朝、布団の中から出てこられない蔦屋重三郎。
菜を刻んで味見をしているのは、恋女房の瀬以です。
「いつまで寝ているんだい」と女房が言えば、「なんでおめえはそんなに朝に強えんでえ」とぼやく夫。なんでも主役の横浜流星さんも朝は弱いそうですが。
蔦重の平凡で、幸せな朝――しかし、それは所詮夢で、現実は一人きりの目覚めでした。
蕎麦屋の半次郎は、耕書堂で日がな一日煙管をふかす蔦重を「野郎の根付け」だと言います。
「野郎の根付け」とは、根付けが台座にちんまりと置かれているように、座布団でしょぼくれている男のこと。
吉原で女郎に袖にされた男が座布団の上にいる様をそう呼んだそうで、辛いねぇ。
エレキテルに追い詰められた平賀源内
蔦重が江戸の街を歩いてゆくと、エレキテル体験が1回4文でできるようになっていました。
江戸の物価基準である蕎麦が一杯16文としますと、ほんの小銭すね。蔦重は見せ物になってしまったことに無情を感じています。
すると平賀源内が子どもに怒鳴り散らす声が聞こえてきました。
なんでもイカサマだと罵られたそうで、その子の母が「言っていない」と庇うと、竹光を振り翳して迫ります。
竹光たぁ、金に困って売っちまったのかな。
源内が蔦重に止められると、エレキテルはイカサマ、源内は口だけだと言っていると不服そうに話すのですが……どう見ても目つきが尋常ではありません。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用
須原屋では、近頃おかしいと市兵衛も言っています。
何かというと誰かに食ってかかるんだとか。偽物を作られ、イカサマ呼ばわりされて悔しいんだとか。
すると、ここで医者が通りかかり「エレキテルについてはイカサマじゃないとも言い切れないですからねぇ」と告げます。
オランダ本国でも使い道はなく、バチっとなる原理すらわかっていない。悪い気が出て万病に効くわけじゃないのか、と蔦重も気づく。
「それは源内の作り話だ」と言い切りながら、医者は店の奥へと上がってゆきました。
この医者こそ『解体新書』の筆者たる杉田玄白でした。

杉田玄白/wikipediaより引用
元々は源内の弟子のような存在で、今は当代一の蘭方医なんだってよ。それが応えているのかもしれないと須原屋は理解しています。
「そういうことを気にするのか……」と蔦重が軽く驚いていると、「そもそも源内だって元は学者だ」と須原屋は言います。
これがまさに平賀源内のややこしいところかもしれません。器用貧乏と言いましょうか。マルチタレントではあるけれど、どれも一流にはなりきれていない。
ちなみに杉田玄白がなぜ須原屋にいるのか?
というと、須原屋市兵衛は意欲的な書籍問屋でして、いくら『解体新書』が素晴らしくても売る店がなければどうしようもないため、その販売を引き受けていたのですね。
『解体新書』の翻訳チームに源内は参加していません。地道な作業に向いていないと判断されたのでしょうか。
すると、蔦重お目当ての品が運ばれてきました。
『吉原細見』です。こうやって買い占めて配ることで、蔦重は鱗の旦那の力になりたいわけですね。
しかし、そんな童話の『ごんぎつね』みたいなことをしても、相手にはわかるんですかね?
こういうところが蔦重らしいし、瀬川が愛したところなのだろうけれど。
蔦重が鱗の旦那のことを須原屋に聞いてみると、来年はもう青本は出せないのではないかと言われているのだとか。
はたして須原屋から出た蔦重が目にしたのは、荷物を背負い、とぼとぼと道を歩いてゆく鱗形屋の姿でした。なんとも切ねえ話ですよ。
家基に手袋の贈り物をと提案する高岳
江戸城では、徳川家基が米の価格の仕組みについて熱心に学んでいました。
その様子を、高岳が田沼意次に報告しています。
不仲はおさまったのか?と問われ、「どうかのう」と笑うしかない意次。

田沼意次/wikipediaより引用
意次としては家基と仲良くしていたいようです。
すると高岳が、意次の懐からはみ出ていた布に目をとめ「洒落ておりますね」と興味を示す。
聞けば、五郎蔵という職人に作らせた品だとか。
これも細やかな演出で、意次が経済のために特産品を作らせていることが見えてきますね。
肌触りを確認しながら、高岳が「お願いがある」と切り出してきました。
なんでも種姫から家基へ贈り物をしたいとのことで、この布の模様で手袋を作れないか?と持ちかけてきます。
意次も「それはいい」と賛同。
なんでも、家基は近々鷹狩りにいくそうで、その贈り物にしたいようです。非常に微笑ましい展開ですが……。
蔦重、才能ある遊び人どもに群がられる
つるべ蕎麦に場面は移り、蔦重が、美味そうに蕎麦を啜っております。
江戸っ子は蕎麦を噛まずに飲むと言います。
できるかどうか試してみてくだせえ。難しいんですよ。その点、横浜流星さんはいい蕎麦の食べ方をするとしみじみ思いますね。
同席しているのは朋誠堂喜三二でした。

