えてみましょう。
上杉謙信×直江兼続
『山風短』といったフィクションで有名な定番カップルです。
若い日を寺で過ごしたなら、上杉謙信は男色を嗜んでいるだろう。後継もいないし。
直江兼続はイケメンだったし、低い身分から引き立てられている。
これはもうデキていたんだよ!――そんな発想ですね。

上杉謙信(左)と直江兼続/wikipediaより引用
上杉謙信の場合、世継ぎがいないことから、さまざまな説があります。
・神への願掛けとして生涯不犯を貫いた
・それでも伊勢姫を愛していたんだよ
などなど、有名であるだけに、色々盛られています。差し引いて考える方がよさそうです。
「直高」こと直江信綱×上杉景虎
伝説のボーイズラブ『炎の蜃気楼(ミラージュ)』由来。公式カップリングです。
あくまでフィクションの関係です。
大河ドラマ『天地人』は、公式ボーイズラブコミックスを出していました。
狙ったのかもしれませんが、大河ドラマの出来がお粗末すぎてコミックスも話題になりませんでした。
ドラマ本編も、ボーズラブをしたいのか。それとも直江兼続で乙女ゲーをしたいのか、どっちつかずの迷走。
どういうわけか直江兼続が真田幸村の姉や千利休の娘と恋をしたり、意図がはかりかねる出来でした。
武田信玄×春日虎綱
春日虎綱に当てた書状で、弥七郎というものに浮気しようとしたと謝罪。
戦国ファンにとっては、かなり有名な組み合わせと言えるでしょう。

春日虎綱(高坂昌信)と武田信玄(右)/wikipediaより引用
春日虎綱が信玄に抜擢され、電撃出世したことから、シンデレラボーイ伝説として残りました。
片岡小十郎景綱×伊達政宗?or 政宗×片倉小十郎重長?
二次創作の人気としては、片岡景綱と伊達政宗の組み合わせでしょう。

伊達政宗(左)とと片倉景綱/wikipediaより引用
しかし、史実においては息子の小十郎重長がイケメンとして有名。
小早川秀秋がストーキングしたとか。政宗が寵愛したとか。
【大坂の陣】で「先陣はぜひこの私に」と重長が訴えると、政宗は感動して泣き出しました。
「よお~~~~しよしよしとってもとってもとっても勇敢だねェェェ、小十郎ちゃん! よく言ったッ!」
そう手を取ると抱き寄せ、頬にキスをしました。
そんなことをしたら、そりゃできていると思われるでしょうよ。
悪質ストーカー 小早川秀秋
前述の通り、小早川秀秋は片倉重長に悪質ストーキングをしています。

片倉重長(左)と小早川秀秋/wikipediaより引用
織田信長×森蘭丸
戦国時代のクライマックスである【本能寺の変】――織田信長のそばで討死した森蘭丸の姿は印象的です。
大河ドラマはじめ、映像作品では美男の定番とされています。
ただし、森蘭丸の場合、クライマックスに頻出するため盛られたことも考慮すべきではないでしょうか。
「蘭丸」という名前が「乱丸」と記されていたともされます。
彼の兄・鬼武蔵こと森長可、弟・森忠政はなかなかワイルドな人柄で知られています。
森兄弟の血が濃ければ、蘭丸が武骨であってもおかしくはありませんよね。
ただ、それじゃあつまらない、信長の最期を描くとして、野生的な乱丸より、儚い美少年・蘭丸の方が“映える”とは思いませんか?
世間の需要にあわせた供給もある。その辺も考慮すべき点でしょう。

森蘭丸(左)と織田信長/wikipediaより引用
徳川家康×井伊直政
あまり男色の話がない家康が、珍しく寵愛したとされるのが井伊直政です。

井伊直政(左)と徳川家康/wikipediaより引用
遠江の国衆出身の直政が、出世街道を鮮やかに駆け上ったことも影響しているのでしょう。
これを逆手にとり、寝室で語り合っている仲からそう噂されたと描いたのが、2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』でした。
大内義隆×陶隆房
せっかく陶隆房に逢いに行ったのに、寝ていたから和歌を残して立ち去った――そんな麗しい逸話もある大内義隆。
彼と噂になった人物は多いですし、ザビエルに男色を否定されて激怒しているので確たるものでしょう。

