江戸城の廊下を歩いてゆく田沼意知。
誰袖と花を見る約束をしています。
すると突如、意知を呼び止めた佐野政言が斬り掛かりました。

黄表紙に描かれた佐野政言が田沼意知に斬りかかる場面/国立国会図書館蔵
鞘から刀を抜かず、そのまま受け止める意知。城内での抜刀は厳禁です。
「覚えがあろう!」
佐野はそう言い、再び斬りつけます。乱闘でありながら太刀筋が美しい。武士として鍛錬を積んできた姿が想像できます。
「覚えがあろう!」
そう絶叫する佐野と苦しむ意知の姿に、「んふ」と微笑む誰袖と、ニンマリを笑みを浮かべる一橋治済が重なる。
意知に助けが入らず、苦しげに這い進むしかないところも注目でしょう。
どうしてそうなったのか、なぜ誰も助けなかったのか、これではあまりに情けないのではないか、と、当時からさんざん紛糾したのです。
桜の下でゆっくりと振り向く誰袖の姿は美しく素晴らしい。

歌川広重『名所江戸百景 隅田川水神の森真崎』/wikipediaより引用
しかし、ちょっと指摘しておきましょう。
意知には、松平康福の娘である妻がいました。この妻が芝居見物をしていたところ、夫の凶報が届き、騒動になったものです。
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『べらぼう』田沼意知の妻の父・松平康福とは?意次の老中仲間が宣告した「義絶」
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今回は脚本に三谷昌登さんもクレジットされています。
大河ドラマ、朝の連続テレビ小説、そしてドラマ10『大奥』にもしばしば顔を見せられる方です。
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新之助とふく、日本橋を訪れる
蔦重が腕組みしながら歩いております。
羽織を身につけて、すっかり日本橋の旦那風情となりました。
するとそんな彼を呼び止める者がいます。
月代と髭がむさ苦しく伸びた新之助と、妻のふくでした。
耕書堂にて、二人の前に食膳が置かれます。
輝くようにたっぷり盛られた白い飯。地獄に仏がいたかのように、感極まった顔をする二人は礼を言うと、もくもくと箸で飯を口に運びます。
なんとも美味しそうにご飯を頬張る姿は、説明が不要と言えるほどの説得力があります。
どれほど白い飯を食べたかったことか――言わずともわかるだろう。
そんな力強さを感じてしまいますが、これも日本、朝鮮半島、中国南部ならではの話かもしれません。
以前「日本人を怒らせようと思ったら、国旗を破るよりも白いご飯を床に落として踏みつける方が効く」というような話を読んだことがあります。
そうかもしれませんね。白い米は別格なんですよ。
長い歴史の中でそうなった話であり『光る君へ』の藤原為時なら「白い飯でなくてもよいのではないか、五穀豊穣だろう」と返すかも。
『鎌倉殿の13人』の坂東武者も「米がねえのは困っけど、色はどうでもいいぜ!」とポカンとするかもしれない。
白いご飯が特権的になったのも、江戸時代の特徴ですな。
蔦重は恩を返す義理堅い男
腹がふくれた新之助が身の上話をします。
浅間山のそばにいた夫妻は、火山灰にやられてしまった田畑をどうにか一年がかりで元に戻しました。