朋誠堂喜三二(平沢常富)/wikipediaより引用
どうやら蔦重に青本を出して欲しいんだそうで、蔦重が困惑しながら「書いてもらえるならボタ餅でツラを張られるようなもんだ」と答えます。
アホボンの次郎兵衛は、自分の髪をペタペタ触っていますね。
蔦重が「鱗の旦那はどうか?」と尋ねると、なんでも春町だけで手一杯なんだとか。
喜三二もぼやいていて、蔦重は「俺と組むと市中には流れない」と言います。しかし、売れる売れないは問題ではなく、遊びなんだから楽しけりゃそれでいいとのこと。
では、誰とやるのが一番楽しいか?と問われたら、蔦重だってよ。
「まぁさん……」
感激する蔦重。こいつァとんでもねえ魔性の男だな。
「なんたってお前さんの礼は吉原だからな!」
「えっ、そこ」
そっちかい!
蔦重の名前を出せば、あっちこっちに敵娼(あいかた)作っても許されるんだってよ。
吉原は一応擬似結婚システムなので、一度に複数の馴染みは作れない。その縛りが外れるそうです。
「つったじゅうさ〜ん!」
ちょうど、そこへキャピキャピした声でやってきたのが、江戸のギャル男じみた北尾政演(山東京伝)です。

山東京伝/wikipediaより引用
「ちょっと絵師はお入り用じゃありませんか?」
小走りでやってきて、くねくねしてやがります。
蔦重が忙しいはずだろと素っ気ない態度でいると、実際、表紙絵も挿絵も手掛けているそうで、もう、この時点で私の「脳内曲亭馬琴」がイラついています。なんだ、この軽薄さは!
どうやら政演は仕事が早いそうで、なぜここへ売り込み来ているかというと、こうだぜ。
「払いは、吉原でいいんで」
「なんだいお若えの、お前さんもこっちのクチかい?」
喜三二が仲間を見つけて喜んでいます。
「あたぼうでさ! 絵なんて、モテるために描くもんでしょ。ねえ蔦重さん」
「んなこと言ったって、いますぐ頼めるものなんてねえよ!」
そう、ぼやく蔦重。
「じゃあ今日は遊びましょうか」
と、次郎兵衛が突然ろくでもねえこと言い出しやがりました。
「いや、なに言ってんすか義兄さん!」
「だって俺、茶屋だもの。遊びてえ人たちを前にほっとくわけにゃ……」
「気が向いた時だけ仕事しないでくだせえ! タダじゃねえんだから。お代は俺につけられるんすよ!」
いくら蔦重が抗議しても、いいものを書くと喜三二はいい、政演はいい挿絵にするという。すると次郎兵衛が、打ち合わせでもしようと誘う。ろくでもねえトリオが結成されました。
「じゃあ行くべえ獅子!」
借金がまた増えると嘆く蔦重のもとへ、富本本を求めた客がきて、その接客しているうちに皆は行ってしまいました。
にしても蔦重、遊び人ホイホイみてえになってっけど、大丈夫か?
その後のふじとの会話で10両と蔦重が確認していますが、それだけ遊んだってことですかね。
女たちも心から笑い、とても楽しかったそうです。
吉原に吹く変革の風
蔦重は親父殿たちの集会へ向かいます。
若木屋もやってきて何事かと思えば、りつが女郎屋を辞めると言い出しました。
どうやら彼女は芸者の見番をやりたいようです。差配をするマネージャー業務ですね。
建前では禁止されていても、女芸者が色を売らされることは後を絶たない。しかし差配する者がいれば、女芸者の一人座敷は避けることができる。
丁子屋は、もっと寮を使うべきだと提案。
流行り病の時、ケチって行灯部屋に女郎を突っ込むと、やたらと広まってしまうと言い出します。ちゃんと休ませて治したほうがよいと、待遇改善を求め出したわけです。
蔦重が戸惑いながらふじに尋ねてみると、なんでも駿河屋が蔦重の言葉に感じ入って改善策を練り出そうとしたんだそうです。
「やれることはささやかだけど、女郎や、それこそ女芸者にもましな場所にしていこうって」
「んなことあんですね。なんか夢見てるみてえだ」
そうしみじみと語る蔦重なのでした。