大内義隆/wikipediaより引用
こうして全体を見ていくと、パターンがありますよね。
ハッキリとした証拠はなく、後世のフィクションで誇張されたものも含まれる。
一方で、男色に興味がなく、むしろ嫌っていた人物もいます。
女好きで知られる豊臣秀吉はその代表。
美少年を見たら「ねえねえ、きみ、姉妹いる?」となる。
細川忠興は「は? なんか刃傷沙汰になったりしてめんどくさいからやめろ」といった態度でした。
戦国大河ドラマと男色再考
大河ドラマで男色を描写するのであれば、史実に忠実かどうかというより、むしろ受け止め方が重要になります。
世論が男色を回避するのであれば、それにならいますし、逆にウケるのであれば取り入れるでしょう。
では、そんな作品例は何があるか?
2009年『天地人』の放映時には、制作側も把握していたことは間違いありません。
『炎の蜃気楼』は1990年に連載開始で2007年に完結。
『戦国無双』は2004年、『戦国BASARA』は2005年発売でした。
2000年代後半には、ボーイズラブと戦国時代という組み合わせは公然の秘密でした。この時代は戦国ブーム。2009年には「歴女」が流行語大賞にノミネートされました。
そんな時代らしい本も発売されています。
◆「そんな恥ずかしいカブト、取っちまえよ!」 武将ラブな“BL”本「ハラハラ! 関ヶ原」(→link)
当時は、これ以外にも戦国武将ボーイズラブ本が大量に発売されたものです。
しかし、そうしたノリを2020年代まで持ち続けているのは、流石に厳しいでしょう。
状況は、以下のように変化しています。
・ボーイズラブとして楽しむのではなく、性的多様性としての受け止め方を探る
2010年代後半から、男性同士の同性愛を扱ったドラマが、日本でもどんどん増えてきました。
2016年からの『おっさんずラブ』。
2019年からの『きのう何食べた?』。
2020年には「チェリまほ」で知られる『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』。
ボーイズラブ作品原作でも、いやだからこそ、人気作品として通用するのです。
ウケ狙いの鉄板ネタとしてだけではなく、当事者がどんな思いを抱えているのか、向き合う悩みといったことが描かれる作品もあります。
2018年にNHKで放映された『弟の夫』がその代表例でしょう。
イケメン同士がキラキラとBLしているばかりのドラマって、それでよいのだろうか? むしろ古くない? そんな流れが訪れます。
・VOD普及による海外ドラマの流入
まるで黒船流行のように、2010年代後半からは海外のコンテンツが入り込んできました。
それまで海外ドラマといえば、欧米圏が中心。
NHKでも放送された『SHERLOCK』は、ボーイズラブ要素も人気のひとつでした。
あのような作品は二次創作込みでのボーイズラブ狙いでしたが、それがメインテーマのドラマが次から次へ、しかもアジアから乗り込んできます。
タイ、韓国、台湾、中国などなど……多くの国から上陸し、ジャンルとして「BLドラマ」が堂々と確立されたのです。
ならばもう、表立って見ればいい!という風潮へと変化してゆきます。
・「腐女子」なんて卑下する必要もない!
ボーイズラブが表に出てきて、隠れ忍ぶ必要がなくなると、「腐女子」という自虐的な呼び方も廃れてゆきます。
正々堂々と楽しめばいい。そんな意識の転換がありました。
・話題性のため同性愛を利用することは「クィア・べイティング」
マーケティング手段として「同性愛をにおわせる」手法が時代遅れどころか、禁忌とされるのがこれからの時代。
世界的に批判された典型例として挙げられるのがこちらです。
◆映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』でクィア・ベイティング? 『スター・ウォーズ』も批判されたマーケティング手法とは(→link)
注目は以下の部分。
クィア・ベイティング=Queerbaitingとは、作中ではロマンスが描かれないにもかかわらず、セクシャルマイノリティ同士のロマンスが描かれることを匂わせてファンを誘導するマーケティングの手法である。
baitは“餌”を意味しており、セクシャルマイノリティを食い物にしているというニュアンスが込められている。
こうした指摘を見ていると、非常に懸念深いのが大河ドラマ『どうする家康』でした。
「信長がいきなり家康の耳を噛む」など、相手の同意も得ずに実行し、多くの視聴者を引かせていたものです。
ジャニーズ事務所の二人だけに大手メディアでは批判の報道はありませんが、だからといって問題がないわけじゃない。
センスが古いことに気づいていないのか、見る側もこの罠にかかっているようで、以下の2つの記事に注目です。
◆ “俺の白兎”で話題「どうする家康」BLのようなセリフ連発!?腐女子「古のスパダリBLか?」(→link)