浅間山の天明大噴火を描いた「夜分大焼之図」/wikipediaより引用
しかし、ひと段落したら追い出されてしまった。
江戸から流れてきた者は肩身が狭かったそう。生活が苦しくなると、余所者に向けられる目は厳しくなるものですね。
つよは、二人が足抜けだと合点がいきます。
蔦重が困惑しながら、ていに「足抜け」を説明しようとすると……「そのくらいは存じております」とてい。
「真に好き合った女郎と客が、手に手を取り合い、駆け落ちすることですよね。まぁ、よくご無事で」
完全に理解してんのな。おていさんは女郎への偏見がないようです。
彼女は人の真心を第一に見るので、歌麿と蔦重がそういうことなら受け止めるし、足抜けだからと偏見を持つこともない。
愛が一番大事だとわかっている。だからこそ、かえって蔦重が打算で一緒になったなら別れようとしたのかもしれませんぜ。
新之助は、頭を下げ、夫妻を雇って欲しいと言い出します。
ふくが「薪割りでも水汲みでも!」と頭を下げるのもなんとも切ねえ話でして、あのうつせみ花魁がこうも苦労している。これも愛だな。
歌麿は、唐丸のころに『細見』作りに協力してくれた新之助だと思い出しています。あァ、あんときゃァ悪夢みてえな直しによく対応してくれたよな。こりゃ恩返ししねえと。
蔦重は「筆耕をして欲しい」と受け入れます。
新さんは佐野政言と比較すると刀の扱いがいまひとつだったので、学問向きなのでしょう。新之助がお礼を言うと、蔦重はこう言います。
「世話になったお方を打ち捨てるなど、人としてお話にもなるまい」
「立派になって……」
新之助はそう言います。それはわかりやすぜ。昔なら「話にもなるめェ」とべらんめぇ口調になったと思いやす。こりゃきっと、おていさんの指導が効いてんだよ。
「まぁ、あるお方の受け売りなんですけどね」
そうニッと微笑む蔦重でした。
意知の死は誰のせいなのか?
田沼意次が、重傷を負った我が子の枕元におります。意知は必死になって、土山宗次郎のもとにいる誰袖の面倒を見て欲しいと頼みます。
さらには蝦夷のことや、米のことも託す。
「わしはやらん……お前の尻拭いなど! 自分でやれ!」
「やりとうございました……私とて、己の手で……」
「気弱なことを申すな!」
息子の手を取り、そう言うしかない意次。
三浦も「さよう、死神が寄ってきますぞ!」と励ますのですが……意知の顔には死の翳が落ちている。
「意知……目を開けろ! 意知! 父の言うことが聞けぬのか! 意知……あ……なぜだ、なぜお前なんだ!……なぜだ、なぜ俺じゃないんだ! なぜ俺じゃないんだ!」
泣き伏せる意次でした。
その死の報告を、一橋家家老・田沼意致から受け止める一橋治済はシレッと言います。
「死んでしもうたか。まこと人の恨みを買うとは恐ろしいことじゃ。主殿は少し天狗になっておったのかもしれんのう」

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用
子の家斉はカステラを口に運んでいる。
横に座っているのは許嫁の茂姫。薩摩島津家出身の姫君ですね。まだ幼く無邪気なようで、幕府の今後を考えるとどこか不吉な姿にも思えます。
「ああ……すまぬ。そなたは田沼の者であったな」
「いえ……仰せのとおり、田沼を快く思っておらぬ者は思っておったよりずっと多いのかもしれませぬ。刃傷の折も助けようとする者もおらなかったと聞きますし……」
声を震わせつつ返す意致。田沼の七曜紋が痛々しく見えてきます。
「しかし、なぜ伯父(意次)ではなく山城(意知)を!」
すると治済が立て板に水でこう言います。
意次は放っておいても老い先そう長くはない。嫡男を亡き者とすることこそ、田沼の勢いを真に削ぐことになる――と。
「そう考えたのかもしれぬなぁ、佐野は」
カステラを口に放り込み、満足げに咀嚼。いやいや、己が考えた策を……うまそうに食ってんじゃねえぞ!
そう言いたくもなりますが、このあたりがドラマが一から考えたものとも言い切れませぬ。
田沼意次のような側近政治は、江戸幕府の特徴でした。
ただし、それも一代で終わることが不文律。田沼意次は己の考える政策が一代では難しいことを理解しており、後に続けようとしておりました。
だからこそ、嫡男を殺せば田沼政治が終わるのは自然なことと言えます。
実は、佐野の突発的犯行ではなく、背後に黒幕がいたのではないか?という推理は当時から、蘭学愛好者やオランダ商館関係者の間で出ておりました。
オランダ人はこのあとも幾度にも渡って開国を提案しますが、小国の悲哀なのか、これがなかなか通らない。アメリカが艦隊を派遣するという詳細なレポートも出していて、実はペリー来航の前年に幕府は受領しています。
ただし、その対策を打とうと右往左往した幕閣上層部は阿部正弘くらいで、適切な対応ができなかったことが幕府の大打撃となるのです。

阿部正弘/wikipediaより引用
ですので、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の登場人物たちがこのドラマを見ていたら「ったく、ここでどうにかなってりゃ、俺らもあんな苦労はしてなかっただろうナァ」と嘆くことでしょう。
田沼意次の政治手腕を再評価した人物の一人に、幕末の川路聖謨がいます。再来年、誰が演じるか、楽しみに待ちましょう。
そしてカステラにつきましては、実は同じチームのドラマ10『大奥』でも印象的な御道具でした。
砂糖をたっぷりと使う菓子ですが、この砂糖は8代吉宗から増産され、定着してゆきました。
流通の背景には薩摩藩が展開した「黒糖地獄」という悲劇もあります。藩内で強引なまでに増産し、その地の領民を苦しめたのです。
砂糖の歴史とは、搾取と表裏一体でもあります。
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