『東都新吉原一覧』二代目歌川広重/東京都立中央図書館蔵
瀬川もこれを知れば、きっと喜ぶでしょうね。
と、言いてえところだが、破綻は近いたぁ見てりゃわかるぜ。
しかし、忘八たちのセリフを捕まえて、さっそく欺瞞だの誤魔化しだの、視聴者サイドからの指摘もあります。
果たしてそうした言葉に誠はあるのか。批判のゴールがズレているケースを多々見かけます。
ドラマの最初の頃は「どうせNHKだ、吉原をキラキラさせて描く、女郎の苦労なんか流すつもりはない!」と言っていたのに、そうでないとわかると、今度は別口の批判箇所を探しに行く。
「すまねえな、ちゃんと女郎の暗部も描いてんな」と訂正する言葉はありません。
結局、批判ありきであって、次の放送のときには、それまで自分が何を言ったのか、忘れてるのでしょう。
現に、予告編の時点で蔦重は忘八に激怒して怒鳴っています。
蔦重がそろそろ日本橋に移ることもわかっているわけだし、何より吉原の搾取構造は変わらない。となると先は読めてくるはず。
確かに、どんな意見を持とうと見る人の勝手ですが、このドラマだけでなく、吉原や女郎が関わるものを厳しく批判し、作者や研究者にまで怒りを募らせるのはいかがなものでしょうか。
本当に怒っているのは、自分自身に冷たい社会であるとか。そういう自分自身への怒りや不満を、吉原や女郎に代入しているのではないでしょうか?
だから吉原や女郎に少しでもマシなことがあったと描かれているのをみると「嘘だ!」と過剰に怒りが湧いてくる。
で、それを制作者やらドラマそのものにぶつけているんじゃないですかね。
そうした代入による怒りで、何か得られるものはあるかもしれない。しかし自分の怒りは自分のものであって、吉原や女郎に託すのは筋違いでしょう。
今回、蝦夷地が出てきたためか、『母なるものの断崖』に描かれたような北海道での女性搾取へ持って行く流れに誘導するような感想も見かけました。
それは明治以降なので、松浦武四郎が嘆いた松前藩によるアイヌ女性搾取に言及してもよいのではないでしょうか。
和人女性搾取はこれまで劇中で描かれてきました。そのうえでアイヌ搾取まで描くとすれば、それはそれで進歩なのですが。
本作への批判を色々と見ていて感じるのは、「お利口な秀才が理屈コネてやがんな……」ってことでして。
いくら正論を振りかざしていても、いざという時頼りになんねえっつうか……こっちが目の前で溺れていても「冷静になってみよう、次は落ちないようにしよう、いますぐ社会ができる溺水の予防とは?」とか演説ぶりだして、縄一本投げてくれねえんじゃねえか?と疑いたくもなるんすよ。
鉄火肌で目の前で困っている人がいりゃ駆けつける。そういう江戸っ子ぽさはあんまりねえ。
蔦重は、根本的になんとかできるような深慮遠謀からは遠いけど、困った人はほっとけねえところがあるじゃねえすか。それもいいところでしょうよ。
スカした軍師ヅラより、あっしゃァ好きなんですけどね。
ってことで、話を江戸っ子の蔦重に戻します。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用
彼は耕書堂に、青本や洒落本の作者を求める貼り紙をしました。文体がいわゆる候文で、お堅いものです。
「耕書堂」のフォントも隷書体のようです。
印刷がすっかり普及したこの時代となると、さまざまな書体が使われるようになってきます。
次郎兵衛がありゃなんだというと、蔦重はここをおもしれえもんでいっぺえの店にすると野望を語り出しました。
いいじゃないの。彼なりに考えていまして、おもしれえものを売ればおもしれえ奴がやってきて、女郎も楽しいだろうと言い出す。
なんでぇ、そんなおもしろ梁山泊みてえな発想してんのかい。
次郎兵衛は、いよいよ青本をやるのかと確認してきます。
「へえ、この際、挑んでみようと思います」
そう微笑む蔦重でした。
家基、鷹狩りで斃れる
徳川家基が鷹狩りの準備を進めています。