あたかも視聴者が喜んでいるかのような描写に加えて、
本作を見た腐女子からは、「古のスパダリBLか?」「動悸と震えがとまらねェよ」「何この大河??平成BL名語録??」といった反応が寄せられています。
こちらの記事では、
◆岡田信長ドSプレイの畳み掛けに、SNSでは困惑と喝采が(→link)
わざわざ「耳カプ」と見出しにつけてまではしゃいでいます。
■おもわず変な声が出た、信長の耳カプ
しかしそんな家臣団の胸熱なドラマを、とんでもない勢いで上書きをしたのは、今回も家康LOVEが過ぎた信長だ。浅井との戦いに協力するよう求める際に、一瞬耳を甘噛したときは「あれ、幻かな?」と思ったけど、姉川の戦い終了後、完全に耳にガブリと噛みつくに至っては、もういろんな感情で変な声がマジで出た筆者だった。
SNSでも「信長のドSプレイを披露する今期の大河ドラマ(少し困惑)」「白兎、と囁きながら耳噛み、けしからん」「好きすぎて、頭おかしい人みたいな(笑)」「『史上最高に気持ち悪い岡田准一』が一話の内に再度更新されるとか誰も予想できねーよw」など、笑い混じりの戸惑いコメントが続々と。
確かに平成に流行したBLと聞けば、権力者が弱者に執着するスーパー攻め様が頭をよぎる方もいるかもしれません。
しかし、あんな無礼な暴行まがいを見ていて、面白がる感情が湧いてくるということに、私は困惑しています。
ゾッとして目を逸らしてしまい、ため息をついてしまいました。現実にああいう場面を見たら、なんとしてでも止めたいと思ったほどです。
・性的同意を重視、グルーミングは犯罪です
性的な犯罪への見方も変わっています。
同性愛において、古い意識や偏見が被害者を苦しめることは指摘されているところ。
少年愛は未成年を対象にしていて、性的同意や知識が曖昧なまま、被害に遭うことは問題でしかありません。
被害を信じてもらえない。
本人ですら「あれはよかったことだ」と自分を騙してしまう。
そうした犯罪が問題視される中、強引に迫るサディスティックな路線は嫌悪感が生じます。
美少年をストーキングすることが、未だにいいとか思ってんの?
そう問われる時代なのに、大河ドラマで織田信長と徳川家康を2000年代末のようなボーイズラブ路線にしてします。耳ハムを喜々として流してしまう。
嫌悪感を抱く視聴者がいるのも必然でしょう。
『鎌倉殿の13人』での源実朝は、そのあたりの配慮が行き届いていました。
演じる側も真剣に取り組み、茶化すような真似などしません。
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しょうもないSNSを意識したウケ狙いではなく、真剣に向き合って取り組まないと、コンテンツの寿命も縮んでしまうのが2020年代の流れです。
どうするボーイズラブ――『どうする家康』はその問いに対し、最悪の答えを返しました。
ジャニーズ問題の最中にジャニーズ事務所所属俳優(当時)が主演をつとめました。さらには脇役にも複数名同事務所所属俳優が起用されたのです。
年契約はそのまま続行するという、NHKの慣習が悪き形で出てしまったのでした。さらには撮影現場でのパワーハラスメントといった問題点が週刊文春で暴露されるという、大河の歴史に刻まれる醜態となったのでした。
かつて、昭和レトロおじさんは職場だろうとヌードカレンダーを飾り、コミュニケーションと称して女性社員のお尻を撫でていました。
今思うとただただ気持ち悪いだけ。時代錯誤です。
『どうする家康』を見て「スパダリ」だの「ドS王子」だの盛り上がっていたのは、さしずめその平成おばさん版でした。
NHKは反省したのか。それから2年後の『べらぼう』ではかなり考証に沿った描写がみられます。
序盤のメインキャラクターである平賀源内は、史実においても男色を好んだことで知られています。
彼の同性の恋人への思いは、茶化されることもなく、真摯で純粋な気持ちとして描かれました。
他にも同性愛傾向を持つのではないかと推察できる人物がおりますが、あくまで愛の多様性として描かれ、ことさら強調するような不自然さはありません。
やればできることを、大河ドラマは示しているといえます。今後もこの流れが続くことを期待しましょう。
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【参考文献】
大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史-古典で知る驚きの性』(→amazon)
『新書版 性差の日本史』(→amazon)
スーザン・マン『性で読む中国史』(→amazon)
弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史: 家族史からグローバル・ヒストリーまで』(→amazon)
『文藝春秋2023年5月号』金田淳子「BLにハマる女たち」(→amazon)
他






