大河ドラマ『豊臣兄弟』をご覧になり、意外に思われたのは
松下嘉兵衛
ではなかろうか?
秀吉が最初に仕えたのは織田信長ではなく、この嘉兵衛。
松下加兵衛之綱(ゆきつな)の名でも知られ、当時は、今川家に属していた頭陀寺城主(遠江)だった。
秀吉の出生地とされる尾張中村からは、現在の道路で約120km~130km東の浜松市にある頭陀寺城。
商業や水運の要所に位置していたこの地で、勢力を有していた松下嘉兵衛とは一体何者なのか。
秀吉との最初の出会いと別れ
松下嘉兵衛は天文六年(1537年)生まれで秀吉と同年。
少年時代の秀吉は3年間、松下嘉兵衛に仕えたとされ、出会いや別れの経緯には諸説ある。
『名将言行録』では、秀吉が針売りをしながら旅をしていた際、嘉兵衛と出会い、その機知に富んだ受け答えが気に入られて仕えることになったとされている。

若き頃の秀吉を描いた月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』/wikipediaより引用
別れの理由は不明確。
秀吉の働きぶりが妬まれ、嘉兵衛が暇を出そうとしたところ、秀吉が口答えして出奔したと『名将言行録』には記されている。
一方、小瀬甫庵『太閤記』では、秀吉が嘉兵衛から具足購入の金を預かり、それを元手に出世を考え、そのまま離れたとされている。
他にも秀吉と嘉兵衛を描いた物語はあるが、『名将言行録』にせよ『太閤記』にせよ、江戸時代の読み物であり史料としての価値は低い。
しかし、松下氏が実在することは確かであり、注目は、秀吉が離れた後の嘉兵衛の動向であろう。
永禄三年(1560年)に桶狭間の戦いが勃発。
今川義元が討ち取られると、その後、武田家と徳川家に所領を侵食されていった今川の衰退に伴い、松下氏は徳川家康の傘下に入った。
嘉兵衛にとって次の大きな節目は天正二年(1574年)である。
武田勝頼に攻められた第一次高天神城の戦いが起き、このとき松下氏も徳川方として籠城している。

高天神城図photo by お城野郎!
結果は、武田方の勝利。
嘉兵衛は殺されることなく解放された。
長浜城主となった秀吉のもとへ
一方、秀吉は、織田信長のもとで順調な出世を遂げていた。
美濃攻略や浅井攻略で戦功を挙げると、天正元年(1573年)、ついに長浜城主となり、積極的な人材登用に励む。
秀吉の子飼い武将として著名な加藤清正や福島正則、あるいは石田三成など。
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豊臣家臣団の形成|秀吉はどうやって作り上げたのか?必死になって集めた家臣たち
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豊臣政権の中心メンバーが揃えられていった当時、松下嘉兵衛も秀吉のもとへ向かったと考えられている。
かつての部下、しかも一度は離反した相手に仕えるのは異例だが、嘉兵衛も一族を養うことを優先したのであろう。
天正三年(1575年)長篠の戦いにも参戦しており、この頃には秀吉から一定の信頼を得ていたようだ。

絵・富永商太
嘉兵衛は同族の松下氏の中から妻を迎え、多くの子宝に恵まれた。
次男の松下重綱は後に賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明の娘を妻に迎えているほどだ。
他にも同じころ山内一豊が秀吉に仕えており、嘉兵衛との間には同期のような意識があったのかもしれない。
石高1万6000石の久野城主
松下嘉兵衛について、個人の武勇や指揮能力に関する記録は少ない。
したがって派手な出世とは言い難いが、堅実に所領を増やしていっている。
天正十年(1582年)に本能寺の変と山崎の戦いが立て続けに起きると、丹波2000石・伊勢1000石の領地を秀吉から与えられ、大坂城普請の材木調達役も請け負った。
おそらく嘉兵衛が頭陀寺城時代に水運に携わっていたことが関連していると考えられている。
天正十五年(1587年)には従五位下・石見守の官位と丹波3000石が加増。
天正十八年(1590年)の小田原征伐後には久野城を与えられ、石高1万6000石の大名となった。
久野城は、かつての頭陀寺城からわずか20kmの距離。
徳川家康を関東へ移封した後の押さえ人事の一つであり、同時に、秀吉が嘉兵衛の故郷に近い場所を与えようとした意図もあったのかもしれない。
その後も堅実に秀吉の政権運営や所領経営に携わっていたのであろう。
派手な活躍譚こそ語られないが、慶長三年(1598年)2月29日まで生き永らえ、秀吉より半年ほど早く久野城で亡くなった。
嘉兵衛が亡くなった旧暦2月末は新暦の4月初旬にあたり、久野で桜が咲いていたとしたら、華やかな旅立ちとなったであろうか。

落合芳幾『太平記英勇伝十九:松下加兵衛之綱』/wikipediaより引用
残念ながら大名としての松下氏は、嘉兵衛の孫・松下長綱の代で改易されてしまったが、その後、旗本として家名は存続し、現在も末裔がいる。
戦国時代も江戸時代も生き抜いたことは、家としては喜ばしいことと言える。
天下人と同じ年に生まれ、同じ年に亡くなった嘉兵衛。
秀吉関連作品で注目されても良い人物であり、今年の大河ドラマではそれが叶えられた格好ではなかろうか。
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参考文献
- 冨永公文『松下加兵衛と豊臣秀吉 ― 戦国・松下氏の系譜』東京図書出版会(発売:星雲社)、2002年11月。ISBN:978-4-434-02339-2(ISBN-10:443402339X)
|国立国会図書館サーチ
|Amazon - 『日本人名大辞典』講談社、2001年12月6日。ISBN:978-4-06-210800-3(ISBN-10:4062108003)
|参照(ジャパンナレッジ)
|Amazon