徳川家基/wikipediaより引用
家基の手には、種姫から贈られた手袋。
高岳の依頼により田沼意次が取り寄せた布で作らせたもので、その鮮やかさには武元も気付いています。このような堅物だって、美しいものには目がとまるということでしょう。
家基が「種姫が誰にも持っていないようなものとして誂えたのだ」と説明すると、素直に誉めております。
「縁組の方もそろそろ進めていかねばならぬな」
「お考えくださっておるので?」
武元は嬉しそうな声になります。近頃は金のことばかり学んでいるようだというと、こう返されます。
「それは主殿頭を無用のものとするためじゃ。あやつのような知恵が己にあればわざわざ取り立てずともよいではないか」
家基は武元にこう語りかけます。
「爺、私は吉宗公のごとく、自ら政の舵を取る将軍となりたいのだ」
「なんと……なんと頼もしきお言葉。ではまず、吉宗公のごとく鷹狩りをお楽しみくださりませ」
感激してそう返す武元。ここまで育った未来の上様に、感動しております。

歌川広重『名所江戸百景』/wikipediaより引用
そして、将軍が関わる鷹狩りの場面へ。
狩りとは王侯貴族の娯楽としてだけでなく、権威のアピールにもなる。イギリス貴族の狐狩りとそれに対する反発は、動物愛護だけでなく格式など関わってきまして複雑なものです。
その日本式頂点のこの場面は、勢子がワラワラと出てきて、大掛かりだとわかります。日本史の再現とは合戦だけでなく、こうした鷹狩りも重要だとしみじみ思えます。
獲物が飛び出し、鷹を放つ家基。
しかし取り逃がしてしまい、家基が悔しそうに爪を噛むと、異変が起きました。動悸が激しくなり、倒れ込んでしまう。
安永8年(1779年)2月、将軍世子・徳川家基が急逝。
大事件へと発展してしまいます。
父で10代将軍の徳川家治は、意次から「奥医師による心臓発作」という報告をじっと聞いています。
あまりの衝撃に涙ひとつこぼさず、石像のように硬直した様が強烈ですね。

徳川家治/wikipediaより引用
稲荷ナビことナレーションは、「このような折の恒例として急な病死とされた」と説明します。
そうなんです。そうはいっても目撃証言はあっという間に江戸中に広がるもの。
例えば【桜田門外の変】なんて事件現場が鮮血まみれで、巻き込まれかけた仕出し屋もいたというのに、「大老は急病死」と発表したものだから、逆にさんざん茶化されたものでした。
「西の丸が病死のわけがなかろう……」
今回も、家基の生母である知保の方は納得しておりません。爪を噛み、ついには噛みちぎり、錯乱して叫びます。
「お前であろう……お前が毒を盛ったのであろう!」
意次に対し、狂える女と化した高梨臨さんが凄まじい。
何が凄まじいかって、まるで浮世絵に出てくる女性のようです。今年の大河ドラマは、浮世絵が実は写実的で、人の心の内面まで描いていると再確認できて素晴らしい。
安珍を焼き殺さんとする清姫に睨まれたように、意次は当惑しています。

月岡芳年『新形三十六怪撰』/wikipediaより引用
意次が動いていると、幕閣では話題になっております。
家基が亡くなった東海寺に寄進したなどなど。松平武元はこの噂を憮然とした面持ちで聞いている。
田沼意次が家基に毒を盛った――噂はあっという間に広まってゆくのでした。
蝦夷地という可能性
平賀源内が暗い室内で呆然と歩き回っています。
かつて源内は、万歩計にあたる「量程器」を意次に紹介したものでした。歩数というよりは歩行距離を測るものですね。
意次が興味を持ち、源内の発明か?と確認すると、オランダのものを真似て作ったと返答。その上で、裏を返せば国の力で作れるものをべらぼうな高値で売りつけられていることだと続けます。
幕府は異国に金銀を吸い上げられているという提言ですね。
そればかりではなく、長崎では国にある薬草や替えが利きそうな薬まで買い入れていると源内は指摘。
日本の津々浦々から値打ちのある品を掘り起こし、売り出せるよう工夫することだと断言します。
国を富ませる道だと説き、そして『物類品隲』という本を渡したのでした。
意次は、平賀の名を聞いてくると、本草学者だと平賀源内が答える。

平賀源内/wikipediaより引用
ここはなかなか重要な場面でしょう。
2023年に朝ドラ『らんまん』がありました。あの主役モデルとなった牧野富太郎は、本草学から植物学へと切り替える過程を生き抜いた植物学者です。
彼と比較すると、平賀源内の学んだ本草学の特質が見えてきます。
本草学は東洋医学の延長上にあります。
東洋医学の神である「神農」は、ありとあらゆる草を食べ、効能を分類。
植物を調べるうえであくまで薬効を重視していたということです。
明代の本草学者・李時珍『本草綱目』を取り入れ、そこに日本の植生を反映させることが、本草学の重要な過程となりました。
平賀源内は、医学だけでなく交易と本草学を接続させ、先に進めようとしていたことがわかります。
当時ヨーロッパでは「プラントハンター」と称される職業がありました。
異国へ向かい、役立つ植物がないか調べ、収集するのです。
美しい花。食べ物。当たれば一攫千金で、日本にもやがてこの目は向けられてくるわけです。
中でも茶葉は、大きく歴史の変動に関わることになります。
そんな源内のもとへ、平秩東作がフラッとやってきます。エレキテルで大変なことになったと聞きつけているようです。
東作も借金取りから逃げていて大変だとか。
そのうえで面白い話に当たったと言います。彼が差し出した袋には、何か驚くべきものが入っているようです。

熊狩りの様子が描かれたアイヌ絵/wikipediaより引用
迫る「お魯西亜」、交易の可能性
徳川家治は、武元と意次に家基が亡くなった理由の再調査を命じました。
壮健であった息子が、心臓病で急死することに納得できていない。武元は、毒を盛られる不覚を将軍家が許したとされてはいかがなものかと反論します。
威信を気にかける武元。
真相を知りたい家治。
さらに武元は、同席していた意次が毒殺犯と噂されていることに懸念を示します。
そこで家治が、意次は疑うまでもないと返すと、知保の方も同じように考えるかと武元は反論。
「疑いを晴らしたい」
田沼意次が声を強め、かくして家基急死事件の捜査が始まります。
しかし、毒を盛る隙が全く見つからないという結果となり、意次は自邸で意知と三浦庄司に説明しています。
ありとあらゆる場で毒味は行われていた。狩りの場での茶も調べられていた。一体どこで毒を盛るのか。
と、そこへ平賀源内が来ました。
エレキテルで散々な目にあったことを気遣われると、過ぎたことに囚われてもいられないと笑って誤魔化します。
そして本題を切り出しました。
「田沼様、蝦夷にご興味はございませんかね?」
そして東作が渡してきた小さな巾着を差し出します。
中には砂金が入っておりました。
「蝦夷ではまだ、金が採れるのか?」
どこの山から採れるのか現時点では定かでないけれど、まだ採れるのは間違いない。さらに昨年あたりから「お魯西亜」の船が交易を求めてあちこちにきているとも付け加えます。
蝦夷地を公儀直轄とし、鉱山を開き、交易を一手に握る――そうすれば幕府財政は再建できると言い切るのです。
意次は乗り気になるものの、少々面倒な局面だと渋り、家基急死事件の捜査について語ります。
「そうじゃ、その非凡な頭でひとつ、考えてみてはくれぬか? このようにしたら毒が盛れるという手を」
意次の依頼に対して、源内はそれを解決すれば蝦夷に手出しできるのか?と確認し、「お任せください」と快諾するのでした。
ここで補足をしておきましょう。
ロシアとの交易には、何を交易品とすればよいか?
蝦夷地には、清が欲しがる交易品があります。海鼠、昆布といった海産物です。
海鼠は珍味ですが、日本人はそれほど頻繁には食べないでしょう。この海鼠を乾燥させた「海参」が中国料理では最高級食材です。
蝦夷地はすでに清との交易もしていて、ハードルが低いといえばそうです。
さらに蝦夷地は毛皮交易も可能です。
『源氏物語』で末摘花が好む黒貂の毛皮は、作中では時代遅れのどうしようもない品として扱われております。
しかし、ヨーロッパに持ちだせば「セーブル」として垂涎の的になる。この毛皮もとれます。
ラッコの皮も同じく最高級品です。
蝦夷地開発は、実に魅力的なのです。
と、大変素晴らしい問題提起ではあるのですが、田沼意次に蝦夷地について提言した工藤平助をどう扱うのか。そこは気になるところです。
蝦夷地は源内。
そこにくるロシア人の詳細は平助にするのですかね。

アダム・ラクスマン/wikipediaより引用
毒を盛る手段を探して
源内が、東作と事件現場を歩いています。
探しているのは、毒のある生き物。マムシか?と東作が問うと、人が気づかないほど小さな虫ではどうかと源内が答えます。
ツツガムシも恐ろしいですが、あれは潜伏期間がありますね。
即死させるほどの虫などいるのか?と東作は疑念を抱きますが、源内は「いるかもしれねえだろ!」と強気です。元気を取り戻してきましたね。
「俺たちなんて天地から見りゃ目クソみてえなもんよ」と続くぼやきには、どこか憂いがありますが……。
松平武元も調べています。
なんでも勢子の吾作が言うには、獲物を取り逃した後悔しがり、そのあと苦しんだのだとか。
武元は悔しがると爪を噛む家基の癖を思い出しています。
休んでいる農民に毒虫について尋ねると、まだお世継様が亡くなった話を調べているのかと帰ってきます。
するとそこへ、目撃者である勢子の吾作がやってきます。

鷹が獲物を逃して悔しがり、親指を噛んでいたという証言が得られます。
これでピンとくる源内。
手袋に毒が仕込まれていた――。
源内は己の推理をと意次に語りました。
なるほど、ボルジア家のカンタレラのような毒の使い方ですね。経皮毒(皮膚や粘膜から吸収される毒)を口で噛んだら確かにそうなることもあるかもしれません。
意知と三浦庄司は手袋だと理解し、それを入手できるか?と言い出します。
しかし意次の顔色が悪い。愕然としながら源内を労い、帰らせるのでした。
自身が都合をつけた手袋だけに、冷や汗が止まらない意次は、三浦に命じて長谷川平蔵に手袋回収を命じます。
果たしてどうなるか……。
そのころ耕書堂には喜三二が来ていました。
店には新人作家がいて作業中。果たしてものになるかどうか。
蔦重は喜三二にプロットを渡し、確認をお願いしています。
「ある人が考えた話」と付け加える蔦重。彼は文才がないから書けないってよ。
もう少し粘ったらどうかと喜三二はいうものの、
「意地悪言わねえでくだせえよ。これはとびきりいいものに仕立てたいんすよ。一緒に考えてくれた人のためにも」
そう蔦重は返すのですが、だったらなおのこと頑張れと喜三二は返します。
お前さんが書いた方がその人も喜ぶとよ。どうにもならなきゃ仕立ててやると言いつつ、目を通す喜三二。
捜査の結果を告げに平蔵が意次のもとを訪れています。
手袋はもう手に入らない――。
捨てられたのではなく、家基が当日身につけていたものはお知保の方のもとにあり、さらに松平武元が引き取ったとか。
そのことを聞き、意次は絶望したのか、座り込んでしまいます。
「終わったか……あの手袋は俺が用意したものだ。高岳に頼まれてな」
それでは意次が毒を盛ったということかと平蔵が驚くと、
「そういうことになる。いや、されてしまうということじゃ!」
意次はそう言います。
三浦は献上される合間に人の手がある、作らせただけで下手人とはなるまいと励まします。
しかし、白眉毛はそう考えないと意次。意知はむしろ追い落とす手札とするのではないかと懸念します。
平蔵は、西の丸を調べ尽くし、毒を盛った真犯人を探し出すと断言します。
するとそこへ武元からの使者が到着したのでした。
白眉毛の下で慧眼は見抜いていた
意次は茶室に向かいます。
狭い茶室はヒソヒソ声の密談には適していますが、武元はたちの悪い夏風邪を引いているとのこと。
彼は無粋であると断りつつ、あの手袋を見せてきます。
「聞くところによれば、そなたもこれを捜しておったようであったな」
意次は認め、平賀源内が手袋に毒を仕込めたと推理したことを明かします。
武元は納得し、毒の有無を確かめるためかと言い出します。
「もう、お調べに?」
「調べるまでもない。この手袋は種姫様が西の丸様に贈ったものだ。種姫様が毒を仕込むなどできるわけがなく、する理由もない。つまるところ、この贈り物を渡りに船と考えた外道がおるということじゃ」
「その者とは……」
意次が武元を見つめ返します。
「そなた以外の誰かであろう」
懸念していたこととは全く逆の答えが来て、思わず驚く意次。
笑い飛ばし、咳き込む武元。
疑われると思っていただろう、高岳に仲立ちしたのはそなただと武元は言います。
それなのに何故私“以外”か?
そう問われると、意次が犯人なら早々に引き上げるだろうと見通しを語ります。
それなのにまんまと抑えられるとは無様だ。知らなかったという証だと告げます。
「みくびるな! わしはそなたを気に食わんとはいえ、これを機に使い、追い落としなどすれば、まことの外道を見逃すことになる。わしはそれほど愚かではない!」
「愚かなのは私でございました。どうか、お許しくださいませ!」
そう詫びる意次。疑ってもいなかったと武元は言います。
検校捕縛の際、家基に諫言したことで、武元は意次を見直していました。忠義がなければああはできぬと。
武元は意次の考えは好きではないと言います。
「世の大事はまずは金。それが当世であることはわしとてわかる。しかし金というものはいざという時に、米のように食えもせねば、刀のように身を守ってもくれぬ。人のように手を差し伸べてもくれぬ! 然様に頼りなきものであるにもかかわらず、そなたも、世の者も、金の力を信じすぎておるようにわしには思える」
資本主義や新自由主義への疑念のような訴えのあと、この一件の今後について話し合いにいくと告げます。
「長くなるやもしれませぬな」
「では一服とするか」
笑い合う二人。
意次は自邸に戻ると、次の西の丸(世継)を誰が狙うかで答えがわかると見通しを語ります。
意次と武元の二人は、いったん幕を引いて真犯人が尻尾を出すのを待つことにしました。
意知はそれがあきらかになっても、表立って出すことはできないと懸念します。
例の手袋については、意次が自分との関わりを家治に言う。お知保の方には武元が意次は潔白だと証明することになったようです。
げにありがたきは白眉毛――そう笑い合う田沼主従。ですが、意次は夏風邪がうつってしまったようです。
ここで傀儡師の姿がみえ、囃子が響いてきます。
その夜、武元は激しく咳き込み、糸が切れた傀儡のように目を見開いたまま息絶えてしまいます。
手袋は何者かが持ち去りました。
傀儡師の一橋治済は、ニッと笑みを見せています。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用
MVP:松平武元
徳川家基は金の話を聞く様になった。
そして白眉毛こと松平武元は田沼意次の忠義を理解した。
それもこれも、検校の金貸しについて諫言した際のことだとか。
これも東洋の道徳ですね。
諫言をするものこそ忠臣である。『貞観政要』に目を通せ。
そう学んできた彼はピンときたのでしょう。
思えば彼も優れた人物であった。そう思ったら退場とは……実に見事な人物像でした。
総評
優れたドラマは時代と噛み合う。
駄作もまた、そうなることがある。
大河ドラマを追いかけているとそう思えてきます。
悪い意味で噛み合ったのは、ジャニーズ事務所の問題が報道された年、よりにもよってその事務所の俳優を主演にした2023年でしょう。
今年の場合、見ていてあまりに劇的で、ここ最近抱えてきた疑問まで晴れたようで興奮が止まりません。
その疑問とは、第5回の描写とその反応です。
多かったのは黒船来航を予見していたというものでした。
私としては、あの会話は蝦夷地開発とロシア対応の前振りだと思っておりまして、史実からすればそれが自然なのです。
それなのに、どうしてペリーに意識が向かうのか?
幕末史好きな方と「どうしてなんですかねえ」「本当にねえ」と言い合っていたものなのですが、日本人の歴史意識には、あるシナリオが染み込んでいるのだと読書していて気づきました。
東洋の片隅で、いまだに鎖国している小さな国。
そこへアメリカの黒船が来航し、近代にめざめてゆく――。
あるあるだよな。歴史の授業で習ったような気がするぜ!
そう思いたくもなるのですが、実はこれはおかしい。
日本人が近代に目覚め、ヨーロッパを意識したのは『べらぼう』の時代、ロシアの存在を意識してからのことです。
いやいや、その前に宣教師だって来日しているし、オランダだってあるでしょ!
ローマ教皇に少年使節を派遣しているし、伊達政宗だって支倉常長を送っているじゃない。三浦按針だっているし。

豊後に漂着したリーフデ号・青い帽子と衣服の人物がウィリアム・アダムスで、赤い人物がヤン・ヨーステン/wikipediaより引用
そう思われるかもしれませんが、あくまでファーストインパクトの段階です。
オランダはあまりに小さいし、イギリスとの交易は途絶えます。
確かに出島という風穴はあって欧州の情報は流れてきますが、そうは言っても地球の裏側だし、近代へと意識が変わるわけでもありません。
ところがロシアが相手だと、そうも言っていられない。
なんせ隣国です。
当時の緩衝地帯となる蝦夷地にロシアが姿を見せ出すと、幕府はどうしたって「国境」を意識する必要に迫られました。
蝦夷地に住むアイヌも、「日本人」として定義せねばなりません。
宗教にしてもそう。神社を建てねばならない。
実効支配者は我々だと示すことに、幕府は頭を悩ませねばならなかったのです。
つまり、黒船来航よりはるか前に、日本はロシアを通してヨーロッパを認識する関係が始まっていたのです。

伊能忠敬『大日本沿海輿地全図』の蝦夷地/wikipediaより引用
一方で、こんなシナリオも語られがちでしょう。
幕府はなぜ、長州征伐で敗れたのか?
近代意識に目覚めた長州藩には、身分にとらわれない奇兵隊があったのだ――。
これもそう単純ではありません。
幕府側の組織である新選組からして、豪農や商人出身者もいます。
幕末には東西両軍ともに身分制度が混在した軍隊が存在しました。
それに長州征討では「自国の船が巻き込まれたら危険だ」と西洋諸国がねじこんできて、幕府は海軍を封じ込められたことが大きい。
こういう意識の弊害が出てきているからこその高校における「歴史総合」であり、『べらぼう』の放映ではないか。つくづくそう思えてきます。
NHKスペシャル『新・幕末史』も、そうした流れをまとめた画期的な番組でした。
この放映にあわせて新書も発売され、そろそろ幕末史について認識も改まっているのではないか。どっこいそうはならず、幕末といえばまだ維新志士と新選組に話が向かいがちでして。
そういう層でも『べらぼう』第5回を見て思い出すのはペリー来航になってしまう。
いかにも賢そうな人が読んでいるメディアでも、そういうことが掲載されています。
まるで『2001年宇宙の旅』の冒頭のようだと、あの黒船連想を見ていて私は思いました。
東洋の猿どもがペリーの黒船というモノリス(石柱状の石)をみて、人類の夜明けを知る――そんなシナリオを『ツァラトゥストラはかく語りき』のメロディとともに刷り込まれたのか、と思ってしまう。
英米が、日本の歴史を変えてきたというシナリオを、英米のメディアが流す。日本人もそれを信じ込む。
そういう洗脳じみた関係があるのではないかと思ったのが、『SHOGUN』とその反応です。

現代から転生してきた米兵のような主人公が大砲を見せると、野蛮な猿じみた東洋人は驚く。
ヒロインはカトリック。つまりは西洋文明を知る存在だ!
そういう厚かましいにもほどがあるファンタジーを、アメリカ人ならともかく、日本人までどうして喜ぶのやら。
なぜならば、徳川家康は朝鮮出兵時、明軍の大砲を知っているはずなのです。
カトリックとプロテスタントがロマンス展開しながら日本を改革するというのも、寝言は寝てからにしてくれとしか言いようのない与太話の類でしょう。
このしょうもないシナリオが“省きたいもの”は何か?
中国とロシアです。
日本は、地理的にも歴史的にも中国とロシアが近いなんて、あらためて言われるまでもないこと。
それがどういうワケか……いや、少し考えればすぐわかることですが、冷戦体制下で日本人がそう思ってしまうと、アメリカは大変困るわけです。
そこで鉄のカーテンの向こう側に追いやり、意識しないようにしてきた。冷戦は半世紀続いたわけですから、人間の意識だって捻じ曲げてしまうのでしょう。
それがやっと終わる兆しが見えてきたんだな。
今こそ、江戸時代中期をやらないといけないよな!
そう腑に落ちたんでやんす。
『麒麟がくる』のチームがこの作品を手がけている意味も頷けます。
あのドラマは、日本の近世は儒教朱子学を浸透させることで実現したと描きました。
そして『べらぼう』では、日本の西欧とのセカンドインパクトはロシアからであると示す。
捻じ曲がった日本人の歴史観を矯正する、実に大きな意義のあることに挑戦しているのではないでしょうか。
そして2027年『逆賊の幕臣』は、もうひとつの捻じ曲がった意識を矯正する可能性が高い。
その意識とは「日本の近代化に明治維新というクーデターが必須であった」というものです。
これまた英米にとっては甘いシナリオといえる。
自分たちが掌握した連中にクーデターを起こさせたうえで、これぞ理想国家への道すじだと大々的に喧伝する。
おまけにその国が周辺国の協調路線を見出すノイズとなれば、実にうまみがある。
そういうどこぞの誰かの策に乗っかったまま生きていくのは、そろそろ止めても良いのでは?
今、国際ニュースを見ればアメリカと中国を中心とした関税戦争一色。
西洋列強は、自分たちが中国に何をしたのか理解していないわけじゃない。
中国が仕返しをしてきたらどうすればいい? そんな根源的な恐怖が潜んでいるのではないでしょうか。
地理も文化も近い日本が中国側に味方したら厄介だ。アジア人は信頼できん。そんな偏見もあるわけです。
トランプ大統領が中国と日本をまとめて罵倒するさまを見て、呆れ、焦っている誰かは確実にいます。
そういう誰かにとって都合のいい「日本史」シナリオなんてもう信じなくていいんですよ。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





